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化粧師  作者:
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第五話 笑うしゃれこうべ 十二

  十一


 嫉妬に狂った女が巻き起こしたゾンビ事件から、約半月。事後処理に追われていたからどのように落ち着けたのか国定は知らないが、死体略取事件も連続変死事件も、報道されるどころか風の噂に聞くことさえなくなった。

 大方、上の人間がもみ消してしまったのだろう。犠牲者も相当数出たというのに、全く金の力とは偉大なものだと国定は些か閉口したが、金に関しては自分が言えた事ではない。それが物事を円滑に進めてくれるという事実、それだけは確かなのだ。

 現に、もう人々の頭の中には、不況という現実問題しかない筈だ。どんなに世を賑わせた事件でも、適当に理由をつけて解決させてしまえば、後は時間と金がどうにでもしてくれる。意図的に大衆の意識を逸らしたマスコミの存在が、今は有り難いと感じる。

 思えばくだらない事件だった。なまじ犯人に力があったばかりに被害は大きかったが、犯行に至った動機はあまりにもばかばかしいものだ。と、国定は思っている。彼に女心は分からない。

 反面、その動機はある意味人間らしいのだろうとも、彼は考えている。あの女が嫌いだから嫌がらせをしてやろう。端的に言えばそういった理由なのだろう。殺したくなったから殺した、などという理に反した狂気的な動機より、遥かに人間らしい。好きだから殺したなどと倒錯的な感情を動機として供述されるより、遥かに納得の行く理由だ。

 納得の行く理由であるからと言って、許せるような事ではなかったのも確かである。例えば殺人を犯した人間に、親を殺した人物に復讐した、と言われたなら納得も出来るし、国定は同情するだろう。少しでも罪が軽くなればいいと、祈る事さえするかも知れない。

 ましてやそれは本当に罪なのかと、悩んでしまう可能性すらある。納得出来るという点では同じだが、それらは全く別の問題なのだ。納得出来る理由だけれど、同情には値しない。そんな動機だったから国定は、ばかばかしい、と呆れにも似た感情を抱いた。

 あの一件以来、九重には会っていない。楡に聞く限りでは元気であるそうだが、国定は、彼があの後どうしているのか些か気になっていた。


 見慣れた九重家の玄関には、家人のものではなさそうな靴が何足か、乱雑に散らばっていた。国定は僅かに眉を顰める。玄関の様子を見る限り、既に何人か来客があるのだろう。

 国定の表情を見て、出迎えた紗代子が苦笑した。

「皆さん、お揃いですよ」

「どの辺りの皆さんですか」

 靴を脱いで几帳面に揃えながら、国定はそう問い返した。紗代子の表情は窺えないが、恐らく苦い表情をしているのだろうと考える。

「あ、国さんだ」

「やだあユキちゃん。またエスケープ?」

 廊下に落としていた視線を上げると、前を行く紗代子の向こうで、楡と美佐子が居間から身を乗り出しているのが見えた。流石に美佐子はソファにいるが、楡は相変わらず床へ直接座り込んでいる。

「失敬だな。今日は早番だったんだ」

 国定は更に嫌そうな顔をしてダイニングへ入り、空いた席に着いた。はす向かいは、国定に輪をかけて不機嫌そうな面持ちの男である。苛立ったようなその表情に、国定は笑った。

「君もくたばり損ねたな」

「俺みてえのと杉里さんみてえなのは、しぶとく生き残んだよ」

 突然振られた杉里は、苦笑いを浮かべて頭を掻いた。墓場で大虐殺を繰り広げた翌日、杉里は筋肉痛でぐったりしていたと国定は沼津から聞いていたのだが、流石にもう元気そうだ。

「いやあ、全くその通りです」

 杉里が頷くとほぼ同時に、台所から出て来た紗代子が、国定の前にカップを置いた。コーヒーの香ばしい香りが、ふわりと鼻を擽る。もうすっかり見慣れた光景だ。

「すいません」

「いいえ。ありがとうございますね。気にしてもらって」

 ばれている。国定は顔が一瞬にして熱くなるのを自覚した。傍目に見て顔色の違いはないから、本人にとってはそれだけが救いだ。

「いや、……その」

「心配するのは悪い事じゃないわよ」

 声のした方を、全員が一斉に見た。リビングから続く和室。儚げな天使の微笑が、そこにあった。見てから国定は、見なければ良かったと思う。

「ごきげんよう」

 いつの間に入ってきたのか、椿は挨拶の言葉を述べてからリビングへ入り、美佐子の隣に腰を下ろす。

「お義母さん、いい加減玄関から入って下さいよ」

「あら、ごめんなさい」

 そういう問題ではないだろうと国定は思ったが、敢えて突っ込む事はしなかった。何故か場に馴染んでいる椿に対しても。

「椿ちゃんさあ、なんで電話出てくんないの?」

 楡が不満げな声を上げると、椿が露骨に嫌な顔をする。

「あなたしつこいのよ。そんなに暇なの?」

「あんたまだモーションかけてたの? やめなさいよ仮にも友達の母親なんだから」

「宗ちゃん、いくらあんな人だからって、それはちょっと……」

 国定と杉里は、目を丸くして顔を見合わせた。女性陣の袋叩きに遭った楡は、うう、と呻いて小さくなる。煙草を銜えた九重が、喉の奥で笑った。国定には、九重にとっては笑い事ではないような気もする。

