14 : 世界が滅んでも。
ガナン・セイル大陸の戦争を危惧してラダットの町は警備が強化され、ニアはそのひとりとして仲間たちと山沿いを丸一日かけて探索した。この日は魔王も、午前中はあとから合流したジャックと公務を片づけていたが、午後から夕食の時間までラダットの町をふらふらと歩いていたようだ。
警備隊の詰所にニアたちユウシ騎士隊は厄介になり、また魔王もこの詰所に部屋を用意してもらっていたので、魔王の行動は詰所の誰かに訊けばすぐにわかる。なにをしているのか、まではわからなくても、どこに行ったのか、というのは魔王が必ず詰所の警備兵に告げていたのだ。
できることなら魔王と行動したい、と思っていたニアだったけれども、さすがに魔王が作ってくれたユウシ騎士隊の任務で単独行動を取るのは憚れ、誰かにその行動を聞いておくに留めた。
そうして。
「見るか?」
午前中はジャックと部屋に籠って執務し、午後からは急を要さない限り町や山をひたすら歩き回る、という日々を過ごしていた魔王が、滞在四日めの朝にニアの顔を見るなり問うてきた。
「なにを?」
わからなくて首を傾げたら、魔王はガナン・セイル大陸側にある山を指差した。それだけでなにかを察せられるほどニアには情報がなかったので、やはり首を傾げた。
「ガラムア山、だっけ? なにかあるの?」
「おまえたちがラダットに借り出された事情」
「え?」
理由、ではなく、事情。
ニアは期間限定でラダットの町周辺の警備をすることになって、今その任にある。ガナン・セイル大陸で起きようとしている戦争が魔国にまで進出してきたときのため、である。
「戦争が始まったの?」
「おまえらが着任した二日後には始まったぞ」
寝耳に水、とはまさにこのことだ。
「そ、そんなの聞いてないよっ?」
「まあな。言ってねぇし」
「え……」
「大隊長には知らせておいたが、そこで止まってる」
「……なんで?」
「そこの判断は大隊長だ。今日あたり周知させるかもしれねぇが……まあ、だから、見るかっておまえに訊いてんだけど」
すでに戦争は始まっていたのだと、それを公けにしないのは魔王の意図ではなく警備隊大隊長のようだ。だが、山の向こう大陸で戦争が始まるかもしれないという話はニアが来たときには流れていたので、町の住民は警戒を怠ってはいない。どこかピリピリした空気は、いっそ戦争が始まってくれたら、と願ってさえいたかもしれない。
緊張した空気に耐えかねた小さな暴動があちこちで起きているので、ニアとしてはこのために借り出されたのだと思っている。この話を持ってきたジャックは「戦争に託けて暗躍する者たちもいますから、そちらのほうに忙しくなると思います」と言っていた。検挙率がこの時期に上がるらしい。
「戦争なんて、見ていて楽しいものじゃないけど……でも、それを見て、わたしの中でなにか変わるのかな」
「……おまえ次第だな」
「リカは、わたしのなにかが変わると思ったから、見るかって訊くんでしょ?」
戦争よりも、小さい暴動のほうが、収拾は楽だ。当たり前だ。戦争と喧嘩は違う。争いであることは変わらなくても、被害の単位がまず違うのだ。それはわかっている。
「これが戦争のない国の状態だ」
平和の中にある戦争。
ここに来てから、魔王がなにを言わんとしているのか、ニアは漸く思い知る。
争いのない日など、来ないのだ。
「……悲しいね」
呟くと、魔王は深く息を吐き出しながら、くしゃっと顔を歪めた。
「それでも、これが平和ってもんだ」
「……笑っていられることもあるから?」
「もともと幸せなんて、誰かひとりが決めるもんじゃねぇんだよ。戦争が好きな奴は好きだし、誰かを貶めたい奴はそういう世界に好きでいるもんだし、平凡な日常を好む奴は争いを避けて生活する。それぞれに幸せがある」
泣きたいような、そうでないような、複雑な気持ちでいたら、魔王は苦笑しながらニアの頭をがしがしと遠慮なく撫で回した。
「どうする? 見るか?」
ニアは魔王の真っ黒な双眸を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「わたしは国を捨てた。国のために魔国に来たわけじゃないけど……でも結果的にわたしは魔国に来て、国を捨てることになって、逃げることになった。だから……自分が逃げたものはきちんと見ておかなくちゃいけないと思う」
勇者に選ばれたとき、迷わなかったわけではない。選ばれたことを誇りに思う、と傭兵仲間の誰かが言っていたけれども、ニアは誇りに思うことができなかった。さまざまな部分が腐れた貴族の連中を見渡して、憐れむようにニアを見つめる国王を見て、ただ悲しくなっただけだ。
世界に絶望した、などと大それたことは言わないけれども、それにも酷似した想いを、あのとき感じた。
