第19話
午後、第三訓練場はギルド権限で人払いをされていた。
ここは外壁近くにある広い訓練場で、周囲は高い石壁に囲まれている。
外から中を覗くことはできず、地面には砂と土が厚く敷かれている。
訓練場の端には木の的や石柱、突進を受けるための石像などが並んでいた。
ローディス支部長は入口近くに立ち、職員を一人だけ横に控えさせている。
僕たちを見る目は朝と同じだ。
功績は認めても、甘く扱う気はないらしい。
シヴァは訓練場の中央まで歩き、肩を軽く回した。
「まずはアーテルからだな」
「……僕からか」
「ああ。お前の黒を見ないと、三人の形が組めないだろ」
そう言って、シヴァは地面に落ちていた小石を軽く蹴った。
小石が砂の上を転がっていく。
「止めてみろ」
魔物の動きと比べれば遅い。
これなら合わせられる。
僕は小石の先へ意識を落とした。
大穴の縁で使った感覚を思い出す。
硬い場所。
重さが乗る場所。
敵の足がかかる一点。
「――《留黒》」
小さな『黒』が地面に生まれる。
小石がそこへ触れた瞬間、ぐっと勢いを失って止まった。
だが、シヴァは笑ったままだった。
「そりゃ、小石なら大丈夫だよな」
その言い方で、嫌な予感がした。
シヴァは訓練場の端へ歩いていく。
そこには、突進訓練用らしい巨大な石像が置かれていた。
頭を低くした猪型の石像で、高さは大人の背丈よりも高い。
地面へ深く据えられていて、本来は動かすものではなさそうだった。
「これ、使っていいよな?」
ローディスの横にいた職員が、ぎょっとした顔をした。
「あ、あの、それは備品で――」
「訓練用の――だろ?」
言い終わるより早く、シヴァの蹴りが石像の横腹へ入った。
鈍く、重い音が訓練場に響く。
石像の胴が砕け、頭と胸の塊だけが地面へ落ちた。それでも人間一人分くらいはある石塊だ。
瞬間、シヴァが二度目の蹴りを入れる。
岩のような石塊が地面の砂を削り、凄まじい勢いでこちらへ転がってきた。
「止めてみろ」
「無茶だ⋯⋯!」
言い返しながらも、体はもう動いていた。
真正面に置いても止まらない。
さっきの小石とは重さも速さも違う。
なら、下へ置いて受け止めるんじゃない。転がる向きの片側へ『黒』を置く。
「――《留黒》!」
地面に生まれた『黒』に、石塊の片側が乗った瞬間、がきん――、と嫌な音を立てて進む向きがずれた。
そのまま止まらないが、正面からは外れた。
石塊は僕の横を抜け、地面を深く削りながら訓練場の壁へ思い切りぶつかった。
破裂音と一緒に石片と粉が舞う。
「今のは悪くない」
シヴァが楽しそうに言った。
「止めるんじゃなく、曲げたな」
「止めきれないと思ったから」
「正解だ。重い敵を真正面から受けるな。止まらないなら、進む向きを奪えばいい」
その言葉が胸の奥へ入ってくる。
止めるための黒――そう考えていた。
だが、本当に必要なのは止めることだけじゃない。
一番大切なのは、次の一手を作ることだ。
リナが壁際で砕けた石塊を見ている。
「……止めなくてもいいんだ」
「そうだ。止められない相手なら、向きを変えればいい」
「⋯⋯私が敵を読んで、鎖で行き先を狭める。そこへアーテルが黒を置けば、敵の進む向きだけでも変えられる」
「それも一つの形だ」
シヴァは頷いた。
「だが、それだけに固定するな。アーテルが先に黒を置いてリナが縛るときもあるし、イスカが敵の動きを誘って、二人で合わせるときもあるだろ。敵が強くなるほど、役割を決めきった瞬間に潰されるぞ」
カスミが音もなくリナとイスカの近くへ来ていた。
