第11話 ミャァァアア!(ゆかり、みてみてーっ!)
「ビーノ! いいよぉー!」
二人してうつ伏せになり顔を上げて、ビーノがやってくるのを待つ。
ぽてっ、ぽてっ、ぽてっ、ぽてっ。
小さな足音が板間を叩く。
壁の影から現れた小さな白いドラゴンは、とても真剣な顔をしていた。
彼の目は、まっすぐお盆の上に注がれている。
そこには彼がぽてっと足を一歩踏み出す度にお盆ごと揺れる、升に入ったカップが一つ。
最初の内は、零れている様子は特になかった。
……いや、もしかしたら見えていないうちに既に半分くらいは零れてしまったのかもしれないけど、それでも今のところ、順調だ。
「頑張ってるね」
「頑張ってるな」
答えてくれた隣の彼の事をチラリと密かに盗み見て、その目がビーノに何だかんだで釘付けになっている事を知る。
釘付けどころの話ではない。
むしろ私より真剣に見ていて、ビーノの歩みにハラハラしていて。
「ふふっ」
思わず笑いが漏れてしまった。
それが不服だったのか、彼は表情を元に戻して「何だ」と私に聞いてくる。
しかしその変わりようさえ、可笑しくて。
「だって、ウェインったら目に見えてビーノを心配してるんだもの」
思わず笑い交じりに言うと、彼は少しいじけたように「そんなに笑わなくてもいいじゃないか」と小声でボソッと答えてくる。
「年下の君にそんなふうに言われるのは、何だかちょっと」
「不服?」
「っていう訳じゃあないけど」
でもなんか、と彼はモソモソと異議を唱える。
一見すると「不愉快だ」とかスパンと言い放ちそうな見た目だし、そういうツンさえファンの子には「ありがとうございます!」って言われそうなビジュアルなのに、この人、見た目に反して意外と優しいんだよね。
あと、ちょっと幼い。
そう思いながら、頑張っているビーノに視線を戻し。
「そういえば、ウェインって何歳なの?」
「今年で二十一だ」
「えっ」
「ミャァァアア!」
驚いて、またビーノから目を離そうとした瞬間だった。
ビーノがお盆から目を離した。
前方に私たちの姿を見つけて、嬉しそうに鳴く。
そして。
ぽてぽてぽてぽて。
「あああああ!」
「ビーノ……」
私はアワアワして立ち上がりかけているウェインの隣で、苦笑を禁じ得なかった。
私たち目掛けてまっすぐに走ってきたビーノは、お盆こそきちんと持っているけど、最早そちらに配慮はしていない。
目に見えて分かる程にコップの中身のミルクティーは零れ、升が受け皿として立派に機能する。
よかったよ、念のために升に入れておいて。
「ミャッ!」
私の前までやって来たビーノは、嬉しそうにお盆を渡してきた。
「ありがとう、ビーノ。助かっちゃった」
「ミッ!」
言いながら私もよいしょと体を起こし、お盆を受け取って机の上に置く。
そのまま畳部屋の扉を開けて、座布団を二枚取り出した。
私の分と、ウェインの分。
彼のカップは既に私が置いたお盆の向かい側に置いてあるので、その前に座布団を置く。
「座って」
「椅子は」
「これが変わり」
言いながら、私は自分のお盆前に座布団を敷きよいしょと座る。
普段はほとんどしないのに、座布団の上に座るとなると自然と正座になるから不思議だ。
ビーノに「おいで」と手を伸ばし、脇に両手を差し込んでヒョイと持ち上げた。
ずっしりとした重さが伝わる。
それでも膝の上に乗せて、重くて痛くなる程ではない。
私に倣って、ウェインもおずおずと向かい側に座った。
座ってから、座布団の有能さに「おぉ」と声を上げる。
いい座布団だからね、それ。
フカフカよ。
「じゃあいただこうか」
「え、でもゆかりのは」
「零れただろ」と言いたいのか。
それとも「新しく淹れてこないと」と言いたいのか。
ビーノの頑張りを見ていた手前、スパッと言う事ができない様子で、控えめに目で「それじゃあ飲めないだろ」と言ってきている。
そんな彼に、私は二ッと笑う。
「コレ、何だと思う?」
「木の箱」
「じゃあ、何のためにこの中にコップを入れたんだと思う?」
「それは……床に飲み物が零れないように」
「ぶっぶー、ハズレ」
言いながら、私はエッヘンと胸を張った。
