第一話 崩れ去るテンプレ
まさに、疾風の如く。
静まり返る夜の森を、青年が一心不乱に駆け抜けていく。
目つきがちょっと鋭いだけの、ありふれた好青年といった印象だ。
ただ、髪はボサボサで清潔感はなく、なにも考えずに選んで着たであろう上下で調和のとれていない白黒のジャージは泥水で満遍なく薄汚れている。
さらに、苦悶に引き攣った表情で必死に庇う右肩には、真っ白な矢が貫通していた。
頭隠して尻も隠さず、その矢は痛みという形で着実に青年を蝕んでいく。
(ヤバイヤバイ!はやく!はやく安全なところへ逃げねぇと!)
心でそう叫びながら、それでも相反する焦りと冷静さをしぶとい精神力が強引に両立させようとする。
苦痛の霹靂。滲み出す血肉の源泉。肩から腕へ、ドロリと滴る生温い感触に青年の顔は青ざめていく。
そして血は指先を伝い、ポタッ──と、滴り落ちた血が地面に真っ赤な血痕を残した。
「クソッ、血が!」
赤血球、血小板、白血球。血は生命の維持に必要不可欠な組織だ。過度な出血は死を免れない。
ところが、青年が狼狽える理由は別にあって。それは、自分が通過した痕跡をそこに残してしまったという事実であり。
青年は迫り来る追手から、逃亡を図っていたのだった。
「…………っ!?」
ガシャンと金属の軋むような音が響く。
それにいち早く気づいた青年は、慌てて近くの茂みに回り込み、そのまま身を低くして息をひそめた。
その瞬間、まさに紙一重といったタイミングだった。
月明かり下、まるで空を駆け抜ける弾丸の如く、銀色に身を包んだ3人の騎士が現れる。
そして地面を抉るように着地するなり、周囲を見渡して。
「勇者は見えるか?」
「いや、ここは視界が悪いな。隠れる場所が山ほどある。もしかしたら見過ごしたんじゃないか?」
「はぁ、どうするんだよ…。早く見つけないと、また青騎士様が癇癪を起こすぞ」
首を左右に右往左往と、騎士達の様子に極度の焦りが見て取れる。
言わずもがな、騎士達の探している勇者こそ、かの青年である。
幸い、闇夜に溶けて、青年がこぼしたた血痕には気づいていないらしい。
(もう追いついたのか…)
青年自身、追われるような事をした覚えはない。そもそも今の状況自体、飲み込みきれてなかった。
青年は騎士達が去るまでその場に蹲り続ける。
心臓が恐怖で心停止してしまう、そんなひやりとした感覚に囚われながら、痛みを堪え、息を殺す。
されど青年は、ここで浮足立って黙ってやり過ごすだけの、腑抜けた精神の持ち主ではなかった。
(あいつら、俺のこと勇者って呼んでたな。それに……)
記憶を想起し、打開策を模索する。
ここに至るまでの数十分の軌跡。
理不尽を強いる謎の騎士達に、赤く染まった魔法陣。そして見慣れぬ西洋の街並み。
(やっぱりここは異世界なのか…)
始まりは、テンプレのような召喚劇。
それは青年、荒木薬芽にとって悲惨な異世界デビューだった。
★☆★
話は二十八分前に遡る。
まるで神殿のような広間の中央で、薬芽はゆっくりと目を覚ます。
「ん?どこだ、ここ?俺、死んだのか?」
寝ぼけながら起き上がるなり、最初に視界に映り込んだのは、神様を模ったような優雅なステンドグラスだった。
そこから差し込む淡い月明かりが、薬芽の微睡んでいた脳を徐々に覚醒させる。
……神官?騎士?なんだこりゃ?なんかのドッキリか?
