59,ブラックホール・ビヨンド《前編》
『きゅーまーまーまー……』
ゆっくりと、巨大な亜熊のこれまた巨大な腕が振り上げられる。
亜熊のつぶら瞳が真っ直ぐ見据えているのは、皿助達がいる一帯。
ならば当然、その振り上げられた腕が下ろされる先は……
「不味い……全員、散開ッ!!」
『まァ!!』
亜熊は、ただ腕を振り下ろしただけ。
まぁ、それでも、その巨大さ・質量から当然、威力がとてつもない事は確かに想定できた。
しかし、その威力は「それにしてもだろう!?」と皿助が叫ぶ程だった。
まるで隕石の来訪だ。
地面を抉る、なんてもんじゃない。地殻をごっそり剥がしに来ている。
土くれの飛沫が、夜空の月に届きそうな程の柱となって舞い上がる。
衝撃が暴風になり、遥か上空を漂っていた雲さえもぐちゃ混ぜにして、四散させる。
地形が変わる。空模様までも変える。
たった一発の振り下ろしが、世界を削り取る。
「ぅ、うおおぉおおおおおおああああああああああああ!?」
亜熊の攻撃自体は躱した皿助。しかし、土砂に草葉、川の水までも巻き込んだ突風が襲いかかってきた。
皿助は踏ん張ろうとしたが、ダメだった。その踏ん張ろうとした足元の土台も丸ごと吹き飛ばされてしまった。
◆
時間で言えば、ほんの一刹那。
皿助は意識を失ってしまっていた。
再覚醒した皿助はすぐに現状を確認。
暗い、重い、土臭い!! OK把握、俺は今、土砂に埋まってる!!
即座に理解し、皿助は最適な行動を判断、実行に移す。
「はァァ!!」
全力で立ち上がり、自分に覆いかぶさっていた土砂を吹き飛ばす。
「……!」
――変わり果てた河川敷の光景に、皿助は絶句。
雑草に覆われていた川原の面影は微塵もなく。まるで耕したての畑だ。土手も消滅し、見渡す限りの平地……広大な伏熊川周辺河川敷が一帯まとめて、地表を引っペがされてシェイクされてしまったのだ。
亜熊の打撃が直撃した地点に至っては、底が見えない程の穴が空き、川の水が一部そちらへ滝の如き溢れ落ちてしまっている。
「たったの一撃で……ここまでか……!!」
肝心の亜熊はと言うと……皿助に背を向けて、川の流れに逆らう様に上流の方へとのんびりと、歩き始めていた。
先程の一撃で、皿助達を壊滅させたつもりなのだろう。
実際は皿助は生存しているし、他の皆の波動も感じる。全員生きているのだが……次元が違い過ぎるのとあの亜熊の性格故だろう、気付いてはいない様子だ。
「ッ……ぶは! くそ……デタラメが過ぎる!!」
「! ハイド博士!!」
皿助の傍ら、土砂を吹き飛ばして、ハイド博士が這い出して来た。
それに呼応する様に、あちこちで土がモコモコと動き始める。
「ひぃん……ここに来る前に一回お風呂入ってきたのに泥でぐちゃぐちゃですよう……」
「……酷い目に遭ったクマ……」
「クマリエス様! ご無事ですガミか!?」
「うべぇ……モロで土食っちゃったッス……」
「……俺もダ……」
全員の生存は波動で把握していたが、どうやら大した怪我も無い様だ。
あの亜熊、相当大雑把に狙ったと見える。
まぁ、あの威力だ。適当撃ちでも一掃できる自信があったのだろう。皿助達は運が良かっただけだ。
「全員無事か……良かった……が、安堵している暇は無いな……!」
亜熊は上流に向かっている。
おそらく、何の目的も無く、ただ無軌道に移動しているだけだろう。
「……移動してくれている……のは、有り難いが、ダメだな。あの移動速度では、タイムリミットまでにこの異常空間圏内から抜けてくれる事は期待できない……」
「万が一タイムリミットまでに抜けてくれる速度だったとしても、放置はできない」
亜熊の移動は無軌道、となれば、気まぐれで町の方に出てしまう可能性もある……!
