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第4話

    

「お前らだけでやってみろ」


 ドーレマンが後ろに下がると、腕を組んでこちらを見た。


 あとはDランク魔物のスパインローチだけだ。

 だが、さっきまでいた場所に肝心の姿がない。周囲を見渡すと、すでに石壁を伝って逃げようとしているところだった。


 Dランク魔物ともなると、逃げる判断まで速い。生き残るための動きを知っている個体だ。


「あいつを逃がすと仲間を呼ぶ。スパインローチは一体見つけたら必ず潰せ。あいつらは一瞬で群れるからDランクなんだ」


 イスカが《閃駆(せんく)》を使い、瞬時にスパインローチの進路へ回り込んだ。

 細剣で前脚代わりの節を斬りつける。

 這っていた壁から脚が離れて地面へ落ちてきたが、それでもこの場から退こうと暴れ回る。


 その胴へ、リナの鎖が大きく鳴って走った。

 鎖先が後節へ巻きつき、強く引かれたせいで腹側が浮く。

 体がひっくり返り、びっしりと生えた脚があらわになった。


 そこへ、再びイスカが踏み込んだ。

 細剣の切っ先で前節と顔を一瞬で突き、逃げる向きをもう一度だけ外へずらす。


 その時、僕は朧差を低く構えたまま『黒』を刀身へ這わせていた。

 それを見ていたイスカが、僕の刃が届く角度を作ってくれたのだ。


 スパインローチの外殻は昆虫型の魔物だけあって硬そうだ。


 なら『黒』をもっと濃く、もっと強く込める――。

 右手の奥がじりじり焼け、柄を握る指が軋み、刀身に黒い波が纏わりつくように浮かび上がる。


 逃がすな。

 今、ここであの甲殻ごと断て。


 スパインローチが鎖を引きずりながら身をよじる。

 位階が上がったとはいえ、今のリナの力ではDランクの魔物にはまだ力負けする。

 昆虫独特の口器が気色悪く動き、石を掻く脚が一斉に音を鳴らした。


 僕はぎりぎりまで力を溜めて、踏み込んだ。


「《黒穿(こくせん)》――ッ!」


 朧差をスパインローチの真上から振り抜く。

 刀身に乗せた『黒』が、そのまま直線になって走った。


 甲殻の繋ぎ目へ吸い込まれるように入り込み、深く噛み合っていた殻ごとまとめて断ち斬る。

 硬い殻の潰れた音が広間へ響き渡った。


 スパインローチの体が大きく跳ね、ばたついた脚が二、三度だけ宙を掻いたかと思ったら、それきり動かなくなる。

 遅れて、甲殻の奥から濁った体液が流れ出てきた。


「うわぁ……」


 リナが渋い顔で見ていた。


 ドーレマンは倒れたスパインローチを見てから、僕たち三人へ視線を戻した。


「……悪くない。イスカが速さで掻き回し、リナが鎖で動きを止め、アーテルが火力で押し切る。形としては十分だ。Eランク冒険者二人とDランク一人で、あの群れを倒せる力があるなら及第点だろう」


 そこで一度だけ言葉を切る。


「だが、このうちの誰か一人でも噛み合わなければ、途端に崩れる。今はまだそこが弱い」


 あのバビルとの戦いを通してもわかっていた。

 今ドーレマンから言われた部分が、僕たちの弱点だ。あのときはその弱点をガイールがカバーしてくれていた。


 振り抜いた両手にはすでに疲労が押し寄せ、息も荒くなってしまっている。

 肩から指先まで、筋と腱が切れたのかと思うほど痛む。


 『黒』を長く溜めて斬れば、威力は跳ね上がる。

 ただ、体への反動もそれだけ大きい。現状、僕の体がその負荷に耐えられていない。


 それに、リナやイスカがいないと『黒』を溜める時間も作れない。

 バビルとの戦いでもそうだった。相手に避けられたら――当たらなけば意味がない。

 そこへ至る前の段階が、まだまだ弱いということだろう。


 ドーレマンは倒れた魔物を一瞥すると、すぐにドレッドボアの胸元の皮を開き始めた。


「迷宮の中では何事にも時間をかけるな。魔核を抜く時間が一番隙になる」


 ドーレマンはドレッドボアの分厚い皮の下から濃い色の魔核を手早く抜き出すと、続けてスパインローチの腹側――前から三節目の脚の付け根あたりへ刃を差し入れ、こちらもあっさりと魔核を取り出した。


