16、猛獣調査開始
私達はその後何事もなく北の森に到着し、予定通りに一番近い町に拠点を構えて実質的な調査が始まる事となった。
ひとまず調べるのはこの森にいる猛獣の種類と規模だ。
元々町に住んでいる猛獣遣い達とも協力し、激増する前のおおよその種類と規模の聞き取りを隊員達が進め、同時進行で私とエーベルが森に侵入し、現在の種類と規模を調べる事となった。
「エーベル、気を付けてついて来てね」
北の森では、私達銀狼は新参者となりその頂点に君臨していない。
だから、猛獣からすれば私達は縄張りを荒らす侵入者となる。
残念ながら、ドラゴンのような圧倒的支配者とはなり得ないのだ。
「はい、ありがとうございます。ヴァーリア様、この地帯はガングルドの縄張りみたいですよ」
ペガススで素早く移動しながら、エーベルは糞や枝の折れ方、幹の引っ掛かれた後などの判断材料を即座に見つけて、私に知らせてくれる。
私の鼻もいくつかの猛獣の臭いを嗅ぎ付けはするが、その中でどんな猛獣がどんな地域で有利であるかはわからないので、先に教えてくれるエーベル辞書は非常に便利だ。
少し開けた場所で休憩しながら、猛獣の種類を地図に書き込んでいく。
それは非常に根気のいる作業だったが、私は知らない森を駆け回るのが楽しくて仕方なかった。
ほら、子供だって新しい公園に行ったらはしゃぐじゃない?……まぁ、子供じゃないけど。十六歳だし。
ともかく、大人子供以前に狼が一匹喜んでいるだけなのだから許されるだろう。
ただひとつ、エーベルにお尻を向けるとどうにも身体がむずむずするのはイタダケナイ。
調査中はエーベルが常に鞭を携帯しているのもあり、苦手意識が凄いのだ。
ペガススが襲われたら大変だから、我慢して前を走るけれどもさ。
私の尻ムズムズ以外、初日の調査を何事もなく終え、私達は町に戻ってきた。
今日みたいに近い距離の調査であれば町に戻って来れるが、奥深くとなると連泊の準備をして調査をしなければならない。
であれば、町にいられる間に色々見て遊……視察するべきだが、幸か不幸か今回の調査期間はそこまで短い訳ではない。
だから、町の散策時間はたっぷりあるって事でひとまず初日は蓄積された疲れを癒す事に専念した。
***
「あ~、今日は疲れたねぇ……」
エーベルが準備してくれた『ヴァーリア様専用湯浴み』にて、腕捲りをしたエーベルにワシャワシャと全身を石鹸で磨かれながら湯に浸かったまま顎を浴槽の縁に乗せて私は寝そべっていた。
いやー、極楽極楽。
トロリと下がる瞼を持ち上げようと、眠気覚ましに悪戯に尻尾を揺らしてぱしゃぱしゃとお湯の飛沫をかけるが、エーベルは楽しそうに笑うだけで文句の一つも言わない。
今更だけどさ、エーベルは私に甘すぎる。
怒ったのは私が一人で行動した時だけで、その理由も「危ないから」だ。
「ん……っ」
耳の付け根を優しく揉み洗いされ、思わず吐息が漏れる。
「くぅ……っ」
私が息を漏らす度に、固くした股間を発射させない様に耐える変態。
ううむ、変態でさえなければ絆されそうなのだが。
私もエーベルの事はそれなりに大切だし、長い付き合いだから情もあるし。
「ヴァーリア様、どこか痒いところはございませんか?」
「……ん、大丈夫……ありがとう……」
あまりのゴッドハンドっぷりに睡魔が襲ってくるが、今ここで寝てしまってはエーベルに襲われる可能性もある。
如何せん相手は、狼相手に欲情出来る高度な変態だ。
エーベルに離れて貰ってから、プルプル身体を振って水滴を飛ばした。
エーベルが持っていた大きなタオルで身体を拭かれるのを、私は大人しくお座りしてやり過ごす。
「失礼致します」
エーベルは、私の指の付け根を軽く押して指を一ヶ所ずつ開くと、一本ずつ丁寧に拭いていった。
それを終えると、スリッカーブラシでしっかりと毛並みを整えていく。
……変態でさえなければ、本当に良い奴だ、うん。