だから勇者の道を選んだ。なにかが変わるなら、と思った。この悲しい想いを、どうすれば昇華できるのか考えるために、そして強さばかり求めてきた自分を振り返るために、旅立つことを決めた。
結果をいえば、ニアはもう二度と祖国へは帰ることが叶わない身となったけれども、それを恥じることも悔いることもない。
ニアは捜していたのだ。
今目の前にいる魔王のような、諦めず足掻き平和を見出そうとするひとを、ただそれぞれの幸せを願い突き進むひとを、捜していた。
自分勝手な理由で勇者になったニアを、王はともかく祖国の人々は許さないだろう。
それでも、ニアは目の前の青年の、その後姿を見ていたい。できることならその隣に、並んで立って世界を見つめ直したい。祖国の人々に、この青年が目指しているものを知ってもらいたい。
「じゃあ、行くか」
「うん」
歩き出した魔王のあとを追う。
山道に入る手前で、その近くにいた騎士隊の仲間たちに事情を説明し、大隊長の指示に従うよう伝え、ニアは魔王と共に様子を窺いに行くことを了承してもらった。
「そういえばジャックは?」
「詰所。片づけば来るだろ」
魔王はよくひとりで行動する。とくにこの町では、ひとりでぷらぷら歩いているものだから、誰も魔王が魔王だと気づかない。
なぜだろう、と魔王自身に問うてみたニアもニアだが、魔王はあっさりと答えた。
「おれが魔王に見えねぇからだろ」
ひどくあっさりと返された答えに、ニアは目を丸くした。
いや、確かに、今の魔王はどこからどう見ても町の好青年にしか見えない。
「あれ? でも、初見でわたし、リカが魔王だってわかったけど?」
「おまえの気配は異常だったからな。あんな町中で騒動を起こされちゃたまんねぇよ」
思い返せば初見のとき、ニアは魔王に誘導されて場所を移動した。目が合った瞬間に魔王だとわかったからだったが、それはニアのために魔王が一時的に力を見せたゆえのことだったようだ。
「歩くの面倒だから、こっからおまえのこと運ぶぞ?」
「運ぶ?」
山道に入ってすぐ、魔王が自分に腕を伸ばしてきたと思ったら、胴を抱えられて足が地面を離れた。
「え?」
まさか、と考える暇もなく、魔王はその強靭な膂力をニアに見せた。
「にゃぁあああっ!」
「黙っとけ」
「む、む、無理ぃぃいい!」
「うるせぇな」
「そぉゆぅならちゃんと支えてよぉお!」
「落としゃしねぇよ」
跳躍する魔王に片腕一本で持ち上げられているだけの状態で、落とさない、と確約をもらっても安心できない。がくんがくん揺れるうえに視界が定まらないのだ。
「あ、あたし、高いとこ駄目なんだよぉ!」
「はあ?」
「自分で着地できる高さは平気だけどぉお!」
「なんて中途半端な高所恐怖症」
「誰だってそぉでしょうがぁ!」
「あーはいはい、そうだな」
喋れるならだいじょうぶだろ、なんて言われて、けっきょくガラムア山の頂上に達するまで、非常に不安定な状態でニアは運ばれた。運ばれて疲れていないはずなのに、いつも以上に疲れを感じるのは怖い思いをさせられたゆえのことだ。飛距離も短いのに、だいぶ長く感じられた。
とにかく怖かった、と言っておこう。
「ほら、見ろ」
手頃な高さの岩場に着地して、呼吸が整うと、魔王が「見ろ」と促してくる。運ばれた恐怖を引き摺っていたニアだが、促されて見渡したその光景に、一瞬にして意識を持って行かれた。
「海が……赤い」
こんな光景が、本当にあるとは、思わなかった。
ここからだとガナン・セイル大陸の港町がよく見える。入り口だけだが、それでも海が赤く見えるほど、その炎の勢いは凄まじい。ここまで大きな戦火を見るのは初めてだ。
「海が赤い、か……おれは山が赤く見えたな。あの火が、あれよりも大きく上がることは珍しくねぇし」
「珍しくないの?」
「おれがあの大陸の戦火を見るのはこれで四度めだが、史実にはおれが見た光景と同じものがいくつも書かれてる。それくらい、繰り返し、あの大陸は燃えてんだ。あの港町が疲弊するのも当然だな。もう万緑の力がねえ。だからああまで燃える」
土地の加護が失われているから、港町はよく燃えるのだと、魔王は言う。それでも人々は、魔国に渡るためにあの港町を再興させ、そしてまた燃やすのだ。
繰り返される歴史に、ニアは歯噛みした。
「この歴史が、ずっと、繰り返されてるなんて……」
「玉座を護る人間がみんな同じなわけじゃねぇからな。魔国だって、おれが魔王になるまで売られた戦争を片っ端から買ってたんだ。争いは、避けられねぇんだろうな」
「……滅びるまで?」
「そうだな……世界が滅びるまで、世界は争いをやめねぇだろう。世界が滅んでも、争いが完全に消えるとは思えねぇけど」
「どうにか、できないのかな」
「どうにかするために、おれはここにいる」
「リカ……」
どうにかしたい、と言った魔王は、ひどく真剣に、赤い海を見つめていた。




