七話 十二月十五日 その二
十二月十五日 その二
九藤は神楽坂と二人で大学の校内を歩いていた。神楽坂とすれ違う女子は、例外なく神楽坂の姿をちらりと盗み見る。先ほどの女達に至っては「神楽坂さんだ」「かっこいい」などと大きな声で言っていた。神楽坂はモテるのだ。
それは彼の何か底が知れないような雰囲気と、言動や行動からにじみ出る知性がカリスマ性を与えているからだろう。
九藤は羨ましいとは思わなかった。ただ純粋に、この人と一緒にいられることが誇らしかった。
「明日、蝋人形美術館に行くんでしたよね」九藤は話しかけた。
「そうだね。あそこはきっといい場所だ。人形は人間にとって最も大切なことを気付かせてくれる。自分に欠けているところを知ることができる。その経験は素晴らしいものだけど、少し恐くもあるね」
「人形が、教えてくれるんですか?」
「ああ、そうだよ。人間を模したものである人形は、決定的に欠けているものがある。それは精神だよ。彼らは何も考えないし、話さない。人は人形を見て、欠けているという概念をあらためて考察することになる」
「へえ」
九藤は、美術館へ行くのが楽しみになった。
歩いてしばらく経つと、学生が神楽坂に話しかけてきた。
「神楽坂、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
体育会系の、体格のいい男だった。神楽坂の知り合いらしい。
「今うちの部の中でいろんな揉め事があってさ。統率がとれないんだよな。どうすればいいと思う?」
男は本当に困っているのだ、というような顔をした。神楽坂はやれやれとため息をつくと、「それで、どんな揉め事なの?」と訊いた。
「俺が部長なんだけどさ、練習に来ない部員がいるんだよ」男はため息混じりに喋り始めた。「でもそいつはすごい才能があって、実際に実力もかなりある。コーチもそいつを買ってて、サボりを黙認してるんだが、それを良く思わない部員が多くてな」
「なるほど」神楽坂は腕を組んで聞いている。
その部では、サボり魔を部から追い出そうという話が出始めてるらしい。だがそのサボり魔無しでは試合に勝てそうにないということから、試合に勝つためにサボりを許そうという派閥と、いや、追い出そうという派閥ができて、部内が二分して、対立してしまっているという。
男は途中から早口でまくしたてるようにして喋った。話によると、やはり体育会系の部のようだ。男は話し続けるが、聞けば聞くほど、部の中の人間関係が泥沼化しているのがわかってくる。九藤は、それはどうしようもないなと思った。
「そうか、それなら、こうしてみるといい」
神楽坂は、考えるそぶりもなく解決策を語りだした。「まず顧問を追い出すんだ」
「は?」男は素っ頓狂な声を上げた。
「そしてその後にサボり魔を追い出そうとしていた派閥のやつらを追い出す。これで解決するはずだよ」
「な、なんでだ?」
「まず顧問がいなくなると、サボりを黙認されていた部員は、不安に襲われる。追い出されるのではないか、ってね。そしてサボり魔を追い出そうとしている派閥を追い出す。するとそのサボり魔はこう思うはずだ」
神楽坂両手を広げる仕草をして続けた。
「あれ?追い出されないし、コーチがいなくなったんだから練習に来い、という奴もいない。どうしてだ?」
「まあ、そうだろうな」部長は怪訝そうな顔をしている。
「するとサボり魔は自分の価値に自信がなくなってくる。もしかして自分は大したことはないのではないか。コーチの買いかぶりだったのではないか。いやそうじゃない。俺は凄いはずだ。こういう思考で、部活には来るはずだ」
「で、でも追い出す派を追い出したら部員の数が…」
「そいつらは頃合いを見てまた部に戻す。サボり魔が部活に来るようになったらね。情熱があるやつはまた部に入るだろう。コーチと情熱がないやつは失うことになるけど、それが一番の解決方法だよ。サボりを許そうって派閥と結束するのが大事だ。部長のリーダーシップの発揮のしがいがあるだろう?」
その意外性のある方法に九藤は度肝を抜かれた。語り終わると、男が信じられない、というような表情をして言った。
「そんなことで、上手くいくのか?」
「まあ、騙されたと思って試してみるといい」
「わかった。やってみるよ。ありがとうな!」
男は挨拶をして走り去った。
「凄いですね、神楽坂さん」九藤は言った。
「ま、実際は追い出そうとしても上手くいかないだろう。対立にコーチも加わって、さらに事態は複雑になるはずだ」
「え?ど、どういうことですか?」
「上手く全部の勢力が対立するようにあいつに教えたんだよ。めちゃくちゃになればいいんだ。壊れたらいったんばらばらに砕いて、また溶かして作り直せばいい」
「そ、そんなことでいいんですか?」
「用は部が強くなればいいんだろう?やめるやつはやめて、やめないやつはやめない。サボり魔はやめないと思うけどね。サボる対象が無くなったらサボるのをやめる。自然なことだよ。あと多分コーチはやめる。それと、あの部長ががもっと大変なことになった、どうしてくれる!って文句言ってくるだろうけど、それは君のリーダーシップが足りなかったからだよ、と言い返すよ」
神楽坂は少し悪びれたような表情で笑った。九藤はその様子がどこか魅力的に感じた。しかし本当にそんなことでいいのだろうか。それと、あの部長がやめるということはないのだろうか。
だが後で九藤が聞いた話によると、神楽坂が言った方法で、結局部は全国大会のベスト8に残るぐらい強くなったらしい。やはり、神楽坂は凄い。ちなみに、サボり魔はやめずに、コーチはやめて、部長は部長をやめたが部自体はやめなかったらしい。
その部長の後も、たくさんの人間が神楽坂に話しかけた。
「神楽坂、今度のコンパ来いよ」とか「この問題がわからないんだけど、教えてくれない?」とか「背が高くてバスケ上手いのになんでバスケ部に入らないんだよ」などと言われていた。神楽坂は何かと頼りにされる存在なのだ。
最後に、女生徒の三人組が二人の前に現れた。そのうちの一人には見覚えがある。確か有名な女の子だった気がするが、思い出せない。神楽坂もその子をじっと見ていて、何か考えている。その三人は「かっこいい!」などと小声で言い合っていたかと思うと、一人がこう切り出した。
「あの、私達を神楽坂さんのサークルに入れてください!」
神楽坂は、またか、といった表情で「悪いんだけど、メンバーの募集はしてないんだ」
「えー」「入れてくださいよー」などと、女の子達は不平を口にした。
「本当にごめんね」
優しく神楽坂がいうと、彼は一人で行ってしまう。九藤は慌ててそれについていこうとする。すると、三人の女生徒のうちの一人から、呼び止められた。
「ねえ、あんた」
「はい?」おずおずと振り返ってみる。
「あんた、神楽坂さんの彼女じゃないでしょうね」
女生徒の目は敵意に満ちていた。九藤は「はは。声。この声」と言ってのど仏を指差してから、神楽坂の後を追った。




