*その傷
アパートに戻った剛は、肌寒い部屋でしゃがみ込んだ。
背後に気配がして、溜息を漏らす。
「まだいたのか」
「ねえ、どうして?」
涙で腫らした目は充血し、尚も涙が溢れそうだ。
「ごめん。ホントに」
「それじゃわかんないよ」
震えた声を絞り出す。
「言えないんだ。ごめん」
真里は丸まった背中をしばらく見下ろしていたが、ふいにドアの閉まる音が響いた。
追いかけたい衝動にもかられたが、それをすれば自分の心に嘘を吐く事になるのは明らかだ。
彼女を傷つけたくないという感情と、後ろめたさだけで追いかけるなんて出来ない。
真里を傷つけたことで剛の心も傷ついていた。
それでも、後戻りは出来ない。
「ごめん」
か細くつぶやく。
剛はそれから、薄暗い部屋でただ黙って頭を垂れた──
それから、意識を切り替えて考えた。
デイたちが行動する所は、人の集まる場所でなければならない。
そう考えれば、都心から離れる事はないだろう。
この世界には来たばかりだと言っていたから、まだ離れるには惜しいとも考えているはずだ。
しかし、人間が考えていることを神であるデイトリアがやっているとも思えなかったが、記憶を操作したのだから──
「きっとまだいる」
剛はそう確信した。
そうして剛は、かつて浸食を共にしていたマンションに足を向ける。
「……」
入り口から外観を見上げ、自動ドアを見つめた。
ゆっくり足を踏み入れると、鍵のない剛に暗証番号を入力するテンキーが冷たく見つめてくる。
ポストには当然、デイトリアの名前は無い。
切なげにそれを見やり、外に出た。
剛は次に、スマートフォンを取り出しデイトリアがかつて翻訳を手がけていた出版社に電話をかける。
<ああ、彼女ね。手がけていた翻訳終わったら辞めるって言って、今はどうしてる知らないよ。人気の翻訳家だったから残念だけど>
「そうですか……。ありがとうございます」
通話を切って溜息を吐いた。
「完全に経路を断ってきたな」
当たり前といえば当たり前だけど、ここまでしたという事は、やっぱりまだこの世界にいるんだ。
「諦めてやるもんか」
口の中でつぶやき、足取りを強く帰路に就いた。





