第60話:星降る夜の結婚式と、三美神の最後の手札
大和皇国、皇都。
海と山に囲まれたこの美しい都市に、世界中の富と権力が一堂に会していた。
迎賓館『アステリア・パビリオン』の周囲は、地球連邦軍の精鋭部隊によって完璧な警備網が敷かれている。
上空には数え切れないほどの無人ドローンが飛び交い、エントランスには各国首脳や巨大企業のトップを乗せた専用車が、息を呑むような列を作っていた。
今日、この場所で、一つの時代が終わる。
そして、新しい時代が始まるのだ。
私が、サクラとの結婚式を挙げる日。
それは、前世で過労死し、異世界に転生してからというもの、冷徹な合理主義で世界を塗り替え続けてきた「魔王リヒト・フォン・アステリア」の、表舞台からの完全なる引退を意味していた。
その頃、新婦の待機室。
サクラは、アンティークの大きな鏡の前に座り、自分自身の姿を見つめていた。
アステリアの最新科学が生み出した、純白の合成シルク。その裾には桜色に淡く発光するナノファイバーが織り込まれ、彼女が動くたびに光の粒が舞い散るような錯覚を起こさせる。
大和の路地裏にある、小さな団子屋で育った少女。
彼女が着るには、あまりにも重く、価値の計れない一着だった。
「……似合っているわ、サクラ」
不意に、背後から声が響いた。
サクラが振り返ると、そこには世界で最も気高く、恐ろしく、そして美しい三人の女性たちが立っていた。
地球連邦の象徴的指導者、エリザベート・ド・ラ・ヴァリエール。
世界中央銀行総裁、セシリア・フォン・メルクリウス。
連邦最高科学顧問、ニーナ。
国家予算に匹敵する豪奢なドレスに身を包んだ彼女たちは、誰もがひれ伏すような威厳を纏いながら、静かにサクラを見下ろしていた。
「エリザベート様……セシリア様、ニーナ様」
サクラが立ち上がろうとするのを、セシリアが扇子を閉じる音で制した。
「そのままでいいわ。今日はあなたが主役なのだから」
セシリアはふわりと笑ったが、そのアイスブルーの瞳の奥には、隠しきれないジェラシーと、冷たいほどの矜持が光っていた。
「私たちはね、あの冷徹で、合理的で、悪魔のような男に、人生のすべてを捧げてきたの。彼と一緒に世界を創り、彼のためにこの星の歯車を回している。……だというのに、彼が最後に選んだのは、私たちではなく、あなただった」
セシリアの言葉は静かだったが、重い熱を帯びていた。
「悔しくないと言えば、嘘になるわ」
隣で、エリザベートが美しい金糸の髪を揺らしながら口を開く。
「私たちは、彼と同じ高みに立つために、血を吐くような努力をしてきたわ。けれど、彼は高みではなく、安らぎを選んだ。……サクラ。あなたのその、計算されていない『普通の温かさ』に、私たちは勝てなかったのよ」
エリザベートの言葉には、深い敗北感と、それでもなおリヒトを愛してやまない切なさが滲んでいた。
「だから、約束して」
ニーナが一歩前に出て、サクラの目を真っ直ぐに見据えた。
普段は無機質な彼女の瞳に、今日だけは強い感情の炎が灯っている。
「リヒトを、絶対に退屈させないで。彼が『やっぱり世界を支配する方が面白かった』なんて、一秒たりとも思わないくらい、幸せにしてあげて」
そして、三人は同時に、不敵で、恐ろしいほど美しい笑みを浮かべた。
「もし、彼を少しでも悲しませたり、退屈させたりしたら……」
「その時は、世界中を敵に回すことになるわよ。私たちが、いつでも彼を奪い返すから」
「……覚悟しておくことね」
それは、最高権力者たちからの恐ろしい脅迫であり。
同時に、サクラをリヒトの「正妻」として認める、彼女たちなりの不器用で、最上級の祝辞だった。
サクラは、震える手を強く握り締め、真っ直ぐに三人を見つめ返した。
怯えることも、引け目を感じることもなく、凛とした大和撫子の微笑みを浮かべて。
「……はい。覚悟しています」
サクラは、両手を胸の前でそっと組んだ。
「リヒトさんは、もう誰にも渡しません。私が、私のすべてを懸けて、彼を幸せにしますから」
その一切の迷いがない堂々たる宣言に、三美神は一瞬だけ目を丸くし……やがて揃って、諦めたように苦笑いをした。
「……本当に、敵わないわね。あの男の計算が狂うわけだわ」
セシリアが小さく息を吐き、エリザベートとニーナも肩をすくめる。
女たちの間の、静かで熱い戦いは、こうして幕を下ろした。
そして、式本番。
ステンドグラスから差し込む光の中、私は祭壇の上でサクラの手を取った。
ドレスの裾が桜色に淡く発光し、彼女の黒髪と、少し潤んだ瞳が、私だけを真っ直ぐに捉えている。
世界中に生中継されているカメラのレンズなど、どうでもよかった。
私は、用意されたマイクを通し、全世界へ向けて――いや、目の前のサクラただ一人に向けて口を開いた。
