080話 剣聖ロドルフ
物見の塔の屋上で、景色を堪能するユリィたち。
そこはとても見晴らしの良い場所だ。
「わあ! おっきいねー!」
「海は青くて、とても広い」
「ふんっ! この美しい景色はすべて、クリスティーネ様のためにあるのよ!」
西を向くと、陸地の向こうに視界いっぱいに広がる広大な海。その青い水平線の果てで誕生する白い波が、幾重にも並んで動いている。
「王都の中を漂っている香りの正体がわかりましたよ。西の方から吹く風の香りと同じです」
海特有の潮の香り。それが西風に乗って王都マルシーの中を漂っていたのだ。
「そうだな。海の香りと同じだな」
ミーサは目を閉じ、鼻から大きく息を吸って答えた。
「あの島が、交易を行っている島かしら?」
ユリィが指差す小さな島の周辺には、多くの船が集まっている。
「ユリィ様。収集した情報を総合すると、あれが交易島で間違いありません」
ヘルミナはいろいろ情報収集していたようだ。
交易島は遠く、船の荷物や人の姿までは確認できないが、船の出入りの数から、貿易は大変賑わっていると予想された。
「ヘルミナって、いろいろ調べたのなら、剣聖の道場の場所についても調べてはいないのか?」
「ちゃんと調べましたよ?」
「まじか! どこだ? 行こう、すぐに行こう!」
ウイングブーツを使って瞬間移動し、ヘルミナの両肩を掴んでぐらんぐらん揺さぶるミーサ。
「ひ、東、を、み、て、くだ、さ、い」
今度はヘルミナの腕を引いて、東側の狭間へと連行した。
「どこだ?」
「あれですよ、あの、黒い屋根の建物です」
ここからは王都マルシーを一望できる。
幾重にも張り巡る城壁。見渡す限りオレンジ色の屋根が続いている。ミーサは目を凝らして黒い屋根を探す。
「あった! あれだな!」
中央から二番目の城壁の領域に、他とは異なる黒い屋根の建物があった。
ミーサは後ろに向き直り、ユリィに「剣聖に会いに行こう!」と声をかける。
すると、海を堪能していた皆が一斉に振り向いた。
「わわわ、あれ、何?」
トモリンが南東の空を指差す。ミーサは下の方ばかり見ていたので、空の異変には気づいていなかった。
「遠い雲の上ですが、大きな、とても大きな島が浮かんでいるように見えますね」
「昨日までは、なかったですよね~」
馬車で移動している間、窓を開けて空を眺める機会は十分にあった。空に何かが浮かんでいれば気づくはずだ。
「あれは……」
クリスは普段と異なり、呆けるように見つめている。
「ビノラ王国には、変わった物があるんだな」
「ずっと南の海の上になりますよ。ビノラ王国というのは少し語弊があります」
そして、空から地上へと視線を下げる。
「東のほう。たくさん煙が上がっている」
背伸びして遠くまで見ようとしているエマ。
見えるのは、畑を焼いている煙だ。
風向きの関係で、こちらには焦げた匂いは届いていない。
「今日はまだ小規模な予行演習みたいなものだから、明日になったらもっと煙が上がるでしょうね」
「温暖化とか、関係ないの?」
「なんだ、温暖化って?」
この世界には、二酸化炭素や温暖化などといった知識はない。
「うーんと……。物を燃やしたらいけないこと……? よくわかんない」
中途半端に前世の記憶を引き出したトモリンは、物を燃やすのは良くないことだと知っているのだが、その理由まで辿り着くことができなかった。トモリンの脳内では、重要な部分(興味のない部分)が、まだ圧縮保存されているのだ。
屋上では思わぬ発見があったが、景色を十分に堪能した一行は物見の塔を下り、次の目的地である、剣聖の道場に向かった。
「ここだな」
黒い屋根の建物。それを囲うように敷地の境界には白い壁が張り巡らされている。
ロドルフ・マーシャルアーツジム。看板にはそう書いてある。
剣聖ロドルフの道場だ。
「鍛錬している声が聞こえてきますね」
掛け声や気合を入れる声。怒声に叫び声。いろいろな声が聞こえてくる。
「中に入ってみましょう」
門衛などはおらず、門の扉を開けると、その先には鍛錬に励む多くの若者の姿があった。
どさくさに紛れて、一般市民風な少女と、やたらマッチョな一般市民風な男たちも、一緒に入ってきた。
「あの人たち、最初の服屋から、ずっと私たちの後をつけていませんか?」
塔の階段を駆け上がることで引き離したと思っていたのに、どこからかまた同じ道を辿っていたようだ。
「私たちは観光地を巡っているのです。たまたま行き先が同じだったのでしょう」
警戒するヘルミナと、意に関しないマルティナ。ぱっと見で戦力的に警戒するに値しないと判断したのだ。
道場が観光地に属するのかどうかは、疑問が残るところではあったが、誰も問題にはしなかった。
「見学者か?」
中に入ると、近くにいた男が尋ねてきた。
「剣聖ロドルフに、稽古をつけてもらいに来た」
ミーサのその言葉に、鍛錬中の門下生たちの動きが止まる。
そして視線がミーサに集まりだす。
「いきなりロドルフ様を指名するって、なんだ、アイツ?」
ヒソヒソと小声で話し合う声が聞こえてくる。
「ワシに稽古をつけて欲しいだと?」
細く吊り上がった目に太い眉。歳は四十前後だろうか。いくつもの修羅場を乗り越えてきたような鋼の肉体は、それだけでも見る者を圧倒する。
