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RUTS  作者: 三品大
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三十一話 一月五日

   一月五日


 東は立花を尾行していた。立花は今日、二人の女友達と一緒に街を歩いている。最初はアーケード街の隅にある小さなブティックに立ち寄っていた。外で出てくるのを待っていても、彼女らの黄色い笑い声が聞こえてきた。立花は嫌われているはずだが、この三人は仲がいいらしい。東が三本目のタバコを足でもみ消したところで、彼女らは外へ出てきた。東は上手く障害物を使い、姿を隠す。彼女らはアーケードを北に進んでいった。

 次に入ったのはCDショップだった。そういえば、立花はYURIという歌手が好きなのだった。その新譜を今買っているのだろうか。東は想像力を働かせながら、待った。

 彼女らが出てくると、今度はカラオケボックスに入っていった。これは長くなるな、と思い、東は寒さに身を縮めた。都合よく自動販売機があったので、ホットコーヒーを購入してそれをすすった。体の芯から温まるような気がして、長時間の尾行も苦ではなくなったと自分に言い聞かせた。事実苦ではない。どんなに寒さが厳しかろうと、立花の顔を見れば疲労は吹っ飛ぶ。早く出てこないものかと、東は手に息を吐きかけた。

 結局二時間ほどして彼女らは店の外に再び姿を現した。立花の顔をみて、興奮に体を熱くさせる。

彼女らは次に古着屋に入っていった。立花には古着など似合わないのではないかと思った。いつでも新しく綺麗な服を着ていてもらいたい。服のセンスの悪さは、もちろん美をそこなう。だが今のところ、東が気に入らない服装をしている彼女の姿は見たことがないから、その点は安心していいかもしれない。

その後も立花達は大手のデパートや、本屋などを回っていた。東はそれらすべてのあとをつけ、立花の買ったものなどをすべてチェックした。包装されたものは、彼女の趣味趣向を考えて想像した。その時間が好きだった。

日が傾き、夕方になると、立花とその友達は別れた。東はついにこの時が来たと、身を硬くした。これから東は立花に接触する。偶然を装って近付いていき、今度こそ彼女の本性を暴くのだ。

こういう言い方をすると彼女は良くない人間だと断定しているようだが、それが杞憂だという可能性もまだ残されている。東はそちらの方に望みをかけていた。

立花は急に立ち止まり、ドラッグストアの店先に陳列されているシャンプーを見だした。東は今だと思い、そのドラッグストアに何食わぬ顔で入店した。心臓の音がばくばくと聞こえた。東はさりげない動作で店内を一周すると、まだ店先にいる立花に近付いていった。

立花がちらりと東の方を見た。そしてすぐに、東の顔をまじまじと見つめる。

「ああ、あなたたしか…」立花は口に手を当てて言った。

「君は、立花さんか」

 東は臭い演技にならないように言った。立花は笑顔になり「この前はどうも」と目を細めた。東は嬉しくなって、つい「また会えて嬉しいよ」とキザなことを言ってしまった。

「私が出てるテレビ、見てくれた?」

「見たよ。いい役じゃないか。凄いよ」

 立花は照れたように頭を少しかいた。「そうかな」

「あの後はどうだ?あのイタズラした犯人は見つかった?」

「見つからないよ。本当に腹が立つ。いったい何がしたいのかな」

 立花はまた眉間にしわを寄せる。東はその表情も好きになりつつあった。見ようによっては、美しい顔とも言える。

「今日は買い物しに来たの?いろいろ買ったみたいだけど」

 東は立花が抱える服屋の紙袋や、その中から端を覗かせているCDを指差した。

「うん。友達と来てたんだけど、帰る方向違うからもう別れた」

 すべて知っていたが、東は今初めて聞いたような反応をするように努めた。

「東君は?」

 電流のようなものが、全身に駆け巡った。立花佳織が、あの立花が今自分の名前を呼んだのだ。今日は名乗っていない。ということは、彼女は東の名前を覚えていたのだ。東は高ぶる気持ちを落ち着かせると気のない振りをして「ぶらぶらしてた」と言った。

「なんか、あったかそうなジャンパー着てるね」立花は言った。

 東は、自分の服装がどこか変だろうかと不安になった。しかし立花は「格好いい」といったので、安心した。

 立花は赤いコートに茶色のマフラーをしている。下はスカートで、ロングブーツを履いていた。さきほどまで遠くからみていた人間が、今目の前にいると思うと、また気分が高揚してくる。

「君も、可愛いコート着てるね」東は言ってみた。

「そう、ありがとう。実は結構気に入ってるんだ」

 立花はフードの端を摘んでそう言った。

 スムーズに会話ができている。もう立花は遠い人ではない。これからは後ろをつけるだけではなく、正面から彼女を見ることができるのだ。言葉に出来ないほどの嬉しさが胸いっぱいに広がった。

 調子に乗った東は、もう少し踏み込んだことを言ってみようと思った。

「ねえ、これから暇?喫茶店にでも入って話さない?」

 立花はうーん、と考える仕草をした後で、腕時計を見た。東は急に身が重くなった気がした。よく考えれば、とんでもないことを言ってしまったのではないか。断られたらどうしよう。急激な大きい不安がずっしりと東を押しつぶそうとしていた。

