第1話
焼いたパンと豆のスープの匂い。
この時間帯のギルド食堂には、早朝の依頼を終えて宿へ戻る前に軽く食べる冒険者と、これから依頼へ出る前に腹ごしらえをする冒険者が多い。
食堂の奥の席には、イスカがもう座っていた。
机の上にある二枚の皿はどちらも空。すでに朝食を終えていたようだ。
入口と階段の両方が見える席を選んで座っているあたりが、いかにもイスカらしい。
イスカは正式に僕たちのパーティへ入ってくれてから一週間ほどが過ぎた。
これまでずっとソロで動いていたため、何度も勧誘自体は受けていたらしい。だが、事情があって全部断ってきたと聞いている。
以前、家族と思っていた人から売られた過去を話してくれたことを思い出す。
おそらく誰も信じられなかったのだろう。
「イスカ、おはよう……」
眠そうな声でリナが言い、僕も続ける。
「おはよう。早いな」
「おはようございます。早く目が覚めたので、東門の方を少し見てから来ました。⋯⋯ですが、それでも早かったみたいです」
イスカはそう言って、残っていた紅茶を一口だけ飲んだ。
東門から競り場支部へ繋がっていた一件が片づいて、約一ヶ月ほどが過ぎていた。
街はもう、いつもの顔に戻っている。
荷車は石畳を鳴らし、店は開き、人は流れる。
大きなことが起きても、街は止まらない。だから僕たちも、立ち止まったままではいられなかった。
リナがイスカの向かいへ座り、机の上の空いた皿を見た。
「イスカは何食べたの?」
「パンと豆のスープです」
「……それだけ?」
イスカは一度だけ横を向いた。
「先に……赤蜜柑のタルトを食べました」
「デザートが先なんだ」
「二人に見つからないうちに終わらせるつもりでした」
声はいつも通りだった。だが、こちらを見ないまま皿を重ねると、下から小皿が一枚出てくる。
リナがふっと笑った。
「かわいいケーキとかが好きなの、もう知ってるのに」
僕はその小皿を見た。
「ギルド食堂にそんなのあるんだ」
そこでイスカがようやくこちらを見る。
「冒険者ランクが上がると、追加のメニューがあります」
「……へえ」
僕がそれだけ返すと、イスカは少しだけ間を置いた。
「ちょっと羨ましくない……ですか?」
「羨ましいというより、イスカが満足してるならそれでいい」
「……朝から動くなら、しっかり食べる必要がありますので」
イスカは無表情のまま木皿を片づけていたが、耳の先だけ少し赤くなっている気がした。
「⋯⋯僕たちは宿で食べたし、飲み物だけにしよう。イスカも追加で頼むか?」
「私はまだあるので」
近くを通った食堂の職員へ声をかけて、自分とリナの分の温かい紅茶を二つ注文する。
紅茶を飲みながら他愛のない話をしていた頃、受付の職員がこちらへ歩いてきた。
「アトルさん、ミナさん、イスカさん。副支部長がお呼びです。手が空きましたら、お部屋の方へお越しください」
僕たちは紅茶を飲み終えてから代金を払い、席を立った。
朝の受付前には、少しずつ人が増えてきている。
――討伐確認の控えを持つ者。
――依頼票を眺める者。
その脇を抜けて、僕たちは副支部長室へ向かった。
扉をノックすると、中から短い声が返る。
「入れ」
中へ入ると、ドーレマンは腕を組んで目を閉じていた。
机の上には報告書の束と許可証が所狭しと積まれている。
「よし、座れ。順に話す」
僕たちがソファへ腰を下ろすと、ドーレマンは報告書を指で叩いた。
「今回の件がようやく一区切りついた。遅くなったことを詫びさせてくれ」
ドーレマンの机を見ればまだ全てが終わったわけではないことは明らかだったが、一旦調査などは終息はしたのだろう。
「まずは東門の件からだ。報告書は領主側へ正式に渡り、きちんと受理された。揉み消されてもしていない」
それを聞いて、これまで胸の奥に張っていたものが少し緩んだ気がした。
競り場の『悪』がどこまで内部に入り込んでいたかはわからない。
ただ、そこはドーレマンがしっかりと起きたことを『事実』として、押し切ってくれた結果だろう。
「……よかった」
リナは安堵の表情を浮かべて小さく呟いた。
自分たちがやったこと、ガイールの死も⋯⋯無駄じゃなかった。僕たちはようやく報われた気がした。
ドーレマンは隣の書類へ手を伸ばす。
「次はルルレーダンの迷宮についてだ。サムが自分の手柄のように見せかけていた入口発見の件について、報告書自体を修正した。発見者はお前たち三人の名前で通してある」
「三人……私は何も見つけていませんが」
イスカが静かに言うと、ドーレマンの視線がそちらへ向く。
「正式なパーティを組んだことは聞いている。ならその権利はお前にもある」
「これからは、イスカも一緒だから」
「そうだぞ」
「二人がいいのなら……分かりました」
「納得できない顔をするな。そもそも競り場のことは、三人のパーティとして残した功績だ。後で話すが、ルルレーダンの迷宮も関わってきている」
そこで話を切ると、ドーレマンは机の端に置いてあった革袋を一つ、イスカの前へ滑らせた。
