089話 ユリィの涙
帝国歴301年12月。
まだロザリーの死の悲しみの余韻が残る頃。恒例の期末試験が実施された。
この試験では、大方の予想を裏切り、授業をサボりまくっていたトモリンは赤点をとることはなかった。
算数など、前世の知識を生かせることに加え、苦手な歴史についてはアリシアと談笑しているうちに知識が身についたのだ。聖ファサラン国では大陸の歴史教育を重んじているから、施術後の休憩中にはその話題が多くなりがちだった。
「しばらく、アリシアちゃんの所に行ってるねー」
「トモリン、必ず戻ってくるのよ……」
これから始まる冬休み。
この先、トモリンは聖ファサラン国に滞在することになる。
トモリンのことを信じてはいるが、以前の体験と同じように、トモリンが聖ファサラン国の聖騎士を連れて帝国に攻め込んでくるかもしれない。一度体験したことは、「不安」という形でユリィの心に影を落とす。
そして、ミーサは試験を受けにくることもなかった。オール赤点確定だ。
「ミーサが心配。でも、もう時間がない」
エマはミーサの家に行き、連れ出したいというのが本心だった。でも、連れ出したところで、あのそっけない態度のままでは何の役にも立たない。そう割り切って、暗殺事件阻止の準備に全力投入するのだった。
ユリィ、エマ、マルティナ、クリスの四人はベシーク城に滞在し、準備を進める。
なお、クリスは皇女近衛騎士ではないため、客室に宿泊だ。屋敷が城の近くにあるから通いでもよかったのだが、本人の熱い希望でこのようになった。
「参加者リストには新参の者はいないわねえ。これって、貴族の誰かが帝国を裏切るってことじゃない?」
「その可能性が高いわ。刺客は獣人ということまでわかっているけど、貴族の手引きの元、誰かに成りすまさないと会場には入れないから」
この時点でユリィたちは、獣王バルバスが特殊な魔道具を所持していることを知らない。だから、成りすまし以外の侵入方法としては、強硬突破等の力技になると予想していた。
「城門から会場まで、警備の配置は問題なさそうね」
「姫様~。警備に関わる者を全員調べましたよ~。とくに怪しい者はいませんでした~」
「ユリィ殿下。給仕などの、会場内を出入りする者も出自を含めて調べたが、怪しい者は見つからなかった」
「ユリィ様。パーテーションの中で頭髪を調べる者については、オイゲン宰相閣下が信頼のおける者を手配するそうです。こちらは任せておいても大丈夫だと考えられます」
もちろん、調べるのは頭髪ではない……。ヘルミナ的ジョークなのだろう。
「そうね。みんな、調べてくれてありがとう」
城勤務のアグネス、ゲルダ、ヘルミナの三人にも、未来で体験した暗殺事件について説明をしてある。
打ち明けたときには三人とも大層驚いた。しかし、流星予知の実績もあり、皆、ユリィの言葉を信じている。
「ああ、姫様~。姫様の役に立てることが、私たちの仕事なのですよ~」
他に、設備的な確認や、予想侵入経路の警備態勢の見直しなど、たくさんの準備をした。
帝国歴301年12月末。
遂に運命の舞踏会の日がやってきた。
厳重に実施した入場検査では、不審者を見つけることはできなかった。
「今日は、みんなには各配置について会場内を監視してもらうわ」
ユリィは学園の制服姿で、皇妃を挟んでテイン皇帝の二つ隣に座る。
これは、レディファーストの思想で、第一皇子よりも中央に近い席順となっている。
ユリィの護衛としてはマルティナとエマがその背後に立つ。
城勤務の三人は城内で顔が利くため、会場内だけに留まらず、調理場など会場につながる施設にも自由に行き来して不審者の発見に努める。
クリスは来賓として会場内に睨みを利かせている。
なお、テイン皇帝の後ろには皇帝近衛騎士が二人立っている。
(私は、この日のためにここにいる。暗殺は絶対に止めて見せるわ!)