四方八方、そんな姿をした得体の知れない人物が、二十人ほど立っている。
よく見れば、床には赤いシミが目立つ巨大な魔法陣が刻まれていて。騎士達は魔法陣を取り囲むように、ぐるりと並んでいる。
必然的に、中央には自分がいて。
やったぞ!成功だ!勇者の召喚に成功したぞ!などと、周囲は浮かれ舞い上がっていた。
その時──、
「静まれぃ!!!」
覇気のある重い声が広間に反響し、その場を一瞬で制する。空間は息を止め、静寂に包まれる。
騎士達はまるでひとつの生き物のように崩れていた列を正し、神官達も似たように、片膝をついて平服の意を示した。
察するに今の声の主こそが、彼らの上司なのだろう。と、薬芽は声の方へ視線を向ける。
(ド派手な鎧に、威厳のある佇まい。如何にもって奴だな)
数段高い位置にある玉座から、獅子のような男が鋭い眼光で見下ろしている。
見るからに王様といった風貌の男だ。両隣には他の騎士達と比べ、秀逸な鎧を着込んだ騎士が三人立っている。
紅い騎士、青い騎士、黄色い騎士。
……信号機か?ていうか…。
それと別に目を引いたのが、金色の髪の美しい女だった。露出の広い無防備な寝巻に、目はトロンと虚。おそらくは寝起きなのだろう。
ただ、それが薬芽の目を引く理由であったかと言うと、そういうわけではなく。彼女が薬芽に向けて弓を番えていたというのが、ほかでもない理由だった。
好戦的なのか、あるいは警戒してのことだろうと、薬芽は後者を信じて女に注意を払った。
(物騒な奴だな。そのまま眠りこけて弓を離すなよ……。それよりも…)
王様の眼力に内心物怖じしながら、薬芽は状況を把握を試みる。
「あの……………っ?」
──しかし、それよりも早く。
ヒュンと、風切り音が耳をかすめ、肩をストンと叩かれるような感覚がして。
「勇者よ…」
気づけば、尾に羽根のついた細い棒を、右肩が赤い涎を垂らしながら咥え込んでいた。
…なんだこれ?白い…棒?ていうか刺さって……。
遠ざかっていく思考をなんとかフル回転させた末。それを矢だと認識できたのは、王様が申し訳なさそうに眉をひそめた後だった。
「さっそくですまないが、王国のために死んでくれ…」
「えっ?は?あっ…あ、がっぁぁぁぁああああああっ!」
矢を火で炙っていたんじゃないかと思うほどの焼け付くような痛みに、薬芽は床に倒れ伏し、ジタバタとのたうち回る。
あのクソおんなぁぁぁぉあ!と根に持ちながら、矢を射った張本人を一瞥する。
一秒一秒経過するごとに鉄の匂いが濃くなっていく。自分の肩から零れ落ちる、深紅の命の源の香り。
そして鞘から剣を抜き、兜の底から薄ら笑うような声を響かせて迫る騎士達を見て、薬芽は確信した。
コイツらは、俺の命を狙っているんだ、と。
身の危険を感じ、嫌な汗が額から吹き出す。
逃げなければと、必死に震える足に言い聞かせ、一歩ずつ立ち上がる。
しかし四方八方を取り囲まれ、さらには深手まで負わされている。そんな中、容易な逃亡を騎士達が許してくれるだろうか。
否、そんなはずはなかった。不可能だった。
多勢に無勢。
まさに袋の鼠、絶体絶命、万事休す。
……死ぬ、殺される。ささ
……死、殺、死、殺、死殺、死殺、死殺、死死死死死死死死殺死死死死死死。
思考が底の見えない深淵に堕ちる。身も凍るような悪寒が全身に走る。
その次の瞬間。
──バドォオオオオオン!!!
頭上から爆音が轟き、全身を叩きつけるほどの衝撃が一帯を走り抜ける。
……爆発!?
その強烈な波紋は、すべてのステンドグラスに雷模様の亀裂を刻み込む。
瞬間、歴史が刻まれた天井は一角が砕け、不穏な響めきと共に崩れ落ちていく。そして、それは薬芽の目と鼻の先に迫っていた、数人の騎士を押し潰した。
瓦礫が地面を叩きつける万雷、助けを乞う事もできない一瞬の悲鳴。真紅に塗り変わった床を、巻き上がる砂煙が瞬く間に覆い隠していく。
一瞬…。ほんの一瞬だ。
虫のように呆気なく、目の前で人が死ぬ瞬間が目に焼きついてしまった。
一歩、二歩違えば自分だったと、薬芽は恐怖で立ち竦んでしまう。
そんな放心状態の彼の耳に、逃げて、早くと、小さな囁き声が聞こえた気がして。
ハッと我に返た薬芽は、爆発の混乱と砂煙による視界不良に乗じて一目散に駆け出した。
途中、数人の神官、あるいは騎士にぶつかり、捕まるんじゃないかと背筋が凍る思いをして。その甲斐もあってか、砂煙が捌けた場所に出て、ステンドグラスの壁に行き詰まった。
……行き止まり!
しかし、差し迫った状況の中で足を止めている余裕はない。
視界がクリアになれば、自分の命は無惨な終わり方をするだろう。
無論、剣で斬殺されるなんて真っ平ごめんだ。さっきの騎士みたいに、瓦礫に押し潰されるような悲惨な死に方もしたくない。
なれば──
(迷ってる暇はねぇ!)
