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陸軍少尉の回想 1

お待たせしました! 連載再開します!

「サティ……」


 俺は、一本のナイフを抱きしめる。

 少しだけマナを込めると、ナイフは薄ぼんやりと光を放った。


 たった一人の大切な妹。

 俺が陸軍将兵養成所を卒業する時に、その妹が作ってくれた。

 抱きしめる度に、温かい気持ちになれる。

 こんな真夜中でも。


「隊長、交代の時間です」


 部隊員の一人、クロエが近付いてきて、俺に告げた。

 慌ててナイフを隠す。

 

「お、おう、もうそんな時間か」


「ええ。早くテントに行ってください。大体、隊長が見張りなんてする必要ないでしょう? 隊員に任せてくださいよ」


「バカ、率先垂範は軍人の基本だ。いつも言ってるだろ」


「わかりましたよ。じゃあ5月とはいえ夜は冷えるので、風邪ひかないようにしっかり着込んで寝てくださいね」


「わかったわかった。お前もどこぞのお袋みたいなことばっかり言ってないで、さっさといい男見つけろよ」


「隊長!」


 テンプレ的な軽口とともに、俺は逃げるようにその場を離れた。

 クロエも軍人とはいえ女だ。

 冗談ではなく、早くいい男を見つけた方がいいと思っている。

 

 彼女はむさ苦しい俺の部隊の紅一点として、隊内で絶大な人気を誇っている。

 でも、正直なところ軍人とはくっ付いて欲しくない。

 いつ死ぬかわからない仕事だ。

 旦那がそんな職業に就いていては、家庭に入っても心が休まらないだろう。

 安定した収入のある商店主あたりとくっ付いてくれればな。

 

 って。

 俺はクロエの親父のつもりか?