「大事なのは誰かが見つけた隙を、残りの二人がすぐに活用することよ」
リナがカスミを見る。
「私が読むだけじゃ⋯⋯足りない」
「そう。敵だけじゃない。アーテルの黒が作ったズレも、イスカが踏み込んだ後の乱れも含めて読む。あなたの力は、味方が作った流れにも使えるはず」
リナの目が少し変わった。
カスミは次にイスカを見る。
「イスカも同じよ。黒が見えてから踏み込むと遅い。リナの鎖が鳴った時点で、アーテルがどこへ黒を置くかを読む。置かれる前に動き出すの」
「……見えてからではなく、来ると思った場所へ先に入る」
「ええ。あなたは速い。待ったら強みが消えるわ」
イスカが訓練用の細い模擬剣を握り直した。
本物の細剣ではない。
それでも、目はもう逃げていなかった。
「じゃあ次だ」
シヴァの声が飛ぶ。
また嫌な予感がした。
石像を壊したばかりなのに、シヴァはまだ残骸の一つを見ている。
「今のは重いだけの攻撃だった。次は速さも入れるぞ」
「⋯⋯シヴァ」
カスミの声が少し低くなる。
「加減はする」
「あなたの加減は信用していないわ」
「じゃあ当てない」
リナが小さく頷いた。
「カスミの言うこと、すごく分かる」
「⋯⋯俺への信用が低すぎないか」
「今日の対応で上がると思う?」
シヴァは楽しそうに笑うだけだった。
次の瞬間、シヴァの足元に雷が走った。
蹴られた石塊が、さっきとは比べものにならない速度で滑ってくる。
地面が弾けた。
ただの石塊じゃない。
雷をまとったせいで地面を噛まず、まるで跳躍するかのようにまだ加速してくる。
「止めろ!」
「だから無茶だ⋯⋯!」
声を返す余裕はあった。
だが、黒を置く余裕は本当にぎりぎりだった。
僕は真正面ではなく、進む先の片側へ意識を落とす。
「――《留黒》!」
黒が出て、石塊がそこへ一瞬触れた。
だが、足りなかった。
石塊は一瞬だけ傾いたものの、雷の勢いがそのまま押し切った。
黒の上を削るように進み、僕の体の真横を掠める。
風圧と削り上げた石片がぶつかり、体がそのまま後ろへ持っていかれた。
「アーテル!」
リナの声が飛ぶ。
踏みとどまろうとしたが無理だった。
倒れる直前、黒い影が足元を受け止める。
カスミだった。
影が一度沈み、背中へ来るはずだった衝撃を殺してくれる。
「……助かった」
「礼はあと。シヴァ、今のはやりすぎ」
「当ててない」
「当たっていたら訓練じゃなくて事故よ」
カスミの声は静かだったが、かなり怒っている。
シヴァは肩をすくめる。
「だが、分かっただろ」
僕は立ち上がりながら、石塊が削った跡を見る。
黒は間に合った。
だが、留めきれなかった。
「……置くのが遅い」
「今のそれだな。そもそも遅い」
シヴァが地面を指差す。
「黒を出してから敵が乗る。この考えだと遅いすぎる。強い敵はお前の準備を待ってくれない。リナが読む。イスカが動く。お前が置く。毎回頭で順番を組んでいたら間に合わない」
カスミが続ける。
「決めた形を一つ覚えてたら、それ以外のときに困るわ。使える形を増やして、場面ごとに臨機応変に選ぶしかない。迷宮は何が起こるかわからないから」
リナは小さく息を吐いた。
「私は敵の動きだけを読むんじゃなく、みんなの動きやその隙も読む」
「それは大切よ」
カスミが頷く。
「それに、その方があなたの力はもっと生きる」
イスカも黙って構えた。
細剣ではない模擬剣でも、踏み込みの準備はできている。
シヴァは石像の残りを片手で持ち上げた。
「次は三人でやれ。リナが読む。アーテルがずらす。イスカが通すパターンだ。ただし、形が崩れたらその場で瞬時に変えろ」
