090話 夏休み、再び
「ん……? 私は……」
ユリィが目を開いた。
視界にはマルティナとエマがいて、ユリィを見下ろしている。その背後の天井には豪華なシャンデリアが吊り下げられているのが見える。
ここは大ホール。そして、視点と感触から、自身は床に横になっていることを理解した。
しかし、舞踏会が開催されているようには見えない。
「姫様! 生き返られましたか! うっ、うっ。奇跡です。姫様は奇跡の皇女殿下です!」
覆いかぶさるようにしてマルティナが泣き崩れる。
どうやら、マルティナに膝枕されていたようだ。
「ユリィ。お帰りなさい」
涙を流し声は震えているが、冷静な言葉を返すエマ。
「そう……。私は、失敗したのね……」
ユリィの最後の記憶では、胸に突き刺すような痛みがあった。が、今はそれは感じられない。
上半身を起こし、胸元に手を当てて確認する。
刺客によって負わされた傷は、完全に癒えている。
しかし、制服の胸元には親指ほどの穴があり、制服全体が血で黒く汚れている。洗浄の術式の効果が追いついていないのか、穴が開いたことで術式が作動しなくなったのか。
「姫様。まずはお顔をお拭きします。失礼します」
マルティナが、涙を堪えながらハンカチでユリィの口元を拭う。赤黒い破片が付着し、赤く染まるハンカチ。血はほぼ乾いていた。
「他のみんなは?」
「気がついたときには、ボクたちしか、ここにいなかった」
「姫様が息を引きとった瞬間に、私たちだけがここに来ました」
ユリィは、もう一度周囲を確認する。
周囲には誰もいない。
大ホールは大きなイベントのときにしか使われないから、誰もいないのが普通の姿だ。
「やり直し、かしら? それとも、未来?」
「どうすれば確認できますかね?」
初めてのことで、困惑しているマルティナ。
「私の部屋に行けば確認できるわ。行きましょう」
「その前に、着替え」
エマがユリィの制服の穴を指差す。
ユリィは旅先で制服に着替えることが多かったため、ポーチに着替えの制服を入れてあることをエマは知っている。
早速、穴の開いた制服を脱ぎ、綺麗な制服に着替えた。
「待たせたわ。向かいましょう」
大ホールを出て、三人が城内を歩いても、とくに驚いたり咎めたりする者はいない。
「姫様。未来の線は薄そうですね」
死んだユリィが歩いていれば、大ごとになる。すれ違う者が通常通りなのは、まだユリィが亡くなる前だからだと推測する。
ユリィの私室に入り、カレンダーを確認する。
毎日メイドが取り換えるので、その日付は正確だ。
「帝国歴301年8月初旬……」
「過去に戻っている……」
エマがぽつりと呟いた。
「夏休みですね……。今、私たちは、姫様が以前におっしゃっていたことと同じことを体験しているのでしょうか?」
「おそらく、そうでしょうね……」
ユリィは窓辺に行き外を見る。明らかに夏の景色だ。
舞踏会は年末行事であり、その季節であれば庭木の多くは緑に覆われてはいない。
「それなら、また、ユリィが二人いる?」
「それは、本当のことなのですね?」
以前、マルティナの目の前で二人のユリィが手を触れ合わせることで同化した。しかし、そのときに下級貴族のユリィの手を握っていた者だけにしか、その記憶は残っていない。だから、マルティナには下級貴族ユリィの記憶はない。
「もう一人いる可能性が高いわ」
「この現象だと、ボクも、もう一人いるはず」
「そうなんですか!? まさか、私も?」
エマが鋭い考察をする。
今回過去に戻ったのはユリィだけではない。エマとマルティナも過去に戻ったのだ。だから、もう一人いるに違いない。
「そうね。いると思うわ」
「姫様。もう一人の自分がいるって、どのような感覚なのでしょう? もう一人の私は、そのことに気づいているのでしょうか?」
マルティナは、そわそわしながら尋ねる。この世界に自分が二人いるなんて、想像の域を超えている。
