54,エンカウント・エゴイズマン
ブチコロシィによる激しい掃射と、ブチコロシィを破壊するためにナイトバードが放った雷撃により、河川敷は荒野に等しい光景と成り果てていた。
「……私は、有裏存アムは、負けたのですね」
その真ん中に転がって力なく四肢を投げ出し、アムは静かに、満天の星空を瞳に映す。
「す、すみません……その……最後の一撃、噛み砕くだけでもトドメになったはずだのに、思いっきりダメ押しの雷撃まで……ぁうう……やり過ぎた……失敗してしまったッス……」
「喧嘩にやり過ぎがあっかヨ……ったく。本当にテメェはペコペコすんのが好きだナぁ……」
「…………謝るのであれば、こちらの方です。妙な事に巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした」
「! 意外だナ。恨み言は言わねぇのカ?」
「ええ、【私】は、そんな事は言いませんとも」
ダビデとの戦闘により、感情的な有裏存アムは未だ意識不明。今、主導権は理性的な彼女の元にある。
「……本当に変な奴だナ」
「あ、面と向かってそんな事を言っちゃ流石に失礼ッスよ!!」
「構いません。自負はあります。有裏存アムは、度し難く、狂っている。むしろ『変な奴』程度のマイルドな表現で済ませていただける事に感謝します」
「は、はぁ……」
「ところで、ひとつ、お願いがあるのですが、聞いていただけますか? おそらく利害は一致します」
「? んだヨ。前置きせずに言えヨ。よっぽどの事じゃあなきゃあ聞いてやル」
「う、うん。今朝、道を教えてもらった借りもあるッスからね」
「……そうですか……では、急いで美川皿助を追ってください」
「……? それは、一緒にハイドって野郎を止めろって事カ?」
「はい。可能であれば、燥軋教授があの殺尽機を起動する前に、止めてください」
「……皿助さんでも、勝目が無い様な兵器を所有している、と言う事ッスか?」
「その危惧もあります。ですが、もっと危惧すべき事があるのです」
「「はぁ?」」
ダビデとスーパー☆テイルは顔を見合わせて首を傾げる。
「……【エンドロスオーバーエンド】……アレはまだ、起動して良い段階の代物ではない。でも、きっと美川皿助と戦闘になれば、教授はアレを使うでしょう。今の教授には、クレバーな判断ができませんからね」
「エンドロス、オーバーエンド……?」
「ニュアンスとしては【永遠よりも持続する終焉】、と言った所ですね」
「名前の意味は不明だが、なんかすげぇヤバそうだナ」
「現段階のアレがもし、最大出力で稼働すれば――この世界に何が起こるか、開発に関わった私ですら、想定できません」
「!!」
だから、
「燥軋教授の狂行を、止めてください」
◆
ダビデが皿助を追って走り去ってから、アムはゆっくりと深呼吸。
全身に雷撃の痺れが未だに残っているため、動けない様だ。
だが、それで構わない、とアムは瞼を閉じた。
どうせ、今起き上がれた所で、自分に出来ることなど何もない。
そう、理性的に判断した。
「――これで、良い。これが、最善に決まっている。教授のやろうとしている事には、意味が無いのだから」
止めなければならない。絶対に。
理性的な彼女は、最初からずっと、そう思っている。
「…………美川皿助。貴方は鳴子に『皆が納得できる形で事を収める方法を探したい』と言ったそうですね」
声は届くはずもない。
でも、アムは皿助へ向け、その言葉を贈る。
「頑張ってください。貴方なら、彼の狂気を全て力尽くで打ち砕ける気がします」
ハイド博士が、正気に戻る事。
ザ・キルブリンガーズなんて組織が結成される前の状態に戻れば、きっと全てが元通りになる。
全部が、以前の様に、丸く収まってくれるはずだ。
何故なら、ザ・キルブリンガーズはまだ、誰も手にかけていないのだから。
