エピローグ5
奇跡というのはカンナの眸であった。
ブラッドが持って来て無理矢理鑑定させられたものだが、その後のゴタゴタで結局ずっと咲良の家の床に落ちたままとなっていたものだ。
警察から逃げ出し、久々に家に帰ってそれを発見した時はどうして良いか分からなかったが、奇妙に惹かれて手に取ってしまった。
大して処置もしていないのにそれはまるで己を主張するかのように薄緑の光を放ち続けていたのだ。
カンナの命が助かっていると知っていたなら、間違いなくこれは彼女が入院する病院に持って行っただろう。
使えるにしても、そうでないにしても。
けれども、あのとき咲良はカンナもブラッドも死に攫われたものと疑っていなかった。
手の中のその眸を、むざむざと放置することはできなかったのだ。
「ある人の視神経を真霧ちゃんのそれに接触させて、電気を流して活性化させる。簡単に言ったらそんな手術だよ。意味分かった?」
「分からんな。そんないい加減な治療法、聞いた事もない。勘で話してるだけだろ」
シルヴァー+クロイツに図星をさされ、咲良の視線が泳ぐ。
言われたとおりだ。何せ自分は美容整形医。
二重瞼を造るのは得意でも、眼の内部なんて分かるわけがない。
ただ、あの状況で精一杯のことをしたまでだ。
手術から四週間。
今日は包帯を取る日なのだ。
二人の男が実りのない会話をしている間に少女は溜め息をつきながら自分の手でクルクル包帯を外していく。
いつか失明するのは分かっていたし、覚悟だって出来ていた。
今回の手術だってシルじゃないがインチキ医療としか思えない。
それでも──祈りに近い思いで瞼を開く。
目の前はぼんやりした白い闇……。
「真霧?」
「真霧ちゃん?」
二人が自分の目を覗き込む気配が感じられる。
大丈夫というように小さく笑って、首を横に振りかけた真霧があっと小さく声をあげた。
約一カ月ぶりに開かれた眸に飛び込んできた光。
その眩しさが徐々に落ち着いた光へと変じていく。
霧のような朧の白の中に、輪郭らしき影が形を結び始めた。
「シルの顔……見える。麻倉さんも見えるよ……」
零れんばかりの笑顔で少女は愛おしそうに周囲を見回した。
ほっとしたようにその場に座り込んだ銀髪の青年の胸に飛び込む。
「麻倉さん、ありがとう。シルも……」
「見えるの? まさか成功? 信じられない。良かった……」
施術した当の本人が驚いたように口元を押さえた。
己の技術に対する感動の念か、たちまちのうちに目が潤む。
「良かっ……あっ、あっ!」
涙と共に落としたカラコンを探して床を這う医者を放って二人は家を出た。
空を見たい──真霧が言ったのだ。
もし手術が上手くいって、見えるようになったらまず最初にこの街と、それから空を見たい。
勿論、一番見たかったのは大好きなシルヴァー+クロイツの顔だったのはいうまでもない事。
二人は階段の踊り場に立つ。
雲立ち込めるくすんだ灰色の街と空はある意味、久々に開かれた視界にも優しい光だ。
ゴット・シュヴェルツェンの街を見下ろしながら少女はグスッと鼻をすすった。
またこの景色を見られて良かった。
またこの人の姿を見られて本当に良かった。
自分の目が治った事。
そして彼が死地から無事に戻って来た事──。
特に後者に関して、彼女は神様に感謝した。
ゴット・シュヴェルツェンとは神を黒く汚すという意味を持つ。
でもどんなに汚れても、神様はきっときれいなままだ。少女はそう信じていた。
「約束しただろうが。無事戻るって」
苦笑交じりにそう言われ、真霧は照れたように笑みを零す。
「そんな事より早く部屋に戻ろう。まだ安静にしていなきゃ駄目だ。今日だって曇っているから外に出るのを許しただけで……」
彼の言葉を少女は遮った。
「真霧は平気。シルは何も気にしないで。この目がいつか本当に見えなくなっても……大丈夫だよ。シルが真霧の光だから」
「真霧……」
再びちらりと街を見下ろしてから真霧は銀髪の青年の手を取る。
色素の欠如した少女の眸は微かな緑色に色付いていた。
その眸が映すゴット・シュヴェルツェンの街並みは鮮やかな色彩に溢れている。
一番好きな色である銀は、彼女の隣りで優しく息づいていた。
震駭のゴット・シュヴェルツェン・完