「完全に別人よ。もう一人がこの世界に来ていることには、まったく感づいていないわ。両者が触れ合うことで初めて記憶が混ざり合い、それがもう一人の自分だったと知ることができるの」
自身の経験を語ったユリィ。
以前、もう一人の本人を前にして、自身の名を騙る狼藉者扱いにしていたことを思い出し、ほんのりと頬を染める。ちょっぴり黒歴史だ。
「そして、『未来から来た存在』は消える。他者の記憶からも消える」
エマが付け足した。
「もう一人の私は、今頃はビノラ王国でしょうか? 会いに行くのは難しいですね」
「それは、ある意味好都合」
「エマ。あなたには何か考えがあるのかしら?」
もう一人のユリィたちが帰ってくるまで、そして、触れ合って消えるまでは、別人として自由に行動ができる。
また、友好の使節団は極秘の任務だ。城内でもごく限られた者しか知らない。だから、今ならこの世界のもう一人の自分として振る舞っても気づく者はほとんどいない。
そのような説明をしてから、エマは続けた。
「調査しないといけないことがある」
「調査ですか。何か気づいたことがあったのですか?」
現地において、マルティナはユリィを守ることに必死で、刺客を観察する余裕はなかった。
「とても残念なこと。でも、これは見過ごせない」
「残念、ですか? 一体何があったのですか?」
ユリィが亡くなることが唯一にして最大の残念な事象だったのに、他にもあるのだろうかと、身構えるマルティナ。
「舞踏会で、刺客は来賓の傍に、突然現れた」
「そうだったのですか! 全然気づきませんでした」
「私も、周りの貴族が邪魔で詳しいところは見えなかったわ」
ここで、エマはユリィとマルティナの顔をじっと見つめて間を置いた。
「その来賓は、ミーサの両親」
休日、ユリィとマルティナが友好の使節団の打ち合わせをするために城に行っている間に、エマはミーサの家に遊びに行った。その際、トモリンとクリスも同行した。
そのときは、エマがお菓子と茶葉を持参し、ミーサの母には古めかしいティーセットとお湯だけを用意してもらった。
せっかく友達が家に遊びに来たというのに、ミーサはお菓子を頬張ってちょっとだけ会話するとすぐに、父に剣の摸擬戦を挑んだ。
狭い庭で対峙する二人。
ココナによる技能の向上とウイングブーツ装着といった、ほぼ反則といえるミーサに対し、父は善戦した。ミーサのクセを知りつくしていたからだ。
エマはこの日、ミーサの両親の顔を知ることになった。
「ミーサの両親が、刺客となんらかの繋がりを持っている、そういうことですか!?」
「以前の体験でも、刺客が現れる直前に皇帝の前にいた貴族は、不自然な踊りをしていたわ。残念だけど、繋がりがないとは言い切れない」
最後に皇帝の前で踊っていた貴族は、以前の体験と同じく、不自然な踊りをしていた。とても怪しい動きだった。
残念ながら貴族の顔を覚えるのが仕事のユリィであっても、下級貴族の最底辺で、滅多に城に来ることのないミーサの両親の顔は知らなかった。だから、この貴族がミーサの両親だとは気づいていなかった。
「それに、ミーサは、聖ファサラン国にいる間は普通だった。エイクス帝国に帰ってから様子がおかしくなった」
「まさかそれは、ミーサが両親の犯行計画に気づいて、私たちと板挟みになっていたと言うのですか?」
「そんなことなら、相談して欲しかったわ。友達なのに……」
ユリィとしては、正直に話してもらえれば、そして事件さえ起こらなければ不問にすることもできる。それだけの権力(父の愛情)を持っている。それにミーサが気づいていたかは、別の話として。
「ボクの予想だと、この夏休み中に、犯行の計画がミーサの両親に届けられる。それがミーサが帰る前なのか後なのかまではわからない。でも、今日から毎日張り込み続ければ、必ず手掛かりを見つけられる」
決意の籠った目で二人を見る。
エマにとって、ミーサはかけがえのない友達。その両親には帝国を揺るがす犯行に関わって欲しくはなかった。
「わかったわ。ミーサの両親を調査しましょう」
