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第1話


 リンドリウムの朝は、音が先にやって来る。

 炉に火が入る前の金槌の響き、荷馬車の軋み、煤を払う箒の擦れる音。それらが重なって一日が始まるはずなのに、今は所々が途切れ、音も疎らだった。


 ――あれから三週間。


 今は、薬師兼鍛冶師のロンネスの家の裏手にある、隠れ工房の前にいる。

 僕は右手首の固定具を外したり締め直したりして、朧差の柄を握っていた。

 骨は折れていなかったが、まだ固定しておかないと痛みがある。

 

 ――強くならなければならない。

 少しでも握れるなら、素振りができる。


 胸の紋章に触れる。

 レンを倒した夜、外側へ増えた一層の線はもう見慣れた。

 位階が0から1へ上がった証だ。

 競り場から逃げたとき、騙紋(せんもん)を倒した後に、『名付けの加護』をくれたディアの気配は、あれっきり失われたままだ。


 今回、レンを倒したことで位階が上がった。にも関わらず、いくら内側へ意識を向けても返答はなかった。


「僕は……強くなる。まだやる、まだやれる……」


 思わず声が漏れると、戸の向こうから低い咳払いが返ってきた。


「……朝からうるせえ。何が、まだやれる……だよ。かっこつけてんじゃねえ」


 ロンネスが眉をひそめて出てきた。

 顔色は戻ってきているのに、歩幅がいつもより半歩短い。本人は平気な顔をしているが、体は嘘をつかない。


「無理にやっても意味はないだろ。体の回復を優先させろ」


 ロンネスは言い切ってから、少しだけ声を落とした。


「……それより表を見たか? 街が妙に静かだ」


 それは僕も薄々気づいていた。

 大きな被害がなかった店は、今まで通りとはいかないが、すでに営業している。戸は外から見ればいつも通りなのに、客を呼ぶ声が聞こえてこない。買い物帰りの住民が、僕を見てすぐに目を逸らす。

