第七話 開戦
「死ぬな…死ぬ…な」
懇願にも等しい嘆きが、薬芽の口から漏れる。
しかしその言葉は、腕の中に抱えられた、まるで人形のように糸の切れたリーベの耳には届かない。
温もりがまだ残っている生気の抜け切らない、首から上を喪失した亡骸。腕はだらりと力なく垂れて、手から滑り落ちた注射器が地面の上を転がる。
傷と病を癒すリーベの聖剣。英雄達との戦いで、仲間達がいつ傷を負っても大丈夫なようにと、握りしめていた奇跡の結晶。
それは彼女の死と同時に、光の粒子となって儚く消え失せる。
その瞬間、受け入れられなかったリーベの死を、薬芽は痛いほど突きつけられる。
「ああ、そんな…」
心の底から思っていた。願ってもいた。
リーベは、救われるべき人なのだと。
もちろん、命を救ってもらったという理由もあるが。しかしそれ以上に、彼女の想いに胸を打たれたからだ。
──「私ね、子供がいるの。双子の赤ちゃん!可愛いんだよー。あっ、でも七年も経ってるから、すっかり大きくなってるんだろうなー」
洞窟でした他愛無い雑談。惚気はじめたリーベの話に、嬉々として耳を傾けていたあの時。
短い時間ではあったものの、薬芽は彼女の人となりを知った。
……子供が病気がちで心配だなぁ、だけど笑った顔が天使みたいで!
……食べ物の好き嫌いしてないかなぁ、ちゃんと元気に育ってるといいなぁ。
……私と違って、旦那は頭脳派で頼りになる!でも子育てで疲れ切ってないか心配…とか。
とにかく、家族への愛で溢れていた。
リーベの聖剣が注射器の形をしていたのも、家族を想う優しさの表れだったのだろう。
そんなリーベの願いは、慎ましく、切実なものだった。
──「一目でいいの。いつか元の世界に帰ったら、子供達の大きくなった姿を、この目に焼き付けたいの」
そう言った時のリーベの表情は酷く切なくて。
いっそのこと子供達の前に出て、今まで一緒にいられなかった分、思いっきり抱きしめてやればいいと、薬芽は思った。
だから考えた。
そんなリーベの願いのために、自分も力になれたらなって。
彼女が元の世界に帰れるように…。
彼女が家族と再開できるようにって…。
そう、意気込んでいたのに…。
「なんで…」
それなのに、リーベは死んだ。死なせてしまった。
ホープの聖剣が作り出した安全圏から飛び出して、この状況で一番のお荷物である自分を庇って…。
「俺は…ぐっ!」
瞬間、頭が割れるような、激しい痛みに襲われる。
──〈じゃあ、また明日ね。先輩…〉
おそらくそれは、記憶が欠落して尚、薬芽の心に刻まれていた深い傷跡であって。
いま──胸の中を支配する冷たい感情が呼び水となって、奥底に沈んでいた後悔の数々が一気に浮かび上がってくる。
「そうか…」
すべてを思い出した薬芽の表情に、より一層影が落ちる。
「俺はまた、救えなかったのか…」
薬芽は理不尽を嫌悪する。
弱者を踏み躙り、優しさを嘲笑う不条理を、心の底から憎悪する。
故に、悲しみに冷え切った想いはいま、猛きマグマのような熱い想いに変容を遂げていく。
理不尽を強いる者への憤慨。無力な自分への激昂。
自分でも制御できそうもないこの感情を、薬芽はなんと呼ぶか知っている。
……復讐だ。
「……………」
そのとき、薬芽は自分の中で、何かが鼓動するのをかすかに感じ取っていた。
★☆★
「………や……」
「……お……さい…」
「しっかりしなさい!薬芽!」
余裕のない一喝が、薬芽の意識を平静に引き戻す。
振り向くと、仲間全員を包み込んだシャボン玉のような守護膜が、英雄の猛襲を請け負っていた。
爆発ではなく、守りへと転用されたホープの聖剣の力。
ひとつひとつの殺傷能力が砲弾並みはあろう敵のレンガの散弾を、蜘蛛の巣が虫を絡め取るように受け止めている。
しかし、防戦一方といったところで。
疲弊した息と共に、ホープの顔には焦りが滲み出ていた。
……そうだ、いまは仲間の死を悼んでいる場合じゃない。
薬芽は現実を見て、開口一番…。
「すまない」
と、数多の意味を孕んだ、謝罪の言葉を口にする。
「薬芽さんの責任ではありませんよ」
そう言って、ラウルは懐から複数の投げナイフと、ダガーを取り出した。
どうやら、戦う気でいるらしい。
殺意が剥き出しになった瞳で、無精髭の男を睨んでいる。
「この世界に召喚された時点で、僕達の悲劇は始まっていました。すべての元凶は王国であり、それを是とした人々です。だから、ちゃんと前を向いてください──敵を見てください。あれが、僕達の敵です」
諭されて、薬芽は前を向く。
リーベを殺した英雄──腹立たしいほどの笑みを浮かべる無精髭の男の素顔を、その黒き双眸に捉える。
(アイツが……)
……殺す。絶対に…。
