ポワソンはまだ来ないのか?
「いやー楽しみだ!」
俺はウキウキとしながら玄関を出た。今日は「追放された付与魔術師の俺、実は唯一の【概念上書き】持ちだった~今さら戻ってきてくれと言われても、隣国の聖女様と無自覚に無双しているので間に合っています~」というラノベの最新刊発売日。ただの最新刊ではないのだ。なんと、主人公が主題歌を歌っている限定CD特典付き。俺はいち早く帰って売り切れないうちに本屋に行かなければいけないのだ。
「うっ、はあー。」
期待に胸をふくらませながらも、俺は深いため息を漏らしながら校門を抜けた。今日の朝に、教科書を落書きされるというハプニングに遭遇してどっと疲れたから丸一日は憂鬱だった。それに、露崎と輿がずっと俺の周りにいてマシンガントークを撃ち続けられたこともあって、疲れがたまって・・・・あああーーーー!
「あっ。」
頭の中で発狂していると、俺は思わず声を漏らした。それは夕焼けがきれいだったからだ。その赤い日光を、目を細めながら見る。少々黄昏てみる。
そうして、ふと思った。
こんなにも夕焼けがきれいだと思ったのはいつぶりだろう、と。
確かに今日は疲れた。それもひどく。けれど、憂鬱ではなかった。いや、落書きの件は憂鬱だったけど、その後は・・・心地が良かった。
「俺も案外、ツンデレかっ・・・」
そう小声でつぶやくと。
ドダッ!
「痛ああああああ!」
曲がり角にて、俺は何かに足がひっかかって転んでしまったらしい。膝をすりむいて痛い。
「え、あら。ごめんなさーい。」
俺が痛みでうずくまっていると、前方から高圧的でどこかお嬢様オーラを醸し出した、声が聞こえてきた。
なるほど、俺はこの人の足にひっかったのか。まあ、向こうも嫌な言い方で謝ってきてるんだから、俺も一応謝っておくか。
「あ、こちらこそすみま・・・」
俺は痛みに耐えながら片足立ちをして、真上を向きながら謝ると、そこには見覚えのある顔と・・・スカートの中のユートピアが見えた。
なるほど、白か。
「ちょっと、スカートの中見ないでよ!」
バシンッ!
若干頬を赤らめながらもしてやったかのような嫌な目を向けられながら、甲高く無駄に大きい罵声とともに、食らったビンタ。そのせいで、おもいっきり横を向いた。ふっつーうに痛い。
「え?」
状況をうまく呑み込めないのだが・・・俺は困惑しながら前を向きなおすと、スカートの中が見えないように足にスカートを押し付けている星華月美がいた。
「どうしたの、月美ちゃん。」
きょとんとしていると、後ろからぞろぞろ女子たちが群がってきた。
「なんか、この陰キャにスカートの中見られたの。」
「それ、ほんと?最ッ低。」
星華はにやにやしながら後ろの取り巻き達にぶりっ子ボイスで俺に不都合な状況のみを伝える。
「な、なに?」
この”なに?”は単純な困惑ではなく、苛立ちのメッセージ。だって、人様に向かっていきなり、”陰キャ”はヤバすぎじゃないか?まあ、ノーダメージだけど。
「くさいから喋らないで。」
と、取り巻きUが言う。このUはこいつの名前を知らないからUNKOとしている。UNKOWNでも良かったけど、さすがにこのUNKOにUNKOWNという名前を当てるのは、UNKOWNに失礼だと思った。ちなみに、ノーダメージだ。
「ね?さすがにもさいよね。アハハ。」
と、取り巻きBが言う。このBはBUSのBとしている。あー、勘違いしないように、バスじゃなくて、ブスだ。ちなみに、ノーダメージだ。
まあ、しかしだ。今ので大方何が起きたか分かった。星華月美、彼女はあの女子グループのリーダー格。そして、女子グループたちの狙いが俺になっているときた。つまり、現在いじめが俺の身に起きているということだ。
まあ、スカートの中を見てしまった自分も悪いが、そんなのはどうでもいいのだ。俺と彼女たち、どちらが悪であるのは明確だろう?もちろん、陰に潜むものを冒涜する方に決まっている。
「見てないがぁ?」
とはいっても、もう、一度かかわったら最後。しごかれるまでがお約束だ。したがって。俺は正々堂々と事実しか言わないことに決めた。
「というか、さっきこいつなんて言った?」
女子グループの一人が急に関係のない話を持ってくる。
「え、なんか『俺も案外、ツンデレか・・・』って言ってなかった?」
猿芝居のごとく、もう一人の女子が、俺がさっき言ったことを一言一句話違わずに、大きな声で復唱する。
あれ、聞かれてたんかよ・・・恥ずかしー
「えー、キモー。それ、校門前で言ってるの?やっばあー。」
「月美ちゃん、そんな中二病陰キャに触れちゃったの?」
