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002話 異世界転生者トモリン

 エイクス帝国の北部に連なる大山脈の麓に、山の民の村があった。

 山の民の生活は日の出とともに始まる。


「おはよう、ばっちゃん」


 いつもは「おはっち~」なのだが、今日に限って普通の言葉が出た。


「ああ、トモリンかい。おはよう。今朝は遅かったねえ。具合でも悪いのかねえ?」


 動物の皮を縫い合わせて衣服を作成しながら、婆さんは、トモリンのほうを見る。

 その他の家族は、もう狩りや野草摘みに出かけて、ここにはいないようだ。


「寝坊しちゃったね。大丈夫、健康そのものだよ!」


 トモリンは毛皮のコートを羽織り、弓を手に家を出る。トモリンの新しい記憶では、これは家と言うより、掘っ建て小屋だった。


 昨夜の夢は不思議な夢だった。

 見たこともない巨大な建物。高速で走る電車と言う乗り物。学校と言う施設……。

 トモリンは、まるでそこで長年過ごしていたかのような、長い長い夢を見た。

 日本と言う平和な国。町はたくさんの人であふれていて、こじゃれた服装でいろいろな物が並ぶ店先を、友人たちと歩き回る。

 そして、突然自分自身が死に至った――。


 夢なんて、すぐに忘れるはずなのに、たくさんの、たくさんのことが忘れられない。

 そんな、昨夜の夢のことを思いながら、弓を引く。


(ゲロゲロ~。私、うさちゃん仕留めてる~)


 矢が刺さったウサギを見て、我に返る。

 自分の姿はどうだろう? 毛皮を身につけ、泥まみれ。黒色のショートヘアはボサボサ。そして、夢の中の自分よりも確実に薄い胸……。

 夢の世界とは程遠い生活。

 昨日までは当り前のようにしていた狩りも、動物を射止める行為に、なぜだか罪悪感が込み上げてきて、今は気が進まない。


(少し休んで、落ち着こうかな。なんか変だし)


 心の整理をしようと思い、その辺の岩に腰かける。


 山の民は狩りをしないと生活できない。

 でも、忘れられない夢のせいで、罪悪感が邪魔をして、思うように狩りができない。


 夢の中でも、肉を食べていた。ただ、それは自分や家族が仕留めた物ではなかっただけで。

 つまり、肉は必要で、夢の中でも誰かが狩りをしているのだと、トモリンは結論付けた。


(誰かがやらなくっちゃね! きっと、夢の中でも誰かがうさちゃんを仕留めて気分が悪くなっているに違いないよ! 夢は夢。私は私)


 割り切ったところで立ち上がり、先ほど仕留めたウサギの耳を掴み上げて、よろよろと山の中を歩いて行く。


「そうだ! うーんと……。夢の中だと、私、山ガールって言うのかな!」


 トモリンは、いつもの調子を取り戻しつつあった。山ガールの意味をやや取り違えてはいるが。


 どうでもいいことを考えて気分が晴れたところで、前方に、いつもとは違う物を発見した。


「あれれ? ここっていつも通る場所だよね? こんな所に洞窟なんてあったかな?」


 小首をかしげ、洞窟の中を覗いてみる。

 それほど深くはなさそうだ。

 トモリンは、何も考えずに洞窟に入ってみた。


「ありゃ? 人が倒れているよ?」


 奥の方で地面にうつ伏せになっている金色の長髪の女性。

 着衣はボロボロで、ないに等しい。

 そして、どう見ても睡眠をとる姿勢には見えなかった。睡眠をとるなら、壁に寄りかかるか、せめて仰向けになるのではないだろうか。


「えっと……、大丈夫?」


 近寄って声をかけてみる。


(返事がないよ? ただのしかば……)


 夢の中の記憶が、現実の記憶と融合し、この世界では体験していない言葉が自然と思い浮かぶ。だけど、トモリンはそのことに気がついていない!


 肩を揺すってみようと、しゃがみ込むと……。


「う、うーん……」


 倒れている女性の口から声が漏れた。


「おおう! 復活したっぽい!?」


「ん!?」


 トモリンの大きな声に驚いて正気を取り戻し、目を見開く女性。

 そしてがばっと起き上がろうとして腕を立てたが、最後まで力が入らず、ふにゃっと、再びうつ伏せに戻ってしまった。


「解放……軍?」


「かいほう? ああ、介抱して欲しいってことだね!」


 トモリンは、ウサギを地面に置くと、女性を横に転がして仰向けにし、羽織っていたコートを掛けて、よっこらせと女性を抱えて立ち上がった。その際、右手で再びウサギを掴んだ。自称山ガールは力持ちだった。


