二十八話 一月二日
一月二日
「優は学校の勉強の方はどうだ?」
父があたりさわりのない質問を楠木に投げかけた。楠木は「普通かな」と返した。
「優は優秀だものね。あなたの普通はきっと他の生徒からしたら凄いのだと思うわ」
母が言った。この女がおべっかを使うのが上手いのは昔から変わっていない。だが本心でどう思っているかはわかったものではない。しかしそれもどうでもいい。本当の母親ではないのだから。楠木は作り笑いを浮かべると「ありがとう」と言ってみせた。
食事は淡々と進んでいった。豪奢なテーブルに豪華なメニュー。それらは楠木にとって子供の頃から日常であり、久しぶりに実家へ帰って来てはいるが、特別なものではありはしない。父と母はお決まりの質問を楠木に投げかけてくるばかりだ。楠木は、この偽りの家族を冷淡な思いで捉えていた。
「ところで優、彼氏なんかはできたりしていないだろうね」父が言った。
「お父さん、そういうことは娘には言ってはだめよ」母だ。
そんなこと、本当は気にしてなんかいないくせに。父の頭には、今度愛人と会うのはいつにするか、といったことしかないはずだ。
「彼氏はいないよ。心配しなくても」
自分の作り笑いもだんだん辛くなってくる。久しぶりに両親と会うからか、上手くできない。しかしもう家族を演じる必要もないのかもしれない。とっくの昔に壊れているのだから。
「ご馳走様」
楠木はそう言うと席を立ち、広すぎるこの部屋の扉へ向かって歩いた。
どうでもいい。こんな家。
本当の母がまだ生きていたならば、どんな助言を楠木に与えていただろう。父に捨てられて、苦しみの中で死んでいった母は、どんな気持ちだったのだろう。
さっき食事を共にした「母」は父の元愛人だ。本当の母から父を奪った泥棒だ。父は楠木が子供の頃から好色だった。愛人を何人もつくり、時にはその何人かを同時にはべらせることもあった。彼の仕事も、法律に従わない汚いものらしい。そういう父は、幼い楠木に強い嫌悪感を与えた。汚らわしい性癖を垣間見せる父のせいで、楠木は男性不審に陥ったのかもしれない。
楠木が美に異常な執着を持つようになったのも、父の影響かもしれなかった。もっと美しかったなら、母は捨てられずに済んだかもしれない。楠木にとって、美しさはこの世で最も重要なことだった。
楠木は自室へ戻ると、財布に大事にしまってある浅利が写った写真を取り出した。それを眺めることで、父とかりそめの母への嫌悪感を一時忘れることができた。
早く浅利を手に入れたい。そうすれば、すべてが上手くいくはずだ。
しかし、ある言葉が頭をもたげる。
『私、優ちゃんの秘密、知ってるよ』
苦労して構築した平穏な日常を、あの醜い物体は壊そうとしているのだろうか?
それだけは避けなくてはならない。自分の本性は誰にも知られてはいけないのだ。
あの邪魔な物体をどうすればいい。
どうして、このようなことで頭を悩ませなくてはならないのだ。あんな家畜以下の動物に、どうして自分が振り回されなければいけない。
無駄な時間はいらない。
どうにかしなくては。
楠木は、浅利の写真を眺めながら、迫り来る醜女の悪夢と戦う決心をした。