二年越しの強い決意で舞踏会に臨むユリィ。
運命の舞踏会が始まった。
「昨年は建国300年の節目を迎え、初代皇帝の偉業を称えた。今年は、新たなる仲間を得て、エイクス帝国はより一層存在感を増した。紹介しよう。ビノラ王国の国王、ベルナール王陛下だ。我が国はビノラ王国と同盟条約を締結した。今後はエイクス帝国とビノラ王国の二国で、この大陸の安定を図ろうぞ!」
高座には、ビノラ王国の王族の席もあり、そこからベルナール王が立ち上がる。
「ビノラ王国国王、ベルナールである。エイクス帝国の手厚い支援並びに女神の使徒様の奇跡の恵みにより、我が国は不死鳥のように甦った。この場を借りて感謝の意を表す。今後とも両国が友好であり続けることを切に願う」
ビノラ王国では、トモリンが雨を降らせてからは、今まで降らなかったのが嘘のように雨が降るようになった。懸念されたイナーゴの大量発生もなく順調に復興の道を辿っている。
そして、焼き畑効果で若干収穫量が上がっているのだが、まだ夏植えの植物しか収穫できていないので、そのことは明るみにはなっていない。
「両国の繁栄を願って、乾杯じゃ!」
舞踏会はテイン皇帝とベルナール王の開会の挨拶のあと、盛大に開催された。それは昨年の建国300周年記念に引けを取らない規模だった。
(以前の体験と違って、ここにはビノラ王国の王族の方がいるわ。刺客の行動が変わっていなければいいのだけど……)
ユリィの前にはたくさんの貴族たちが子息を連れて挨拶に来ている。それを皇族スマイルで聞き流し、会場の様子を窺う。
サンテン第一皇子は、幼女騒動でクリスとの婚約が破談になってからは誰とも婚約をしていなかったため、その周囲には多くの貴族が娘を紹介しようと群がっている。
ナーティ第二皇子は、やはり以前の体験と同様に席にはおらず、会場中を歩き回って令嬢に声をかけまくっている。
(今回、来賓の中には刺客がいなかったわ。以前の体験では、刺客は一体どこから侵入したのかしら?)
さらに、城勤務の三人は、朝から給仕などを再チェックしていた。内部からも刺客は発見されていない。
また、会場の入場口は固く閉ざされ、扉を破壊しないとそこからは侵入できない。そんな大きな音を立てるような方法で侵入してきたら、ここに到達する前に皇女近衛騎士たちが取り押さえてしまうだろう。
(シャンデリアにぶら下がっているのかしら……?)
「ユリィ皇女殿下! 空を見上げられるとは、また、流星の奇跡を披露なさるのですか!?」
ユリィが天井をチラリと見上げると、周囲にいる貴族たちが騒ぎ出す。
「いいえ。あのシャンデリアが素敵だなと思っただけよ」
「そうですか! さらに素晴らしい物を、我が息子に用意させましょう!」
「ありがとう。気持ちだけ受け取るわ……」
群がる貴族たちが邪魔で会場の様子がよく見えない。以前の体験ではなかったことだ。
今では「全知の皇女」として名が知れて、多くの貴族が誼を結ぼうと集まってきている。
「ユリィ皇女殿下。僕と一曲、踊って頂けませんか?」
貴族たちを押しのけて、アルフォンス王子がユリィの前に跪き、踊りに誘った。
サラサラだがそれでいて無造作感のある、透明に輝く紫色のショートヘア。トモリンがここにいたら「いただきます!」と飛びついていたかもしれない。
「ごめんなさい。今日は踊りたい気分じゃないの」
群がっていた貴族をどかしてくれたことには感謝はしている。でも、ユリィには踊っている余裕などない。
「そうですか。またの機会に踊りましょう」
「ええ。いずれ機会があれば」
残念そうに去って行くアルフォンス王子。
すると、一歩下がっていた貴族たちがまた群がりだす。
(会場の様子が、よく見えない……)
チラリと斜め後ろに控えるマルティナの顔を見る。
マルティナは黙って頷いた。
異変はないようだ。
(そろそろ、三曲目になるわ……)
以前の体験では、三曲目の途中でテイン皇帝が暗殺された。
現在、目の前では多くの貴族たちが踊っている。
(あ、あのペアは!)
それは、以前の体験で不自然に接近してきた男女だった。それに気づいたときには、既にテイン皇帝の前に接近していて……。
(床から何かが!)
そう思うや否や、ユリィはテイン皇帝を庇うように横っ飛びをしていた。
バシュッ!
