第24話
まだ落ちてきている石がレイナスの氷に包まれて壁際へ流されていく。
足元へ伸びてきた根はミレアへ触れる前に黒ずみ、力を失って萎れた。
シヴァの雷が前を裂き、カスミの影が敵の動きを止めたり、僕たちの周囲を塞いで守ったりしてくれる。
Aランクパーティの4人が揃っただけで、暗い穴底の空気が一気に押し返されていた。
さっきまで荒れていた息が少しだけ楽になる。
だが、胸の奥に残った不安は消えなかった。
僕たちはルルレーダンの迷宮側から落とされた。
レイナスとミレアは翠緑の迷宮へ向かっていたはずだ。
別々の入口。
別々の迷宮。
それなのに落ちた先は同じだった。
「4人で迷宮に入るのは久しぶりですね」
ミレアが穏やかに言った。
この状況で出る声とは思えないほど柔らかい。
「4人で動くと、探索ではなく制圧になるからな」
レイナスは淡々と返した。
その間も、足元から広がる雪が石床の割れ目を埋め、僕たちが立てる場所を増やしていく。
シヴァが長剣を肩の横で軽く構え、口の端を上げた。
「久しぶりの4人揃っての攻略が突然落とされた迷宮の深層か。⋯⋯悪くはないな」
「いいえ、悪いわ」
カスミが即座に刺す。
そのやり取りだけで、4人が長く組んできたことが分かった。
誰も慌てていない。
誰かが声を荒らす前に、もう次の位置を取っている。
カスミがレイナスへ目を向けた。
「そっちはどう落ちたの?」
「翠緑の中層湿地帯だ。沼地がいきなり割れた。さすがに対応が間に合わなかった、根が退路を塞いでから、地面だけくり抜かれた」
ミレアが外套の裾を押さえながら続ける。
「逃げ場を消してから、落としにきました」
言葉は静かだった。
だが、意味は重い。
僕たちはルルレーダン側で道を塞がれ、落とされた。
レイナスたちは翠緑側で逃げ場を消され、落とされた。
繫がっているだけじゃない。
何かがここへ呼んでいる。
「迷宮がここに集めたってこと?」
リナの声が小さく落ちる。
答えるように、暗い奥で緑に濁った魔核が脈打った。
樹骸がまだ動いていた。
崩れた広間の奥で太い根が何本も折り重なり、さっきシヴァが割った頭の形をまた作っていく。
アッシュタイガの骨が新しい棘のように刺さり、毛皮の残りが濡れた布みたいに根へ絡みついていた。
レイナスが一歩前へ出る。
「相手は?」
「樹骸だ。圧だけで見ればAクラス相当。死骸と魔核を取り込んで根を増やしているわ」
カスミが短く答える。
「再生持ちですか」
ミレアの指先に黒紫の紋が淡く浮かんだ。
「今なら弱ってる。私が鈍らせます」
彼女が指を下ろした瞬間、樹骸へ向かって伸びていた根の表面が黒ずんだ。
腐るというより、力だけを抜かれていくような変化だった。
カスミの影が僕たちの足元へ広がる。
「アーテル、リナ、イスカ。前へ出ないで。逃げ道を作るときだけ動いて」
「……分かった」
悔しさはあった。
だが、飲み込むしかない。
樹骸が立ち上がる。
穴底の石床から何十本もの根が槍のように突き上がる。
その根より先にレイナスの雪が走った。
白い雪が地面を滑り、突き上がる根の根元だけを包む。
次の瞬間、その雪が硬い氷へ変わった。
凍った根は勢いを失い、石床を割り切る前に止まる。
そこへミレアの呪紋が重なった。
黒紫の薄い輪が凍った根をなぞり、奥から押し出そうとする力まで鈍らせる。
シヴァはもう踏み込んでいた。
雷を大きく爆ぜさせない。
長剣の周りだけに細く押し込め、根の束を選んで焼き切っていく。
カスミの影が僕たちの背を押した。
「走って」
それだけだった。
シヴァが正面を裂く。
レイナスが足場を作る。
ミレアが根の力を抜く。
カスミが僕たちの通り道を守る。
誰も声を荒らさない。
それなのに、死ぬ場所だけが次々と消えていく。
だが、樹骸も止まらない。
壁の内側を根が走り、僕たちの先へ回り込む。
カスミの影が石床を押さえた瞬間、根は影を避けるように上へ逃げ、天井から落ちてきた。
