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1話 高倉 澪

 都内スタジオにて、とあるテレビアニメのオーディションが行われていた。ブースには声優が二人。後方にはガラスを挟んで調整室があり、監督や音響監督などの審査員が座る。


 (みお)は原稿を持ちマイクの前に立つ。鎖骨下で切り揃えた髪が顔にかかり、耳にかけ直した。体は現実に置いたまま、剣と魔法の西洋ファンタジー世界にもぐっていく。成人女性の澪から十代半ばの少年が生み出される。

「『俺がおとりになるから、エミールは逃げろ』」

 魔物から双子の弟を守るシーンで、澪は熱くも冷静な声を上げた。

「『何言って……! 状況わかってるのか!?』」

 澪と並ぶ男性声優――智紀が、危機的場面にさらなる緊迫感をもたらした。よく通る高い声と整った容姿。彼に先ほどから焦らされている。双子でよく似ている役だからか、喰われている感覚が拭えない。

「『こうするしかないんだ。……たまには兄らしいことさせてくれよ』」

「『いつもそうやって自分を犠牲にしようとする……!』」

 智紀の声を受けて澪が息を吸ったとき、

『柴田さん、エミールとクロードの二役できますか?』

 調整室からマイクを通して指示が飛ぶ。澪にとっては、演じていたクロードを取り上げられる宣告だった。

「はい。やらせていただきます」

 澪は動揺を表に出さずに返事を聞いた。成人男性にしてはハイトーンな地声を。シーンが指定され、二人いるはずの空間で一人芝居が始まる。


(まずい。取られる)

 一つの席を争うならまだしも、智紀は二つあった席をまとめて奪いかねない。澪は原稿を握りしめて聴いているしかなかった。

やがて、澪に挽回の機会が与えられた。

『今からお二人に別の原稿を渡します。柴田さんはクロード役、高倉さんはサラ役でお願いします』

 と指示があったのだ。調整室から出てきた音響監督に、追加の原稿を手渡される。


 澪の振られたサラは中盤から登場するキーパーソンだった。冒険者として活動するクロードたちを支える、薬師のお姉さん。どこかしらの組織に所属するのが普通の世界で、無所属のまま様々な現場に顔を出す。浮世離れしていてミステリアスで、でも頼りになる女性。澪はサラの資料も読み込んでいたし、クロードたちとの関係性も抑えていた。ただし、演じる準備ができているかは別の話だ。さっと原稿を一読し、突貫ながらもキャラクターを組み立てた。新しい幕開けは澪から。場所は森深くのサラの屋敷だ。


「『相談とは珍しいね。私に助けを求めるとは、相当追い詰められていると見える』」

 澪はほどほどの高さの声音で、優しく呼びかけるように演じる。

「『不本意ではあるけど、色々あってな』」

「『頼っていただけて光栄だよ。さ、お茶をどうぞ』」

 やわらかい物腰のサラに対し、クロードの態度には温度差がある。サラには何度か世話になっているし、彼女は中立で派閥争いに関与しない。相談事を持ち掛けるには適役だが、この時点では完全に気を許していなかった。それでいて、彼女の淹れたお茶はためらわず口にする。

「『ああ。……ん? さては、何か入れた……?』」

 怪しむわりに声に棘はない。毒を盛るような相手ではないと知っているから。根底にある信頼と表面上の不信感。智紀はその調節が抜群に上手かった。

「『だから、人から出されたものを不用意に口にするなとあれほど』」

「『仕込んだ本人が言うのかよ。で、この変な味の正体は?』」

 そこで澪の予感が確信に変わる。審査員は智紀のクロードを見極めたくて、この場面を選んだのだろう。難しい距離感の演技を聴くために。サラ役は他に目星をつけている可能性が高い。