「姫様。まだこの時点では犯人と確定しているわけではありませんから、城から人員を用意することはできませんね」
「このことは露呈させたらダメ。その時点でミーサは立場を失う」
まだ犯行計画に関わっていないかもしれない。でも、城の関係者が表立って調査をすれば、貴族としての面目は失墜する。
「そうね。私たちだけで、なんとかするしかないわね」
「ここを拠点にし続けると、ユリィがここにいることがおかしいと気づく人が現れる。だから今後はボクの家を拠点にする」
友好の使節団は極秘任務だから知っている人が少ないといっても、城に長居すると、それに関わった者の耳に入るかもしれない。その者にしてみれば、ユリィがここにいることは不自然なことなのだ。
「私もそうだったのですが、同じ人間が二人いるなんて、普通であれば信じませんからね」
マルティナにはユリィが二人いたという記憶はなく、今回実体験するまでは、半信半疑だった。信頼のおける皆がそう言うから、その言葉を信じていたにすぎない。
帝国皇女を名乗る者が二人いたら、通常であれば、偽者が厳罰に処せられる。もしも、誰かがビノラ王国にいる使節団と連絡を取って、ここにいるユリィが偽者だと認定されたなら、捕らえられてしまう。最悪、すぐに処刑されるかもしれない。
だから、拠点を移すことは最優先事項だった。
「エマ。よろしく頼むわ」
歩いて城門を通るユリィたちに、門衛は少し疑問を感じるところがあったようだが、「近くの店に買い物に行く」と告げて、何くわぬ顔で通過した。
三人は学園の制服を着ているため、再びここに戻ってこなくても不審には思わないだろう。
エマの屋敷は平民街にあり、城からは少々遠いが、ミーサの屋敷からはそれほど離れていない。ミーサの家は貧乏なので貴族街の外れに建っているのだ。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
エマの屋敷の門衛は、ユリィの顔を知らないようで、エマにだけ畏まった挨拶をした。
エマの私室に行き、作戦タイムになるかと思いきや……。
「その前に、ユリィ、体を洗う方がいい」
「そう、ね……」
服こそ着替えたが、恐らくその下は乾いた血で汚れている。
エマはメイドに何か話すと、三人で浴室へと向かった。
脱衣スペースで服を脱ぎ、浴室の扉を開ける。
「エマの屋敷の浴室は、広いですねー」
上級貴族のマルティナの屋敷の浴室よりも広く豪華だ。
「貴族の嗜みを知らなければ、新しい商品を貴族に売り込むことができない。だから、こうやって実際に体験している」
貧乏貴族のミーサがいたらツッコミが入るのだろうけれど、
「研究熱心なのね」
「そうですね。わざわざ商品を試すために、自ら体験しているのですね」
金持ちの二人の目には普通のことのように映っていた!
「姫様、背中を流しますね」
体中、乾いた血で汚れているユリィ。自身だけでは隅々まで洗うことはできない。
「ええ。お願いするわ」
立ち込める湯気の中、ユリィの体を洗うマルティナ。少々嬉しそうな顔をしているのは、気のせいだろう。
「姫様の体をここまで汚した悪党を、必ず捕まえて見せます!」
「うん。ミーサの両親を使うなんて、許せない」
綺麗になり、風呂から出ると、新しい下着が用意してあった。
「これは?」
「使って。制服には洗浄の術式が組み込まれているけど、下着には多分組み込まれていない」
「ありがとう。せっかく体を洗ったのですもの。綺麗な下着があると助かるわ」
「私の分もありますが?」
「メイドにどちらかだけを指定するのが難しかった。だから、全員の分、用意させた」
エマの分もバッチリ用意されていた。
「そうなのですね。ありがとう……、あ! これはカーペングループのブランド品ではないですか! こんないい物をもらってもいいのですね?」
「ウチでは、それが普通……」
ミーサがいれば、超ド級のツッコミが入るところであり、ちょっと寂しさを感じるエマだった。
三人は冒険者風の服装を身に着けて、ミーサの屋敷へと向かった。