「無礼、者……」


 腕の中で女性が力なさげに何か言っているようだったけど、大分弱っているようだったから、急いで家に戻った。


「ばっちゃん、ただいまー」


「おや、早かったね」


「うん。倒れている人がいて連れてきちゃった。ばっちゃん、診てもらえる?」


 このときトモリンは、まだ夢の記憶――前世の記憶の中に、自身が病気を癒す力を持っているということに気づいていなかった。


「おやまあ。見ない顔だねえ。そこに寝かせなさい」


 木を組み上げて毛皮を敷いたベッドの上に、女性を寝かせる。

 続けて、コートを壁の服掛けに掛け、ウサギを調理台の上に持って行く。

 すると、どこからともなく、グゥ~、と音が鳴った。

 トモリンと婆さんが顔を見合わせる。


「わ、私じゃないよ!?」


「この娘さん、お腹すいてるみたいだねえ。少し早いけど、食事にするかねえ」


 婆さんは、ふふふ、と笑って食事の用意を始めた。


 山の民の食事は一日に二回で、通常は朝と昼の間に一回、夜に一回の割り当てだ。なお、狩りなどで遠出するときは早朝と夜の二回にするか、干し肉などを持って行くという生活スタイルだ。

 だから、日が高くなりつつある今は、おおむね食事の準備ができていた。


「どうぞ。お食べなさいな」


 婆さんが木皿に満たしたスープを女性の元に持って行く。でも、女性は意識が朦朧もうろうとしているようで、自分で食事を摂ろうとはしない。


 仕方がないので、トモリンが左手で女性の上体を抱きかかえるように起こし、右手に木のスプーンを持ってスープを女性の口元に寄せる。


 女性の鼻がかすかに動き、目が薄く開かれる。そして、スプーンに吸い付くように口を寄せてスープを飲み干した。


「そんなに慌てなくっても、なくならないよ。この皿、ぜーんぶ、食べていいから」


 山の民の食生活は貧しい。冬の時期、狩りで獲物を確保できない日が続くと、姉弟で食事の取り合いになることもある。でも、今は獲物をたくさん確保しているから、食事の心配はしなくてもいい。


 女性は、それまで手に握っていた石のような物をベッドに置き、それから、スプーンを持つトモリンの手を掴んで、そのままスープをすくって自力で食事を始めた。


 夢中でスープを飲む女性。婆さんとトモリンはその姿を温かく見守っている。

 やがてスープが空になった頃、女性の顔色も大分良くなったように思えた。

 それを頃合いと見計らった婆さんが女性に話しかけた。


「娘さんや。あんた、どこから来たんだい? 山の民の領域によそ者が来るなんて、滅多にないことだしねえ」


「山の民……」


 女性は婆さんの言葉を小さな声で復唱し、今度は皆に聞こえるような大きさの声を出す。


「無礼者! 私はユリィ・エイクス。エイクス帝国皇女よ! そこにな……」


 皇女ユリィは、そこに直りなさい、と言おうとして、途中で止めた。

 そして、少し息を吸って落ち着いてから、


「その、ありがとう……」


 はにかんだような表情を見せ、ぷいっと横を向いた。


「帝国の皇女様でありましたか。ははー」


 婆さんが、突然平服しだした。

 山の民の領域から外に出たことがないトモリンは、どうしたらいいのかわからない。前世の記憶があるといっても、封建制度みたいな国の体験談はない。


「トモリンや。ひざまずいて頭を下げなさい」


 婆さんにそう促されて、片膝を下ろしたところで。


「いいわ。あなたたちは恩人。顔を上げて自由にして」


「はへ?」


 混乱してこの展開についていけないトモリン。


「トモリンや。お前には教えていなかったがのう、この帝国では皇族様が一番偉いのじゃ。そしてワシら山の民は、一番下の者なのじゃ」


 トモリンの頭に手をのせ、うなずくように自身の頭を縦に振りながら優しく説明する婆さんの言葉で、トモリンは落ち着きを取り戻し、なんとなく理解した。自称山ガールは封建制度の最底辺なのだと。


「都会のほうって、ボロボロな服装が流行ってるの?」


 ここで、トモリンは爆弾発言をした。


 記憶の中では穴あきデニムとかが流行ることもあったし、裸の王様って話も聞いたことがある。だから、その言葉に悪意はなかったし、婆さんに向かって言ったつもりだった。

 ただ、婆さんは顔を引きつらせて、答えに窮していた。


「ボロボロ……? きゃあ! なんて姿!」


 しっかりと聞いていたユリィは、慌てて毛皮の毛布を引っ張り上げて体を隠す。


 婆さんは、一度うしろの棚へ行き、ゴソゴソと何かを取り出して戻ってきた。


「皇女様がお気に召すものではありませぬでしょうが、山の民の衣服でごぜえます。お収めくだされ」


 皮の衣服をユリィに渡す。トモリンと背丈はそれほど変わらないから、それは、トモリンの服だったに違いない。

 気に入る、気に入らないという次元の話ではなく、裸に近い格好だったので、皮の衣服を早速身に着けるユリィ。


(ああ、ユリィちゃんも仲間!)