薬芽は地面を思い切り蹴り上げ、亀裂の入ったガラスの壁の向こう側へと、虎口を脱するに踏み切った。
★☆★
そして現在。
騎士達がいなくなったのを、薬芽は茂みからゆっくりと確かめる。
……騎士は、もういないか…。
念には念をともう一度見渡すが、やはり騎士の姿はない。
緊張の糸が切れたのか、薬芽はホッと安堵の息を吐く。そして、近くの木にもたれかかって力の抜けた腰をドスンと下ろした。
その振動が肩の傷に響いて。
「痛っ…!早く手当てしねぇとな…」
しかしどうしたものかと、頭を悩ませる。
「異世界……か…」
あの広間から飛び出した時、眼下に広がる寝静まった西洋の街並みを見て、それはすでに確信へと変わっている。
なにより、自分はビルの七階分はあったであろう、神殿…いや、王城から飛び降りたというのに、こうしてピンピンしていることに驚きを隠せなかった。
常人ならば、潰れたトマトのように地面のシミになっていてもおかしくはない高さだった。それなのに、踏ん張った足は骨折することなく、着地する際に受け身を取った手の平の軽傷だけで済んでしまっている。
「俺、めちゃくちゃ頑丈になってるな。じゃあこれは…」
そう言って、右肩に刺さったままの矢に視線を落とす。超人のように思えたこの身体も、この矢だけは重傷を負わせるに至った。
敵は敵で、勇者とやらに対する何かしらの対抗策を持っているのだろう。
そも勇者という言葉はなんとなく察せるが、召喚早々に殺しにかかる意味がわからない。
……国のために死んでくれって言ってたけど、ありゃどういう意味だ?
そんな考察をしばらく続けていると、かすかな目眩に襲われる。
おそらくは血を流しすぎだろう。
早く手当てしたいところだが、状況が状況だ。
矢を抜いてしまえば、今以上に流血してしまいかねない。
だから今は、この痛みを堪えることにする。
「とりあえず、早くここを離れた方がいいな」
こんなところに長居していても、騎士に見つかって斬殺されるか、野垂れ死ぬのが関の山。朦朧としていく意識の中、薬芽は立ち上がって歩みはじめる。
──すべては生き残るために。
ところが、彼の足は六歩進んだところで凍りついたように停止してしまう。
何故かというと、
「なっ!」
薬芽の目の前に、一人の騎士が立っていたからだ。
……いつの間に!…どうやって!…気配がなかった!
……殺…される…終わるのか?…こんなところで?
ぐちゃぐちゃに撹拌される思考、それでも目の前の脅威に対して身体は本能的に身構える。
相手は召喚早々に殺しにかかるイカれ集団の一人。人を異界に呼び寄せる摩訶不思議な技術を行使できる敵の一人だ。魔法や精霊…魔術、他にどんな力を行使できるか分からない。
ちなみにこれらは、薬芽が所持していた漫画から引っ張り出した知識だ。
「……………」
「……?」
ところが薬芽の予想に反して、目の前の死神は思いもしない行動を取った。
騎士は腰の剣に手をかけるでもなく、四時の方向を指差しながら兜の中からでもよく通る声で。
「あっちです」
と口にした。
薬芽はその意図がわからず、馬鹿みたいに口をあんぐりと開け。
そんなアホ面などお構いなしに、騎士は続ける。
「他の騎士達は僕が誘導しますので、このまま向こうへ逃げてください」
「え?」
「ここから8キロくらい先の──」
「まてまてまて!」
「ちょっと静かに!他の騎士に気づかれますよ!」
「え!あっ、お、おう…」
淡々と続けようとする騎士を制止させるつもりが、騎士の勢いに押し返され、薬芽はしどろもどろになる。
その穏やかな口調からは、敵意が一切感じられない。
……ん?と、よく見れば目の前の騎士は、玉座の横に立っていたあの黄色い騎士だった。
瞬間、薬芽の表情は険しく歪む。
「お前!」
この世界の階級制度は不明だが、察するに騎士は相当な上流階級だ。でなければ、玉座の横に並んで立っているなんてありえない。
……どんな卑劣な手段で出世したのやら。
薬芽の脳裏にそんな陰湿な疑念がよぎってしまう。自分でも不思議に思うくらい、そんな考えに辿り着いてしまった。
「ごめんなさい。今は説明している時間がないんです」
唸る薬芽をよそに、騎士は周囲を警戒しながら。