「では先にイスカから。今回の報酬の話だが、お前は位階が2のままで変化はない。だから冒険者ランクは上げられん」
「はい、それは分かっています」
「だが、何もギルドとして返さないわけにもいかん。今回は本来の報酬に追加で払う。白金貨十五枚だ」
イスカの手が止まった。
「……そんなにもらっていいんですか」
「正当な報酬だ。納めておけ」
イスカは革袋を見たまま、小さく息を吐いた。
「……細剣の鍛冶師を紹介してもらえたり、回復の温泉を手配してくれただけでも十分だと思っていました」
「鍛冶師や温泉の件はただの個人的な礼だ。報酬とは別だな」
「……ありがとうございます」
そこでドーレマンの視線が僕へ移る。
「次はアーテル」
「お前は今日付けでEランク冒険者だ。依頼の実績と今の位階を見て、早急に上げさせてもらった」
「……Eランク」
ランクアップ。
何だか遅れて実感が来た。
ここまで受けた依頼や戦いのことが、順に頭へ浮かぶ。
競り場では価値無しのゴミとして売られかけた僕でも、これまで強くなるために頑張って来たことを認めてもらえた気がした。
「ありがとうございます」
「そして、報酬の金だ」
渡された革袋を開くと、中には白金貨が十枚も入っていた。
さらにドーレマンは机の端に置いていた小箱へ手を置く。
「最後にリナ。お前はまだ位階0だから、冒険者ランクは上げられん。だが、今回の活躍で位階0のままというのは、領主様やギルドとしても納得していない。よって、金とは別に追加の報酬を出すことになった」
箱が渡される。中には小瓶が入っていた。
金色に近い色で、わずかに光を返す液体が揺れている。
「希少な魔物由来の紋滓だ。今のお前を一段上へ押すためのものだ」
「……私の位階を上げる?」
「そうだ。今回のお前の立ち回りは見事だった。非戦闘職ながら、戦闘までこなす。それにルルレーダンの迷宮での活躍。位階0のままで、よくそこまで力を行使して動くことができたものだ。⋯⋯並の精神力では不可能だろう」
リナは小瓶をじっと見た後、顔を上げた。
「ありがとう……もらう。あいつを絶対に逃がさないために」
「ああ。あとこれが報酬の金だ」
リナの前にも革袋が一つ、こちらへ滑ってきた。
机の上で止まった時の音だけで、中身の重さが分かる。
「その袋には、白金貨が二十五枚入っている」
「え? 私、この紋滓もらってるのに、お金もこんなにもらえるの?」
いつもなら報奨金が入るたび、夜な夜な数えてはニヤついていたリナが、今回ばかりは袋を持ったまま戸惑っていた。
「⋯⋯その中にはガイールに渡るはずだった分も入っている。あいつには近しい家族がいなかった……だから、誰に受け取ってほしいかをこっちで考えた。ガイールの弟子のお前たちなら、悪い使い方にはならんだろう」
リナが革袋の口を少しだけ開き、すぐ閉じた。
中の重みを確かめた指が、そのまま口のところで止まる。
驚いた顔のままなのに、目だけが少し落ちていた。たぶん、金額より先にガイールのことを思い出したのだろう。
「最後の報酬としては、ルルレーダンの迷宮の先行探索権だ。ギルドでの正式な迷宮解放前に、明日から十日間はお前らが先行で潜入して良いことを正式に決定した」
「それって僕たちだけで入ってもいいのか?」
「もちろん、危険はかなりある。何が起こるかは未知だからな。⋯⋯それでも未踏の迷宮には貴重なものが多い。先行権の価値は高いのだが――」
「何か問題があるのか?」
「ああ、ここで最初の話に戻る。実は先行権と言いつつも、ルルレーダンの迷宮付近で不審な人物を見たという報告がいくつか上がっている。ギルドは正式な許可を出していないというのにな」
イスカが気付く。
「⋯⋯競り場ですか」
「ああ、おそらくな。真の入口らしき場所への入り方は、全部記録として残させてしまった。サム経由で競り場の裏の連中へと、情報が流れた可能性は否定できない」
ドーレマンは一度大きく息を吐いた。
「⋯⋯俺があいつを信頼していたせいだ」
誰かが入り込んでいるかもしれない場所へ潜入する。
明日からの十日間は、思っていたよりずっと短いのかもしれない。
第3章スタートします!
ぜひよろしくお願いします。
ブックマークなど大変喜びます。
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■硬貨について(再掲)
硬貨は鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨……となっていきます。
価値としては、
鉄貨1枚……10円
鉄貨10枚で銅貨1枚……100円
銅貨10枚で銀貨1枚……1,000円
銀貨10枚で金貨1枚……10,000円
金貨10枚で白金貨1枚……100,000円
※白金貨は高額取引や大口報酬で用いられる上位硬貨で、一般的に手にする機会はあまりない。
※その上に王金貨(100万円)というものも一応あるがほぼ流通することはない。




