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第5話


 さっきまでの騒がしい歓声や笑い声は、別の世界みたいに遠のいていた。

 いまだに耳に残るのは、刃が骨を断つ鈍い音だけだ。


 血の匂いに少しずつ鼻が慣れてきている自分がいる。

 向かいの格子の中で、リナは崩れ落ちたままだった。


 今の彼女に声をかける資格なんて、僕にはない。

 何もできなかった自分の無力さが、こうまで悔しいなんて――。


 檻の外では、さっきの男たちがまだ笑っていた。

 笑い声の間に、誰かが陽気にひゅっと口笛を鳴らしている。その一つ一つの動作がリナを追い詰め、僕の神経を逆撫でする。


 僕は黙って、外の会話だけを拾った。


「未覚醒は触るな。面倒だって言ったろ」

「帳面が汚れるんだよ。あとで儀式も要るしな」

「じゃあ殺せねえってことか?」

「未覚醒を殺るのは禁忌だ。神殿が動く。災いだの何だの、後がうるせえぞ」


 舌打ちの音が混じる。


「だから無理やり起こせば『商品』の完成だ」

「⋯⋯さっきの娘みたいにな」

「心を壊せば早い」


 言葉が胸の奥に沈んだ。

 殺せない。だから無理やり覚醒させる。

 感情を壊して、商品にする。


「おい、見ろよ。手の縄のところ!」


 連中の一人がリナの檻の隙間から腕を突っ込み、手首を乱暴に掴んだ。

 骨が鳴るような音がして、リナの肩が跳ねた。


 麻縄の茶色が、今度は揺らぎじゃなく、はっきり薄く細くなっている。まるで縄の色が抜け落ちるみたいに。


「やっと起きたか」


 男たちの声が、無邪気に面白がる子どもみたいに弾む。

 その無邪気の皮の下に、金の匂いが染みついている。


 ――起きる。つまり覚醒。


 本来は体が慣れてから、ゆっくり起きてくるものを、強引に叩き起こしたわけだ。

 目の前で父を殺し、心を壊して――。


 リナの肩が小さく震えた。泣いているのか、怒っているのか、分からない。

 ただ、檻の暗がりの中で、彼女の胸元――紋様のあたりだけが、さっきより濃くなっているように見えた。


『負』『感情』『強制』『暴走』『壊れる』


 途切れ途切れでも、意味は伝わる。

 内側の声は、いつもより冷たかった。忠告というより確定みたいな言い方だ。


「おい。金払うから、ちゃんと見れるやつ――正式な鑑定士を呼んでこい」


 誰かがそう言い、ひとりの足音が遠ざかる。

 檻の前の空気がざわついたまま、数分が過ぎた頃――初老の男がやって来た。

 背は低いのに、目だけが鋭い。皮膚の下まで覗き込むような視線。


「⋯⋯無理やり起こした子どもか。一歩間違えば死ぬぞ。そうなると災いが降りかかるというのに――」


「うるせえ。まだ生きてんだろ」


 鑑定士――金で雇われた、紋章を読む男。


「ふん⋯⋯まあ良い。わしには関係ない。料金は金貨五枚だ。娘の血が動いている間にしか読めぬぞ」


「高えな。⋯⋯いつから値上がりした?」


「こんなもの、街の鑑定士じゃ見てくれんだろう」


「⋯⋯ちっ。わかったよ。じゃあ早くしろ」


 短い押し問答のあと、鑑定士は指先をほんの少し動かした。


 それだけで空気が変わった。


 影が伸びる。

 鑑定士はリナの胸元を見るのではなく、紋章の周りで起きている何かを読むように目を細めた。


「⋯⋯物体紋プラグマではないな」


 その即答に、男たちが眉をひそめる。


「でも形が、鍵みたいだった――」


「――似とるだけじゃ。簡易鑑定の見立てに過ぎん」


 冷たく切り捨てる。


「これは鍵ではない。⋯⋯ほう」


 鑑定士の目が、ほんの僅かに細くなる。


「結び目、封じ、契約⋯⋯そのものを解く。作用の芯を抜く紋――系統は事象紋キニーマ……《解紋(かいもん)》じゃ――」


 その言葉が落ちた瞬間、檻の外の温度が一段変わった。

 下品な笑いが止まり、代わりにどす黒い欲が跳ね上がる。レアで使える紋章持ちは、値が青天井になる。


 売れる匂い。

 人間が、人間を見ている目じゃない。


「⋯⋯おいおい! 当たりかよ、よくやった!」


「値段が一気に上がるぞ!」


「壊れてるほうが扱いやすいし、いいな」


 鑑定士は男たちを見回し、氷みたいに冷たい声で釘を刺した。


「この娘の場合⋯⋯檻に入れても安心しきるな。今は縄が解ける程度じゃが――本質はそこじゃない。結び目も封じも、そういった作用も」


 鑑定士は淡々と続ける。


「封じている絡まりの仕組みそのものを解く――それが《解紋》じゃ」


「力を使えば、檻から出ちまうじゃねえか!」


 鑑定士は首を振った。


「話をちゃんと聞け。今はまだ紋が薄い。覚醒が落ち着くまでは無理じゃ。今、無理に力を行使すれば、反動で意識が落ちるじゃろう」


「なら、どうする?」


「本人は逃げようとして力を使うとする。それだと下手すれば、もっと壊れたり死んだりするじゃろう。だからこそ厄介じゃ。売れるまで壊すな。暴れさせるな」


「じゃあどうすりゃいいんだよ、ああ?」


 苛立ち交じりの怒声に、鑑定士は呆れたように言った。


「……『封緘の首輪』にせよ。今の状態なら、契印は解除できんじゃろう」


「おいおい⋯⋯封緘の首輪って、あのくそ高いやつか」


「安物の拘束具で済ませる気だったのなら、最初から鑑定士など呼ぶんじゃないわい」


「ちっ、じじい! 正式な鑑定書を書かせるからな!」


 男たちは舌打ちしながらも、各々が準備に動き出した。

 檻の前を離れる足音が増える。

 金具がぶつかる音、革が擦れる音、鎖を引きずる音。各々が明日に向けた準備へと戻っていった。




読んでいただき、ありがとうございます。

ブックマーク等いただけると、大変励みになります。

今後ともよろしくお願いいたします。

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