 トモリンは、ユリィが自分の皮の服を着用できたことに安堵の息を漏らす。あらぬところの大きさに、極端な差がなかったのだ。少し、負けてはいるのだが。


「ところで、皇女様は、こちらまでお一人でお見えになられたのですかな?」


 婆さんの言葉を聞いて、ユリィは突然、何かを思い出し、肩をすくめて怯えだした。


「解放軍……。解放軍に追われているのよ」


 少し腰を浮かし、ベッドの傍の小さな窓から外を見ようとする。


「そうですかそうですか。それは大変でしたのお」


「ばっちゃん。解放軍って、何?」


「さあて。何のことじゃろな。とんとわからんのお」


 ユリィは浮かしていた腰を下ろして、婆さんの方に向き直る。


「今、帝国は戦争をしているわ。東のシレッド獣国、南西のビノラ王国。そして、南の聖ファサラン国の三つの国と」


 はあ、と息を漏らし、驚いたように目を丸くする婆さん。


「戦争だなんて、おっきなことが起きてただなんて、まったく知らんかったのお」


「その、聖ファサラン国軍が、自らを解放軍と名乗り、帝都に攻め込んできたわ」


 ユリィは俯き気味になり、少し弱い声で話した。


「そらまた、おったまげたなあ。帝都で戦争してるだなんて、聞いたこともねえだなあ」


「そして……。私を捕らえようと、追っ手はすぐそこまで迫っているわ」


「それはそれは、お気の毒に……」


 ここまで話をして、ユリィの目が、棚の上にある木製のカレンダーらしき物体を捉える。


「え!? 嘘? あのカレンダーは正しいかしら?」


 山の民が使うカレンダーは、毎日木板を入れ替える方式の物で、それは帝国歴300年の1月を示していた。

 戦争の発端となる、皇帝が暗殺されたのが帝国歴301年の年末のことだ。


「ええ。毎日入れ替えておりますじゃ。間違ってはおりませんのお」


「今は本当に、帝国歴300年?」


「ええ。間違いございませぬ」


 ユリィは額に指を当てて、少し思案する。皇帝の暗殺事件まで、あと二年近くの時間がある。


 そんな思案するユリィの姿を見て、トモリンは大変失礼なことを考えていた。


(この人、若く見えるけど、実は痴ほう症で山野を徘徊していたのかな?)


「すぐに帝都に戻らないと!」


 ベッドから起き上がり、床に足を降ろそうとして気がついた。靴がないことに。

 婆さんは、またまたトモリンの物をユリィに差し出し、ユリィはそれを履く。


「ありがと……」


 ユリィは、少し照れたように、言葉を紡ぐ。


 追われる身になるまで、皇女であるユリィは、下々の者から不自由なく与えられるのが当たり前だと思っていた。

 しかし、逃避行において、自分だけが水や食料を手にしていては駄目で、皇女近衛騎士と分け合うことが重要だと学んだ。そして、当たり前だと思っていた、村人からの徴発も、その貧しそうな人々を見るうちに、してはいけないことだと感じていた。


 それまで、自分には与えられていたのに、誰にも何も与えてこなかった……。せめて感謝の気持ちだけでも言葉にしないといけない。そう、思うようになっていた。


(これは都会に行けるチャンス! しかも、このユリィちゃんって子は、ついて行ってあげないとまた山の中を徘徊するかもしれないし!)


 トモリンは、前世の記憶のせいで、都会に興味を持ち始めた。この、山の民の暮らしはなんて不自由なんだろう、とも思っている。

 そして、大変失礼な思い違いをしているのだが、そちらは声に出していないから、ユリィは気づいていない。


「ねえ。私も行ってもいいかな?」


 ここぞとばかりに、トモリンがニコニコ顔で声をあげた。


「もちろんじゃ。皇女様を一人で行かせるわけにはいくまいて。トモリン、一緒に行きなさい」


「ばっちゃん、ありがと。父さんや母さんにも言っといてね!」


 婆さん的には追っ手の存在が気がかりではあったけど、「皇女様」の意向に逆らうことなどできないし、山の民の村の近傍で捕まってもらっても困る。だから、道案内としてトモリンが一緒に行くことは理にかなっていた。


「そう。あなたトモリンって名前なのね。行きましょう」


「行ってきまーす」


 婆さんが慌てて干し肉と水が入った皮袋を渡すと、二人は毛皮のコートを羽織って、外に出た。

なっしんぐ☆です。

本文について補足します。

この世界においては、

村の民などの平民は、皇女や皇帝などの敬称を一律で「様」としています。

貴族など、教育の行き届いている者は「皇女殿下」「皇帝陛下」などのように敬称を使い分けています。

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トモリンの勘違いが酷いw
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