ザ・キルブリンガーズ始動の初ターゲットが、クマリエスとガミジンだったのだ。
まだ、ザ・キルブリンガーズは「少々迷惑な騒ぎを起こした」程度の罪で済む。
今の段階で、ハイド博士さえ止める事ができれば。
……アムでは、ハイド博士の狂気を打ち砕く事は、目を覚まさせる事はできなかった。
でも、皿助ならきっとできるはずだとアムは考える。
確証は、無い。
ただ、ここまでの戦いを見ていて、アムは思った。
がむしゃらに突き進み、そのがむしゃらに突き進んできた結果に生まれた友に助けられながら、相も変わらずがむしゃらに進み続ける少年の姿に、そんな希望を見た。
彼になら、できない事なんて実際無いのではないだろうか。
そんな風に、確信してしまった。
「確証は無いのに確信している……ですか。やれやれ、私の方も、少々、有裏存アムに毒されている様ですね」
だが、悪い気分では無い。
すがれる希望がいると言うのは。
「……ああ、そうか。成程。理解しました。似ているんですね、彼は」
道理で、とアムは小さく笑った。確信の由来にも合点がいって、安心した様に、破顔した。
「昔の――私もヒデお兄ちゃんも大好きだった、憧れの【あの人】に」
◆
時間は少し遡り……まだギリギリ空に茜色の名残が残っている頃合。
「ついに辿り着いたぞ、恵朱市!!」
奥武守町と恵朱市の市町村境界線、それをぴったり跨いで、皿助が高らかに叫ぶ。
「そして、あそこにある宮殿の如くやたらに大きい建物が、県立美術館だ!!」
「本当に境の直上に建っているんガミね……って言うか、本当にデカ過ぎじゃね? ガミ」
「ここらの町の人間は巨人か何かなの? クマ」
皿助が指差した建造物を見て、ガミジンとクマリエスはやや呆れ気味。
それは、皿助の言葉通り、やたらに大きい建物。
宮殿の如くとは言ったが、流石に、イギリス・ロンドンに堂々そびえる【ヴァッキンガム宮殿】ほど豪壮ではなく。大きさがそれに匹敵すると言うだけで、外観は至って普通の公民館タイプの建物だ。
石畳の広場となっている入口前、即ちフロントスペースもとても広い。
色んな物資の搬入に便利な様に、と言う考えあっての事だろうが、おかげで巨大機動兵器がガチンコバトルしても大丈夫そうなくらいに広大だ。
時間帯も時間帯、夕飯時が近い事もあり人の気も無し!
もしここでハイド博士とバトる事になっても割とどうにかなるだろう!
そうならないのが理想ではあるが。
「あの建物の無数にある多目的ホールのひとつで期間限定の特別展示【エジプト展】が開催されている!! そしてそこに、俺達が会うべき相手、ハイド博士がいる!!」
「ん? 私に何か用か?」
「「「へ?」」」
突然聞こえた落ち着きのある声に、皿助達は揃って間抜け声を上げて振り返る。
「む……何だ。随分、驚いた様な顔で見てくれるな」
フロントスペースにポツポツと設置されている正方形の石椅子。声の主は、それに腰掛けて、白衣の胸ポケットから煙草を取り出そうとしている所だった。
「……今、なんと?」
「? 私のあだ名を挙げて、『会うべき相手』と言ったのは君の方だろう。私に何か用か?」
不思議そうな表情を浮かべる眼鏡の中年男性……顔立ちは整ったハンサムだが、薄ら無精髭が生えているし、髪は「とりーとめんと……? ああ、ハロウィンの?」とでも言いだしそうな程にボサボサ。
身に纏っている白衣は若干色がくすんでいて、内に来ているカッターシャツも襟がヨレヨレだしシワも目立つ。これまたシワのよったスラックスを履き、足元は一〇〇〇円以下で叩き売りされていそうなビーチサンダル。相当履き潰しているのか、底が磨り減ってぺらっぺらだ。
…………………………。
「あ、貴方が、ハイド博士……?」
「ああ、本名は燥軋秀照。満年齢は三五歳。実家は某技術の研究開発機関部門に置いて由緒正しき名家。私個人の肩書きは大学教授。名前のローマ字表記の読み方を変えて、親しい者には【ハイド】又は【ハイド博士】と呼ばれているよ」
