表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/80

第2話


 静かな森の中だった。

 つながれた鎖を少し動かされただけで、足首に激痛が走る。

 肌に巻きつく鎖はひどく冷たくて、その冷たさは骨まで染みるようか気がした。


 その一方で、胸の黒い痕はじわじわと熱を持ってくる。

 視界はまた狭くなり、色も薄れていった。

 森の景色は、雑に色を塗った絵みたいに見える。

 葉の緑も、土の茶も、男たちの服の色も、全部が塗り潰したようだった。

 だが、その輪郭だけは、はっきり見えていた。


 視界が狭まると同時に、頭がふらつき、意識が遠のきそうになる。僕は無理やり深呼吸をする。

 呼吸と一緒に、視界の輪郭が少し元に戻る。


『鎖……落と……せ』


 落とせ? 戦えということか。

 頭の中で発した自分の声が、やけに遠くに感じる。


『⋯⋯一点』


 先ほど鎖の一部が、一瞬だけ色を変えた。あれは無意識だった。それを自分の意思でやる――もちろん、やり方の説明なんてない。

 内側の声の『一点』だけ。そこだけを潰すという意味なのだろうか。


「おい⋯⋯こいつ、何か隠してるぞ」


 大男が前に出て、腰の剣に手を伸ばす。表情は笑っているのに、眼光だけが冷たく鋭い。


「面倒になる前に――」

「――ちょっと待て」


 鎖男が制した。大男よりやや立場が上なのかもしれない。鎖男の目は情けも優しさも何もない。

 ただ損得と値札だけで世界を見ている。

 僕の命の価値を測っているところなんだろう。


「こいつは『紋崩れ』の未覚醒(ガキ)だ。未覚醒(ガキ)を殺るとかなり面倒なことになるのは知ってるだろ」


 鎖男が吐き捨てるように言う。


「崩れていても普通ならだいたい分かる。だが、こいつの紋章はそれ自体、俺は見たことがない。不明紋(アンノウン)だとしたら、不吉の象徴だ」


「ふん……じゃあどうする?」


 大男は答えを待たず、こちらへ向き直ると全身に力を入れた。その途端、大男の背中がぞわりと逆立ち、二回り以上膨れ上がったように見える。


 恐怖でしゃがみ込みそうになった、そのとき――。

 森の奥から、別の足音が近づいてきた。


 目の前の二人の荒っぽい足取りとは違う。音は少ないのに、空気の重苦しさがこちらまで押し寄せる。まだ遠いはずだが、言い表せない圧だけが先に届いていた。


『……逃……ろ……!』


 電光のように鳴り響いた内側の声は、さっきより低い。その低さが、別種の危険を主張してくる。

 数秒後、木々の隙間から現れたのは、人じゃなかった。


 いや、人の形はしている。

 だが、背中から肩にかけたラインが獣を思わせるほど力強い。肩口には薄い黄毛のような揺らぎが見える。

 目の奥には金色の光が灯っていた。


 右目の外側から頬骨へかけて、爪の跡のような黒い線が三本走っている。その線のせいで、無表情でも口元が少しだけ吊り上がって見える。髪は短めで、黄に寄った黒――濡れた毛皮みたいな色。