「あとの事は、逃げ切った先であなたの仲間達にでも聞いてください」
「は?俺の仲間って…」
怪訝に眉をひそめる薬芽に、黄色の騎士は続けて。
「あなたと同じ、勇者です」
★☆★
薬芽は不本意ながら。
本当に不本意ながら。
今は騎士の言葉を信じる他ないと判断した。
……殺すなら、とっくに殺しているだろうしな。
それに騎士の忙しない様子から、彼もそれなりのリスクを抱えて接触してきたのだろうと察した。
右へ左へ、行ったり来たりする兜を見ながら、騎士が小心者であることがひしひしと伝わってくる。
さておき、善は急げ。というよりは急ぐが吉と見た薬芽は、警戒心を伏せ、頭を描きながら。
「とりあえず、今はお前を信じる。だが、礼は言わないぞ」
「もちろんです。もとより非は僕らにあります。こんなことに巻き込んでしまって…」
本当にごめんなさい…と、騎士は頭を下げて言葉にする。その姿勢は本当に申し訳なさそうで、それと同時に悲しそうで。
その姿を見兼ねた薬芽はもういいと呆れ気味に言い、騎士は途端にゆっくりと頭を上げた。
「ありがとうございます。それと、逃げ切れたら勇者達のリーダーに伝えてください。予定通り、僕達も行動を起こす、と」
「ん?わかった」
伝言のことはとりあえず了承して、薬芽は早々に騎士に背中を向ける。
「じゃあ、またな」
「ええ。どうかご無事で…」
自分と同じ勇者。同じ境遇の仲間。
そんな彼らに一縷の希望を見出して、薬芽は再び逃走を開始した。
★☆★
小さくなっていく男の姿を、騎士は見えなくなるまで見届ける。
見届けて、そういえば、名前を聞いてなかったことを思い出す。
……まぁ、運が良ければまた会えるでしょう。
……名を聞くのはその時にでも。
それにはまず、男が逃げ切れることが大前提だが、その機会は不思議とそう遠くないと騎士は予感した。
ともあれ、一番目の目標を達せられた以上、次の目的に移行しなければならない。
すべては、この狂ってしまった因習を終わらせるため。
「お祖母様、僕はやり遂げて見せます」
そう言って、騎士は物思いに踵を返すのだった。
★☆★
騎士と別れてから、薬芽は指定された方角を無我夢中で突き進み続けた。
それからどれくらい経過しただろう。傷をそのままにしたせいか、だいぶ意識も朦朧としている。
駆ける速度も失速してきて。
……道を…間違えたか。
……やっぱ、騙されて…いた……んじゃ……。
と、不安に押し潰されていく心境すら、微睡むように薄れていく。
そして、道半ば。
「…………うっ…」
枯葉で埋め尽くされた地面の上に、薬芽は力なく倒れ込む。
意識はすでに途切れていて、呼吸すらも虫の息。
薬芽の一生、もはやここまでかと思われた──そんな時だった。
「あっ!いたいた!」
彼を見つけるなり駆け寄ってくる、怪しげな三人の姿があった。
「心配になって探しにきてみたけれど…正解だったわね」
「予定より遅いから、罠なんじゃないかってヒヤヒヤしたよ。ところで、この人が新しい勇者で間違いないの?」
「この世界で黒髪なんて珍しいもの。たぶん日本人だと思う。ラウル、彼を担いであげて」
了解と、ラウルと呼ばれた男は薬芽を軽々と背負った。その際、地面に伏せていた薬芽の素顔が顕になって。
「あれ?この人…」
一人が訝しげに首を傾げ、フードの下から覗く黒い瞳でマジマジと薬芽の顔を凝視した。
「どうしたホープ、まさか知り合いかい?」
「いえ、なんでもないわ」
「ねぇ、矢が刺さったままなのはみんなスルーするの?早く隠れ家に戻って治療してあげようよ」
もう一人の慌てふためく声を皮切りに、一行は森の奥へと歩き出す。
その背中が闇の中に溶けていく最中、ふいに世界が大きく鼓動する。
地震にも似た空間そのものが震える感覚。曰く、召喚された勇者を世界が歓迎し、拍手喝采しているのだとか。一方では、魔神の復活の予兆だと真しやかに囁かれている。
真相はどうあれ、今宵、この世界に召喚された513人目の勇者は、エルロダイス王国の悪習から逃れることができたのだった。
しかしこの災難が、薬芽に降りかかった最初の試練でしかなかったことを、本人はまだ知らない。