離れた位置にいた剣聖ロドルフが近くまで寄ってきて、ジロリとミーサを睨んだ。
「今日一日だけでいいんだ。私は高みを目指したい」
「私もお願いするわ。是非、剣聖のその技をこの目で、そしてこの剣で確かめたいの」
剣聖は、値踏みするように二人を見る。
「ふむ……。それなりに出来るようだな。まずは、お主らの剣技がワシの稽古に耐えられるだけの高みにあるのかを、試さなければなるまい」
「おお! 稽古をつけてくれるんだな! ありがとう!」
「まだだ。おい、シルビー。新入りの相手をしてやれ」
「任せるのニャ! 新入り、こっちに来るのニャ」
猫獣人の少女がちょこんと現れて、逸るミーサを、庭の一角にある四角く区切られた舞台へと案内する。
「天才剣士シルビーが、あんたの相手をするのニャ」
(ビノラ王国には獣人が修行に来ているのね。帝国ではまず、ない光景だわ)
エイクス帝国は、建国の逸話にもあるようにシレッド獣国との仲が悪い。周囲の「敵国」の中でも最上級の「敵」なのだ。だから、帝国内に獣人を入れることは基本的にない。
しかし、ここビノラ王国は巡礼の大街道でシレッド獣国と繋がっていることもあり、多くの獣人が行き来している。
周囲からひそひそと声が聞こえてくる。
「おい、いきなりシルビーと手合わせだってよ!?」
「あの新入りは、そんなに見込みがあるのか?」
「私はシルビー先輩には敵わないワン」
どうやら、シルビーはここの門下生の中でも上位に位置するようだ。
稽古をしていた門下生が、舞台を囲むように集まりだした。
ミーサに木剣と盾が手渡され、二人は互いに向き合って木剣を構えた。
「いざ尋常に、勝負なのニャ!」
「シルぽん、ふぁいとだおー!」
ウサギ獣人の少女がシルビーを応援する。
「望むところだ!」
すぐに試合が始まった。
「むむ!? 速いのニャ!?」
先手を取るつもりで踏み出したシルビーは、その瞬間に、ミーサのほうが先に迫っていることを察知し、即座に木剣を引き戻して防御に構える。
「これを防ぐとは、やるな!」
シルビーは盾ではなく、あえて木剣を左に傾けることでミーサの木剣を受けた。そして、力を込めて下へと払うと、そのまま水平切りへと移行する。
ミーサは後ろへと飛び退き、シルビーの剣先が体を掠めて行く。まだその剣が振るわれている最中に、ミーサは素早く右へと位置取りし、斜めに剣を振り下ろす。
「ニャニャ!?」
体を傾けてそれを避けたシルビー。しかし、無理をしたことで体勢が崩れていて、かろうじて次の一撃を盾で防いだが、続けて出される素早い連撃に対応できない。
「一本!」
木剣がシルビーの腹部に数回入り、審判役の門下生が旗を上げた。
「ま、負けたのニャ」
門下生達が一斉にざわつく。
「嘘だろ? シルビーから一本取ったぞ!?」
「シルビーよりも剣速が速く、そして鋭く見えた」
「次元が違うワン」
「ほう……。決まり手は剣技ファルコンラッシュか……。次! もう一人の新入りの相手は、ロミ、お主だ」
「ロドルぽん、ボクは負けないお!」
シルビーとミーサが下がり、先ほどのウサギ獣人がユリィを連れて舞台へと上がった。
「神速剣士ロミだお! 行っくおー!」
「私はユリィよ。全力で戦いましょう」
名乗りと同時に両者の木剣が交差する。
「ボクの最速の剣を受け止めたお?」
「あなたの決め手はこれで終わりかしら? それなら、私から行くわ!」
ユリィは大きく木剣を振り回し、さらに闘気を地面から吹き上げる。
「あらぴょん!」
ロミは斜め後方へ避け、間を置かずに、ユリィの木剣が足元を払うように低い軌道で再度襲い掛かる。
「そらぴょん!」
「トモリンみたいに避けるのね」
傍から見ると不自然な体勢で木剣を躱すロミ。その姿は、ボールを避けるトモリンのようだった。
「ふむ。剣技ブランディッシュからの連続技か……。二人とも剣技は十分身についているようだな」
剣聖ロドルフは腕を組んで試合の成り行きを見ている。
「神速剣士の名は伊達ではないお! もう一回、行くお! やっ!」
ロミが高速に振るう木剣が、振り下げから振り上げへとV字状に軌道を変える。
ユリィは半歩下がって盾で受け、ロミの木剣が止まらぬうちに、滑るように踏み出して木剣を一気に突き出した。
「一本!」
ユリィの突きが決まり、後ろに転がって行くロミ。
「痛いお~」
「ごめんなさい。少し力が入り過ぎたかしら」
ユリィは駆け寄り、手を引いてロミを立ち上がらせる。
「例え修練であろうとも、手を抜くべからず。痛いのは、受けの修行が足りぬのだ」
ロドルフが舞台に上がり、ミーサとユリィを睨む。
「新入り二人。前に立て!」
その眼力と声に、ビクッと肩を震わせて、いそいそと舞台に上がってくるミーサ。
ユリィもロドルフの前に移動する。
「二人同時に、全力でかかって参れ!」
再確認するまでもなく、ミーサとユリィは木剣を繰り出す。剣聖ロドルフには、二人がかりでも勝てる気がしないくらいの存在感があるからだ。
水平に木剣を振り、その拳二つ分下に闘気の刃を出現させるミーサ。
そのミーサの剣技の邪魔にならないよう、素早くZ字状に切り裂くユリィ。
「決まったか!?」
二人の剣技は、ロドルフの体にクリーンヒットしている。
しかし!
