表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/79

第33話

  

 踏み込んだ瞬間、足元の感触が変わった。

 体が引き裂かれ、血溜まりで足を取られそうになる。


 それでも僕は体の向きを小さく変え、朧差を前へ出した。

 刃の上を走った『黒』が、連続して向かってくる裂け目を消し飛ばす。

 全部は無理だが、それでも爪撃に合わせて振り続けることで、命を繋ぐ。


 次の攻撃が来る。

 右手首が悲鳴を上げ、指先の感覚がさらに薄くなる。

 握り直せない。

 だから動く方の左手で柄頭を押し込み、刃先の向きだけを相手に合わせる。


 そのタイミングでもう一度、小太刀に『黒』を込めた。


 レンはそれを見て、狙いを決めた目になる。

 そのとき、エルシアが何とか体を起こし、弓に手を伸ばすが、手が自分の血で滑って掴めなかった。


「片手で引けるのか、梟」


 鎖の端が跳ねて、エルシアが伸ばした指先を攫った。血が弾け、弓がまた転がっていった。

 しかし、エルシアは息だけ吐いて、動きを変えた。


 僕はエルシアの前に出ると、弓を持てるまで時間を稼ぐ。跳んでくる斬撃のうち、エルシアに当たりそうになるものだけをどんどん撃ち落とす。


 エルシアは落ちた弓まで体を回転させながら向かい、腰の鞄から包帯を引きちぎった。

 まず裂けた右手首をきつく縛り、その上からさらに布を巻いて、引くときに力が逃げないよう締め固める。


 弓は左手で支える。

 だが、右手の指はもう使えない。


 エルシアは別の布を弦へ絡めると、右手首に引っかけるようにして位置を作った。左手と足で矢を番え、布の端を口で噛む。


 顎を引き、歯で布を噛みしめたまま体で引いていく。

 弓が軋む

 肩が震える。

 呼吸が短くなる。

 矢の羽根が頬をかすめる距離まで引き絞った。


 その間にも、レンが迫ってきている。

 半獣の重さがさらに増し、空気が押されて息が詰まる。その直前、レンの呼吸が一瞬だけ止まった。


「俺が全てを防げば、お前たちは俺のもんだ! ≪虎相・全獣≫――!」


 全獣へ切り替える前の途切れ――息が消える刹那。

 エルシアがそこへ渾身の技を突き刺す。


「――今。≪断響瞬矢レゾナンスブレイク≫――!」


 噛んでいた布を離した瞬間、弦が大きく跳ね、無音の矢が一瞬で飛んでいく。

 その矢がレンの胸元の紋章の上に鋭く突き刺さった。刹那、音が切断された。


 吼え声も、鎖の鳴りも、燃える音も、一息だけ消える。


 静かになったからじゃない。矢のあまりの速度に、巻き込まれた周囲の空気が薄くなり、鼓膜が麻痺した結果だ。


 その音速を超えた速度に、レンの踏み込みが一瞬揺れた。

 前へ流れるはずの力が噛み合わず、肩の動きが遅れ、爪の軌道がずれた。

 それでも簡単には止まらない。乱れたままの距離を潰してくる。

 獣の本能だけで前へ来る。


「まだだぁぁああアアア――ッ!」


 僕は朧差を持ち直そうとして、すでに右手が言うことをきかないことに気づく。

 握れない。

 力が入らない。

 右手首の中心が焼けるように熱い。


 同時に、胸の黒紋も熱を持っていた。

 紋章の線が脈打つような感覚。それも一カ所じゃない。


 左手一本で持つ朧差の纏う空気が変わった。


 ――辺りの煙が朧差しの刀身の周囲だけを避けている?