「…………………………」
「おっと、余り近付くなよ少年。私はこれから喫煙をする。そのために一旦外に出たんだ。服装や顔つきを見るに君は未成年だろう。副流煙の悪影響は成人が受ける比ではあるまい」
よく見ると、ハイド博士を名乗った男が座る石椅子の周辺には地面に白線が引かれており、【喫煙スペース】と言う白文字も刻まれていた。
仕方無く、皿助は白線の外から会話を続ける。
「……貴方が、ハイド博士……」
「何だ、その妙な間は……あぁ、もしかして、アレかな。『教授って言う割には見窄らしいなー』的な、疑問か?」
「ぁ、その……失礼な事を考えてしまった。申し訳ありません……」
「構わないよ。この至極合理的な格好が世間様に余り理解されないのは、今に始まった事ではないからね」
咥えた煙草に慣れた手つきで火を灯し、ハイド博士は特に表情を変えず、まさしく「どうでもいい」と言った様子。
「他人の評価を気にしないタイプの人種と見たガミ」
「天才肌にありがちなタイプクマね。自分の世界で色々と完結していて、理屈を説明せずに結果を見せつけてくるから周りが混乱する奴クマ」
「まぁ、そうかも知れないな。天才かどうかは置いて、確かに、私は余り人の意見には左右されないタチだ。見解が一致すれば、その限りでもないがね。基本的には、私自身が正しいと思った事を為しているよ。例えば……考えてもみてくれ。私が純白の白衣や、パリッパリにアイロンがかけられたシャツや、小奇麗なスラックスなんかを身に纏い、底の減っていない革靴を履いた所で……世界にイノベーションは起きるのか? 服装に気を付けるべきは『身なりを整えないとまともに話を聞こうともしないなんて非効率極まる旧時代的価値観に拘泥する暗愚さを晒しながら、権力だけは得てしまったタチの悪いタヌキ共』の前で論文を発表してやる時だけで充分だ。――煙草についてもそう。確かに副流煙を撒き散らす行為はナンセンスではあるが、喫煙自体を否定するのもナンセンス極まる。これは【嗜好品】だ。嗜好品の消費は言わば小休止・つまり休息を兼ねた行動であり、休息と言うものは生き物が生きていく上で絶対に必要となるモノ。確かに、喫煙以外の趣味嗜好を探す事もできるだろう。しかし喫煙者と言うのはそれを承知の上で煙草を選んでいるのだよ。商品代と不当に高額な税金と健康寿命と言う対価を支払う価値があると判断した上で、喫煙を嗜んでいるんだ。きっちり、自分が支払っているモノと得られるモノを天秤にかけている。喫煙によって得られる至福は多少の金銭や寿命を支払ってでも私の人生には必要なのだよ。だのに何だ『早期に死ぬかも知れませんよ』? 上等だ。ナンセンスな連中が一〇〇年で積み上げるモノを、私は五〇年で積み越えてギャフンと言わせてくれる」
「筋金入りのご様子で」
「良い表現を知っているな、少年。ああ、無難な言語表現は合理的だ。非合理的な諍いを生まなくて済む。悪くないぞ。少年、名前は?」
「【美】しい【川】に【皿】の様な目をした【助】平と書いて、美川皿助と言います」
「…………!」
皿助の名を聞いて、ハイド博士はピクリと眉を跳ね上げた。
ゆっくり煙草を指で挟んで持ち上げ、視線をクマリエスとガミジンの方へ。
「ああ、成程。成程。確かに、そうか。ああ、合点がいった。そうだな。君達は、私に会わなければならない存在だ」
ハイド博士は胸ポケットから小さな円形の携帯灰皿を取り出し、そこに煙草を押し付けて消化。ゆっくりと立ち上がる。
「有裏存助教から、報告は受け取っている。ふむ、そうか。で、そこのよくよく見るとどう見ても人間じゃあない二名が、件の悪魔と悪馬か」
「今まで人間だと思って見てたガミか……?」
