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第11話


 夜明け前の風は、氷霜みたいに冷たかった。

 逃亡の途中で見つけた倒木の空洞の中で、少しだけ眠れたので、自分の体の状態を確かめてみる。


 疲労はわずかに引いている。

 だが、騙紋(へんもん)に斬られた肩が、じくじくと痛む。

 黒の力を使うことに、心身ともに少しずつ慣れてきている。もちろん連続で使ったりすると、まだ頭痛や疲労感がある。そんな感じだ。


 今日中にどこかの街まで辿り着きたいところだ。

 

 追っ手がいる以上、今はゆっくりと休んでいる暇はない。足を動かさなければ、追いつかれる可能性がある。 


 僕らは逃げる途中で見つけた川に沿って歩くことにした。

 肩を貸しながらゆっくりと歩くリナは、熱が少し落ち着いたように見えるのに、息は浅くまだまだ頼りない。

 強制的に起こされた禁忌覚醒の反動だろうか。

 僕はリナの体を支え直し、肩に回した腕を少し緩めてやると、リナの指が僕の服をそっと掴んでくる。 


「……アーテル……ごめん、なさい」


 掠れた声。何とか歩き、何とか意思疎通ができるようになってきている。

 リナに内なる存在――ディアから名前をもらったことを伝えると、不思議そうな顔をしていた。どうやらリナにはそういった声は聞こえないらしい。

 転生者である僕だけのエラーみたいなものなのだろうか。


「大丈夫。無理に喋らなくていい」


「……うん……」


「本当はしっかり休みたいんだけど、まだ追われてる。もう少しだけ頑張って」


「……分かった、ありがとう……」


 川に沿って下ればいつかは道に行き着くだろう。道があればその先には宿場や街があるだろう。

 そんな希望的観測で進むほか手がなかった。


 歩きながら何度も思い出してしまう。

 あの女――騙紋(へんもん)との戦い。

 感覚自体が騙される経験。


 そして、敵を倒した後に紋章が光の粒となり、自分の胸の紋章に吸収されていった、煤のような黒い粉塵を思い出す。


 ディアの言葉を借りるとすれば、あれは誰かの紋を狩った後にみられる名残り――「紋滓(もんし)」というものなのだろう。

それが体に入ってきた後から、少なからず力がつき、体力も回復した自覚がある。


 僕らは川辺の背の低い草むらへ降りて、水を補給しながら進んでいる。水を掬って顔を洗うと、冷たさが皮膚を刺して、寝不足の頭が冴えた。

 ついでに、体についていた汚れや土埃を簡単に落としておく。

 本当は血の跡や臭いなんかもしっかりと落としたいが時間がない。

 リナの首元と額も冷やし、少しでも熱を逃がすように濡らした布で拭いてやる。


「……冷たい……。でも……気持ちいい……」


 しばらくその調子で進み、やがて川を離れて草地に戻った。

 道中にある果実のような食べ物や食べられそうな実をみつけては、リナと分け合って胃にいれておく。


 少しずつ日が暮れ始めるころ、目視できる距離に屋根がたくさん見えてきた。街だ。


 荷車の轍が続き、街に近づくほど往来する人も増えてくる。

 街にかかる橋の下の小川は浅く、表面に露出した石は白く乾いている。風景だけ見れば綺麗なのに――街全体はどこか灰を被ったみたいにくすんでいた。


 門の手前には、煤けた文字で「リンドリウム」と書かれた看板が建っている。僕とリナはそれを見ながら、ゆっくりと大門へ向かった。

 

