11 畳は語る
先生があらかじめ電話をしておいてくれたので、小森さんは私たちを快く迎え入れてくれた。
小森さんの家に行く前に、輝子先生は事件のあった交差点の真ん中で足を止めた。
「見えますか? 窓。」
輝子先生が指差したのは、小森さんの家の2階の窓だ。
「見えますね。」
と尾和利さん。
「あれは、妹の由宇さんの部屋の窓です。侑さんの部屋はその左側になります。」
そう言って先生は交差点の南の端まで歩いていった。3人も後に続く。
「ここまで来ると、窓は半分見えますねぇ。」
侑さんの部屋の窓は、半分は西側の旧工場の壁に隠れてそれ以上は見えなかった。
「これだけ見ると、あそこから被害女性が通るのを眺めていたように見えます。さて——。では中にお邪魔してみましょうか。」
侑さんの部屋は、家宅捜索された時のままになっていた。
机も家具も乱暴に動かされ、斜めになって部屋の中央に引き出されている。タンスの引き出しは抜かれたままになっていた。
家具の裏側まで、徹底的に調べていったようだ。
「妻は・・・何も・・・手を付ける気力も起きないようでして・・・。」
そう言って、ご主人の桐郎さんは蜂辺刑事を睨んだ。
蜂辺刑事は警察の威厳を保とうとしてなのか、無表情だ。そのまま窓際に行って、ガラス越しに交差点の方を眺める。
「見えますかぁ?」
輝子先生が訊くと蜂辺刑事は気難しい顔をしたまま、ぼそりと言った。
「見えますな。」
「それじゃあ、床を見てください。」
「?」
「畳に跡がありますでしょう? 日焼けしていない・・・。」
畳を見ると、確かに四角く日焼けしていない跡があった。
「わたしが来た時には、そこにタンスがあったんですの。日焼けしていないということは、ずっとそこにあったんですわぁ。」
「そして・・・」
と輝子先生は今度は部屋の中央に引きずり出されたタンスの側面を指差した。
「ここは逆に日焼けして色が褪せてます。」
ほんとだ。確かにこれは、畳の日焼け跡どおり、このタンスが窓際いっぱいの場所に長い間置いてあったことを示している。
蜂辺刑事は何事かを察したらしく、スマホで写真を撮り始めた。
「それでは、このタンスを元あった場所に戻してみましょう。」
蜂辺刑事と尾和利さんで、うんしょうんしょ、とタンスを移動して、畳の日焼け跡の位置に戻した。
「見えますかぁ?」
と輝子先生が言う。
蜂辺刑事はタンスギリギリまで体を寄せて、窓ガラスに顔をくっつけるようにして
「あ・・・。」
と言った。
尾和利さんも同じようにして
「そういうことか!」
と言った。
「輪兎ちゃんもやってみてごらんなさぁい?」
わたしも真似をしてみて、先生が言っていることが分かった。
この状態だと、工場の壁と南の角の家の壁に隠されて、交差点はわずかしか見えないのだ。
先生はポケットから鮮やかなグリーンのハンカチを取り出して、わたしに渡した。
「実験してみましょう。輪兎ちゃん、これを体のどこかに付けて、あの交差点を北から南に歩いてみてくれる? 被害女性と同じように。」
「どうしてそれを知ってるんですか・」
蜂辺刑事がまた驚いた表情をした。
「あらぁ。南から北だったら、犯人と正面から鉢合わせじゃないですか。いくらなんでも、スタンガンを隠し持った雰囲気の怪しい男が正面から来たら避けますわよぉ。十字路なんですから、右でも左でも。」
先生は、ほにゃ、と笑う。
「犯人は後ろから近づいたに決まってますわぁ。スタンガンが当てられる距離まで。」
わたしは先生に言われた通り、交差点を北から南、南から北、と行き来していただけなので、ここからの部屋の中でのことは尾和利さんの話をそのまま記述することにする。
そりゃ、全然見えるわけないですよ。交差点が見えてる範囲なんて僅かなものなんで、人が通るのなんか一瞬しか見えないんです。
ハンカチがどこに付いてるかどころか、下手すりゃ、通ってるのが男性か女性かだって。ましてや、魅力的かどうかなんて・・・。あ、いや、工藤さんが魅力的じゃないなんて言ってるわけじゃないですよ!
蜂辺さんは、窓ガラスにくっ付けるみたいにしてスマホで動画撮ってましたよ。(笑)
窓開けて乗り出せば、そりゃ見えますけど。そんなこと毎日やってたら、近所の人だって気づきますよね?