「私はかつて、この世界を『合理化』すると誓った。不採算な争いをなくし、効率的に全人類を生かすと」
静まり返る大聖堂に、私の声だけが響く。
「だが、今日、ここで誓うのは、全人類への抽象的な平和などではない」
私はサクラの小さな手を、両手でしっかりと包み込んだ。
少しだけ震えているその手から、彼女の決意と愛しさが伝わってくる。
「私はただ、この一人の女性を一生愛し抜く。どんな計算を狂わせようとも、どんな非合理な事態が起きようとも、彼女の笑顔だけは守り続ける。……それが、私の生涯における、究極の合理だ」
サクラの大粒の涙が、頬を伝って落ちた。
彼女は満面の笑みで、力強く頷いた。
「はいっ……! 私も、リヒトさんを愛しています」
私が彼女の唇に誓いのキスを落とした瞬間。
ドンッ、と外で低い破裂音が響き渡った。
ガラス張りの天井の向こう、大和の夕闇が迫る空に、無数の光の筋が走った。
ニーナが地球連邦の防衛衛星を使って仕掛けた『人工流星群』だ。
大気圏に突入する計算し尽くされた光のシャワーが、夜空に巨大な桜の花びらを描き出していく。
世界中から歓声が上がり、ホールは万雷の拍手に包まれた。
私はサクラの腰を抱き寄せ、流星が降り注ぐ空を見上げながら、これ以上ないほどの完璧な幸福を噛み締めていた。
続く披露宴は、後世に伝説として語り継がれるほど華やかなものだった。
セシリアの計らいにより、世界中から集められた最高級の銘酒と美食が振る舞われる。
会場のあちこちで、かつての敵や味方が入り乱れ、笑い声が絶えない。
「まさか、あの氷の魔王様が、こんなにだらしない顔で笑う日が来るとはな」
グラスを手にして近づいてきたのは、地球連邦の軍事司令となったエドワードだった。
隣には、技術長官のヨハンや、情報局長のレオンもいる。
「だらしないとは心外だな。これは『幸福度を最大化した表情』と呼んでくれたまえ」
私が冗談めかして返すと、彼らは腹を抱えて笑った。
「違いねえ。だが、これで俺たちも少しは肩の荷が下りるってもんだ。あんたがいなくても、この世界は回っていくって証明しなきゃならねえからな」
「エドワードの言う通りだ。それに、月面開拓村の連中も、最近はずいぶんと威勢がいい。軌道エレベーターの建設も順調だし、まだまだ面白いことは山積みだ」
ヨハンが目を輝かせながら、未来の展望を語る。
そうだ。私の仕事は終わったが、彼らの世界は、そして人類の挑戦は、まだ始まったばかりなのだ。
いつかまた、彼らが解決できないほどの『巨大なバグ』が発生した時。
あるいは、月面の連中が本当に独立戦争を吹っ掛けてきた時。
その時は、また少しだけ、彼らに知恵を貸してやるのも悪くないかもしれない。
私は彼らとグラスを合わせ、痛快な気分で酒を煽った。
そして、深夜。
華やかな狂騒が終わり、すべてが静寂に包まれた別邸で、私たちはようやく二人きりになった。
和室の障子を開け放つと、夏の夜の匂いと、波の音が流れ込んでくる。
虫の音が心地よいリズムを刻む中、サクラは白無垢から着替えた薄手の浴衣姿で、私の隣にちょこんと座った。
「……疲れなかったか?」
私が尋ねると、彼女はふんわりと微笑んで首を振った。
「ううん。夢みたいで、あっという間でした。……でも、やっぱり、こうして二人きりでいる時が、一番ホッとしますね」
「そうだな。……同感だ」
私は、サクラの少し冷たい手を握った。
前世で過労死し、異世界に転生してから、私はずっと走り続けてきた。
借金を返し、敵を蹴落とし、科学と合理性で世界を塗り替え、すべてを私の手のひらの上でコントロールしようとしてきた。
だが、この手の中にある彼女の温もりだけは、どんな数式でも計算できない。
そして、計算できないからこそ、こんなにも愛おしく、尊いのだ。
「サクラ」
「はい」
「結婚してくれて、ありがとう」
真っ直ぐに伝えると、サクラは少し照れたように頬を染め、私の肩にコトンと頭を乗せた。
「こちらこそ。……リヒトさんが、私を見つけてくれたから。世界で一番幸せなお嫁さんにしてくれたから」
サクラは私を見上げ、その桜色の唇を綻ばせた。
「これからも、ずっとずっと……一緒ですよ、リヒトさん」
「ああ。誓おう、私のすべてを懸けて」
私は彼女の細い腰を抱き寄せ、その温もりを確かめるように、深く、静かに口付けた。
甘く、優しい時間が、二人だけの夜を溶かしていく。
月光が畳を白く照らし、星降る夜は、私たちの『永遠の日常』の始まりを、どこまでも優しく祝福していた。
次回更新は未定です。
続きを書くつもりですが、一旦完結とさせて頂きます。
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