「どうにかして、斃す以外に選択肢は無いって事ガミが……」
「…………ッ…………」
唯一の対抗手段に思われたDAIカッパー4を以てしても、亜熊は仕留めきれなかった。
そして、またDAIカッパー4に賭けようにも、DAIカッパーの起動メダルが壊れてしまったので再使用不可。
「何か打つ手は……!」
「……あるさ」
「!! 本当か!? ハイド博士!」
「ああ……こいつを使う」
そう言って、ハイド博士が取り出したのは桜色の指輪。
それはハイド博士が用いた機動兵器、テンセイオーの起動トリガー。
「テンセイオーのあの特殊な空間に誘い込むのか?」
「無駄だ。あれは精神を肉体から切り離しているに過ぎないからな。実体には欠片も影響しない。君がよく知っているだろう。まぁ、そもそも高次元生命体に通じるとも思えないが……もし仮に通じたとしても、特異的思念流積空間で殺せるのは精神だけ。精神的死はいずれ肉体の死を誘発するが……時間がかかり過ぎる」
「では一体、どうすると?」
「特異的思念流積空間への誘引は、あくまでテンセイオーの機能を応用した【技】に過ぎない。テンセイオーの本領的【機能】は、高度な時空・次元制御にある」
確かに、現実の時間・空間・次元から隔絶された特殊空間を作れる様な機体だ。
その時空・次元制御性能の高さは、とてつもないものだろう事は素人の皿助もなんとなくわかる。
「テンセイオーを使い、低次元と高次元の狭間の次元……【亜次元】から膨大なエネルギーを抽出する」
「! そうか、そのエネルギーをぶつけるんだな!?」
「いいや、それも無駄だ。先程のを見ただろう。光の原子に打ち砕いても再生する相手に、どんな大量のエネルギーをただぶつけて破壊しても、再生されるだけだ」
「ならば、どうすると……?」
「簡単な話だ。【光の原子すら磨り潰してしまう様な空間】に、奴を放り込めば良い。……聞いた事はないか、【ブラックホール】と言う奴を」
「!」
聞いた事がある、どころか、超絶タイムリー!!
何せ、皿助は今朝、教科書を熟読中にブラックホールについての記述を読み、色々と馬鹿な事を考えてマカにたしなめられたばかりだ!!
「ブラックホール……一筋の光すらも捕らえ、引きずり込み、消滅させる特異空間か……!」
確かに、それならば光の原子以下の状態へと亜熊を打ち砕けるかも知れない。
「テンセイオーで抽出した亜次元エネルギーを、テンセイオーの内部で超圧縮する。理論上、暴走限界まで抽出力を高めればブラックホールを作成可能な特異点を生み出せるはずだ」
「……待て。それは……」
皿助は今朝、マカに呆れられたばかりだ。
もしダイカッパーを起点にブラックホールを作れば、間違い無くダイカッパーもろともお前は自壊消滅を起こして死ぬ、と。
ハイド博士の場合、ダイカッパーをテンセイオーに置き換えるだけだ。
「死ぬつもりか!? ふざけるな、お前の笑顔を待っている人が少なくとも一人いると言ったはず……」
「覚えておけクソガキ。大人は責任を取らなければならない」
「!」
「亜熊を呼び起こしたのは、論理的に考えて私だ。ならばその始末を付けるにあたり、私が出し惜しみをする事は許されない」
「まさか……さっきのは、そう言う事か……!」
先程、ハイド博士は皿助に言った「もし無理だと思ったら他の連中を全員連れて、君達は退避しろ」と。
冷静に含まれた意味を考えてみれば、自身の生存を勘定に入れていない発言だ。
最初から、最終手段として考えていたのだ。
自分がブラックホールになると言う選択肢を。
「……尚の事、ふざけるな……!」
「何……?」
「お前、隠す事もできずに怯えていただろう……!」
件の発言をした時、ハイド博士は微妙な笑みを浮かべていたのを皿助はしっかりと覚えている。
何かを決意した様子だが、同時に何かをとても恐れ、その恐怖を誤魔化そうと下手くそな不敵笑いを浮かべている阿呆の様だった。
そりゃあ、例えどれだけ心が強くとも、表面上すら取り繕えるはずがない。ハイド博士がやろうとしている事は……
「お前のそれは生命を賭けた作戦ではない、確実に生命を捨てる作戦だ。作戦の成否に関わらずお前は死ぬ。お前はただ、生存する希望の余地が無い、完全な絶望の中で抗う術もなく死ぬ事になるんだぞ」
人が死の恐怖を誤魔化せるのは、一筋でも生存に繋がる希望がある時だけだ。
その希望だけを見て一心不乱に走る事で初めて、死の恐怖から目を背ける事ができる。
ハイド博士がしようとしている事には、その希望が一縷も無い。彼はただ、恐怖にまみれて死ににいくだけだ。
「責任を取ると言った」
「楽をしようとするなと言っているッ!! お前が取るべき責任は他にもあるだろうが! 死ぬならばせめて、全て果たしてからにしろ!!」
「……子供らしく無茶苦茶を言うな。このままいけば、どの道、全員で死ぬんだぞ」
「ならば大人らしくもっと頭を使え。子供を納得させるのも大人の責務だろう……!」
わかっている。自身に道理が無い事は、皿助が一番よくわかっている。だが、認める訳にはいかない。
格好付けて死にに行こうとしている大人を引き止めるのも、子供の責務。
しかし実際問題、どうすべきか。
このまま代案が出なければ、ハイド博士は作戦を強行するだろう。