 いや、避けるんじゃない。引き千切られている。

 粉塵が細かく震え、刃のまわりで薄い輪を作って浮いた。

 それが『色』だけ落として黒点になっていく。


 痺れが腕から指先へ走った。

 骨の内側に針を押し込まれるみたいに、漆黒の電流が何本も走り、刃の中心へと集まっていく。

 朧差の刃の上を黒雷が走っている。


 一本の線じゃない。

 刃の縁に沿って、何本もの細く黒い稲妻が走り、刃先へ向かっては周りに帯電している。


 その雷光は光らない。

 光の代わりに、周囲の色を退色させている。

 建物が燃える赤。周囲を渦巻く白煙。石畳の灰色。朧差の周りだけが色がなくなり、闇に包まれていく。


 音が遠のいた。


 燃える音も、瓦礫の落ちる音も、ロンネスの荒い呼吸も、一枚向こうへ押し出される。


 代わりに聞こえるのは、刃の微かな鳴りだけだ。

 雷が落ちる直前の、空気が鳴く音。


「ウウォォォオオオオゴオオオオ―――ッ!!」


 獣となったレンが吼えた。

 全獣の圧が大気を震わせる。


 肩が盛り上がり、腕が太くなる。指が伸び、爪が刃物みたいに長くなる。

 背骨の線が変わり、腰の落ち方が人ではなくなった。


「≪虎爪・破神≫――!」


 全獣のまま、体ごと突っ込んできた。技じゃない。質量で潰す突進だ。

 空気が押し潰れ、肺が縮む。

 僕は前へ出る。二人を守る位置だ。


 その瞬間、エルシアがもう一度動いた。

 左手で弓を支えたまま膝を立て、矢筒から抜いた二本目を腿で受ける。弓を身体の内側へ押し込み、足先で位置を合わせながら、どうにか弦へ矢を乗せた。


 弦を引く布を噛み直し、歯を食いしばって背中で引く。さっきより短い引きだ。

 限界が近い。肩が震え、口元から血が滲む。


 それでも、引く。


「……もう……一度……!」


 まっすぐに突き出したその声に、レンの呼吸がまた一瞬だけ止まった。


 エルシアは布を放す。

 限界まで身体へ溜めた力が、一気に抜けた。


 二本目の矢が飛ぶのと同時に、エルシアの弓が悲鳴を上げた。上木が裂け、握りの近くで木が割れ、弦が切れて暴れた。

 留めていた包帯が切れ、反動でエルシアの体も横へ投げ出される。


 弓が目の前で砕け散った。

 それでも、矢だけは真っすぐにレンに向かって飛んだ。


 二射目の≪断響瞬矢レゾナンスブレイク≫が、一射目の少し上に突き刺さる。

 音の抜けが太くなり、全獣の出力の向きが——前へ突き進む力が行き場を失い、踏み込みが一瞬止まった。


 その瞬間が、エルシアの渾身の技によって作られた。

 

 僕は息を大きく吸う。

 刃の周囲の黒雷を、一斉に刃先へと集束させる。


 左腕から肩、体を全部使って、自分の体ごと小太刀を支える。


 次はもうない。


 ――全てを賭ける。


 先ほど目の前で見た()()()()を思い出せ。

 グリムアッシュタイガを一瞬で殲滅した一本の神雷を。


「≪黒雷(こくらい)一槍(いちそう)≫――――ッ!!」


 巨大な漆黒の雷槍がレンに向けて横殴りに走った。

 二本の断響矢が突き立てられた『間』へ導かれるようにまれるように、一直線に突き進む。


「グゥゥウオアオオオアアアウオオアアアア――……ッ……――ッ!!!」


 レンはそれでも突き進もうとした。

 だが、黒雷がその巨体を正面から貫き、前へ出る力ごと押し潰す。


 暗い閃光に遅れて、雷鳴と衝撃が一気に来た。

 煙が吹き飛び、粉塵が跳ね、周囲の空気がごっそりと引き込まれる。

 返ってきた音が耳を殴り、頭の芯まで痺れが走る。


 全獣の体は、その場で時を奪われたみたいに止まっていた。


 技を受け止めた姿勢のまま、前へ進めていない。

 爪が空を掻き、石畳を削るのに距離が縮まらない。

 レンの喉が鳴り、言葉にならない唸りが漏れたが、その場で崩れ落ちた。


 胸の紋章から細かな光粒が舞う。

 煙でも灰でもない、肌に触れると冷たい粉のような欠片。


 ――紋滓。

 鈍い金色が漂い、僕ら三人の傍へ揺れて寄ってくる。


 僕の胸の近くで、瞬間的に色が剥げる――金が灰に沈み、灰が闇へ落ちる。黒く変色した紋滓が渦を巻き、僕の胸へ吸い込まれた。

 胸の奥が、一つ噛み合うような感覚がした。


 次の瞬間、黒紋の中心が脈打つように感じられ、いくつかの細い線が皮膚の下を新たに走る。

 一本が二本になり、今ある黒紋の周りに枝分かれした線が少し増えた。


 紋章が――変わった?

 

 だが、体が治るわけではなかった。

 肺は煤で固められたみたいに息が吸えない。右手首は痺れを通り越して感覚が薄く、肩と背中には激痛が走っている。


 さっきの一撃は、何度も頼れる技じゃない。

 反動が重すぎる。撃った直後は体の中がほとんど空になり、立つことすら難しくなる技だ。


 膝の力が抜けたかけたとき、ロンネスが僕の腕を掴んだ。

 力は弱いが、指先にかかる意志だけは強かった。


「……まだ、倒れるな⋯⋯。だが、よくやった……!」


 視線を動かすと、エルシアはすでに路地に倒れていた。口元から血が出ているのが見えた。


 壊れた弓の木片が散り、矢筒だけが転がっている。


 自分を誇り()を捨てて、限界まで僕のことを助けてくれた。

 ぎりぎりで勝てたのは彼女のおかげだ。


 あとは、二人を避難所まで帰す。

 それがここでの最後の僕の使命だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紋章/能力バトル/ファンタジー/逃亡劇/神話/成長/レベルアップ/属性
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