***
それから三日程町と森を往復し、町にいる猛獣遣いと手分けをして日帰りで出来る範囲の調査を繰り返した。
短い調査期間の中で、私は何やら違和感を感じていた。
勿論それは、エーベルもだ。
「……なんかさぁ、見かける猛獣皆、獰猛になってない……?」
「そうですね。獰猛というより……発情による興奮状態の様ですが、それもおかしいですね……」
エーベルが首を捻るのも当然だ。
猛獣には発情のシーズンがあるが、種によって期間や季節が異なる為、普通であればこんなに一斉に獰猛になるなんて事はないのだ。
森の中では普通、猛獣達がそれぞれ住みかを中心に縄張りを持っているが、自然と淘汰されて必要以上に個体数が増える事はない。
それが、不自然なまでに個体数が増えて縄張りからはみ出しており、そのはみ出さざるを得なかった猛獣達が森から出て付近の人間を困らせている様だった。
今日は水辺で休憩していた時、水の中に住む猛獣の縄張りだろうと思っていたら、急に森の中から現れた他の猛獣に襲われ、ペガススを空に逃がそうとして対峙したらまさかの地面の下からまで猛獣が現れてまさかの三つ巴でびっくりした。
エーベルが加勢してくれなければ、怪我ひとつせずにあの場を掌握するのは難しかったかもしれない。
「エーベル、今日はありがとうね~……」
「いいえ、ヴァーリア様がご無事で何よりでした」
「じゃあお休み~」
「ヴァーリア様っ!!」
?
私が部屋に引きこもろうとするのを止めたエーベルは、真剣な顔で聞いてきた。
「……本日の私は、ヴァーリア様をお守り出来ておりましたでしょうか?」
私は、キョトンとして答える。
「うん、勿論。凄く助かったよ」
あの猛獣達の中でエーベルの鞭に一番びびっていた猛獣は私かもしれないが。
「ヴァーリア様、覚えていらっしゃいますか?私がヴァーリア様を守れた暁には、私にその美しい毛並みを触らせて頂く機会を頂けると……」
……そんな事、約束したようなしてない様な……?
首を傾げつつ、ひとまず私は疑問を口にする。
「毎日触ってる気がするんだけど……」
侍女も連れて来てないし、出先だから毛がゴワゴワになる事も覚悟していたのだけど。
エーベルにマッサージやシャンプーを任せる様になってからむしろ以前より毛並みが良くなった気がする。
だからエーベルは最近毎日私の毛を触っている筈でして。
「ヴァーリア様、ブラッシングと単に撫でさせて頂くのは全く趣が違います」
いや言ってる意味が全くわかりません。
私の微妙な表情を読み取ったらしいエーベルは続ける。
「ブラッシングはどちらかと言えばご奉仕です。ヴァーリア様の美しい毛並みを整えさせて頂く事が最優先となります。それも私からすればご褒美でしかございません……が、撫でさせて頂くというのは私の情欲優先の愛撫という事なのですっ!!」
「ぇえー……」
その違いは私にはよく分からないけど。
やや鼻息荒いエーベルがずずいっと距離をつめて私の顔の前に自分の顔を突き出した。
「ヴァーリア様、私とのお約束……」
「わ、わかったよ。撫でる位いくらでもどうぞ~」
「はぁうっ!!」
私が部屋の前からくるりとターンして行き先をエーベルの部屋に定めると、エーベルは胸を抑えていそいそと自分の部屋のドアを開けた。
何?心臓病?医者にみて見て貰った方が……。
「ヴァーリア様の華麗なターンステップが可愛すぎますね。その足跡を我が家にも残して頂けたら……っっ!!」
医者に見て貰うべきなのは頭だったわ。
最初は遠慮していたエーベルのベッドであるが、いつの間にか私は何の躊躇もなく乗る様になっていた。
つまりはそれだけ乗る事が多い訳なのだが。
今日も勝手にひょいと飛び乗り、身体を伏せて前足に頭を乗せ、目を閉じる。
「ででででは失礼致しますっ……」
エーベルにそう言われ、私は返事がわりに片耳をピコピコ動かした。