「余程親しい者でない限り、他者の形状には余り興味が無くてね。意識しないと、赤いギャ●ドスでも人と見間違える事さえある」
「どんな眼球しているクマ」
「その辺りの話題に私は興味が無い。なので話を本線に戻そう。さて、ここまで辿り着いたと言う事は、七殺衆は壊滅したか。流石【美川】本家の直系と言った所かな?」
ハイド博士は美川家傘下の燥軋家の直系。美川の事はよくご存知なのだろう。
七殺衆を突破してきた事に対して、余り驚いていない様子に見える。
「で、最後は私か。ふむ。私を殴り飛ばして、魔界穴にでも連行するかい?」
「いえ。それは有り得ません」
「……ほう?」
「俺達は、貴方と話し合いにきた」
今回の件は、できれば大事にすべきではない。
最初にクマリエス・ガミジンらと話し合って決めた事だ。
クマリエスは魔界の貴族令嬢。
それが人間界で暗殺されかけたとなれば、人間界と魔界とで大変な騒ぎになる事は避けられない。
魔界にいる人間との共存を拒む勢力が、これ好機と何をしでかすか。
「まずは、聞かせてください。貴方が、悪魔の駆逐に拘る理由を……!」
「……ふむ、そう言う事か。まぁ、確かに、ケースによっては非常に合理的な手ではあるが――おそらく、君と私に対しては、無駄。即ち非効率だぞ」
呆れた様に顎を撫でながら、ハイド博士は溜息。
「私はこれでも教鞭を取る分際でね。多くの学生と交流を持っている。なので君くらいの年代の子は、面構えを見れば大雑把な事はわかる。君は理屈よりも感情を優先するタイプでは?」
「その兆候は確かにあります。ですが、それでも、聞きたいんです」
正直、皿助だって、悪魔を駆逐しようなんて発想に至った経緯など、到底理解できるとは思っていない。
どんな美辞麗句を以て語られても、納得なんてできないのかも知れない。衝突は避けられないのかも知れないと、心の何処かでは予感している。
だがしかし、それでも、平和的解決の可能性を捨てる事はできない。
例えそれが非効率だとしても、その方が素敵だ。
皿助が戦うのは、それが今はどうしようもなく、最善であると判断した場合に限る。
今までもこれからも、それは変わらない。
「そうか……やれやれ……良いだろう。愚かな子供に真摯に向き合ってあげるのも、教え諭す者の義務。ひとまず、話すとしよう。こんな非効率、滅多にはしないぞ」
「ありがとうございます」
「……悪魔駆逐の発想に至った発端は、ある夏の事だよ。地球温暖化に心を傷めざるを得ない、猛暑の夏だ」
感傷に浸る様に、少し活気の欠如した声で、静かにハイド博士が語り始めた。
「私の姉が、二度とは帰らぬ存在となった」
「――!」
「私の人生において、おそらく未来永劫これ以上は無い……最悪の夏だ」
◆
燥軋サクラ、当時三四歳。独身。職業、技術開発を主旨とする某機密組織の中間管理職。
男性遍歴皆無。仕事に生きるクソが付く程……いや、最早クソまみれの生真面目キャリアウーマン。
これまでもこれからも、生殖活動なんぞには欠片の興味も示さない。
性的興奮を覚えるとすればナンセンスな程に複雑に絡みあった無数のコードや、緻密に細部まで拘って仕上げられた基盤を見た時。
そんな彼女の人生に、とてつもない転機が訪れる。
それは、ある夏の晩の事。
サクラは実家に呼び出しを受け、父に言われた。
――「燥軋家長女としての自覚を持ち、そろそろ婿の一人でも取れ。いや、取ってくださいお願いします。孫。マジ孫見たさある」と。
まぁ、ぶっちゃけサクラはそれを華麗に聞き流した。
ほんのり抱いた感想としては「弟に適当な女でもあてがえば良いじゃん」。
「全く、いくら敬愛すべき父が相手だったとは言え、時間を無駄にさせられた感は否めんな」
交際だの結婚だの、そんな事よりも、今進めているプロジェクトの方が……
その時、運命の悪戯か。
サクラに向かって猪突猛進するひとつの影がッ!!