「どこを見ている?」
いつの間にか二人の背後にいたロドルフ。
ぶんっと木剣を一振りし、そこから放たれる闘気で二人を飛ばす。
「幻影に惑わされるのは、実戦経験の少ない証拠! 常に相手の気を感じろ!」
「気を……、うわっ!」
起き上がってロドルフの気を感じようと試みるミーサの側面に、盾が迫る。
「まだまだだ! もっと意識しろ!」
盾で弾かれてミーサは宙を舞う。そして、ロドルフの背後を狙うユリィ。
「はっ! また幻影!?」
空振りしたユリィの側面に、蹴りが入る。
「目に映るもの、真ならざるなり。聞こえるもの、幻なり」
ロドルフは木剣を構えたまま、倒れる二人にジリジリと歩み寄る。
「目で見ているもの、耳で聞いているものは、幻?」
立ち上がりながら、ロドルフの言った言葉を吟味するユリィ。
そこでロドルフの剣が素早く二回振り下ろされ、二人を襲う。
咄嗟に盾を前に出すユリィ。そして木剣を弾こうとしたミーサ。
「! また幻影か!?」
「きゃあ!」
背後からショルダータックルを喰らい、二人はよろけるように倒れる。
そして、追撃をもらわないよう、素早く立ち上がる。
「お主らに必要なのは、剣技の上達にあらず」
再びジリジリと近づいてくる。ロドルフがあえて剣技を見せないのは、言葉にしたことを体で示しているのだろう。
「私はユリィを信じる!」
ユリィに背を合わせ、木剣を構えたまま目を閉じるミーサ。
それでハッと何かに気づいたユリィも、同じく目を閉じる。
その二人めがけて、ロドルフは容赦なく木剣を振り下ろす。
目を閉じている二人には、ロドルフの姿は見えない。だから、受けることもしない。ロドルフの木剣が二人を捉えたかと思った瞬間。
「そこだ!」
「そこよ!」
二人の木剣が、ロドルフとは逆のサイドを狙う。
バキン!
「見事だ!」
二人の木剣は、ロドルフの木剣に受け止められはしたが、そこにいたのは幻影ではなく、実物のロドルフだった。
「おお! わかったぞ!」
「私も、剣聖の教えが理解できたわ」
(仲間を信じること……。最も基本的なことができていなかったわ。仲間を信じてともに進めば、目に見える虚構を打ち破り、真の敵を知ることができる……)
「剣技の深淵。それは世界の真理に通ずるものがある。ワシから教えられることは以上だ」
「それって?」
「免許皆伝だ。お主らに必要なのは、修行ではない。実戦経験だ」
ロドルフの言葉に、門下生がざわつく。これまで免許皆伝と言われた者はいないからだ。
「おお! 稽古してくれてありがとう!」
「剣聖ロドルフ、感謝するわ」
お辞儀をする二人。
「お、おかしいのニャ! 天才剣士シルビーの妹弟子が先に卒業したのニャ!」
「神速剣士ロミよりも早く卒業だおー」
手を振り上げて感情を表に出すシルビーと、ウサ耳をペタリと曲げてしょんぼりするロミ。
「ところで、その天才剣士とか神速剣士とかって二つ名はなんなんだ?」
舞台から下りて、シルビーに尋ねるミーサ。
「強そうだからニャ!」
どうやら、二つ名は自称のようだった。
実際、シルビーとロミは、門下生の中ではダントツに強いのだが、ココナに強化され、さらにウイングブーツを履くユリィとミーサには敵わなかった。
「シルビー、ロミ。基礎からやり直しだ!」
「ニャー!」
「それはキツイおー」
剣聖ロドルフの稽古により、気配をなんとなく感じられるようになったミーサ。そして、仲間の重要性を再認識したユリィ。今後の活躍が期待される。