「実はこれも、カップと同じ。液体を入れる物なの。だから――」
言いながら私はカップを退けて、升に口を付け軽く呷った。
「えっ」
「うん、おいしい」
驚く彼に、私は笑う。
「ニホンでは、お酒をね、さっきのカップみたいにガラスコップ置いて、並々まで注いで飲む時の酒受けに使うの。お祖父ちゃんがこうやってやってて。一回私もやってみたかったから」
ちょうどよかった、と言ってみせる。
そして私の膝の上で升入りミルクティーを飲む私を見上げているビーノにも微笑んで。
「ウェインが淹れてくれて、ビーノが持ってきてくれたんだもん。美味しくない訳がないよね、もう」
「ミッ」
嬉しそうに鳴いたビーノの頭を撫でて、向かい側のウェインを見る。
「ウェインもありがとう。お陰で美味しい」
「う、そ、そうか」
おや、照れている。
顔を真っ赤に……なんていう事はないけど、ふいっと逸らされた目が居場所を探している辺り、そうなんだろうなと思わせられた。
さっき年齢を聞いた時はちょっとだけ驚いたけど、こうして見ると、たしかに――。
「そ、それで、さっき驚いていたのは何だったんだ」
「あぁそれ。いやぁただ、ウェインが年下だったのにちょっと驚いて」
「え」
ウェインが目を丸くする。
「俺は、今年で二十一だが」
「うん。私、二十六歳ね」
「六……?」
ポカンとするウェイン。
いやでも気持ちはよく分かる。
私だってウェインの事、私より年上だと思ってたし。
「精々十六、七歳かと」
「流石にそれはないでしょ」
そんなの高校生じゃん、私。
歳をサバ読むにしたって限度があるし、流石にそんな年下には見えない――あ、真顔だ。
これ本気だ。
本気でそう思っていたんだ、多分。
彼のこの反応を見て、私は今更ながらに「そういえば」と思い出す。
日本人って、外国人からめっちゃ幼く見えるってよく言われるよねぇ。
中には大人も子どもに見えるっていう話を聞いた事がある。
流石にそこまでは嘘か、余程の童顔相手だったんだろうと思うけど、そもそも人の見た目から年齢を推測するのが苦手な人っていうのもいるし、絶対にない勘違いではないのかもしれない。
それにしても、美形は驚いても美形なんだなぁ……と思わず内心で感心していると、彼は些かの沈黙の後、何故か「はぁぁ」と結構なため息を吐いた。
「いや、達観している子だなとは思っていたけど」
「何? 思考が祖母ちゃんだって?」
「そこまでは言ってない」
言いながら、彼は腰に付けていたカバンを何やら弄りだす。
「じゃあ、もしかしたら土産を外したかもしれないな」
小さなカバンから、ニュッと紙袋が出てきた。
どう考えてもカバンの要領には合わない大きさの紙袋だ。
という事は、これって。
「もしかして、マジックバッグ?」
「あぁ。ゆかりは『収納』スキル持ちだから不要だろうが、一般的には殆どの大人が持っている。それで、これ」
カサリと紙袋を開けた彼の手元の少し覗き込めば、黄色い饅頭的なものと目が合った。
「ウサギ?」
「あぁ。若い女性に人気なんだが、流石に子どもっぽ過ぎたかなと」
「そんな事ないよ!」
そう言って、私は一旦席を立つ。
リビングの棚から皿を二つ持って戻ってきて、早速紙袋から皿に移してみた。
可愛い。
とっても可愛いぞ。
「これって、美味しい?」
「あぁ。味はウィンチェスター公爵令嬢の折り紙付きだ」
そのウィンチェスター公爵令嬢が誰かは知らないけど、彼の口ぶり的に多分「この人が美味しいと言ったものに外れはない」みたいな感じなのだろう。
「可愛くて美味しいなんて、最高じゃん! ありがとう、ウェイン!」
満面の笑みでお礼を言うと、ウェインはフッと笑みを溢した。
「そうしていると、本当に十代に見えるぞ」
「褒め言葉かどうかは微妙なところだけど、そうだと思って受け取っておく」
軽くそう答えると膝の上で、ビーノが「ミィ?」を鳴きながら、私を見上げてきたのだった。
第二章第一節、完結です。
第二節以降もあるのですが、キリがいいのと諸般の事情でカクヨムからの転載更新は8月後半予定です。
続きも読んでくださる方は、しおりはそのままでお待ちください!