第27話 「下手くそな嘘」
紫のモヤが、もくもくと部屋の扉の隙間から溢れ出していた。
それを見たアヴォールとノアール一行は、怪しげなそれを固唾をのんで見つめることしかできない。
「なんなんだあれは」
「俺にもさっぱり……」
しばらくすると、カーミラが外へと出てきた。
その手には――記憶があった。紫色のモヤをほんの少しまとったそれは、レロスが見たら激怒するものだった。絶対に飛びかかって奪い取ろうとするだろうなと、容易に想像できる。彼は今、幻覚を見るほどまでに精神的なダメージを負っているのだから。だが、彼女はそれをかなり大事そうに抱えていた。
「あれってリーナスさんの……だよな」
「ああ、そうだな」
なぜそれを抱いているのか。大事そうにしているのに、なぜ記憶を吸い取ったのか。全てが謎に包まれていると、そう考えていた時だった。
「そこでなにをしている?」
不覚にも声をかけられた。完全に油断していた。
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レロスは相変わらず一人でいた。
物陰というより、日すら当たらない、影だけの部屋で独り言をボソボソと言っていた。
彼にとって、その独り言は「独り言」ではなかった。
「へえ、今度買ってあげるよ」
『え? いいの?』
そう、『リーナス』だった。
それはそれは、とても完璧な精度で再現されたリーナスだった。誰がなんと言おうと、これはリーナスだと言える。ただし、これはレロス視点におけるリーナスであるため、若干誇張されている。
「いいよ。だって、そうしたら喜んでくれる。笑顔が見られる。その上でちょっと意地悪にからかったら、また可愛い顔も拝める」
『なんでそういうずるいことばっかするかなあ……』
「別にいいでしょ、それくらい」
『えぇ……? まあいいけど……レロスだし』
「素直に認めたらいいじゃん、自分の気持ちにさ」
『……それを今のレロスが言う?』
厳格であるはずの『リーナス』が言うまでもなく、レロスも自覚していた。むしろ、自覚しておかなければならない。
――自分が、逃げていることに。
「大丈夫だよ、リーナス」
「レロス? ちょっと今、い、い……」
運が悪かった。タイミングが悪いとはまさにこのことだと、レロスは思った。
リーナスが、運悪くレロスが『リーナス』と話している時に入ってきたのだ。
「ごめっ……今、入るべきじゃなかったね。今すぐ出るよ」
「待って、待ってほしい!!」
そう言って、レロスはリーナスの腕を掴む。
どこかに行ってほしくない。ここで離して、どこかで死体になって帰ってきたら、レロスは今度こそどうにかなってしまうと思った。そんなの、嫌だ。見たくないし、受け止めたくない。――記憶がなくなるより、何十倍も何百倍も、何千倍も何万倍も、何億倍も、何兆倍も嫌だ。
「今のリーナスを全否定してるわけじゃない、ってのは説明した、よね」
「………うん」
「僕は今のリーも、記憶がなくなる前のリーも好きだ。愛してる。でも、今はちょっとショックが重なりすぎてる。でも大丈夫、なんだよね」
「……レロス?」
「問題ないさ! 取り戻してみせる! 僕は……君のパートナーだからね!! ……ってまた言えばいいのかな。もうわかんないや」
「レロス……っ!!」
そう言ったレロスの異変に気づいたリーナスは、彼を支え、少しでも勇気づけてあげたいと思った。そう思い、彼を抱きしめてあげた。
「わっ……リーは甘えん坊だなあ」
「レロス、レロス……っ!! 絶対、記憶を取り戻すから……!!」
リーナスは涙ながらにそう言う。レロスはリーナスの頭を撫でて、抱きしめることしかできなかった。
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「そこでなにをしている?」
振り返れば、そこにいたのは近衛兵……それも上等兵だった。――まずい。バレた。二人はそう感じた。戦闘は避けたいが、やむを得ないか……? とも思った。
「いや、これはこれは。近衛兵……の上等兵様じゃないですか!」
「ええ。そう……って、あなたは空中騎士隊第一部隊の……第一班長!?」
「ええ、そうです。私が空中騎士隊第一部隊第一班長のアヴォール」
「ご、ご無礼を失礼しましたぁぁぁぁぁ!!!」
そう言って、近衛兵は逃げていった。
まるで怯える小動物のように。まさかこの後、王国軍に追われるなどとは思いもしないが。
「さあ、カーミラ王女……って、おい? ノアール?」
そこにノアールの姿はなかった。ただ、倒れている姿が目に入った。
「おい!? なにしてんだお前! ここまで来て……!」
「あらあら? 空中騎士隊の第一班長様じゃない。なにしてるわけ?」
「カーミラ……王女……」
記憶を手にしたカーミラが、そこに立っていた。
なぜそれを持っていて、それを大事そうに抱えながらアヴォールの同僚を手にかけたのか。聞きたくて仕方がなかった。
「あなたはなぜ、それを持っておられるんですか……? それに、なんで……」
「これを持っているのは、計画のためですよ」
「計画……?」
「ええ、計画です。私が王位継承を確実とし、あのレロスという男を婿に迎え入れ、王城内での立場を固める。それと……リーナスへの幼い頃のやり返しも兼ねて、ね」