「宗にも春が来たな」

「もう夏じゃないサ。頭ン中は年中春よこの子は」

 美佐子は細身のジーンズを穿いたすらりと長い足を伸ばし、弟の頭を爪先で小突いた。足癖が悪い。

「うるさいなあ」

「……まあ楡君の事は置いておいて。椿さん」

 椿はソファから身を乗り出して杉里を見上げた。

「あなたどうして、あんなに恨まれていたんです?」

「嫉妬よ嫉妬」

 大きな猫目が伏せた瞼に隠れ、呆れたような表情を作る。

「普通は不死でも老化するから。ある程度まで行くと止まるけどね。ほら、あたし可愛いから。それだけで羨ましがられちゃうの」

「その性格じゃ嫌われるだろうな」

 呟いた国定に、椿の鋭い視線が向く。一方杉里は、椿の台詞の後半部分を完全に無視した。

「どうしてあなたは歳をとらないんです?」

「それは企業秘密」

 灰皿へ煙草を押し付けた九重は、忙しなく次の一本に火を点ける。彼がどんな心境でいるのか、国定には読めない。何とも思っていないのかも知れないが。

「一番でありたいのよ。特にあたし達みたいなのはね。その為なら、なんだってする。国一つ滅ぼすぐらい、ワケないもの」

「自己中心的ですねえ」

「ばかみたいにプライドが高いのよ」

 杉里は本日何度目かの苦笑いを浮かべた。

「あたし思うのよ。そうして頑張って一番になって、それからどうしたいのかしらって。誰かを羨んで嫉妬して憎んで蹴落として、その為に働く悪事を楽しんでるのに。悪い事してる時って楽しいのよ。自分がなんでも出来るような気になってくるの。楽しいのは、その時だけよ」

 九重は紫煙を吐き出しながら、徐に口を開く。

「だから、アイツはアンタに喧嘩売ったんだな」

「少なくとも、あたしは彼女より上だものね」

 椿は頷いた。国定はどきりとする。

 本質は違えど、同じ事だ。国定には椿を知る前は、落首花を追う事を楽しんでいた節がある。得体の知れないものを、手探りで追い掛ける事。それによってどうなりたいと思っていたのか。

 恐らく、笛吹とそう変わらない。あちらは単純に、落首花を越えたかったのだろう。国定は、落首花を追う事で父を越えたかった。その正体を暴く事が、父に認めてもらう為の唯一の術だと思っていた。だから彼は、彼女が真の意味での悪人ではないと、気づいてしまう事を恐れていた。真の悪人でないなら、国定は彼女を追う事が出来なくなる。現に椿は、殺す為に人を殺していた訳ではなかった。警察側に手を貸す事さえして、息子を護ろうとした。

 今までずっと、考えないようにしていた。自分の本当のコンプレックスは、自分でも見たくないものなのだ。その為に死体観察という趣味を、警官になった理由としていた。

 けれど本当は、父と同じ土俵に立って、父に己を認めさせたかった。そんな子供染みた事が本当の理由であるなどと、考えたくなかった。だから、死体を見たいという倒錯した感情を理由にしていた。落首花を追う事を楽しいと思い、父の代わりに彼女を追う事、それを言い訳のように使っていたのもまた、事実だ。

 何が違うのだろうか。自分より上の立場の者を越えたいが為に、誰かを追う。その行為自体に違いはない。自分も一歩間違えば、犯罪者と変わらぬものと成り下がってしまうのではないか。

「国定さん」

 俯いたまま考え込んでいた国定は、唐突に名前を呼ばれて、弾かれたように顔を上げた。困ったような微笑を浮かべた紗代子が視界に入る。

「杞憂です」

 この女は人の心を読めるのだろうか。国定は彼女を恐ろしいとも思う。

「……す」

「もー、皆なんでそう深く考えちゃうのよ」

 謝罪の意を述べかけた国定を遮って、美佐子が唐突に声を上げた。国定は驚いて彼女を見る。

「いいじゃないサ別に。悪い奴は死んだし、よっちゃんは無事だし。ぱーっと飲みに行きましょ」

 美佐子の能天気なまでに明るい声は、どことなく沈んだ場の空気を払拭するに充分だった。或いはそれは、考え込む国定を心配するが故の発言だったのかも知れない。どちらにせよ、女の勘とは凄いものだと国定は思う。