恐怖に怯えながら、その生命を捨てに行くだろう。
責任を取る、などとうそぶきながら、ハイド博士は死ぬ。
それで多くの人は救われるかも知れない。
だが、どうしようもなく救われなくなる人もいる。
アッちゃんとやら、鳴子、そしてハイド博士自身。
何か、方法は無いのか。
ハイド博士を身代わりに捧げる様な方法ではなく、何かもっと――
「……身代わり……?」
「……? どうした、美川皿助」
皿助の脳裏を迸る、とあるアイデア。
「……いける、かも知れない」
「ベーキチ? 何か妙案を思いついたクマ?」
「ああ」
賭けではある。
そう、賭けになる。
生きるか死ぬか、五分五分勝負。
つまり、自力で生を勝ち取れば大団円となる、そんな方法を、見つけた。
「俺自身が……ブラックホールになる事だ」
◆
平良清菜店。
何を隠そう、皿助の幼馴染・月匈音の両親が経営する八百屋さんである。
夜空で月が輝く頃合となり、月匈音が閉店作業を手伝っている時の事だった。
エプロンの胸ポケット、そう、彼女の絶壁を誇る平らな胸部にある胸ポケットの中で、スマートフォンが小粋なジャズロックを奏で始めた。
「皿助?」
これは皿助にのみ設定している着メロ。
月匈音はスマホを手に取ると画面を見るまでもなく、通話を開始。
「もしもし? どうしたのよ、急に」
『月匈音、すまない。急いでいるので端的で構わないか? 二件ほど用がある』
「別に構わないけど」
『まず、今度、八百屋のコネクションで良いバナナ酒を売っている店を紹介して欲しい。実は奥武守公園の猿の方々に詫びを入れなければならない事情があってな』
「…………ええ、了解。わかった」
……何でそんな事になってんのよ、とツッコミそうになったが、皿助は「急いでいる」と言った。
仔細は今度、暇な時にでも聞けば良い。正妻的気遣いである。
「で、あと一件は?」
『がんばれ、と言ってくれ』
「!」
皿助が、応援を求めて電話をかけてくる。
今まで、そんな事は一度も無かった。
「……どんだけ追い詰められてんのよ、あんたは……」
『……未熟ですまない……』
また、愉快な厄介事にでも首を突っ込んだか。
それも、今回はかつてない程、自ら月匈音の激励叱咤を求める程の窮地である、と。
差し詰め、九割九部九厘程度の確率で死に臨む賭けにでも出るつもりか……と月匈音は予想。
呆れ果てつつも、まぁそれも皿助か、と月匈音は微笑みと溜息。
「せいぜい、がんばんなさい。後で話を聞いて、その沙汰次第ではちゅーしてあげるわ」
月匈音自身「らしくないかな」とは思いつつ、マイクにちゅっとキスをして、愛すべき男を送り出した。
◆
「べ、べーちゃん? いきなりスマホを握り潰して、どうしちゃったんですか……!?」
「……ぃ……ぃゃ、す、すま、すまない……不意打ちを食らってしまってな……吃驚と言うか興奮したと言うか……」
粉々になったスマホをポケットに収めつつ、皿助は赤らんだ耳を重傷の如く手で庇っている。
一体電話口に何を言われたのか、と全員が若干首を傾げる中……
「と、とにかく、活力はもらった。勝利の女神の加護も得た。それも予想を遥かに越える次元で濃厚な奴を。もう負ける気がしない。どんな奇跡だって起こしてみせるとも」
「……本気で、先程説明した作戦を実行するつもりか? まさか成功するか失敗するかの五分五分勝負だなんて阿呆な事は言わないだろうな?」
「当然だ、ハイド博士」
皿助は未だに耳を庇いながら、不敵に笑う。
「五分五分勝負などではない。俺は必ず勝つぞ。勝ってみせるとも。ああ、絶対にな」
「……なんだか、瞳の色に煩悩が混ざっている様に見えるクマ」
「……ッ!! 気のせいと言う事にしてくれ」
クマリエスの凝視から目を背けながら、皿助は視線を晴華の方へ。
「と言う訳で晴華ちゃん、図々しいのは承知の上だが……また以前の様に、ダイカッパーを貸してはもらえないだろうか」
「はい! 勿論です!! ……でも、必ず返しに来てくださいね」
「……ああ」
晴華が言いたいのは、「ダイカッパーは大事な物だから壊すなよ」と言う意味では無いだろう。
絶対に生きて戻り、返しに来い。そう言ってくれているのだ。
その気持ちと共に、皿助はダイカッパーの平皿を受け取る。
「……本当に、構わないのか?」
問い掛けるのは、ハイド博士。
「くどいぞ、俺はお前の自殺を見届けるつもりは無い」
「君もほぼ同じ事をしようとしている自覚はあるのか?」
「ほう、大学教授に取ってはゼロとイチが大差無く見えるのか。理外の見地だな。いつか、詳しく講義をしてもらいたいものだ」
「…………私は今、君を止めるべき立場にある。しかし、『自分が死ななくて良いかも知れない』と言う感情から、それを躊躇っている。そんなクズのために、やるのか?」
「生憎、クズなら見捨てていい、と言うのは俺の正義ではない」
皿助が、平皿を天へと掲げる。
「俺はただすらに、自分が正しいと思った事を為すだけだ」
行こう、この世に無数に存在する正義。
そのひとつである、自分の正義を為し、そして成すために。
「機装纏鎧ッ……ダイ…カッパァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」