 革の上衣は体に沿っていて、肩だけは別の革でさらに固めてある。

 両手には黒鉄の籠手がはめられている。

 武器というより、獣の牙を外へ出したみたいな装備だ。


 大男が急に姿勢を正した。鎖男も口元を引き締めて直立する。

 二人とも、さっきまでの粗雑さが消えていた。獲物を見る目から主人を見る目へ――従順さと恐怖が混じった目に変わる。


 獣そのものの威圧感を纏うその存在は、僕の胸の紋章を一瞥して言った。


「ふん、『紋崩れ』か。……だが、何だお前は……?」


 空気そのものが震えた。

 男はただ立っているだけなのに、それだけで呼吸が止まりそうになる。野生の狂獣と相対したときの恐怖が、理屈抜きで胸を押し潰してきた。


「俺は虎紋が一人、レンだ」


 名乗りは短いのに、場の空気一帯がレンのものになったかのようだった。


「未覚醒の『紋崩れ』……おまえら、こんな餌を拾って喜んでいたのか?」


 レンが二人の男を見下ろす。鎖男は即座に頷きかけ、慌てて言葉を探した。


「いえ、俺の鎖を……一瞬だけ鈍らせました。まだ覚醒すらしてないガキですが――」


「――黙れ」


 短く、鋭い声。

 鎖男が言葉を飲み込み、大男も笑みを消した。


「次の計画まで遊んでいる暇はない。必要なのはすぐに使える強者のみ。そう言ったよな――?」


 金色の瞳が、男たちを真正面から捉える。


「こんなガキを一人狩っても何の意味もねえ。ガキは育てた後、使うか殺すか――だ」


 レンの目が金色に光る。


「いや、もう一つあったな。――今すぐ遊ぶか」


 一気に死の恐怖が襲い、吐き気がこみ上げた。


「い、いやだ……」


 声が掠れる。


「や、や、やめろぉおおお……!!」


 大男が腹を抱えて笑った。


「はーはっはっ!! やめろぉーだってよぉー!」


 鎖男が鎖を大きく引く。足首が引きちぎれそうになる。

 痛みで涙が滲みそうなのに、泣いたらもっと笑われる気がして歯を食いしばった。


 怖い。身体が震える。情けない。悔しい。

 それでも息を吸った。肺が悲鳴を上げる。吸わなきゃ、次の一歩が出ない。


 視界の端から全体が一気に薄くなる。

 森の色が塗られたものとして見える。

 鎖の銀色も、男たちの赤茶も、レンの金色の目さえ、ただの塗料みたいに感じた。


『鎖』『一点』『黒』『足』『紋』


『――潰せ』


 途切れ途切れの指示。

 ――何なんだ、これは。いったい、何でこんなことになってる。


 僕は混乱の中で、生きるために足首の鎖へ意識を向ける。これさえなくなれば、逃げられるかもしれない。


 鎖の一番邪魔な一点を探す。欲張るな。全部を消そうとするな。ここを外せば、逃げられる。


 その一点のみ。


 胸の黒痕が強く滲む。指先が冷たくなる。体温が奪われていくみたいに。凝縮された黒点を、落とす。


 黒がじわりとそこだけを塗り潰した。


 狙った鎖の要の部分は色を失い、黒く沈んで最初から無いみたいに、バキッと砕け散った。


「――っ!?」


 鎖男が目を見開く。足首を拘束していた感覚が消え、一気に解放される。だが、同時に痛みが押し寄せた。脚に力を入れると血が噴き出す。


 それでも、僕は走った。


 膝が崩れそうになる。視界が揺れる。だが、逃げるためには走るしかない。


「……おもしれぇ。おい、あのガキを捕まえた方には褒美をやる。――早く行け」


 森が揺れる。背後で枝が無造作に折れる音が連続で追ってくる。


『左……斜面』


 内側の声は冷静すぎるほどに指示を飛ばしてくる。

 僕は言われるがまま木々の間を縫って走った。呼吸が持たない。喉が焼ける。


 足首の激痛で頭が狂いそうになる。


 背後で、風を裂く音。

 鎖だ。別の鎖が空気ごと裂く刃みたいに鋭い一閃で飛んできた。


 向かいの大木の幹が縦に削られ、樹皮と枝葉が爆散する。破片が頬を掠めた。

 痛みより先に、恐怖が来る。あれに当たれば――終わる。


『連……ぞく、続け……るな』


 それは僕自身も分かっていた。あれを使うと、一気に意識が遠のく。

 今の僕には、まともに扱える力ではないのだろう。


 だが――背後の殺気が近い。

 地面の泥に滑り、前方へ転びかけた。視界が白くなる。次の瞬間、背筋がぞわっと寒くなった。


 ――来る。


 反射的に防御姿勢をとる。何かが、ものすごい衝撃で両腕にぶつかった。

 あの大男の腕。振り向くと、やつは笑っていた。勝ち誇った顔で。


「捕まえ――」


 言い切らせなかった。

 僕は掴まれた大男の腕の色を見る。そこだけ。一点だけ。欲張るな。

 黒を一滴だけ――落とす。


「…………………………は?」


 次の瞬間、大男の前腕のど真ん中が――最初からこの世界に存在しなかったみたいに消滅した。

 血が遅れて噴水みたいに吹き出し、悲鳴が森を裂いた。


「ギ、ギャァァぁぁああああッッ――――!!!」


 その怯んだ一瞬が、命を繋ぐ。

 無我夢中で走った。走って、走って、走って――。


 足が限界を迎えたところで、視界が暗転した。

 暗闇の底で、何か声が聞こえた気がした。


 それが現実なのか、錯覚なのか――僕には分からなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紋章/能力バトル/ファンタジー/逃亡劇/神話/成長/レベルアップ/属性
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