 この街は検問がなかったため、とりあえず安堵する。思っていたより人の往来があり、町中の方が安全なのかもしれない。人々に紛れて動くことができる。


 道行く人は様々だ。


 武器や防具を身にまとった集団、屋台を片付ける女、荷馬車に乗った男たち。子どもたちは駆け回り、騒がしい声が風に乗って聞こえてくる。


 誰もが周りのことなど気にしていないように見える。

 ところが、大門を潜った後、最初に目についたのは虎の爪痕の大札。そこには簡単な文言と、雑な似顔絵が二つ描いてある。


 痩せた少年と少女。少女の横には、鑑定士によって暴かれた解の紋が刻まれ、報奨金の数字が並ぶ。

 額が多いのか少ないのか、僕にはよくわからないが、この街まで追っ手がきているという事実の方が精神的にもきつかった。


「やっぱり……すでにここにも来てたか」


 思わず声が漏れてしまう。

 街の入り口に張ってる人がいないということは、ここは競り場の最寄りの街ではないのだろう。

 だが、このような大札が出回る程度には近い距離にあるということだ。


「けっこう移動できたと思ったんだけどな⋯⋯」


 僕はその札の横を、今度は顔をしっかり上げて進んだ。立ち止まれば、それだけで目立ちそうだったから。


 服の大きな汚れは川で落としてあるため、ぎりぎり許容範囲だと思う。ただの街の子どもには見えるはず。

 ただし、胸の紋章を調べられたら、一気にバレる可能性が高まるだろう。


 見つからなかったとしても、安心はできない。他の問題がたくさんある。


 まずは食べ物。

 ここまで逃げてきた間には、碌な食べ物にありつけなかった。

 次に、隠れて体を休める場所がないこと。

 競り場から逃亡して以来、満足に眠れていない。

 そして、リナの体調。

 何とか歩いてくれているが、熱がぶり返しているようで、かなりしんどそうだ。


 今の僕らには、これらの問題を解決できる手段が何一つない。どうするべきか。


「……よう、兄ちゃん。そっちの妹、ずいぶん体調悪そうだな」


 声がした方を振り向くと、壁にもたれた細身の男がいた。兄妹(きょうだい)に思われているようだ。

 男は目だけが妙に落ち着いていて、近くに来ると体から薬草のような匂いがしてきた。


「⋯⋯何だ?」


 僕は相手に舐められないように言葉を返す。


「俺は薬師だ。みるからに体調を崩していたから、声くらいはかける。――それで、金は?」


「ない」


 僕の即答に男は鼻で笑いながらも、目はこの状況を測っている。


「じゃあ、代わりに何か『品』はあるか?」


 僕は一瞬迷ったが、今の自分に売れそうなものなんて1つしかなかった。

 あの女(騙紋)が持っていた小太刀が二振り。少し長めのものと、短いもの。短い方は僕の今の体に合うし、護身用にもなるため、長い方だけを取り出して見せた。


「これ」


 男の目が細くなる。刃を受け取り、光に透かした瞬間、顔色が変わった。


「……へぇ。こりゃ、ただの小太刀じゃねえな」


 言い方が一段低くなる。路地の空気が急に重くなる。


「⋯⋯どこで手に入れた?」


「⋯⋯拾っただけだ」


 男は鞘を取って刀を軽く振ってから、数秒ほどじっくり思案したあと、長い溜息を吐いた。


「俺は鑑定士じゃねえからな……確証はないが、こいつは遺物くせえ匂いだ」


「遺物?」


「おいおい、知らねえってわけじゃねえ――って本気で知らねえ顔だな…。こういうのを隠し持ってるってのは厄介なやつがほとんどなんだが⋯」


 呆れた態度の薬師が教えてくれた。

 覚醒者の紋章を破壊されたとき、その人の紋は残滓となって空気中に漂う。

 これを紋滓(もんし)と言い、それが本人の装備品などに宿ったものを遺物と呼ぶらしい。

 ディアの言葉とも合致してきた。  


 薬師は受け取った小太刀を脇に抱えると、顎で路地の奥を示した。


「まぁこれでいいだろ。寝床は空いてる。あと薬も出してやろう。熱が落ちるかはわからねぇが、少しはマシになるだろ」


「……助かる、ありがとう」


 条件を選べる立場じゃない。僕は即答した。


「兄ちゃん、一つ忠告だ。今日朝早くから“虎爪”のとこの札が出回ってる。朝からもう三枚は見た。こいつは増えるぞ」


 あえて、言ってきていることがわかる。自分は気づいているのを黙ってやってるぞ――という示しだろう。


「⋯⋯わかってる。僕は何をやればいい?」


「話が早くて助かるな。なら、まずはその嬢ちゃんをこっちに連れてこい」


 路地の奥は、表通りよりかなり温度が低い気がした。石壁の間を抜ける風が冷たく湿っていて、鼻の奥に薬草と油の匂いが混じる。


 男は先を歩き、何度か角を曲がるたびに、わざと足音の立て方を変えた。追ってきた気配がないか、耳で確かめている――そういう歩き方だ。


 突き当たりの板戸の前で男が立ち止まり、外からは見えない位置で鍵を回す。金属が擦れる小さな音がして、戸がわずかに開いた。


「入れ。扉の近くには立たないようにな」


 僕は頷き、リナの体を落とさないように抱え直してから、暗い室内へ滑り込んだ。

 入り口の戸が閉まると、街の音が薄い膜一枚ぶん遠のく。それでも、どこかで槌が鳴り、どこかで犬が吠え、人の声が小さく反響しているのがわかる。


 部屋の中は狭い。湿った板壁に古い藁の匂い、低く汚れた天井。窓は小さく、外の光は細い帯みたいに差し込むだけ。棚には瓶が並んでいて、どれも手書きの札が貼られている。


 字が妙に整っていて札も統一されている。この部屋の感じからは想像できないが、かなり几帳面な性格なのだろう。



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