四十九話 一月十七日
一月十七日
「やるべき時が来たと思っています」
東は決然とした口調で言った。神楽坂はコーヒーを一口飲んでから「ほう」と言った。
神楽坂の東に対する態度はいつも変わらない。彼はいつこのマンションに来ても変わりなく、東にコーヒーを出し、静かに話を聞いてくれる。
「彼女を、俺の好きな人を呼び出そうと思っているんです」
「なるほど。告白するというわけかい?」
東は口ごもりながら答えた。「そんな感じです」
「いいじゃないか。性というものは死を余儀なくされることと引き換えに与えられた、最も素晴らしいものだという人もいるからね。まあ僕は、死も与えられた、と捉えているけど」
「旧校舎に呼び出そうと思っているんですよ」
「うん?それはどうしてだい?」
「人がいないところがいいんです。誰にも見られたくないから」
東はコーヒーに口をつけた。砂糖もミルクも入っていない、ブラックだ。
「そうか。それならば、移行期間が終わった後がいいだろうね」
「そうか。移行期間があったか」東は思い出したように言った。「移行期間って、いつまででしたっけ?」
神楽坂は少し考えるように首を傾げて「たしか十九日までだったかな」
十九日を境に旧校舎には人がいなくなる。ということは、決行は二十日がいいと思った。あまり遅くなると、立花は予備の携帯電話を手にしてしまうかもしれない。それとも、事務所からすでに予備を持たされているかもしれない。そうなったらそうなったで仕方がないな、と東は思った。
「二十日に、彼女を呼び出すことにします」
「そうか。がんばりなよ」神楽坂は微笑んで言った。
立花を殺す日が決まったからか、急に東に緊張が襲ってきた。上手くやれるだろうか。自分はハッピーエンドを迎えることができるだろうか。
「神楽坂さん」考えるまもなく、口が勝手にそう呼びかけていた。「好きな人を手に入れることができたら、幸せになれるんですか?」
神楽坂は目を伏せた。「愛し続け、愛され続ければ、あるいは永遠に幸せなのかもしれない」
「気持ちの問題ですか?」
「そうとも言える。人はいずれ死ぬからね。死んだ人間を愛することができれば、それは幸せだよ。同時に死んだ側も相手を愛し続けられるかもしれない。そう思うことによって、人類は死を乗り越えてきたんだと思うよ」神楽坂は東を見て言った。
死を乗り越える――
神楽坂が言うことと意味合いは違うが、今まさに自分は、死を乗り越えようとしている。立花を殺し、美という人間の最も重要な部分だけをいつまでも変わることなく保存しようとしているのだ。
失われたものは戻ってこない。ならば、決して消えないものを手に入れるまでだ。




