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第13話


 薬師は手を洗ったあと、鍋の火を落としながら言う。


「三日はここにいていいから、嬢ちゃんの熱が落ちきるまでは動かすなよ」


「三日……」


「嫌なら出ていくんだな。だが、表へ出たらあの木札を見てる連中が寄ってくる可能性が高い。そうすると、問題が起きるだろ? そこで思い出せ……この街が生産者の街だってこと」


 遠くから槌音が聞こえる。

 規則正しい音じゃない。街全体のどこかで常に発している音。


「この街――リンドリウムは、鍛紋師と造紋師の同盟が一からつくった『生産者』が仕切る街だ。表向きは平和で安定してる」


 薬師は続ける。


「だからこそ、問題を起こすやつには厳しい。武器も防具も何も売らねえ——それがここのやり方なんだ」


「穏便に過ごしたいなら、問題は起こすなってこと?」


「そういうことだな」


「問題っていうけど、僕らの手配書が出回ってるのは問題じゃ?」


「そうだな。これ以上、事を荒立たせようってなら、虎紋の連中だろうが容赦はしないだろう。だが、まだあいつらはそこまで表立って動いてねえ」


 薬師は続ける。


「だから、今より目立つようなことをするなら、相手が誰だとしてもリンドリウムの敵になり得る」


 鍛冶や生産職を敵に回す。相応のリスクがあるからそこが歯止めとして機能している限り、安全とみていいだろう。

 そこでふっと疑問が湧いてきた。助けられた当初から思っていたこと。


「あんたは……なんで僕たちを助ける?」


 僕が問うと、薬師は答えを急がなかった。濡れた布を取り、リナの額へ軽く当て直し、呼吸の形を確かめてからようやく口を開いた。


「俺の名前はロンネスってんだ。俺はこの街、リンドリウムで生まれてこのかた、悪党になったことはねえ。まぁ……善人でもないがな」


 薬師は笑いながら言うと、小さな匙で鍋の薬湯をすくい、温度を見ている。熱すぎないか、確かめてから器に少しだけ移していく。

 言葉より先に手が動く。そういう人間なのだと、見ているうちに分かってくる。


「僕らが問題の火種だってことは、よくわかっている」


「火種、か。自覚があるのは悪くはねえな」


 薬師は器を棚に置き、今度は僕の肩の包帯の端をつまんだ。


「だがな、火種だからって、雨の中に捨てときゃ勝手に消えるなんて話でもない。下手に放っときゃ、別のやつが踏んでもっとでかく燃えることもあるだろ?」


 包帯の結び目を直す指は、乱暴そうに見えて妙に丁寧だった。痛まない位置を知っている手つきだ。


「お前らは厄介だ。間違いなくな。だが、厄介だからって、手負いのガキを路地で見殺しにしていい理由にはならん」


 僕は返す言葉が出なかった。

 その言葉は、立派な正義感みたいな大それたものじゃない。もっと小さくて、でも心の根底にある大切なものだった。

 ロンネスはこちらの沈黙なんて気にしないで続ける。


「報奨金は札を刷ったやつが払う。つまり、虎紋派閥の金だ」


 薬師は僅かに口の端を上げた。


「俺は金は好きだが、あいつらの札で腹を満たす趣味はねえよ」


 冗談めかした言い方だったのに、その一言の奥に、乾いた嫌悪が見えた気がした。

 

 虎紋派閥に何をされたのかまでは分からない。だが、少なくとも薬師はあの連中と同じ側ではない。


 薬師は鍋の火を弱め、木椀を二つ並べる。片方には水、片方には薄めた薬湯。リナが目を覚ましたとき、すぐ口にできるように――そんな準備まで、いつの間にか終えていた。


 僕は、敷布の上で眠るリナを見た。

 汗で額に貼りついた髪。荒かった呼吸がさっきより少しだけ落ち着いている。


 もしこの薬師が拾ってくれなかったら――そこから先は考えなくても分かる。

 助けられた事実は、疑いより先にある。


 話は終わりと言わんばかりに、薬師は後ろの棚を指差した。


「お前もしっかり休めよ。その肩の傷、処置が遅かったら危なかったぞ」


「⋯⋯わかった。ありがとう」


 僕は助けてもらった事実に対し、礼は述べておいた。何か裏があろうとも、命を助けてもらった事実は大きい。


 薬師は「礼は嬢ちゃんが歩けるようになってからでいい」とだけ言って、鍋の蓋を閉めた。ぶっきらぼうなのに、その言い方には妙な救いがあった。


 外は鍛冶の槌音に混じって、慌ただしく走る音も聞こえてくる。

 平和そうな夕闇の下に、少しずつ不穏な音が響き始めていた。


「……今後、お前を見つけるまで虎紋派閥の動きがどうなるかは正直読めん。あいつらは逃げた獲物をどこまでも追いかける獣だからな。だから用心しろ」


 そう言って出ていった薬師の背中を見つめながら、今後のことを考えていると、すぐ横で寝息を立て始めたリナが視界に入る。

 さっきより、呼吸や顔色が落ち着いているのが明らかにわかるほどだ。


 ――どう思う?


 内側のディアに初めてこちらから問いかけてみる。しかし、反応はない。

 まるで回線自体が最初からなかったかのような感覚。


 僕は息を整え、肩の痛みを確かめる。

 さっきまでの辛かった痛みが、確かに良くなってきている。あの薬師の腕は本物だ。


 リナの手が眠ったまま僕の袖を掴んでいるのに気が付き、少しだけほっと息をつくことができた。

 灰を被った鍛冶の街の片隅で、今は少しだけ眠ろう。




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