それはまさしく猪! それもただの猪ではない! この近辺に頻繁に出没し【茶色い弾丸】と恐れられている獰猛な個体の猪である!!
フランスパンの目的はただひとつ、真っ直ぐ人間に向かって突進していると見せかけ、すんでの所で猪とは思えぬ跳躍で華麗に飛び越えてそのまま走り去っていく事!!
そう、つまり、フランスパンは人をビビらせてブヒブヒと笑う、とんだお茶目さん、小悪魔的猪なのである!!
お茶目な小悪魔猪……お茶魔猪ッ!!
無論、優秀なキャリアウーマンであるサクラはフランスパンの噂を知っていた。
故に、フランスパンの突進を見ても構わず。思考を続ける事にした…………その時、またしても運命の悪戯か!!
走るフランスパンの顔に、スーパーマーケット・ドスコイ恵朱マート(略してドエス)の純白レジ袋がぶわさァァ!! と覆いかぶさったのである!!
「プギ!?」
「ッ!?」
フランスパン、レジ袋的目隠により視界悪化……ほぼ断絶ッ!!
つまり……普段、フランスパンが得意としている『すんでの所を見極めて跳んで躱す』と言う芸当が……困難、いや、ずばり無理ッ!!
これダメなやつ!! とフランスパンは急ブレーキをかけるが……走る車と回り始めた恋は急には止まらない!!
トップスピードのフランスパンも同じく!!
避けがたい衝突、サクラの運命や如何に!?
「危ない!!」
その時、運命の救済か!!
フランスパンとサクラの間に一瞬にして割り込んだ黒い影ッ!!
「ぎゅ……?」
「なッ……?」
「ふぅ……セーフ」
フランスパンの額を力強く、されど優しく受け止めた太く逞しい腕。
サクラの眼前に広がる、大きな大きな背中。
「やんちゃな猪め……さて、お嬢さん……いや、お姉さんもご無事ですか?」
振り返り、サクラへ優しく微笑んだその顔は……青肌に黒眼、雄々しい角を生やした――そう、悪魔の男。
その無骨な体格に見合わぬ、優しさと爽やかさを内包した笑顔。
危機に瀕したドキドキによる吊り橋効果も多少はあるだろう。
サクラは冷静にそれを分析しつつも、それをそう理解した上で、ある結論を導き出した。
「……ありがとう、通りすがりの御仁。ところで君は随分と魅力的だな。現在お付き合いしている方などはいるのかね?」
「ぇ、いや、はぁ……いませんけど」
「そうか、では私などはどうだろうか」
突然のプロモーションッ!! 自らを売り込み始めた!!
おお、この男なら良いんじゃあないか、むしろこの男以外ではそそられん……それがサクラの結論!!