「『なんてことはない、心を落ち着かせる薬だよ。苦いけれど効果は折り紙付きさ』」

それでも澪は、最大限に爪痕を残せるよう努めた。

「『確かに……さっきよりはマシになった。胸のざわつきが消えた気がする』」

「『リラックスは剣術でも魔術でも基本だからね。じゃあ本題に入ろうか』」

 余裕と含蓄を滲ませて、澪なりにサラを表現した。智紀だけではなく自分にも注目してもらえるように。


 高倉澪は芸歴五年目の二十二歳。高校三年生でデビューし、大学には進まずこの業界で生きている。アニメやゲームでコンスタントに役を獲得する、そこそこの人気声優だ。

 別の事務所で芸歴三年目、二十五歳の柴田智紀と知り合っておよそ一年半が経つ。


 審査を終えた二人は、緊張の抜けた顔でスタジオの廊下を歩いていた。

「キャストは別々がいいと思うんです。制作側もそのつもりだったでしょうし、一人だと収録大変でしょう」

 そうは言うものの一人二役は澪も考えた。作品オーディションは、台詞の音源を提出するテープオーディションから始まる。この作品では二役まで提出できた。澪はクロードとエミールで出して、クロードで通過している。どちらも振られる事態は想定内だった。


「別々を予定していても、『できそうな人がいれば任せてみても』と考えられていたのでは。ギャラ節約にもなります」

「ぐ……。否定できない……。一人でやってみてどうでしたか?」

「二人の似ている部分と違いをより意識できましたし、理解にも繋がりました。同じくらいサラとの掛け合いも楽しかったですよ。高倉さんの演技が新鮮で」


 澪の役は全て男性だ。最多は中学生役。小学生、男性声優演じる青年の幼少期、たまに高校生も。女性役はオーディションの経験すらほとんどない。声質は中音域で、とても低いわけではないのだが。

「嬉しいですが、ライバル減らそうとしてません?」

「少しはしてますけど」

 澪が軽くすねたように言うと、智紀は冗談っぽく笑う。

「それを抜きにしても、いいものを聴かせてもらいました」

真剣味のある声からは確かな温度が感じられる。世辞でもなければ軽薄さもない、心からの言葉だった。

「まあ実際、女性役はものすごくレアですからね」

「もちろん男性役も好きですよ」

「それはどうも」

 澪は口角が上がるのを隠すように窓の外を見た。街はすっかり暗い。一般的な夕食の時間を過ぎている。

「これからご飯でもどうですか?」

 スタジオから出る間際、智紀はごく自然に誘ってきた。

「ごめんなさい。今日は先約があって」

「ではまた次の機会に」

「はい。また誘ってください」


 智紀と別れ、澪は一人で歩き出した。冷たい外気が肌を刺す。この冬は暖冬傾向だというが、一月初旬はやはり寒い。

 澪は声優として出会った相手に線を引いていた。高倉澪という名は芸名である。智紀を含めて、周りの声優の多くは本名で活動しているが、澪は芸名に強いこだわりがあった。本名と私生活は明かしたがらない。踏み込ませない範囲で仲良くしたいとは思う。声優にしろ業界人にしろ、繋がりを持っておいて損はないから。

 ただ智紀に対しては線が曖昧だった。二人きりのランチはままある。演技の勉強という名目で映画に行くことも。ディナーはやや敷居が高いとはいえ、用事がなければ乗っていたかもしれない。


 場所は洋食屋に移る。

「沙耶さーん……」

「なーに?」

 名を呼ばれた女性は、澪にメニュー表を渡しながら答えた。一口目は甘く、後味は爽快な印象を受ける声で。芸歴、年齢ともに一つ上の事務所の先輩・深見沙耶とは養成所時代からの仲だ。それだけに多少気が抜ける。