シヴァが石塊を構える。
今度は雷をまとわせていない。
だが、シヴァが蹴るだけで十分危ない。
「――行くぞ」
石塊が蹴られて飛ぶように転がる。
「右!」
リナの鎖が先に鳴った。
止めるためじゃない。通る場所を狭めるように、地面の上を払う。
僕はその瞬間、鎖が示す先へ『黒』を置いていた。
石塊の片側を留め、向きが変わった。
――そのとき、イスカが踏み込んで模擬剣の切っ先が、石塊の横から突き刺された。
威力はないが、当たった場所は石塊の中心だった。
もしこれが魔物で、イスカの細剣が戻っていたら、そこは急所になっていたかもしれない。
石塊はそのまま勢いを失い、砂の上を転がって止まった。
しばらく誰も動かなかった。
最初に声を出したのはシヴァだった。
「よし、今のは使える」
短い一言だったが、その言葉だけで胸の奥に熱が入った。
リナが鎖を下ろす。
「今の、ちょっと分かった。止めるんじゃなくて、行ってほしい方を狭めるのもありかも」
「私は見えてからではなく、敵が来る場所へ先に踏み込めました」
イスカが静かに続ける。
「リナの鎖とアーテルの呼吸で分かりました」
僕は指先を見る。
まだ先ほどの黒の感触が残っている。
二人との連携はほんの一瞬が鍵になる。
今までより《留黒》の形が見えてきた気がした。
そこで、壁際で見ていたローディス支部長が、ようやく口を開いた。
「なるほど。報告だけでは分からない部分はあるようだ」
声は相変わらず丁寧だったが、さっきよりも僕たちを測る色が強い。
「ただし、まだ安定しているとは言えない」
「まぁ、それはそうだな」
シヴァがあっさり認める。
「今の三人は今みたいに噛み合った瞬間だけは強い。崩れた時の戻し方はまだ遅いし、未知だ」
ローディスの視線が僕たちを順に見る。
「ならば、暫定的に許可を出そう」
思わず顔を上げた。
「大穴の手前まではAランク冒険者の同行を条件に、君たち三人を案内役兼記録補助として認める。ただし、湿地帯の奥へ踏み込む許可はそのときの状況次第だ」
リナとイスカの表情が引き締まった。
「発見者としての価値はある。だが、無理を通すほどの戦力とはまだ見ないでおこう」
悔しさはあったが、それ以上に胸の奥へ熱が入った。
ぎりぎり拒まれたわけじゃない。
大穴の手前まではもう一度行ける。
そこから先は次に見せればいい。
リナが小さく息を吐く。
「……一応、前には進んだってことだよね」
「あぁ」
僕は頷いた。
細剣が戻れば、イスカはもっと踏み込める。
リナの鎖も今の感覚を掴み始めている。
僕の《留黒》も、止めるだけじゃない使い方が少し見えた。
保留じゃない。
これは、次で覆すための猶予だ。
シヴァが僕へ視線を戻した。
「お前ら⋯⋯これで終わりだと思うなよ」
嫌な予感がした。
シヴァは砕けた石像から離れ、長剣の柄へ軽く指を添える。
抜いてはいない。
それでも、訓練場の空気が変わった。
「次は石じゃない」
シヴァの足元に細い雷が走る。
「今度は俺の一歩を止めてみろ」
リナが即座に言う。
「絶対やりすぎるやつ⋯⋯」
カスミも額に手を当てる。
「シヴァ、本当に加減しなさい」
僕は息を整え、砂の上へ足を置き直した。
怖いが逃げたいとは思わない。
大穴の先へ行けるかどうかは、これからの僕たち次第だ。
あの奥には、アッシュタイガが群れていた。
まだ見ていない何かもいる。
そこへ行くなら、目の前のAランク冒険者の一歩すら止められないままではいられない。
止めるためじゃない。
三人で生き残るために。
指先へ意識を落とした瞬間、シヴァが笑った。
「来い」