「自分で言うのも難だが、私はこう見えてかなりの優良物件であると言おう。まずは経済面だ。私はかなりの高給取りで、貯蓄も既にこの国の一般的サラリーマンの生涯賃金程度ならある。それでも足りないのならば実家が裕福であり、いざとなればそれなりの後ろ盾がある点も挙げよう。だがしかし、もしも君が自分より経済力を持つ女性に対して引け目を感じるタイプであるのならば、今すぐにでも全財産を慈善団体へ寄付した上でそちらの家へと嫁ぎ真っ新な専業主婦になれる用意と意思もある。何故なら私は独り暮らしが長い。そして弟とは違い、綺麗好きであり、食を単なる栄養摂取ではなく嗜み……実益と趣味を兼ね備えたものとして考えている。故に、家事炊事は得意分野と言っても良い。年齢は三四とやや適齢期を過ぎた感はあるが、ご覧の通りの若作りで外見的には二〇代でも通用するだろう? 自負している。昨今の医療技術ならば五〇代までほぼリスク無しで出産できる時代だ。そう考えれば、年齢に関しては言うほど気にならないのではないか? 性的な知識や技術については、これから努力していきたい所存だ。性格に関しては一族の特徴として合理性を追求する、し過ぎる節はあるが、そこを自覚しある程度は人の意見に耳を傾ける様に努めている。君の要請にはどれだけ非合理だと感じようとも全力全霊を以て応える様に努力すると宣言しよう」
怒涛ッ!! 恐ろしい程に怒涛のセールス・プロモーションッ!!
一度走り始めたら止まらない、止まる気が無い、まるでやべぇ猪の様だ!!
サクラへの謝罪のタイミングを探して傍観していたモノホン猪のフランスパンですら「なんだこの女」感の溢れる目でサクラを見ている!!
「あ、あははは……何と言うか……冷静沈着に情熱的ですね……?」
「性分だ。嫌いか?」
「いえ、とてもユニークだと思います」
「それは非常に嬉しい事だ。で、どうだね?」
「……でも、ごめんなさい。お姉さんの気持ちには、応えられません」
「……! ……女々しいと思われるかも知れないが、理由を聞いても構わないか?」
「…………………………」
少し躊躇う様に、男はサクラの顔を見る。
「……貴女は、性的マイノリティについて、どう考えますか?」
「どうも何も、そう言うのには疎い。だが、どんな吃驚仰天な世界が待ち受けてい様と、適応してみせる自信はある。私は強かだぞ」
「本気の目……ですね。ああ、どうして……貴女の様な素敵でユニークな人に出会えたと言うのに……俺は……俺の身体は応えてはくれない……」
悲しそうに目を伏せてしばらく。
男は、意を決してサクラに告げた。
「俺……生理的に、女性相手では勃たないんです……!」
◆
「その夜から、サクラ姉さんは消息を絶った」
時と場所は戻って現在、県立美術館前。
皿助一行とハイド博士の間に、沈黙が流れる。
笑う所ガミか……!? と汗をかくガミジン。
その場に居合わせた猪は地獄の居心地クマね、と若干斜めな方向から感想を抱くクマリエス。
そして、全ての話をクソまみれな生真面目さを以て聞きいっていた皿助。
「…………まさかお姉さんは失恋のショックで…………」
皿助が想像したのは、最悪の結末。
導入でハイドが「私の姉が、二度とは帰らぬ存在となった」と言った事も合わせて、その予想をした。
「いや、数日後、帰って来たよ」
「なんだ、良かっ…」
「まぁ、姉さんではなく【兄さん】になってたがな」
安堵の息を吐きかけた皿助を含め、ハイド博士以外の全員が固まる。
「……君にわかるか……!? 大好きな姉が!! 微笑み麗しき姉が!! 凛と咲いた花すらドン引く程の美しさを誇っていた姉が!! ある種の芸術品の様な肉体美を備えたガチムチお兄さんになって帰ってきた時の私の気持ちがぁぁぁぁあああああ!!」
突如、激昂を顕にするハイド博士。