「いいよ」

 あっけなく、立花は言った。微笑んで、「行こ」と東を促した。

 素晴らしい。今日は素晴らしい日だ。東はもう有頂天になっていた。立花と茶を飲むということは、それはデートではないか?いやデートなのだ。

 喫茶店まで少しあるので、二人は並んで歩いた。この姿を見たら、人は二人を恋人同士だと思うだろうか。はたから見ればそうに違いない。東はなんとなく優越感を得た気がした。世界一美しい女性が今すぐ隣にいるのだ。これほど幸福なことはあるまい。

 看板の、黄色と白でレタリングされた喫茶店の店名を見て、二人はその中へ入っていった。

 店内は賑わっていた。主に若い世代の客が多い。営業スマイルを見せる店員に、アイスティーのMを注文した。立花はアイスコーヒーを頼んだ。しばらくして、注文したものが出てくると、立花は表情を歪めて言った。

「一階はタバコの煙が嫌だから、二階に行きましょう」

 確かに立花はタバコが嫌いなのだった。それも調査済みだ。東は、今日から禁煙しなければいけないな、と思った。服にタバコの臭いが移ってしまっては困る。そう考えると、このジャンパーも変え時かもしれない。これは長年愛用していたから、臭いがついている。

 二階へ上がると、部屋の中心の席が空いていた。そこは立花にはふさわしいと思った。彼女は常に最高のもてなしを受けなければいけない。そこへ座った。

 立花はコートを脱いだ。中は白いセーターで、彼女に良く似合っていた。

「中の服も可愛いな」

 東が褒めると、立花は「ありがとう」と言った。

「あ、雪が降ってきた」

 東の正面のガラス張りの壁の外に、ちらちらと雪が落ちていくのが見えた。立花は振り返ってそれを見て頷いた。

「今年の冬、寒いよね。去年も、寒かったけど」立花は笑った。

 東は去年、と聞いて、あの芸能オーディションのことを思い出した。そうだ。最初の目的はそれだったのだ。東は自分を戒めて、そのことを訊いた。

「そういえばさ、立花さんって、去年オーディションに受かったんだよね」

 その時、立花の表情がわずかに変わったことを、東は見逃さなかった。

「そうだよ」

 そう言って立花はストローに口をつけた。東は質問を続ける。

「どうして芸能界に入ろうと思ったんだ?」

 立花はストローから口を離した。少し考えるようにしてから言った。

「私ね、昔から一番じゃなきゃ気がすまなかったの。皆から注目されていたかった。芸能界に入ったのも、その延長かな。子供っぽいでしょ?」

 本当に、無邪気に彼女は笑った。それは東が初めて見る立花の表情だった。

「でもそう思って本当になれるなんて、凄いよな」

「東君、褒めすぎ」

 立花は破顔した。まんざらでもないようだ。この和やかな雰囲気はできれば壊したくないが、東は核心に触れることにした。そうしなければ、今日彼女と会った意味がない。

「他にも、芸能人になりたいっていう、ライバルみたいなやつってたくさんいたんだろ?」

 アイスコーヒーを飲む立花の手が止まった。

 まずかっただろうか。東が探りをいれているのがばれてしまったのか。

 東の額に汗がにじんだ。ここで失敗しては今日の努力はいったい何だったのだ。東は祈った。自分の魂胆が見透かされていませんようにと。

「柚野、って子がいたのよ」

 東はぎくりとした。彼女の口からその名前が出るとは思わなかった。いかに警戒心を与えずに、柚野のことを訊き出そうか考えていたところだったが、拍子抜けした。

「同じオーディションの最終審査に私と一緒に残ったんだけど」立花は目線を落として悲しそうな顔をした。「結果発表の直前に、失踪しちゃったの」

 東は息を荒くしてそれを聞いていた。柚野は、君がどうにかしたのではないのか?

「凄くショックだったよ。演劇部でも一緒にがんばった仲だったから。でもあの子、少し気が弱かったのよ。恐くなったのかな。私も良かれと思ってあの子に強く当たったりもしたけど、それが原因かも。失踪した後私もいろいろ探したけど、全然見つからなかった。今会えたら、一言あやまりたいな。きつく言い過ぎたこと」

 やはり――立花は良くない人間だという噂は噂でしかない。彼女は潔白だ。柚野のことはまったくの思い過ごしだったのだ。全て東の考えすぎだったに過ぎない。

 東は心の底から安堵した。ロザリアなんてもう関係ない。立花には欠点はないのだから。永遠の美など後で考えればいい。今はこの美しい立花と話をしているというだけで幸せだ。

 自分が自分でないような、ここにいるようでいないような、不思議な感覚があった。浮ついているだけなのだろうか。この気持ちは、何にも換えがたい。

「東君、飲まないの」

 東のグラスを指した立花に、はっと我に返らされた。

「今から、飲むよ」

 立花のコーヒーは半分以上減っていた。東はいつの間にかからからに乾いたのどを、アイスティーで潤した。すると、立花が訊いてきた。

「東君はさ、何かないの?目標とか」

 目標。それは君だ、といいたくなるのを堪えて「今はまだないかな」と言った。

「そっか。まだ一年生だもんね」

 東はこれからどうしようかと考えた。立花と恋人になることを目指してみるか。しかしそれだけで、彼女の美を手に入れたと言えるのだろうか。先ほど一度捨てた永遠の美という考えも再び浮かび上がってくる。

「どうしたの?」

 立花が首を傾げて東を見る。ああ、やはり綺麗だ。細かいことは今はいい。

 今この瞬間は、幸せだ。


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