ユリィの中で、時がゆっくりと流れる。
胸に突き刺すような痛みが走る。
(ぐっ……)
痛みに耐えきれず、歯を食いしばり、そのまま床に倒れ込んだ。
エマとマルティナが椅子をどかして飛び出し、ユリィに覆いかぶさって守る。ウイングブーツの効果で、二人は他の誰よりも早くユリィに触れていた。
「ユリィ!」
「キャー!」
「全知の皇女殿下が!」
(お、お父様は……)
霞んで行く視界の端で、テイン皇帝の無事を確認する。
(守れた、わ……)
ユリィの胸からは大量の血が流れている。
口からも、血が流れ出る。
「刺客を捕らえろ!」
「曲者め! 逃がすか!」
「耳!? 獣人だ! 獣人だぞ!」
以前に聞いたのと同じ声が聞こえてくる。
重たくなった手を、震わせながら無理に動かし、希望の石を握る。
(私は……、望みを……、かなえ、られたの、かしら……)
「ユリィ、しっかりして」
「姫様! 今すぐ回復魔……」
エマとマルティナが涙交じりの悲痛な声を上げている。そして、それが遠く離れて行く……。
(悲しみは……、望みじゃ、な、い……)
ユリィの頬を一筋の涙が流れる。
そのまま視界が暗転し、全身から力が抜けた……。
「姫様~。返事をしてくださいよ~」
「ユリィ殿下! 皇帝陛下をお守りしたのは立派だった。しかし、どうして殿下が……」
「身代わりになるとは聞いてませんよ……」
ウイングブーツを履いていた皇女近衛騎士たちが、涙を周囲に散らしながら駆け付けた。が、そのときには、既にユリィは息を引き取っていた。
クリスは群がる貴族たちの陰から、呆然とユリィの亡骸を眺めていた。
「私のユリィが……。グあああぁぁぁ! シレッド獣国、覚えてなさいよ……。国中を、獣人すべてを消し炭にしてやるわ……」
怒りの域を通り過ぎ、呪いの領域に足を踏み入れたクリスは、低い声で唸るように呟いた。
そして、ドス黒く燃え上がる心の奥底で、何かが蠢くような感覚を覚えていた。
テイン皇帝を庇って命を落としたユリィ。
しかし、その後の世界情勢はユリィの望む物とはならなかった。
第一皇子派と第二皇子派の戦いこそ起こらなかったが、テイン皇帝自らが全軍を率いてシレッド獣国へと侵攻した。
そこで手痛い反撃にあい、多くの将兵を失う。
戦争は痛み分けの結果となった。
事件からひと月ほど経って。
聖ファサラン国のファサラン大聖堂で。
「トモっち、ビッグニュースです! もう一人の女神の使徒、ユリっちが暗殺されました」
ずっとトモリンと一緒になって病人の治療に専念していたため、それにかかりっきりで、最近は教皇の元に世界情勢を聞きに行くのを怠っていたアリシア。
「嘘だよね? そんな冗談は良くないよ!?」
「マジなのです!」
トモリンは目を丸くしてアリシアを見つめる。しかしアリシアは真顔のまま答えた。
「ええええ!? 本当にユリィちゃんが殺されたの!?」
頷くアリシアに、トモリンは両手で耳元を覆い、髪をぐしゃぐしゃにし、涙を流して取り乱す。
「誰が! 誰がやったの!?」
「舞踏会で、獣人にやられたのです。それで、エイクス帝国はシレッド獣国に攻め込んだのです」
「私も行く! シレッド獣国をぶっ壊す!」
「ぶっ壊すのです!」
ロザリーに続きユリィを失ったことでトモリンは絶望し、人が変わったように暴走した。
トモリンは聖騎士団を率いてシレッド獣国に攻め込んだ。
そこはエイクス帝国軍が撤退した後であり、シレッド獣国軍は既に疲弊していた。それでも、ドラゴンを呼び寄せて手加減なしで方々を蹂躙する。
これにより、シレッド獣国は獣都ゴンゴーを中心に、廃墟と化した。
その後は何を思ったのか、ユリィを守れなかったエイクス帝国にまで攻撃の手を伸ばした。
帝都はドラゴンによって焦土と化し、トモリンが正気に戻る頃には、ある者が廃墟となった帝都に現れ、やがて大陸中の人類が絶望の淵へと落とされる……。