そう、敵への殺意で暴走しそうな感情を押し殺しながら、薬芽は危機的状況を冷静に俯瞰する。
敵の能力は「建城」という合図でエネルギーを凝縮したレンガの壁を構築し、「投棄」の合図でその壁を無数の凶器として打ち出す、実にシンプルな力だ。
攻防に優れた能力。
「できそうかい?ラウル」
眉をひそめるヒャティに、ラウルは難しい顔で返す。
「ああいった手合いは、僕の苦手のするところです」
「だろうね。あの守りを突破しないことには……」
「それもそうなのですが……」
言葉を濁したそのとき、稲妻の如き閃光が周囲に荒れ狂うように迸る。
そして、稲妻は薬芽達に目がけて一直線に突っ込んでくるが、守護膜を突破できないとわかるや、無精髭の男の背後で立ち止まった。
雷は消え失せ、その下から嘲笑気味に口を歪める若い男の姿が顕になる。
さらに──、
「誰…ですの?私をこんな泥まみれにした輩はーーー!」
響き渡る怒声の直後、まるで小さな噴火でも起こったかのように、勢いよく大地が盛り上がる。
そこから、怒髪天の形相をした軽鎧の女が出てきて、薬芽達に一瞥くれるや無精髭の男に合流した。
……また新たな敵か。
そう、薬芽は忌々しげに苦虫を噛み潰す。
おそらく、ラウルは英雄達の気配に最初から気づいていたのだろう。
「次から次へと、本当に参るわね…」
「少し厳しいですが、僕がやるしかないですね。ホープはみんなを守りながら、可能な範囲で援護をお願いします」
ホープとヒャティは、コクリと頷く。
手にした得物と口ぶりからして、ラウルは近接や対人戦闘に長けた勇者だ。
それでも、たった一人で三人の英雄を同時に相手取ることが厳しいことくらい、ラウルの険しい顔を見れば明らかだ。
ましてや、壁で守りを固めている男の力。あの守りを突破しない限り、長期戦は否めない。
そうなれば、爆発を聞きつけた英雄が新たに参戦してくるだろう。
あまり時間はかけられない。
──故に薬芽はこの状況を覆せるかもしれない、もうひとつの打開策を提示する。
「……俺も戦う」
え?と薬芽以外の勇者は呆気に取られる。
「俺の力なら…あの守りを突破できる…と、思う」
薬芽は掌を見下ろして、自分の中で躍動する奇跡の一端を感じ取る。
だから、できると思った。
この闇を解き伏せる力なら…。
「そう…そういうこと」
ホープは目を細め、その言葉の意図を汲み取った。
「使えるのね、聖剣の力を…」
「ああ、なんとなくだけどわかるんだ。自分の聖剣の力がどんなもんなのか」
「できるの?」
「できるのっていうか…やる。絶対に」
足手まといの自分が、出過ぎた真似をしているってことくらい自覚している。
それでも、なにも出来ないのも、なにもしないのも、薬芽は嫌なわけで…。
だから、今度こそは…。
──仲間を守るために。
──リーベの仇を取るために。
彼女の亡骸を寝かせて、薬芽は立ち上がった。
「あの髭面は俺が殺す」
反対されると思った。
異世界に召喚されて数日と経たない、戦闘経験もないアラサー一歩手前の男だ。
頼りないことこの上ないのは、自分でも理解しているつもりだ。
しかしホープは以外にも、わかったわ…と、これを一言で了承してくれて。
その判断を信じると、ラウルもコクリと頷いた。
「わかりました。でしたら、残り二人は僕が片付けましょう」
「二人も?できるのか?」
薬芽は懐疑的に目を丸めたが、ラウルは腕に相当な自信があるようで。
「大丈夫です。髭男と違ってあの二人は、ただ強力な奇跡を振り回すだけの素人。心配は無用です。それより──」
そう言って、ラウルは敵の大将らしき無精髭の男を鋭い眼光で睨む。
「気をつけてください、薬芽さん。髭男…まだ本気じゃないですよ」
敵は英雄。勇者と同じく、神秘を扱う存在。
言われなくてもわかっているつもりだったが、ラウルのただならぬ気迫に当てられ、薬芽は改めて身を引き締めた。
「ああ、わかった。そっちも気をつけてくれ。ホープ、リーベのことも頼んだ」
そう言い残し、薬芽は前へと歩を進める。
(……ろ…す…)
──しかしてその形相。
──恩人や仲間達には見せられないほどの。
(絶対にぶっ殺してやる)
──修羅と化していた。
そして、その怒りに呼応するかのように、薬芽の右手には一本の短剣が収まっていた。
★☆★
グラリスは上機嫌に、こちらへと近づく黒髪の男に目をくれる。
その右手には、一切の不純物を含まないクリスタルのような透き通った刀身と、反してどこまでも深い闇のような漆黒の柄が握られていた。
(聖剣か……)
それは紛うことなき勇者の神秘。
騎構長であるグラリスには、勇者が振るう聖剣の能力のある程度の情報が上がっている。
黒髪の女は周囲の守護と広範囲爆裂。褐色の女は長距離の空間転移だと聞いている。
……だが、なぜ転移の力で逃亡を図らない?