「オーディション疲れた」

「お疲れ。何かあった?」

「お姉さん役を振られました」

「へえ珍しい。まさか振られるとは思ってなくて準備不足だったとか?」

「それもありますけど、その場にいた女がわたしだけだから振られたっぽいんですよね。期待されたのではなく」

「逆にラッキーだったんじゃない? 偶然でもチャンスがあって」

 沙耶は励ますというより、当たり前のことを言っただけのようだった。もしあそこに沙耶もいたならば、澪は壁のようになっていただろう。珍しい演技を披露した事実はいつか生きてくる。たとえ今は落ちたとしても。

「……うん。いい機会だったと思っておきます」

「ん。で、注文決まった?」

「ちょっと待ってください」

 目をつけていたメニューから絞ろうとしていたところ、澪と沙耶のスマホが震えた。ぴったり同時だったものだから顔を見合わせる。

「事務所からでしょうか」

「何の知らせだろ」

 スマホを確認する。届いたのはメールで、送信者はあるファンクラブ運営、件名は「いつも応援してくださる皆様へ大切なお知らせ」。

「沙耶さん。これって」

「待って。心の準備が」

 二人して混乱したのちにおとなしくメールを開いた。嫌な予感通りの文面が目に飛び込んでくる。

「マジかあ……。プチプリ解散」

「読み上げないでくださいよ」

 脱力する沙耶に被せる。声に出されると深刻度が増した。


 「プチジュエル・プリンセス」――通称「プチプリ」は、デビューから八年になる三人組の女性アイドルグループだ。メンバーは以下の通り。

 「ゆっきー」こと瀬野雪奈、二十四歳。担当宝石(メンバーカラーを意味する)はエメラルド。包容力あふれる癒し系で、最年少ながら大人っぽくある。役を演じるような、感情のこもった歌い方が高く評価されていた。

 「ひな」こと久島陽南子、二十五歳。担当宝石はルビー。リーダーを務める一番の人気者。かわいらしさとスター性を兼ね備えた正統派アイドルである。

 「なっちゃん」こと守原菜摘、二十七歳。担当宝石はサファイア。綺麗系の容姿から同性の支持が厚い。ダンスが得意で、振り付けを担当した曲もあった。

 「大切なお知らせ」の内容は、三月の第三日曜日に日本武道館で解散ライブを行うこと、メンバーの将来を考えての選択であること。その将来像についても触れていた。雪奈は女優、菜摘はモデルの道に進み、陽南子はファッションデザイナーになるため芸能界を引退する。


「ライブ詳細が発表されたら、解散ライブだったなんて……」

 ライブの開催は告知されており、日程と会場は後日発表とされていた。同じく最新アルバムの発売も決まっていたが、まさか最後になろうとは。

「調整とか諸々大変だったんだろうね。にしても急だけど。でもまあ……なっちゃんは引退しなくて良かった」

 澪が一番好きなメンバーは雪奈で、沙耶は菜摘だ。澪も同じ安堵を感じたが、それもつかの間で別の感情が生まれた。


「わたしは……解散後も応援できるかわかりません。ゆっきーの演技は好き。いずれはお芝居一本でというのも知っていましたけど、やっぱりアイドルやってるゆっきーが一番好きだから」

「わかるといえばわかるよ。どうしても受け入れらないなら、解散を機に離れてもいいんじゃない。ずっとファンでいなくちゃいけないわけでもなし」

「でもわたしだったらずっとファンでいてほしいです。だから離れられるかも微妙で」

 澪もファンがいる立場だからこそ考えてしまう。日々前進しようと頑張っているのに、「昔の方が良かった」とは言われたくない。

「そこを混ぜたら苦しいでしょ。いち声優じゃなくていちアイドルファンとして捉えても罰は当たらないよ」

「分けて考え……られるんでしょうか。なんとも言えませんが猶予はありますし、なるだけ整理してみます。もやもやした気持ちで送り出したくないですから」

「お互い後悔はしたくないよね。さーて、今日は飲むかなあ」

「飲みすぎないでくださいね」

 いまいち実感の湧かないまま時が過ぎていく。発表の瞬間に沙耶がいてまだ良かったと思った。

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