1話 解散公式発表
日に日に寒くなる十一月の下旬。冷たい空気が突き刺さり、思わず身震いした。買い物袋を握りしめて家まで急ぐ。
現時刻は午後五時。今日はバイトを早めに上がらせてもらった。私は売れない声優なのだから、バイトで稼げるだけ稼ぐべきだ。でもこの時間はどうしても家にいたかった。
スーパーで買った物を仕分けて、エプロンをつけた。……はいいものの、いまいち料理する気になれない。せっかくホワイトシチューの材料を揃えてきたのに。ルウから作るつもりだったけど面倒くさくなってきた。市販のものを買えば良かったかな。何をするでもなく、ひとりで狭いキッチンをうろうろする。壁にかかった時計を見ると、さらに落ち着きをなくした。
ふと食器棚の紅茶缶が目に入る。大切に飲んでいるもらいもの。料理は後にしてお茶でも淹れよう。ミルクと砂糖をたっぷり入れて甘くした。ようやくほっと一息つき、目を伏せる。もうすぐその時刻を迎えるにあたって、過去に思いを馳せた。
私は声優ユニット「ジュエリーピース」のメンバーだ。
高校二年生で一般公募オーディションに合格し、夢への切符をつかんだ。大手の声優事務所、アニメ制作会社、レコード会社が組んだ一大プロジェクト。五人の合格者はオリジナルテレビアニメのメインキャストで声優デビューし、ユニットとしてアイドル活動も行う。これだけ恵まれたデビューはそうそうない。演技、歌、ダンス。全てを厳しく審査され。何千人という応募者の中から勝ち抜き、約半年のレッスン期間を経てデビューした。
あれから時は流れ、高校生だった私は二十三歳になった。そして今日、私たちの解散が公式発表される。結成から丸六年になる三月で活動終了すると。午後六時ぴったりにホームページと公式SNSアカウントに文書が載せられる。ネットニュースでも報じられる予定だ。今は五時五十分を少し過ぎたくらい。本当に終わってしまうんだ。すでに決定していたのに、いよいよ確定してしまうようで……胸が痛い。
時計の針の音がやけに大きく聞こえる。遮るようにスマホが鳴った。ユニットの仲間、唯夏からの着信だった。
「もしもし」
『優香、いま何してる?』
「家で唯夏のくれた紅茶を飲んでるとこ。唯夏はアフレコ中じゃないの?」
『休憩中だよ。もうすぐ再開するけど、いてもたってもいられなくなって。いよいよだね』
「……うん」
『みんなどう反応するかな。気になってスマホが手放せない』
「エゴサはしないようにね」
『今回ばかりは気になるよ。優香もするでしょ?』
「そりゃあまあ、結局してしまうだろうけど」
何も予定がない長い夜。しないわけがない。ネットに触れる時間は唯夏よりも長くなる。悲しくなるとわかっていても見ずにはいられない。
「でも控えるように言われてるでしょ、特に唯夏は。あんまりしないようにね」
『わかってるよ。ちょっとだけにするから。不安だけど優香と話したら楽になったかも』
「私も。連絡くれてありがとね」
一分一秒が永遠にも感じられたのが嘘みたい。時計の音も気にならなくなっていた。
電話を切った後も、メッセージアプリのグループトークでメンバー同士励まし合った。そうして迎えた六時。公式アカウントをフォローしている人たちから波紋が広がっていった。
ライブもあるのに解散なんて、という投稿が目についた。私たちは十二月下旬に愛知、一月下旬に神奈川でライブを予定している。楽しみにしていたライブの前にごめんなさい。心の中で謝る。
ライブ詳細を知った時点で覚悟していたと言う人もいた。いつもは何公演もあるライブツアーなのに今回は二公演だけ。しかも愛知と神奈川は私たちにゆかりある場所だ。最後になる予感がしていた、と。とうとう来てしまったか。仕方ないよね。むしろよく続けてくれたよね。——そういう声も多く見かける。……私たちジュエリーピースは、ファンのみんなにそう言わせてしまうほど売れなかった。
検索しているとファンじゃない人の声も拾う。馬鹿にして解散を喜ぶ声。私たちには大勢のアンチがいる。エゴサは傷つくだけだと知っていても、振り払うようにファンの意見を探しにいった。
私たちは個人のSNSアカウントを持っていない。代わりにブログを更新している。月曜日から金曜日まで五人交代制で。今日、木曜日は私の担当だった。今回はあまり自由に書けない。上げる予定の文章には添削が入っていて、更新時間も決められている。すぐに自分の言葉で伝えられないのがもどかしい。
お腹が鳴り、紅茶を飲んだだけで何も食べていないと気づいた。シチューを作らなきゃ。重い腰を上げて、でも帰宅したときよりは軽い気持ちでキッチンに立った。発表前のやり取りのおかげだ。
八時を過ぎると過去に共演した人、作品に携わった人も連絡をくれた。大学時代の友達や地元の友達からも。疎遠になっていた人、アニメや声優に興味のなさそうな人からも反応があった。メッセージの返信と電話に追われて、シチューを食べ終わるまで随分と時間がかかった。
食器を洗っているとまた着信が。お母さんから。解散を事前に知っているのは家族だけ。発表時刻から間を置いた今なら落ち着いていると判断したのだろう。
『今日はずっと気を張って疲れたでしょう。お疲れさま』
「ありがとう。めまぐるしい時間だったかな」
一呼吸置く様子を電話越しに感じた。おかげで次に何を言われるのか察しがつく。
『私もお父さんもお兄ちゃんも、最後まで応援しているわ。でも優香、あなた解散後はどうするつもりなの?』
この手の心配をされるのは初めてではない。私はデビュー作が唯一のメイン出演作で、他の主要な役は……ない。今も一応、オーディションの結果を待っている状態だけど。
声優としては全然な私でも、実家から金銭的な援助は受けていなかった。たまにお米や野菜をもらう程度で。バイト代と合わせてなんとかやりくりできているのは、ユニットが存続しているから。私にとって解散は主な仕事がなくなることを意味する。セカンドキャリアに悩むアイドルはよくいるだろう。でも私はアイドル声優で、声優が本業なのだ。アイドル活動を終えたら本業に戻るだけなのに、本業の実績があまりにも頼りない。
「ごめん、今はライブに集中したいから」
『そう。ところで年末年始は帰ってくるの? お正月過ぎてからにする?』
追及されずに済んで胸をなでおろす。
去年は一月の半ばに帰省した。年末年始はバイトの時給が上がるからできるだけ出勤したかったのだ。
「今年はお正月に帰ろうかな」
バイトに入れないのは痛いけど帰省する。区切りをつける意味でも。どんな選択をしようがこれまでとは違う年越しになる。
『わかったわ。ごちそうを用意して待っているから。頑張りなさいね』
通話後、ティーセットを片付けようとしてやめた。お風呂上がりにもう一杯飲もう。ブログを更新しながらゆっくりと。
六時前からずっと扱っていたスマホを置いて、部屋から離れた。