 何かが僕の知らないところで起きているのかもしれない。


―――――


 避難所ではリナが水桶を運んでいた。大人に混じって黙って動いている。

 リナも体はほとんど問題なくなり、今は他の子どもや高齢の方を助けるため、自分ができることをやるといって意気込んでいた。

 何度も水を運んでいたせいで、桶の縁が手に当たって赤くなっているのに休もうとしない。


「リナ」


 呼ぶと、リナは一度だけ息を吐いてから顔を上げた。

 目はちゃんとこちらを見る。三週間前みたいに、視線だけがどこかへ飛ぶことは減った。


「……大丈夫か?」


「うん、私は大丈夫だよ」


 リナはそう言って、桶を置く場所へ動き始める。置いたあとで手を軽く振り、掌を押さえた。


「アーテルは? 右手、痛い?」


「痛いけど、動かさないと固まってしまいそうだからな。できるだけ使うようにしてる」


 僕が言うと、リナが小さく眉を寄せる。


「無理してない?」


「まだ本調子じゃないけど、止まっていられない」


「けど、無理はしないで。私にはいつもそう言うでしょ」


「無理はしてないんだけどな。それより、ロンネスにも言われたんだが、街の様子が何かおかしい気がする」


 その会話を聞いていたのか、近くの配給係の男が苦笑した。


「子どもに無理させてる街なんて、恥ずかしい話だな」


 男はすぐ真面目な顔に戻る。


「……今回は助かったよ。三週間前のあの日、正直ここがもつとは思ってなかったんだ。それくらいこの避難所は戦場に近かったからなぁ」


 リナが首を振る。


「ここにいる人たちがみんなで協力してこの場所を守った。だから助かった」


 僕は言葉に詰まる。リナはすごいなと感心した。

 こういうとき、僕は何が正しいか、今ここで何を言うべきかがわからない。

 だから、僕には体を動かすことくらいしか、手伝えることがないと思った。


「次、僕が運ぶよ」


「いや、いい。私がやる。私の仕事」


 リナは短く言ってから、言い直すみたいに続けた。


「……でも、少しだけ手伝ってくれてもいい。手が痛くなってきてたから」


「もちろんだ。リナは少しは休んで」


 リナは僕に助けを求めることができるようになった。それだけで、胸の奥の重さが少しだけ軽くなった気がした。



―――――



 しばらく避難所を手伝った後、二人でロンネスの家へ戻る。

 ここしばらくは、こんな生活を繰り返していた。


 玄関を開けると、ロンネスが腰に下げられる革袋を二つ並べていた。油紙や包帯、乾し肉、薬瓶と何かの薬。余計なものは一切ない。


「戻ってきたか。……すぐに出るぞ」


 ロンネスが言う。僕とリナが顔を見合わせていると、ロンネスは面倒くさそうに顎をしゃくった。


「ちょっとおかしいと思って調べていたんだが、わかった。競り場なのかどこの勢力なのかまではわからんが、どうやらお前らを嫌う連中がまだいるらしい」


「嫌う?」


「要は……この街からの締め出しだな」


 ロンネスは言い方を変える。


「……最近おかしいと思わなかったか? 避難所の連中はお前らのことをよくわかっているから大丈夫だろうが、この辺なんかには札が渡っていたみたいだぜ。うちには来ていなかったけどな」


 リナが唇を噛んでから目を伏せて呟いた。


「私たちがいるだけで、周りが困るってこと……?」


 ロンネスは渋そうな顔で続ける。


「……お前らが悪いわけじゃない。そういう嫌がらせだ。極端な話、消しに来るかもしれん。おそらく帳簿やレンに関わることへの対抗手段なんだろうがな」


 ロンネスは言い切ってから、奥の棚から金属の筒を取り出し、掌で転がして見せた。胴に細い刻みが走り、縁に薄い紋様が沈んでいる。


「抽出器だ。見たことあるか」


 リナの顔が、嫌だと言いかける手前で止まる。


「……魔核のやつ?」


「そうだ。使ったことあるか?」


 ロンネスは僕を見る。僕が首を横に振ると、溜息をついた。


「相手は消すつもりで来てる。今できる強くなるための近道はこれだ。金も大事だが、紋滓(もんし)はもっと大事だぞ」


 ロンネスは、言葉を選び直すみたいに続けて言う。


「あの戦いで――紋狩りによって、人由来の紋滓(もんし)が吸収されただろ。そのとき体が軽くなったみたいな感覚があったはずだ。……あれを魔物相手でも積み上げていく」


 そう言いながら、少しだけ肩をすくめる。


「俺も巻き込まれたから、レンを倒したときに少し吸収されたみたいでな。位階が上がった。まぁその分、大怪我させられたから得した気分ではないが……」


「でも魔物由来の紋滓(もんし)は……倒しても勝手に吸収されない」


 リナが嫌そうな顔で言った。


「アーテルよりリナの方がよく知ってるな」


 ロンネスは俺の方に目を向けて笑う。


「魔物由来の紋滓(もんし)ってのは、今リナが言った通り、この抽出器が必要になる。ここに魔核を入れて、抽出した液体を飲むんだ」  


「ほんとにまずいやつだよね。昔、ローイン村に来てた冒険者の人に、少しだけもらったことがある」


「ランクが低い魔物は特にまずい。ただし、俺達みたいな生産職とか非戦闘職は、魔物由来の紋滓(もんし)が位階を上げるための生命線だ」


 ロンネスがそう答えたタイミングで、戸が叩かれた。連続して三回。間が一定で、合図みたいな叩き方だ。


「……もう来たか」


 戸を開けると、エルシアが立っていた。

 初めて会ったときの印象に近い。体も大分回復して動けるようになっている。

 だが弓を持っていない。レンとの戦いで大破してしまい、一から作り直してもらっているらしい。


「こんにちは、アーテル君、リナさん。ずいぶん顔色も良くなりましたね」


 エルシアは僕たちの顔を見て安堵の息を吐いている。


「話はロンネスさんから聞いていますか?」


 僕とリナが一度目を合わせて頷くと、エルシアも頷いて言った。


「ギルドの判断は一つです。二人をしばらく隠すこと。もちろん、閉じ込めるという意味ではありません。守るためにも、この街から出てもらいます。正直なところ、今はここにいる方が危ないという判断です」