そう言ったカーミラはウィンクする。
可愛らしい仕草だろうが、そうは思えない。今の立ち位置を彼女はわかっているのだろうか。
「『それ』でレロス殿は苦しんでおられます……! 早急に、お返しいただけますか」
「知っていますよ。あなた方がかなりしんどい思いをされていることも、あの男が苦しんでいることも。それが狙いですからね」
そう言ったカーミラから、紫のモヤが出る。
もくもくと立ち上る薄い紫色のモヤは、恐怖の象徴そのもののようだった。
「これ、なんだと思います?」
「毒ガスですか?」
「違います。これはリーナスのエネルギーです。この記憶から抽出して作りました。時間がかかりましたよ、本当に。『嫉妬』に頼み込んで、記憶を具現化。そこからさらに内容物を抽出し、抽出前の記憶をコピーして、こうして置いてます。何せ彼女は――」
そこで少し溜めてくることが、アヴォールにとってどれだけ恐怖なのか。カーミラは理解できないだろう。
次に飛び出す言葉は、アヴォールはもちろん、この王国の全員が知ることだった。
「――何せ彼女は、私の幼馴染であり、七色英の『紫』ですから」
「……返答は、いいものではなかった、と……」
そう言って、カーミラに背後からフードをかぶった女性が近づく。ゆっくりと、やってくる。
「カツン……カツン……」という音が、静かな王城内に響き渡る。
「私はリーナス。レロスが帰るべき場所を用意しなきゃいけない。幼馴染らしいあなたが私の記憶を奪う理由はわからないけど、全力で取り返させてもらうよ」
「やれるものならやってみ――」
「始めましょうか、『災戦』を」
そう言ったリーナスは杖を向ける。カーミラも身構える。アヴォールは静かに後ろへと下がり、ラノールの応急処置を開始する。
今から目の前で始まるのは、重要な局面であると、アヴォールは再確認する。
「ユニゾンブレイク」
「ハーモック・コア」
基本四属性の合成魔法と、風属性魔法を放つカーミラ。
『嫉妬』戦とは異なる、二人の女の戦いが始まった。
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リーナスからレロスの報告を受けたウヌクは、かなり頭を抱えていた。現状、頑張ればまともに動けていたはずのレロスが、想定外に引っ張られてしまった。
「レロス、しっかりしろ!!」
「俺はいつだってまともだ。全てはリーナスのために。全身全霊でやるしかないんだよ」
「落ち着いてください、本当に」
……わかってる。わかってるんだよ。でも、理解したくない。受け止めたいけど、やっぱり無理だって思ってしまう。
「大丈夫だ、な? 大丈夫だから」
「落ち着いてくれ、頼む。絶対あいつの記憶を取り戻させるから」
「頼むからそれ以上……自分を殺そうとしないでくれ」
レロスは、自殺を図ろうとしていた。
もはや、耐えきれずにいた。リーナスに励まされたとしても、これは無理なのだろうか、とウヌクは考える。
現在、記憶を復元する工程はかなり進んでおり、対となる記憶が不在で、噛み合わせればすぐに戻ると思われる状態だった。
「大丈夫だ、落ち着けレロス。今死んだらまずいぞ」
「そうだぞレロス。今死んだら、俺らもお前もリーナスちゃんに合わせる顔がねえ」
「御二方の言う通りです。落ち着いて、そこから離れてください」
ウヌク、グェード、レルアスの三人はそう言って宥める。実際、レロスは若干おかしい。かなりショックを受けている。かれこれ記憶喪失の発覚から一週間は経過している。それ以前の様子がおかしかった期間を追加すれば、間もなく二週間を迎える。
しかし、その雰囲気を壊すように襲撃されてしまった。が、それはレロスたちの狙い通りだった。
「よお、よく来たな、『嫉妬』」
「……!?」
「俺の恨み……全力でぶつけさせてもらう……!!」
レロスは黒いモヤを全力で放つ。
恐怖か、絶望か。否、その二つではない。憎悪。憎しみ。そういう悪感情が、今のレロスを支配していた。
先ほどの完璧な演技に引き寄せられたのか、あるいは記憶が目的だったのかわからないが、フィッシングに成功したと言えるだろう。見事に食いついた。
直後、嫉妬の体はレロスによって蹴り飛ばされた。
レロスが再び先制攻撃を仕掛けたことで、ある意味、魔王軍との戦いは再開したのだった。
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「本当に大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。さっきはあんなこと言ったけど、本当は腹が立ってるよ。とてもね」
声のトーンが一瞬で低くなった。怒りに満ちた声だと、リーナスは即座にわかった。
実際、そうだろう。愛する人の記憶が、他人のたった一つの思い込みによって勝手に捻じ曲げられているのだから。
「僕がやることなすこと、あまり気にしないでね……?」
「え? うん、わかった」
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「どうした? その程度かよ?」