「上!」
リナの声が飛ぶ。
僕は朧差を抜いた。
降ってきた細い根を《瞬纏》で斬る。
黒が刃に一瞬だけまとわりつき、ぬめった表面を裂いた。
切り落とした根の後ろから、さらに細い根が何本も伸びる。
僕はそれを見て、黒鉄の小手を構えた。
「――《連牙》!」
指先から飛んだ黒が、迫ってきた根をいくつも弾き飛ばす。
全部は止められない。
それでも一拍だけ道が空いた。
「イスカ!」
「はい!」
イスカが《閃駆》で前へ抜けた。
足元には雪と薄い氷が残っている。
だが、彼女は滑らない。
レイナスが作った氷の縁を踏み、そこからさらに空中へ一歩を架ける。
「――《空架閃》」
ないはずの足場を蹴り、イスカの体が横へ跳ぶ。
翠脈石の細剣が淡い緑を引き、僕たちの前に垂れた根をまとめて払った。
そこへリナの鎖が走っていた。
切れた根を縛るのではなく、横へ引いて通路の端へ寄せた。
「今なら抜けられる!」
僕たちは走った。
戦っているわけじゃない。
4人が作った大きな流れの中で、落ちてきた小さな危険をはじいているだけだ。
それでも一つ遅れれば死ぬ。
樹骸の魔核が強く脈打った。
奥の根が一斉に引き戻される。
シヴァがそれを見て、長剣を握り直した。
「逃げる気か」
「違う」
レイナスが即座に言った。
「さらに下を開ける気だ」
足元の雪が震える。
僕たちの進む先、その白い足場の下で、緑の根が渦を巻いていた。
この穴底だけではない。
さらに下へ、まだ空洞がある。
ミレアの表情が初めて少し曇った。
「この場所、ただの下層ではありませんね」
「何が見える?」
カスミが聞く。
「根の流れが奥へ向かっています。でも、迷宮の壁を壊して進んでいるというより、もともとあった道を使っているように見えます」
もともとあった道。
その言葉に僕は前方を見た。
レイナスの雪が根を退けた先に、灰白でも緑でもない壁が見えていた。
黒ずんだ古い石。表面には擦り切れた紋様が刻まれている。
ルルレーダンの壁ではない。
翠緑の土壁でもない。
もっと古く、もっと深い。
カスミが足を止めた。
「……人工物?」
シヴァの雷が一度だけ奥を照らす。
そこには半分根に埋もれた石門があった。
門の上部には砕けた文字のような跡が刻まれている。
読めない。
だが、迷宮の自然な壁ではないことだけは分かった。
樹骸の魔核がその門の奥の闇へ沈んでいく。
「逃げ道じゃないな」
シヴァが言う。
「あいつ、本体へ戻るつもりだ」
「本体……?」
リナの声がかすれた。
ミレアの呪紋が足元の根を弱らせる。
黒ずんだ根は震えながら、それでも門の奥へ向かって引いていく。
「この樹骸が一体だけなら、魔核を守って逃げるはずです」
ミレアの声が少しだけ低くなった。
「でも、今の動きは違います。切り離された一部が、より大きなものへ戻ろうとしているように見えます」
口の中が乾いた。
Aクラス相当の樹骸。
それが本体ではない。
ただの一部。
カスミが僕たちを見た。
「ここから先は絶対に離れないで」
レイナスの氷が石門の前へ薄い足場を作る。
シヴァがその上へ踏み出した。
ミレアが根の動きを鈍らせ、カスミの影が僕たちの足元を守る。
4人の背中が古い石門の前に並ぶ。
その向こうから低い音がした。
それは息遣いではない。
魔物の唸り声でもない。
巨大な何かが地下の奥でゆっくり目を覚ますような音だった。
シヴァが剣を握り直した。
「久しぶりの4人攻略だ。行くぞ」
「ああ」
レイナスが短く答える。
「できれば、無事に帰りたいですね」
ミレアが静かに微笑む。
「できればじゃなく、帰るのよ」
カスミがそう言って締める。
僕は朧差を握り直した。
リナの鎖が小さく鳴る。
イスカの細剣が門の奥から漏れる緑の光を受け、細く光った。
ルルレーダンでも翠緑でもない。
そのさらに奥にある古い迷宮の本筋が、僕たちの前に口を開けていた。




