閑話「行政都市パリドレーナ」
リンドリウムから三つの街道を越えた先に、石造りの立派な門がある。
――行政都市『パリドレーナ』
門の内側は広く、道がまっすぐ伸びていて、両脇に役所関連の建物が並んでいる。人の流れを確認し、領地を適切に管理するための街だ。
商人も旅人もここで一度だけ名と荷を出す。出さなければ通れない。
朝。門番が木札を叩いて声を張った。
「次。荷車、止まれ。布を上げろ。……ゆっくりでいい」
荷車の布が持ち上がると、煤の匂いがふわっと出た。道中でついた匂いじゃない。煙が衣に染み込んだ匂いだ。
門番は顔をしかめ、槍の先で荷を指した。
「……どこから来た」
手綱を握る商人が、乾いた声で返す。
「鍛冶の街、リンドリウムだ」
「……リンドリウム」
その一言で、門番の空気が変わる。
噂はすでに届いていた。火事、破壊、魔物、虎の狩り手、死者、競り場、逃亡者、ギルド。
その手の話が昨日から一気に増え出した。
内容の形こそ変わるが、概ね似ている。それが徐々に詳しくなってきていた。
門番の横に立つ役所の伝達係が、手帳を開いて命令する。
「話せ。最初から順番にな」
商人は一度だけ唾を飲み、周りを見た。
怖いのは門番じゃない。言い方を間違えたら、次の関所や街で止められる可能性。
「……そうだな。まさか虎紋派閥が攻めてくるとは思わなかった。あいつら、街に入れねえはずだろ?」
伝達係が淡々と返す。
「『思った』はいい。起きたことを最初から言え」
「わ、わかった。いつの間にか……虎が街に来てたんだ。それで……街中で人を狩ってた。……狩るっていうより、選別している感じだった。俺は避難所に向かったが、逃げ道がどんどん塞がれていった」
「ふむ、それで?」
役所の係の声が少し荒くなる。
ここまでの情報は昨日までにすでに掴んでいた。
「……突然、魔物まで入ってきた。Cランクのアッシュタイガの群れだ。門の外の話じゃねえ、町中だぞ。屋根を跳び越えてくるやつもいた。あいつらは笛で操られていた」
伝達係と門番がほぼ同時に眉を動かした。
「……笛?」
「笛自体は見たわけじゃねえ。友人がその、音色を聞いたって話だ。けど、ああいうのは何かの合図だろ。人が一斉に逃げる音がした。みんな避難所に走った。俺も荷を捨てるつもりで走ったよ。笛で統率されていたってことは、紋章師だ……絶対に」
伝達係が書く手を止めずに聞く。
「それでここにいるということは、避難はできたわけだな」
「そうだ。その後は……ギルドが動いた」
「他に被害の情報はあるか?」
商人は肩を落とす。
「鍛冶場がやられた。炉が壊されたところもある。俺の道具も荷も焦げた。雇っていた奴も死んだ。……もう商売にならねえ。だから、こっちへ来たんだ。水と薬が要る連中もいるし、鉄も塩も足りねえ。それを商売にしようと思って」
伝達係の男は一息置いて聞き返した。
「それで、虎はどうなった」
商人がすぐには答えない。言葉を選んでいるのが見える。
「……信じるかは知らんが、虎が死んだって話が出てる」
門番が思わず声を強くして挟む。
「虎が死んだ? あの虎紋派閥が壊滅したということか?」
「虎紋の中の一部――『虎爪部隊』だ。俺は直接見たわけじゃねえが、周りの商人仲間がみんな言ってる。虎が死んだってな。嘘ならもう少しバラけるだろ。これだけ口が揃うってなると――」
そこで、伝達係が顔を上げた。
「――誰がやった?」
商人は首を振り、低く言う。
「……な、名前までは知らねえ。『紋崩れのガキ』がやったって噂だ。胸に黒い痕があって、刀を持ってたって。あと、弓使いの女と薬屋の男……そういう噂だ」
「虎紋の一派と争って、子どもが生きてるということか。つまり、その子どもがリンドリウムを救ったと」
「さ、さあな。そこが一番、揉めてるところだろう。『救った』って言うやつと、『街を燃やした』って言うやつもいる。ただ、そ、そもそも虎紋が悪党なのは間違いねえだろ?」
伝達係は紙の端に別の印を付けた。噂の欄から、確認の欄へ移した印だ。
「わかった。もういい。通行を許可する。ただし記録は残す。近くの関所や街にも回しておけ」
門番は商人へ言った。
「他の街でも止められる。荷は全部見せろ。隠したら通れないぞ」
「か、隠すもんか。俺は何もやってねえんだからな!」
商人が吐き捨てるように言い、荷車は門の内側へ進んだ。
伝達係はすぐ役所の建物へ戻る。
石の廊下を抜け、紙と墨の匂いが濃い部屋へ入る。机が並び、帳面が積まれ、壁には地図が貼られている。
地図には赤い糸が走っていた。街道、関所、宿場。全部が線で繋がっている。
机の奥に座る役人が顔を上げた。目の下に疲れが濃い。
「……またリンドリウムか」
「はい。避難の後に動いた商人です。やはり、口が揃い始めました。虎が死んだ、黒い紋崩れの少年がいた、弓の女がいたなど」
役人は紙を受け取り、黙って読んだ。
読み終えた後、指で机を二回叩く。合図だ。別の係が立ち上がる。
「他の関所と街へ。『紋崩れの少年』と『弓の女』、見つけたら止めて話を聞け」
伝達係が迷い顔で聞いた。
「止めるだけでいいんですか」
「今は事実が足りない。現場を荒らしたら、話が余計にこじれる。まず通った証拠を残せ。――それで十分だ」
係りの男が走って出ていく。
役人は机の端の札入れから、薄い木札を一枚出した。名前じゃない。番号でもない。紋の形を簡単に写した印だ。
「黒い痕……紋崩れ……」
役人は窓の外を見た。門の向こうには長い道が続いている。あの道の先から、煤の匂いがまた来る。
「……リンドリウムに使いを出して、直接確かな情報を集めるしかない、か」
誰に言うでもなく呟いて、役人は机へ戻った。
紙の上で鉛筆が走る音だけが、静かに続いていた。