「いいんじゃねえか、久々に。国定の奢りで」

「また僕かよ。割り勘だろ普通」

 九重の発言に反論はしたが、何故だか悪い気はしなかった。国定は足元に置いてあった鞄を拾い、椅子から立ち上がる。

「その前にあなたは着替えてね」

 席を立ちながら、紗代子が言った。だらしない部屋着姿の九重は渋い顔をしたが、美佐子が快活に笑う。

「車で待ってるからね。ほら皆、行くわよ」

 美佐子がテーブルに置かれていたカップを持ってソファを離れると、楡も膝を崩して立ち上がる。杉里は美佐子の言葉に急かされ、慌てて椅子を引いた。

「椿ちゃんも来る?」

 一人ソファに座ったままの椿は、問い掛けた美佐子に、左右に首を振って見せた。

「遠慮しておくわ。飲めないし」

「ええ……」

 不満そうな声を上げた弟を、美佐子は横目で睨む。国定は肩を竦めた楡を見て、声を上げて笑った。


「あなた、彼に言ってないのね」

 椿以外の全員が出て行ってから、九重はようやく席を立つ。そして母からの問い掛けに返す言葉に一瞬、迷った。

「あなた知ってるんでしょう。自分を殺した人間が誰なのか」

 迷っている内に、椿は更に続ける。吸い込まれそうな程の深遠を湛える漆黒の目が、真っ直ぐに彼を見つめていた。九重は鼻で笑って、ダイニングテーブルに凭れる。

 九重は己を撃った警官の顔を、今でもしっかりと覚えている。何しろ最期に見た人間の顔だ。記憶している事を疑問に思った事はない。寧ろ、覚えていて当然だろう。

「言ってどうする? 親父が死んだ責任でも取らせるか?」

「貸しにすると思ってたわ」

 悪戯を企む子供のような笑みから、九重は目を逸らした。

 今でも稀に、夢に見る。青白い顔。狐のような目。薄い唇。己を撃った瞬間、恐怖に歪んだあの表情。おかしなものだ。撃たれた方は恐怖すら感じる間もなく、意識が遠退いて行ってしまったというのに、撃った方はあんなにも怯えていた。

 ざまあみろ、と、五年前までは、思っていた。覚えていなければ良かったと、今は思う。

「貸し借りも何も、アンタだってアイツとは関係ねえ事ぐらい分かってんだろ」

「ちょっとは気にしてるんじゃないかと思ってたの」

 流石は母親と言うべきか、慧眼である。気にしていないと言えば嘘になるが、九重は思い悩む事を嫌う。だから出来る限り、事実から目を背けていた。

 恨んではいない。あの警官を恨んでも父は戻って来ないし、九重自身も、元の体には戻れない。ただ少しだけ、気まずいような気はしている。

「……アンタが恨んでんじゃねえのか」

 椿の表情が、一瞬消えた。作り物のような無表情は、やがて再び薄い笑みへと変化する。

「恨んでたら、生かしちゃおかないわよ」

「案外穏やかなんだな」

「どうして?」

「逆かと思ってたぜ」

 九重は口元に薄らと笑みを浮かべた。椿は笑う。

「罪のない子供を射殺した警官が良心の呵責に苛まれる姿を見て、あたしが楽しんでたとでも? 更に苦しめてやろうと、その息子に接触したって、そう思った?」

「性悪女」

 椿は鈴を転がすように、ころころと笑った。

「運命の悪戯って、怖いものね」

 子供時分の九重に発砲し、彼の父を間接的に殺したのは、まだ血気盛んな頃の国定の父親だった。あの男が今では警視監となっている所を見る限り、誤射事件は警察内部で秘密裏に処理されたのだろう。その辺りの詳しい内情は九重も知らないし、興味もないから調べてはいない。今は命があり、それなりに幸せだからどうでもいいのだと、九重は思っている。だから敢えて国定に事実を伝える気も、彼にはない。

 椿はソファから立ち上がって、改めて九重を見上げた。九重に、母の真意は読めない。しかし本当に恨んでいるならば、この女は下手人を知ったその時点で殺していたのだろうとも思う。

「あの子はいい子ね」

「どっちが?」

「どっちもよ。大事にしなさい」

 それだけ言って、椿は廊下へと向かう。玄関から出入りしろと言われたのを、律儀に気にしているのだろう。

「お袋」

 椿の肩が震えた。

「また来いよ」

 九重自身、何故そんな事を言ったのか分からなかった。だが、母の背中が寂しげに見えた事だけは確かだ。

 ゆっくりと、椿は肩越しに振り返る。驚いたような表情は暫く息子と見つめ合った後、緩んで行った。

「今度は、玄関から来るわ」

 今にも泣き出しそうな笑顔で、椿はそう答えた。九重は満足げに笑って、和室へと入って行った。

チープに始まりチープに終わってしまいました。

感想、指摘、お叱り、ありましたらなんでも頂けると幸いに存じます。

正座して拝聴いたします。


ここまで読んで下さった方々、誠にありがとうございました。

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