 あいつをお袋呼ばわりできる立場じゃねえな。


 そんなことを考えながら、野営用のテントに向かった。


「隊長! お疲れ様です!」

「「「お疲れ様です!」」」


「おう、ご苦労さん。お前らもさっさと寝ろよ」


 隊員たちが次々に敬礼してくる。

 俺が第24小隊の隊長になってから、手塩にかけて育ててきたメンバーだ。

 サティを失った今、こいつらが俺の唯一の財産だ。


 隊員たちへの挨拶を済ませると、俺はテントに体を横たえた。

 が、なかなか寝付けない。

 即寝即起きは軍人の基本だというのに、アプレンデ崩壊以降、ゆっくり眠れた試しがない。


 目を閉じると、サティとの思い出が蘇ってくる。





 シヴァ・ライヤーとサティ・ライヤー。

 11歳も離れた二人の兄妹。


 俺たちはエスパニアよりもずっと東にある貧しい国で生まれた。

 強固な身分制度が支配する、くそったれの国。

 身分はどう足掻いても変えることはできない。

 神官の子は神官。

 貴族の子は貴族。

 庶民の子は庶民。

 物乞いの子は物乞い。

 生まれで全てが決められる、とんでもない国だった。


 その中で、ライヤー性は最下級の物乞い一族を表す。

 親父も爺さんもそのまた爺さんも、ずーっと物乞いとして生まれ、死んできた。

 親父は、ライヤー性に生まれてしまった俺を憐れみつつ、せめて気高く生きてほしいと、神性な名前をつけた。

 シヴァ。

 古の神の名前。


 俺は、5歳で自分の名の由来を聞かされた時、誇りに思った。

 しかし、どれだけ誇りを持ったところで、稼ぐ術は物乞い一択。

 来る日も来る日も道端にうずくまり、憐れみを乞い、糊口をしのぐ。

 近所の庶民のガキには馬鹿にされ、殴られ、蹴られ、それでも逆らえない。

 ただただ耐えるだけの日々だった。




 俺が11歳になった時、誇りはとうに消えていた。

「ほら拾え」と町長の息子が偉そうに金を投げてきたら、すぐさま飛びついた。

 屈辱的な毎日が延々と続く。


 妹が生まれたのは、そんなある日の夜のことだった。

 俺と同じ褐色の肌に赤い髪。

 お袋に言われて抱き上げてみる。

 妹はおぎゃーおぎゃーと泣いていた。

 俺たちがどんな惨めな環境にいるかなんて何も知らないだろうに、泣いていた。

 赤ん坊なのだから当然かもしれない。

 でも、妹は俺の気持ちを理解してくれている。

 理解した上で、俺の代わりに泣いてくれている。

 そう感じてしまった。

 この無力で無垢な存在が、たまらなく愛しく思えた。


 親父は妹にサティという名前をつけた。

 古の女神の名前。

 親父曰く、サティはシヴァの妻の名でもあるという。

 それを聞いた俺は、何があってもサティを幸せにすると誓った。




 俺が12歳になった年。

 お袋が死んだ。

 過労と栄養失調が原因だったらしい。

 俺たちを食わせるために、身を粉にして働いていた。

 家に帰っても休む間もなく家事をしていた。

 俺たちは泣いた。

 親父も、俺も、1歳になったばかりのサティも。

 俺たちは絶望の日々を送った。

 だが、ある時、突然サティが笑った。

 まるで「泣いてばかりだと母さんも悲しいよ。父ちゃんも兄ちゃんも笑顔になってよ」と、そう言われているような気がした。

 俺たちは、サティに力をもらった。

 絶望の家庭に、再び明かりが灯った。

 サティに対する俺の愛情は、さらに強くなった。

 守ろうとしていたはずのサティに、俺が守られていることに気づいた。

 俺はもっと強くならなくちゃいけない。

 その日から、体を鍛えるようになった。




 俺が16歳になった年。

 親父が死んだ。

 いつものように道端で物乞いをしていた時、女を寝取られたとかで酷く機嫌を悪くしていた貴族に斬り殺された。

 親父はあっさりと殺されて、死んだ。

 俺は初めて身分制度に反逆した。

 その貴族に復讐を実行したのだ。

 やつが歩いているところを尾行し、ひと気のない道で背後から石を持って殴りかかった。

 何度も何度も殴打した。

 貴族は死んだ。

 その後で気づいた。

 激情にかられるまま、とんでもないことをしてしまったと。

 殺したこと自体は別になんとも思わない。

 くそったれの国からくそが一つ減っただけだ。

 しかし、俺は間違いなく犯罪者として追われる立場になる。

 ならばサティはどうなる?

 妹はまだ5歳だ。

 とても一人で生きていけるような年齢ではない。

 俺は悩んだ末に、妹を連れて国外に逃げることにした。

 もともと、この国にいたところで明るい未来なんて望めるはずがない。

 俺はサティの手を取り、ひたすら西へ西へと逃げた。




 国を逃げ出してから6ヶ月が過ぎた。

 時には徒歩で、時には馬車に忍び込んで、時には馬を盗んで。

 俺たちは逃げ続けていた。

 やがて、3つ目の国境を越えた。

 俺たちが入ったのは見た事も無い程に裕福な国。

 街にはレンガ造りの見事な建物が並び、道は敷石で舗装され、行き交う人々の表情は明るかった。

 俺たちのような褐色の肌の人間はほとんどおらず、白い肌の人間ばかりが目に入る。

 少し迷ったが、物乞いをした。

 肌の色のせいで目立つのは仕方ないが、ここまで逃げてくれば見つかる可能性も少ないだろう。

 そう思っての賭けだった。

 賭けは成功した。

 街の人々は優しかった。

 俺たちは、今まで手にしたこともない金額を物乞いで集めることに成功した。

 しかし、現実は甘くなかった。

 物価が違いすぎるのだ。

 いくら金を集めても、一日分のパンすら買えない。

 結局、ゴミだめを漁ったり、農家に忍び込んで盗みを働いたりして、なんとか生き延びていた。




 ある日、一人の男が物乞いをしている俺たちの前に現れた。


「ほう、これは興味深い」


 かなり裕福な中年。

 街の人たちよりも、ずっと立派な服を着ている。


「奴隷商人か?」


 俺は彼を初見でそう判断した。


「惜しい! 商人は当たっておる。なかなか鋭いな」


 ふくよかな腹をポンとたたきながら、がははと笑う自称商人。


「じゃああんたは何モンだ? 冷やかしなら帰ってくれ」


「そう邪険にするな。ところでお前、相当鍛えておるな」


 正解だった。

 過酷な逃亡生活を続けているうちに、全身の筋力はもちろん、集中力も研ぎ澄まされていた。

 逃亡犯だとバレたら殺されるのだ。

 俺だけでなく、サティも死ぬ。

 だから、物乞いをしている時でさえ、一瞬たりとも緊張を緩めることはなかった。


「それがどうした」


「いやな、ちょっとワシの屋敷が人手不足なんじゃよ。今まで力仕事を任せておった者が老齢で引退を申し出ておってな。この国に来たのは珍しい食材の買い付けのためじゃったが、ついでに使用人候補も見つかればいいな、と淡い期待を抱いておった所だ」