「うん、そうみたい・・・」
星華はそういいながら目を手で覆い始めた。
「は?」
俺は驚いた。なんと、星華は泣き始めたのだ。そう、涙が流れていたのだ。
「私、私・・・グスッ。」
そして、泣き声もリアルときた・・・こいつただの役者じゃあねえぞ。
そう感嘆するとともに、周りの目が徐々に険しくなってくるのを感じた。こーれは、まずい。
「ちょっつまって!」
俺は焦りとともに感服した表情で立ち上がり星華と対面する。
「ちょっと、近寄んないで!この変態!これ以上月美ちゃんに触れないでよね。」
すると、一人の女子が大声を出しながら、まるで、悪者を扱うかのごとく俺を跳ね飛ばし、星華をかばうように立ちふさがる。
「お、おい!俺何もしてないんだけど。」
そう、慌てながら一歩目に出ると、
「きゃ!」
星華が自然に素早く俺に当たって、当たった個所を手で押さえる。はたから見ると、その所作はあたかも俺が星華に触れていると錯覚してしまう。
「何してんの!」
取り巻きの一人が俺を突き飛ばす。
「こっちのセリフなんでけど。声大きいし。」
改めて周囲を見てみると、下校中の生徒が俺たちをヒソヒソ見ている。まあ、俺の顔なんて誰も憶えていないだろうから別にいいんだけど・・・
「月美ちゃん、大丈夫?」
「グスッ・・・だいじょばない・・・」
そう言う星華の口角は、こちらの動揺を誘うかのように密かに上がっていた。その微かな笑みには、自分の優位な立場を完全に理解しきっているような、どこか冷徹で計算高い影がある。はっきり言って、こいつの悪賢さというかなんというか。普通に頭がいいよな。性格終わってるけど。
「嘘つけー!」
俺は、そんな彼女にノってあげることにした。指をさしながら声を荒らげてその表情を指摘した。その姿はまるで、冤罪をかけられようとするモブそのものであった。一回こういうのをやってみたかったから、なんか楽しくなってきたわ。
いや、待て。今日はやることがあるんだからこんな所でうつつを抜かしてるところではない!早く帰らないと。ということで、このモブムーブは終了。
「おい、おい。何やってんだ、お前たちは。」
感動をかみしめていると、背後から、低く地響きのような威圧的な声が聞こえてきた。俺は誰だろうと思い、声のする方へと振り向いた。そこに立っていたのは、中学一年生の平均ほどである俺の身長で見上げるほどの大柄な体躯で周囲を圧する男であった。まあこの騒ぎだ、誰かが聞きつけてやってきても不思議ではなかった。
「あ、先生・・・!」
現れたのは、俺たちの担任であり、体育教師でもある星華先生だ。そう認識した瞬間、俺の脳裏でバラバラだったピースが突如として一つに繋がった。
(・・・そうだ。星華月美と、この目の前にいる教師は、親子だったなあ。)
中学校という閉鎖的な空間において、身内がクラスの絶対的な権力者であるという絶望的な事実。その歪んだ構図こそが、彼女のこれまでの不遜な態度と、周囲の不自然な黙認の理由だったのか。盲点だったな。
「あのー、先生! 月美ちゃんが、あそこの男子にスカートの中を見られて・・・っ!」
取り巻きの女子の一人が、わざとらしい悲鳴混じりの声を上げて担任に縋りついた。
「え!月美が?その男子ってのはどいつだ?」
「あそこです、あそこ!」
確信犯的な取り巻きの指が、真っ直ぐに俺の鼻先を指し示す。
「あそこ・・・?」
俺は深く、重いため息を漏らしながら、自嘲気味に自分自身を指さした。冤罪もいいところだ。
「こいつか、月美?」
「そう・・・」
「ちがうけどそうですねー。」
あまりに目まぐるしいスピード逮捕に、俺は棒読みをするしかなかった。
「お前、やって良いことと悪いことの区別がつかないのか!」
体育教師特有の、鼓膜を震わせる怒号。いやいや、いくら何でも一方的すぎやしないか。
「ついてます・・・」
ここで黙っていたら本当に一発アウトの変質者扱いだ。俺はひとまず、正直に身の潔白を主張することにした。
「じゃあ、だったらなんでこんなことをした!」
「いや、してないです」
「え? そうなの?」
「え? あ、そうです」
・・・おい、待て。さっきまでの威勢はどこへ行ったんだ。この人、意外と見た目の割に意外とチョロいというか、他人の話をあっさりと信じ込みやすいピュアなタイプなのか?
しかし、俺がそんな淡い希望を抱いたのも束の間だった。
「嘘よ、パパ・・・!その子が、私の・・・っ」
星華は言葉の最後を涙声で濁らせながら、両手で顔を覆った。そして、まるで計算し尽くされたかのように、大粒の涙をハラハラと流し始める。うわぁ、出たよ。アカデミー賞ものだね!