先程までのどちらかと言えばやる気無さ気な中年感のあった顔つきから打って変わって、豹変・鬼の形相である。
「えぇぇ……と……ああ、うーん……あっと、そ、そうだな……」
余りにも急転直下な展開に、皿助は混乱。
しかしどうにか冷静に努め、ハイド博士へ向ける言葉を捻り出す。
「お、同じく敬愛する姉を持つ者として、気持ちは痛い程にわからんでもないが……どんなアクロバティックな視点を持てばそこから悪魔の駆逐に繋がるんだ!?」
「決まっている……!! あの悪魔さえいなければ……そもそも悪魔と言う存在が人間界にいなければ……!! あんな悲劇は起きなかったぁぁぁぁあ!!」
つまり、悪魔が人間界にいたからそんな事になったんだ、と。
「し、しかし、お姉さん…いや、お兄さんは幸せになれたんだろう?」
「ああ、姉さん…いや、兄さんは会う度に幸せそうだ……だけど本当にもう……それが逆にキツいんだよぉぉぉぉおお!! もう死ねぇぇ!! 悪魔どころか皆まとめて死ねぇぇぇ!! それか私の視界から消えろぉぉぉ!! 本当にもうお願い!! 私の胃はもうダメだァァァぅうあああああああ!!」
重度のシスコンが余りにも衝撃的な形で最愛の姉をロストするとここまで狂ってしまうのか、と皿助は驚愕と困惑。
そんな理由でここまでの事をするなんて……と湧きかけた怒りも、半ばドン引きに近い感覚に上塗りされてしまった。
「ふぅぅ……ふぅぅッ……も、申し訳無い……少々取り乱した。私らしくも無い……とにかくだ、それから私は考えた。私以外にもきっと悪魔が人間界にいるせいで同じ様な思いをしている弟はたくさんいるはずだと……!」
「いや、いねぇと思うクマ。お前は紛れもなくレアケースクマ」
「何故そう言い切れる!? 断じる事ができる!? 少女らしい見た目通り夢見がちの様だな、それとも同胞の肩を持っているだけか?」
「ベーキチ、多分あいつもうダメな感じの所までイっている気がするクマ」
「ああ、俺もそう思う」
「何とでも言え……私は人間界の弟を代表して、この悲劇を断つべきと考えた。悪魔さえいなければ起きなかった悲劇が、この世には無数にある、あるはずなんだ!! 現にあった!! ならば実行しよう、救済しよう、大義を為そう!! 合理的に、最も最適な手段を選ぼう!! 例えどれだけの犠牲が出ようと、どれだけの批難を浴びようと、私は……悪魔をこの世界から駆逐してみせる!!」
「……貴方の……いや、お前の主張は充分に承知した、ハイド博士」
それを伝えた上で、皿助は……拳を構えた。
「話を聞き、精査した結果。俺はこう判断する。お前のその主張は……ここまで俺達と戦ってきた者達に戦いを強いても良い理由には成り得ない」
臼朽翔由。
義田曳緒。
伊那爪鳴子。
雪結苺織留。
百永坂苑丞
酉歌舞東眞。
有裏存アム。
七殺衆は、こんな身勝手な理由のために、戦う事を強いられていた。
その理不尽が、怒りが、皿助に拳を握らせる。久々の狂静怒スイッチを押す。
「それに、お前は【とても大事な事を見落としている】……【気付かねばならない事】がある……言い変えれば俺はお前に【説教をしなければならない事】がある」
「ふん……私の理解者でもない君に対して、聞く耳持つと?」
「ああ、だろうな。だから拳を握った」
おそらく、今のハイド博士に何を言っても、無駄だろう。
耳や脳に届いても、重要な心には絶対に届くまい。
その原因は、彼にこびりつく【偏見】……もはや【狂気】とも言い換えて良い、歪んだ認識。
真っ新な状態で言葉を届けるためにも、今、この男が身に纏っている全てを、打ち砕く必要がある。
あと、何より、今の激昂状態の皿助では、まともな理を説くのは難しい。
ハイド博士に話を聴かせるため、そして皿助自身もクールダウンするため。
衝突は、避けられない!!