レロスの猛攻は止まらない。魔法を使う、使わない以前に、物理戦が強い。憎悪に包まれているからか、猛攻は止まる気配がない。
それゆえの恐怖を、キャメルは感じた。
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四つの属性の合成魔法は、聖属性とは異なる輝きを持っていた。一方、風属性魔法を放つカーミラは、冷や汗をかきながら、それを吹き飛ばそうとする。
「ホンモノには敵わないのね……!!」
「なんであなたがこういうことをするのか理解できません」
「そういうところは、変わらないのね……」
カーミラはそう言うが、実際は恐怖に包まれていた。
彼女に戦闘経験はない。だからこそ、冒険者であり、七色英の彼女と戦うのはリスクが大きい。
しかし、味方はいくらでもつけられる。
「わー!! 近衛兵ー!? ここに!! 襲撃者がー!!!」
「なにを無謀なことを……」
「何事ーっ!! ……って、『紫』殿? なにをしようと……?」
「彼女は王女という権力に溺れようとしているのです! 近衛兵! お助けください……」
「……七色英、でしょうが、私は王女様を守るために、あなたを止めます……!」
リーナスは考えを巡らせる。この状況を打破する方法を考える。まず、この近衛兵にはどう対処するべきか。今、真偽を正そうとしても無駄だということもわかる。が、自分は王国の七色英。ならば。
「私は、記憶喪失です。そして彼女は、私の記憶喪失、そして今起こっている王都襲撃と関係があります」
「……!? それは、本当ですか?」
「……嘘をおっしゃい。彼女は嘘をついています」
「……怪しいですね。こういう時、あなたは嘘をつく」
「なっ…」
「あなたは幼い頃から、相手方が嘘をついているときは必ずと言っていいほど『嘘をおっしゃい』と言いましたね。私なら、あなたの言語パターンなどお見通しです。お話はあちらで聞きますから、大人しく従ってください。『それ』も置いてね」
『それ』は、リーナスの記憶だった。初見の近衛兵でもそれがどういうものかは一目見ただけでわかったようだった。
こういうパターンで捕まっていくのは不本意である。カーミラも、リーナスも。ひとまず自身の記憶を回収する。触れてみると、一瞬、自身の記憶が流れた。
「今……のは……」
手元にあった記憶から流れたと思われるのは、一瞬だったが、クエストに行った時の記憶だった。ひとまず、この記憶を回収することには成功した。問題はここから、『嫉妬』をどうするか。
リーナスはそう思いながら、アヴォールの手伝いをし始め、終わり次第、レロスの元へと向かい始めたのだった。
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一方その頃、レロスとキャメルは激闘を交わしていた。他の誰かが入れる隙のないくらいには。
しかしそんなレロスは、彼が今抱える弱点を突かれてーー
「あのお姉さんのこと。忘れきれてないんでしょ」
「そりゃあな…!!」
キャメルの綺麗な右ストレートの殴りを避ける。しかし、若干動きに乱れが出始める。しかしレロスはそれすらも計算内だった。
・キャメルの異能は、記憶の強奪/感情統制、そして…
「幻覚」
・キャメルの異能は、物理ダメージを与えるものではない
ーーそれを考えれば、なんのことはない。逆を強いればいいだけ。隙を狙えば、簡単にできる。
「さて、俺だけじゃお前を抑え切ることはできない」
「……?」
「だから、彼女を呼んでおいた」
そう言ったレロスはニタァと悪役がするような笑顔を見せる。その顔はどこか不気味だった。恐怖を感じるとまではいかないが、恐さを感じる。
「…あなたをやっつけるために精一杯頑張ってきた」
『そう例えば、こんな幻覚を見せる異能まである用意ご周到さには感服せざるを得ないよ』
「完璧に記憶を奪還した」
『術者が近くにいるから、幻覚の私もいる矛盾はあるけどね』
そう言ってやってきたのは、リーナスだった。
怒りに満ちている。が、どこか不自然だった。なぜ、王城にいるはずの彼女が今ここにいるのか。
「……なーんちゃって」
そう言ったリーナスの体がぼやける。しばらくして、真の姿の輪郭が見えてきた。
「……『色欲』…!!」
「せいっかーい!! でも残念でした!!!気を取られたでしょ」
「王国騎士として貴様を討伐する…!!」
「んなあっ!?」
レルアスの峰打ちが炸裂する。が、それもキャメルには効果がないようだった。
「ははっ、空中騎士隊の、第一部隊長の攻撃か…!!」
「覚えられているのは嬉しい。が、それがお前からならば話は別だ…!!」
そうして2人の男女は、少しの距離をとって対峙した。男が剣を構える。女は避ける準備を始める。その周辺一帯の空気はより一層張り詰めたものになる。
「…王国軍空中騎士隊、第一部隊長“レルアス”」
「魔王軍七大幹部が1人、『嫉妬』のキャメル」
2人は名乗り合う。それは決戦の意を示すことであり、何よりもこの王国での戦い方の礼儀であった。いよいよ災戦は最高潮へと突き進んでいく。この後、なにが起きるかわからないが、それぞれがそれぞれの思いと願い、希望を抱きながら…。