というか、一応ここ学校の敷地内(あるいはその周辺)なのだから、担任の先生を「パパ」と呼ぶのは公私混同が甚だしくていささか遺憾である。
「嘘はダメだぞ。正直に言うんだ。」
案の定、愛娘の涙を見た瞬間、先生のチョロい脳内は完全に星華モードへと切り替わった。丸太のような腕を組み、凄まじい圧迫感で俺にじりじりと迫ってくる。もはや弁解の余地など万に一つもない。
「・・・」
この人にこの後、何を言っても星華の涙によってすべて往生際の悪い言い訳へと上塗りされるだけだ。時間の無駄である。
「どっちなんだ?」
「・・・くっ。き、気になっただけです。」
俺は、今日発売の最新刊をいち早く本屋で買うため、これ以上の不毛な反論をやめた。すべてを受け入れ、最短でこの場を切り抜けるための無条件降伏を選択したのだ。
「よく言った。では、一旦校舎の中に戻ろう。月美も来なさい。」
・・・え?学校に戻るの?口頭注意だけで解放してくれないの!?厳しくない!?これじゃ本屋が閉まっちまう!
「分かった」
星華は神妙な面持ちで先生の後ろに続いた。そして、トボトボと歩く俺の方を振り返ると、先生の死角を利用して、フッと勝ち誇ったような意地の悪い笑みを浮かべた。
「・・・」
逃げようかな・・・
そうして連れていかれた先で待っていたのは、長くて中身の薄い説教だった。
善悪がどうだの、節度がどうだの。俺の言葉はほとんど拾われず、ただ“問題を起こした側”として扱われるだけの時間。
「・・・分かりました。」
適当に頷きながら、頭の中ではまったく別のことを考えていた。
――本、まだ残ってるか。
それだけだ。
ようやく解放された頃には、空はすっかり色を落とし、夕焼けはほとんど消えかけていた。校門を出ても、さっき感じた穏やかさはどこにもない。
「マジで、許さん。あのクソ親子が・・・」
吐き捨てるように呟き、俺は家へ向かう。足取りは重い。だが、止まるわけにはいかない。まだ終わっていない。
家に着いた瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。玄関に鞄を放り投げ、靴も適当に脱ぐ。静まり返った空間が、やけに現実味を帯びていた。
「・・・はあ。」
深く息を吐く。
ようやく一人になれたことで、体の疲れが一気に押し寄せる。膝の痛みも、今さらのようにじんわりと主張してきた。ベッドに倒れ込みたくなる衝動を、ぐっとこらえる。
まだだ。今日には、続きがある。
時計を見る。
――間に合う。まだ、ギリギリ。
「・・・大丈夫、まだあるだろ。」
半分は願望、半分は自己暗示。それでも口に出さないと、不安に飲み込まれそうだった。急いで着替えだけ済ませ、財布を掴む。
ほんの数分。たったそれだけの休憩。だが、その“数分”が頭の片隅に引っかかる。玄関を飛び出し、再び外へ。さっきよりも足取りは速い。焦りが、自然と歩幅を広げていく。走るほどではない。だが、歩くには遅い。
中途半端な速度で、俺はワンダー・モールへ向かう。
――一度帰ったのは正解だったはずだ。
――まだ残ってる。絶対に。
そう思い込もうとするたびに、胸の奥がざわついた。
自動ドアをくぐると、冷房の効いた空気が体を包む。だが、その冷たさは心地よさには変わらない。むしろ、嫌な予感だけがはっきりしていく。エスカレーターを上がり、本屋へ。見慣れた配置。新刊コーナーの位置も分かっている。迷うことなく一直線に向かう。
そして――
足が止まった。
「あ、あれ・・・?」
あるはずの場所に、“ない”。平積みされているはずのそれが、影も形も消えている。代わりに並んでいる別の本の表紙が、やけに整然として見えた。
「すみません!あの、このラノベの限定版って・・・」
息を切らしながら、店員にスマホの画面を見せる。
「申し訳ありません。本日分はすでに完売してしまいまして。」
あっさりとした一言。覚悟していたはずの言葉なのに、現実として突きつけられると、頭の中が真っ白になる。
「そ、そんな・・・」
遅かった。ただそれだけの話だ。分かっている。分かっているのに、納得ができない。脳裏に浮かぶのは、校門での出来事。無駄に消費させられた時間。意味のない説教。
「本、売り切れたやんけ・・・」
ぽつりと漏れた声は、自分でも驚くほど弱かった。手に入るはずだったものが、もうどこにもない。その事実が、じわじわと現実になる。そして、その現実が――怒りへと変わる。
「マジで、許さん。あのクソ親子が・・・」
風凪鳳花は激怒した。割とガチで。胸の奥に、どす黒い感情が沈む。ただ運が悪かっただけで済ませるには、今日一日の積み重ねは重すぎた。夕焼けの余韻も、さっきの静けさも、全部消えている。残っているのは、怒りと悔しさだけ。
この日を、俺は忘れない。
忘れるはずがない。