 リナが小さく聞いた。


「もうここには戻れない? まだ避難所のことも……手伝いきれてない……」


「もちろん、ずっとではありません」


 エルシアは言葉を選び、リナの目を見て話す。


「ここにいると、いずれ助けたくても助けられなくなる。……そうなる前に離れてもらいます」


「優しい言い方だな。要は連中が消しに来るって話だろ」


 それをエルシアは否定せず、追加の情報を教えてくれた。


「この街だけじゃなく、近隣の街にも何らかの情報が流れ始めたようです。そのため、次の街まではギルドのお抱えの商会に紛れてもらう予定です」


 戸の外から車輪の軋む音がした。裏道で止まった気配がして、控えめな足音が近づてきた。


「こんにちは、失礼します」


 荷布を肩にかけた長身の男が玄関へ顔を出した。派手さはなく、目は落ち着いていて余計なことをしない人間だと直感でわかる。


「ギルドの手配で来ました。『交易都市ヴァレスタ』行きの行商を任されています。ルベル商会のカンベリーと申します」


 男は軽く頭を下げてから、僕とリナに向き直った。


「荷馬車は目立たないところへ回してあります。こちらはいつでも出発できますが、準備などは大丈夫ですか?」


 準備――さっきロンネスが荷物を出してくれていたのはそういうことか。


「ああ、最低限のものだけは揃えておいた。時間がなかったから仕方ねえ」


「ヴァレスタは交易都市です。荷も人も集まるぶん、役所の確認が増えます。通るだけで時間がかかる日もあるので、早めに動きましょう」


 それから言い方を少しだけ柔らかくして付け足す。


「街は露店も多い。薬や装備も揃うし、仕事もありますよ。あとは、街の周辺には踏破されていない迷宮が二つあります。強くなりたい人間には向いている場所ですね」


 強くなりたいなら――その言葉が、僕の中に染み込んでいく。


「迷宮が二つ……?」


 リナがわくわくしているような、驚いたような顔で言う。カンベリーは言い過ぎない程度に、でも会話の芯が落ちないように続けた。


「どちらも未踏の迷宮です。踏破の名誉や希少な宝を巡って冒険者が集まるので、街の商いも迷宮絡みの依頼も増えます。ヴァレスタはそういう流れで大きくなった都市ですね」


 エルシアが僕らを見て口を挟む。


「だからまずは、二人の居場所を作りましょう。ヴァレスタに着いたらギルドに登録して普通に暮らすのです。ただし、しばらく偽名を使ってください。あなた達を守るためです」


 ロンネスが僕たちの胸へ革袋を押しつけた。


「わかったな。聞いた通りだ。ここで足を止めたら、次はもっと苦しくなる。アーテル、お前にはまだ朧差の貸しがある……死ぬなよ」


 余計な飾りを入れずに言い切った言葉に、僕とリナは小さく頷いた。


 戸口の前でエルシアが、「二人の未来に幸せがありますように」と短く祈ってくれた後、僕らが振り返らないように背中を押す。


 裏口から出ると、目立たないように荷馬車が来ていた。思ったより大きく、荷布の影や木箱の後ろなどに、隠れられそうな隙間がたくさん用意されている。


 ギルドが手配するということは、こういう形になるのかと、変なところで現実を知った。


 僕らが荷の陰に身を滑り込ませた瞬間、カンベリーが油紙で二重に巻いた包みを荷台の奥、さらには床下へ押し込むのが見えた。


 紙束だ。濡らさないための巻き方で、その周りには封印札のようなものまで貼り付けてある。ただの伝票などと比べてかなり厳重な管理だ。


「……それは?」


 その様子に思わず小声で聞くと、カンベリーは同じく小声で返した。


「関所や門番、そしてギルドに出す重要書類などです」


 その後、ゆっくりと車輪が動き出す。外の音が薄くなり、布の向こうの街が遠ざかっていく。


 交易都市ヴァレスタ。


 強くなるための道が、そこにあるのかもしれない。

 僕らは逃げ道だけではない、最初の一歩を静かに踏み出した。




第2章スタートしました。


ブックマークなどいただけるとモチベーション的にも大変嬉しいです。

よろしくお願い申し上げます。

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