御堂寺先生はこう言いましたよ。
「これで、侑さんの『自供』は警察に誘導された『嘘』だ、と証明されましたよねぇえ?」
= エピローグ =
侑さんは翌日には帰ってきた。ゲーム機と一緒に。家宅捜索で押収されたその他のものは、もう少し後に届けられるらしい。
侑さんは、生活安全課の尾和利さんが車で家まで送ってきたということだった。
後に尾和利さんから聞いた話では、蜂辺刑事が部長にスマホで撮った動画を突きつけていた頃、病院では被害者の女性の意識が戻り、真犯人について話したということだった。
以前からつきまとっていたストーカーの男で、痩せ型で顎髭があるということだった。侑さんは運動不足もあってややメタボってるから完全にシロだ。ということになった。
女性が最近相談しなくなっていたのは、「警察は役に立たない」からだそうだ。
「私が来る前の相談だったようですけど、一度過去の相談案件についても調べ直してみます。そんなこと言われては、とても市民の味方なんて言えない。」
尾和利さんはそんなふうに言っていた。
侑さんがゲーム機と一緒に帰ってきたのは、ゲーム機を返さないならマスコミにこれから全部ぶちまけてやる、と侑さん自身が凄んだかららしい。
「凄んだといっても、うつむき加減に、ぼそっ、と言っただけですけどね。部長も佐藤のやつも青くなってましたよ。いや、痛快です。蜂辺さんも懸命に笑いを噛み殺してましたよ。」
しばらくして、わたしたちはまた小森さんのお宅に伺うことになった。
「やったねぇ、輪兎ちゃん。お仕事、戻ってきたよぉ。」
わたしたちが居間のテーブルで、リフォームの基本打ち合わせを始めていると、驚いたことに侑さんが2階から下りてきた。
侑さんは輝子先生とちらとだけ視線を合わせると、すぐに伏し目がちになって、ぺこっと小さくお辞儀した。
「大変だったわねぇ。」
輝子先生がそんなふうに声をかけると、侑さんは視線は逸らしたままで
「そうでもない。」
と言った。
「警察は、バカばっかりだった。確率と可能性を計算すれば分かることなのに。」
「そうよねぇ。」
輝子先生も、ほにゃ、と笑う。
「ぼくの部屋は畳のままにしてほしい。」
下りてきた理由は、それを伝えるためだったようだ。
「うん。表替えだけにするわぁ。藺草すり切れてるとこあるから。」
侑さんは口の端だけを軽く上げて、満足そうな表情を見せた。
* * *
事務所(自宅?)に帰ると、先生はわたしを2階に誘った。
「寒いから、暖炉焚きながら今日の打ち合わせの整理しましょう。」
風に乗ってか、商店街のクリスマスソングがかすかに聞こえてくる。
輝子先生は、ほんのわずかの芝草と木端から実に上手に薪に火をつけていった。
薪に上手く火がついた頃、打ち合わせメモと描きなぐったスケッチを床に並べてから、ふと思いついたように先生が言った。
「発達障害とか自閉症とかいっても、視点を変えれば一種の才能なのよぉ。今度の騒ぎは、あの子にとってはプラスに働いたみたいねぇ。」
「自分で下りてきて要望を言った時には、正直びっくりしました。」
「侑さんは間違いなく、ある種の才能の持ち主よぉ。まだその顕し場所を見つけられてないだけで——。最初にゲーム画面見た時にそう思ったの。」
輝子先生は暖炉の火を見ながら、そんなふうに言う。
「あの子、たぶん、ただゲームをやってるんじゃなくて、コンピュータの中のランダム係数と確率の推論で勝負してるんじゃないかしら。わたしには、そんなふうに見えたわぁ。」
なんですか、それ?
ゲームそのものではなく、ソフトの中のプログラムと勝負?
「そういうことに強い興味があって、それ以外はたぶん侑さんにとっては瑣末事なのかもしれないわねぇえ。人の才能は、突出したものがある人ほどデコボコだわぁ。」
先生は少し火の勢いが衰えてきた薪を、火かき棒で少しだけ動かした。
すると暖炉の火は、また勢いを得て燃え始める。
「才能は、場所を得れば火がつくものよぉ。いちばんいい場所に置いてあげられれば、力を発揮するものなの。この薪と同じように——。」
そう言って輝子先生は、また、ほにゃ、と笑う。
「建築空間がわずかでもその足しになれたら、幸せよねぇ。」
了
いかがでしたでしょうか。
楽しんでいただけましたでしょうか。
今後、小森侑を探偵チームに加えたお話を書いてみたいと思っています。
思ってはいますが・・・、まだ何にもネタ思いつきません。(^^;)
第4話。。。 いつか、そのうち・・・。