些細な疑念に少し間を置いたあと、グラリスは確信にも近いある憶測に行き着いた。
(まさか…できないのか?空間系の聖剣は希少な力だ。もしかしたら一度力を行使していて、再度力を行使するのにインターバルが必要なのか!?)
運が巡り巡ってきた。
これ以上ない高揚感が口角にひしひしと滲み出る。
そして、グラリスは狂ったように笑い出した。
「ハハ、ハハハッ。ハハハハハハハッ!どうやら我が主は、俺を見離しちゃいなかったらしい!これだけの勇者だ!一生金には困らねぇ!」
だがそれは、勇者達を仕留められたらの話であって…。
グラリスは険しい顔つきに戻って、一番の生涯になるであろう一人の勇者に目を向ける。
その視線の先にいるのはロングコートの優男。
かの勇者は召喚当時、逃亡を図る際に四人の英雄と三十九人の勇士を惨殺したと聞いている。
聖剣に関しても情報が少なく、刀や短剣、挙句には銃や鞭の形状をしていると、耳にした情報に統一性がない。
……それに、さっきは盾を使っていたな。
聖剣の話は兎も角、惨殺の話はその場に居合わせなかったグラリスには半信半疑だった。
……まぁ、これは真実だと仮定して動いた方が万全を期せるだろう。
そう踏んだグラリスは、仲間の肩に手を掛けて重圧を掛ける。
「フラン、ケリハル。あいつは要注意だ。気ぃ抜くな」
珍しく重いトーンを放ったグラリスに、フランとケリハルは身を引き締める。
そこで、あれ?と、グラリスは仲間の一人が欠けていることに気がついた。
「リピトーはどうした?」
「あいつなら、爆発の最中に飛んで逃げましたよ。ずっと逃げ腰で、ここから遠くにスタンバッてましたし」
爆発を避けるときに見ました!と、いけしゃあしゃあと囀るケリハルに、グラリスはクソデカなため息を吐く。
そうして、もう一人の不安要素に視線を戻す。
昨夜召喚されたばかりの黒髪の勇者。まだ聖剣の能力もわからない。
(……影?を操る力か?)
勇者の短剣の柄からゴボゴボと墨汁のような影が湯水のように溢れてくるのを、グラリスは目撃する。
それはまさしく、紙に滲む墨のように大地に滴り落ち、ジワジワと染み渡って…。
ただ、全てを黒く染め上げる。
グラリスは敵の能力を分析しつつ、渋い顔を浮かべる。
「英雄も勇者も、その神秘は常識から逸脱したもんばかりだ。ありゃ、近づかねぇ方が吉と見た」
かと言って、ここで金の成る木をみすみす取り逃すようなグラリスではない。
「仕方ねぇ。俺も本気出すか」
ため息まじりにそう言って、グラリスは片手を頭上に翳す。
禍々しい光が手の内に収束し、刺々しい輪の形を成していく。
まるで自分が支配者であることを知らしめるような、王を象徴する江戸紫の歪な王冠の形を……。
「今こそ!俺の信仰が試される時!」
しかして、その信仰は本物。
グラリスは王冠を額に収め、その力の真の能力を顕現させる。
「建城!」
英雄もまた、勇者と同じく神秘を振るう存在。
勇者は『剣』として奇跡を顕現させるのに対して…。
『──聖杖: 支 器 成 昇 』
英雄は『杖』として、その狂気を顕現させる。
そうしてグラリスの周囲に、敵とを隔てる壁ではなく、自身を覆い尽くすほどの堅牢な城を形成した。
★☆★
かくして、英雄と勇者。双方の戦いの火蓋は切って落とされた。
その一部始終を、遥か上空から見下ろす少年の姿があった。
「うう…………」
四十一番士、リピトー。
ホープの広範囲爆発から難を逃れた、悪種殲滅騎構長の一人だ。
翼の形状をした聖杖を背中に纏って、他の騎構長に加勢するわけでもなく、ただ時の流れるのを静かに傍観している。
その視線の先にあるのは、英雄でもなければ勇者でもなく、勇者だった人の亡骸だった。
瞬間、忘れもしない優しさと温もりが、リピトーの脳内に想起される。
──「頑張ったね」
分け隔てなく命を救い、こんな自分にも手を差し伸べてくれた温かな笑みの女の人を…。
ボロ雑巾のように這いつくばっていた自分を見つけて、救ってくれた恩人の姿を…。
「フラウ……リーベ…?」