「だから、それがどうした」


「お前たち、ワシの屋敷に来ぬか?」


 願ってもない申し出だった。

 しかし、万が一コイツが奴隷商人だった場合、体良く売り払われて、過酷な労働環境に放り込まれる可能性もある。

 それに、俺じゃなくて実は妹目当て、という可能性も考えられる。

 そんなことになれば目も当てられない。

 その時、サティが口を開いた。


「兄ちゃん、このおじちゃん、わるい人じゃないよ」


 妹は感が鋭い。

 人を見る目は俺よりも正確だ。

 俺は、サティの直感を信じた。


「わかった。あんたについていこう。言っておくが、もし妹に手を出したら……」


「がはは、そんな趣味は無いから安心せい。ワシは巨乳派じゃ」


 おっさんの下らない趣味情報だったが、一応は安心した。


 それから、俺たちはおっさんが所有する乗り心地のいい馬車に揺られ、さらにいくつもの国境を越えた。

 おっさんはかなり有力な商人らしく、全ての関所がフリーパスだった。


「ようやく帰ってこれたな。ここがワシの母国、エスパニアじゃ」


 今まで見たどんな国よりも美しく、豊か。

 それがエスパニアの最初の印象だった。

 この繁栄が賢王の治世のおかげだと知るのは、もう少し先のことだ。


「屋敷に戻る前に、まずは食材を売りにいくぞ。できるだけ新鮮なうちに欲しがる人がおるからな」


 再び馬車が進み、とある豪邸に入っていった。


「ここにはリブロ伯爵という御方が住んでおられる。この一帯を治めてる偉い人じゃよ。といってもワシの飲み友達みたいなもんじゃがな」


 大きな門を抜けると、一人の男が出てきた。


「お、噂をすれば何とやら、じゃな。伯爵はワシが来るとすぐ出て来るんじゃ」


 おっさんは馬車から降りて伯爵の元に歩み寄ると、固い握手を交わした。

 二人で何やら楽しそうに話していたが、エスパニアの言葉なのだろうか、俺には全くわからなかった。


「おーい、お前たちも出て来なさい」


 おっさんに呼ばれて馬車から降りる。

 サティは初めての豪邸に若干緊張しているようだった。


「お前たちを紹介しておこうと思ってな、ちょうどサティと同じくらいの歳のご子息がここにおるんじゃ」


 おっさんは俺たちを伯爵の前に引っ張り出した。

 エスパニア語で伯爵に紹介してくれているようだ。


 馬車の中からではわからなかったが、よく見ると、伯爵の後ろに小さい男の子がいるのに気づく。

 5、6歳ぐらい。

 恐らく彼が伯爵の息子なのだろう。

 ものすごく恥ずかしそうにこちらを見ている。


 サティもチラチラと男の子の方を見ている。

 やがて二人の目が合った。

 大人二人もそれに気づく。

 おっさんは、伯爵と二言三言交わすと、俺たちに話しかけてきた。


「伯爵が、サティにご子息と遊んで欲しいそうじゃ。いいじゃろ?」


 なんだと!

 俺は断固拒否しようとした、が。


「兄ちゃん、あたしあの子とあそびたい」


 サティに先にそう言われてしまった。

 思い返せば、サティの人生は物乞いと逃亡が全て……

 今まで全く楽しいことを教えられていない。

 その責任の大半は俺にある。

 そんな俺がサティの「あそびたい」気持ちを否定できようか。


「うぐ……い……いってこい……サティ」


 胸のうちで悔し涙を飲み、俺は許可した。


 絶対にアイツにサティは渡さない。

 そう、心に誓いつつ。

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