「レトルファングはお前らでやれ」


 僕たちは頷き、倒したレトルファングから魔核を抜いた。

 外で何度もやってきた作業だが、今の戦闘の直後だと手の震えが少しだけ残っていてやりづらい。


「……ランクが一つ上がるだけで、強さの質が全然違うんだな」


 僕が言うとイスカが返答する。


「……Dランクからはたぶん別物です。少なくとも、今まで見てきたEランクの魔物より動きが嫌でした。こちらを見て、どこを崩せばいいか考えてるみたいでした」


 リナも倒れたスパインローチを見たまま小さく呟いた。


「強いだけじゃなくて、迷宮の形まで向こうに味方してる感じ。ここの環境に適応してる」


 ドーレマンは壁際へ視線を移した。


「こっちを見ろ」


 石壁に新しい傷がある。

 少し奥には布の切れ端や木箱らしき破片。崩れた石の下には、灰白の小片がいくつか落ちていた。


 それだけじゃない。

 別の場所の石壁はその一部が不自然に削られていた。表面の石を剥がしたみたいに抉れており、その奥から灰白の層が覗いている。

 落ちていた小片はそこからこぼれ落ちたものらしい。


 リナがしゃがみ込み、《解読(パース)》で灰白色の小片を視る。


「うーん……これ、石っていうより……中で光ってる。何かの鉱石かな?」


 指で持っても、手の熱をほとんど拾わない冷たさだった。

 リナはそのまま削られた壁にも目を向ける。


「これ、壁の表面だけじゃないよ」


 リナによれば石壁の奥に覗いている灰白色の層は、濃淡が違う似た層が何枚も重なっているように見えるらしい。


「もしかして……この壁の奥の方までこれが入ってるのかな。だとしたら……」


 その一言で、僕も壁全体を見直した。

 削られているのは一部だけだが、周囲の壁は全部同じような石壁でできている。


 イスカも地面に落ちていた別の欠片を拾い上げる。


「もしこれが希少な鉱石の原石なのだとしたら……相当なお金が動きます」


「まだ決まったわけではないが、迷宮の壁を削って持ち帰ろうとしている時点で十分にイレギュラーだな⋯⋯」


 少し離れた床には割れた木箱の底板と、包み直しかけたような布が落ちていた。持ち出すつもりだったものを途中で放り出した痕跡にも見える。


 ドーレマンは灰白の欠片を指先で裏返した。


「ただの壁材なら、わざわざ箱へ詰めてまで運ばない。加工か薬か、あるいはもっと別の使い道か……競り場の連中は何かしら値がつく当たりをつけて動いている」


 そこで、削られた壁をもう一度見た。


「しかも、これが迷宮の壁全体にあるとすれば……死人が出ても削り取る理由にはなる」


 僕が言うと、ドーレマンは短く頷く。


「そういうことだ。最初に少し持ち帰って、値がつくと分かったら、あとは人を増やしてでも剥がしに来るだろう。競り場ならな」


 石柱の根元に残った黒ずんだ染みへ、リナが目を落とす。

 乾いているが、泥じゃない。

 少し離れた床には、何かを引きずったような擦れも残っていた。


「……血」


 短い一言で十分だった。


 イスカも少し奥を見てから言う。


「布の切れ方も変です。千切ったというより、何かに襲われた跡に近いです」


 思わずスパインローチの黒い口器が頭に浮かんだ。


「この感じだと、何人かはもうやられているようだな」


 ドーレマンの声は低いままだった。

 リナがふう、と疲れの混じった息を吐く。


「……思ってたより危ない」


 リナの言う通りだ。

 今の三人でも戦えはするが、余裕が全くない。


「初日でここまで分かれば十分だ。今日は引くぞ」


 ドーレマンは足元の灰白の小片を顎で示した。


「破片を持って帰るぞ。今回の迷宮の件、迷宮の先行期間だけなら俺も手を貸す」


 僕たちは広間を出る前に、他に調べた方が良さそうなものを手早く拾い集めて、帰路につくことにした。


 ヴァレスタへの帰り道、僕は今日の戦いを何度も頭の中でなぞっていた。


 僕は技を当てる前の段階が弱い。

 『黒』自体の威力はとても強い。だが、その前に相手を止める手が足りない。

 一瞬でいい。

 その場に留めることができれば、もっと通せる場面が増えるはずだ。


 隣を歩くリナはいつものように何も言わなかった。

 だが、握った鎖が小さく鳴るたびに分かる。

 先を読み、罠や敵の動き、攻撃が来る危ない方向も見えていた。

 それでも、そもそもの力の差がある相手を止め切れない。そのためには読んだ先と自身の鎖の動きを、もっと二人に合わせないといけないだろう。


 少し前を歩くイスカは細剣を一度だけ見下ろした。

 速さで敵を乱し、攻撃が通る角度も作れる。

 だが、武器が通らないほど硬い相手や質量の大きな敵には決め手が足りなかった。

 これまでは速さがあったから戦えたが、自分よりも動きが速い敵が出てきたら対処しきれないだろう。


 三人とも課題が残る迷宮初日となった。

 明日からは寝泊まりできる準備をして、もう一度この迷宮を探索することとなった。

 先行探索権がある間は、しばらく頑張って取り組んでいく予定だ。


 僕はバビルとの戦いから何も変わっていない。

 変わったつもりでいただけだ。


 今よりも強く――もっと強くならなければ。

 それぞれが課題を胸に、帰路につくのだった。



 


■スパインローチ:Dランク

鈍い黒茶色の甲殻と背中の鋭い棘が目立つ大型の昆虫型魔物。壁や天井などを這って、不意打ちを狙ってくる。

一体見つけたときはそこには最低でも百体は隠れていると言われている。

倒れた先に群がり、生きたまま対象を貪り喰う。

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