76 星空のソーシャルディスタンス
季節が変わり、秋の制服になったロンディニウム学園の生徒たちが、放課後の校舎を行き交う。
くせ毛を強引に三つ編みにし、大きな丸眼鏡をかけたメロディは教室から出て行く友人たちに声をかけた。
「ノーマとジャスパーはこれから商科の特別クラス?」
「うん。すっかり幽霊部員になっちゃって悪いわね」
申し訳なさそうに言うノーマに、メロディは笑顔で首を振った。
「ううん、名前を置いてくれてるだけで有り難いから。夏に妙に悪目立ちしちゃったせいか、なかなか部員が増えなくて…」
理由はそれだけではないだろうと、平民の二人は現在の恐ろしいメンバーを思って乾いた笑い声をたてた。
彼らと別れ、部室に向かう途中でメロディはハミルトン侯爵の息子を見かけた。以前は突っかかってきた彼は目をそらして離れていった。
「侯爵が植民地相を下ろされてから大変なのかな」
表だっての処分ではないが、庶子とはいえ身内から犯罪者を出したことは噂好きの社交界で格好のネタになっている。考えてもどうにもならないことを頭から追い出し、メロディは部室に向かった。
CSI部には新たなメンバーが増えていた。マティルダ王女だ。燦然たるロイヤル部活動になってしまったことも遠巻きにされる一因だった。
「遅くなりました。ジェニュイン関係の最新の公判の記録です」
公開されている書類を置き、そこで指紋や足跡などの鑑識活動がどのように証拠として取り上げられているかを検証する。
「陪審員に指紋の説明をするのに苦労してるな」
「もっと一般的に知られるといいのですけど」
「指紋採取を実際にやってみせるのも手じゃないのか?」
新聞記事の切り抜きと見比べ、王太子ジュリアスが首をかしげた。
「ハミルトン家の双子に触れていないな」
「彼らは非公開です。目が不自由なこともありますし」
説明するメロディは若干の罪悪感を覚えた。彼らの自業自得であっても障害を負わせた事実は変わらない。
「本当なら、ハミルトン前植民地相も証言台に立ってもおかしくないんだが」
モーリスがさりげなく話題を変えてくれた。ジュリアスは肩をすくめた。
「植民地省は今、南方大陸に増えた植民地のことで手一杯だからな」
一連の事件の後、ザハリアスの大使が幾度も王宮に呼びつけられたようだ。その後、ローディンと権益争いをしていた南方大陸ムーラト半島から帝国が手を引くというニュースが突然駆け巡り、世間を驚かせた。
「ザハリアスがあっさりと撤退したのは何かあったのかな」
考え込む王太子を見て、メロディは今日も彼をうっとりと見上げる銀行家令嬢に尋ねた。
「フィリップスさん、お父様の銀行は植民地に新たな投資計画がありますか?」
メアリ・アンは小首をかしげて答えた。
「うーん、その半島で油田を探すみたい。でも、帝国が何度も掘ったのに出てこなかったんでしょ?」
大判の地図帳を取り出し、メロディは南方大陸のページを探した。
「ムーラト半島は…、ここか。試験掘削はどの地域ですか?」
「シャルヤ湾だか、ネメドとか聞いたような…」
「あー、このあたりですね。北に褶曲した山脈…ということは、半島のプレートからの圧迫を受けて……。もしかしたら、超巨大油田を引き当てるかも知れませんよ」
「そうなのか? ザハリアスの試験チームが失敗してるのに」
覗き込むモーリスに彼女は説明した。
「それは半島の反対側でプレート移動の影響が少ないんです」
いまいち話が理解できていないマティルダが口を挟んだ。
「石油が沢山出てきたらどうなるの?」
「世界が変わります」
あっさりと言われて部室の空気が固まった。メロディは補足説明をした。
「まず、ガソリンが安価に普及してモータリゼーションが一気に広まります。それから火力発電で電気が安定供給されて蒸気機関が時代遅れとなって追いやられて、化学繊維と化学樹脂で製造業も一変します。大量生産と工場の機械化の時代が来るんです」
「実感が湧かないが、夢のようだな」
「いいことばかりでもないですけどね」
当然、急速な発展に伴う影の部分も広がる。だが、これは止めることの出来ない時代の流れだ。折り込みの世界地図を広げると、モーリスが指で大陸各地を辿った。
「ジュリアス、ムーラト半島を加えたローディンの植民地を見てみろよ」
王太子と王女、彼の婚約者と女友達は揃って地図を覗き込んだ。大陸各地と南洋、北洋にある王国の植民地を繋ぐと世界を一周する。
「これで、太陽がどこにあっても王国を照らす。ザハリアスを凌ぐ植民地帝国を君が継ぐんだぞ」
モーリスに言われ、王太子は複雑そうな顔をした。そして、不意にあることを思いついた。
「そうか、世界中にまだ見ぬ麗しい女性たちがいるのか…」
うっとりとした声に、公爵令嬢ジョセフィンが低い声で問いただした。
「まさか、日の没する所なきハーレムを作られる訳ではないでしょうね」
「ひどいっ、私がいるのにっ」
半泣きで彼に縋るメアリ・アンを見て、ジョセフィンは頭が痛そうな顔をした。彼女に王太子が困ったように言った。
「私は君も好きだから安心したまえ」
「君、『も』?」
眉間に縦皺を刻んだ公爵令嬢は部室の隅に控えるメイドに言った。
「このクズを今すぐ窓から放り出したら懲役何年かしら」
「心神耗弱路線を狙うのであれば、医師の診断書は不可欠かと」
冷静に話し合う主従に、ジュリアスは焦った声を出した。
「き、君たちっ、そこで堂々と暗殺計画を練らない!」
「撲殺だなんて、ひどいっ」
「殺害手段が凶暴化していましてよ、フィリップスさん」
恒例の騒ぎにマティルダがぼやいた。
「お兄様の天賦も罪作りね」
それを聞きつけたメロディがこっそり尋ねた。
「あの、王太子殿下の天賦とは」
「見ての通り、誘引よ」
――フェロモンかあ、確かにシンプルでタチが悪い。
納得しつつ、へらへらと校庭の女子生徒に手を振るジュリアスを見てメロディは呟いた。
「自分への好意が天賦のせいかもって悩みそうなものだけど」
彼女の憂慮をジョセフィンが鼻で笑った。
「あの方が、そんなことを気にするとでも?」
「ですよねー」
麗しの王子様を巡る女性陣はバトルを再開し、周囲は生温かく見守った。
その後、メロディはモーリスと一緒にキャメロット警視庁を訪れた。ロビーではドッド警部が少年たちに何事かを指示していた。
「こんにちは、警部。あの子たち、もしかしてスラム街の」
「久しぶりだな、お嬢さん。ああ、結構使える奴らで、時々調査を依頼しとるよ」
ライトル伯爵家の令息がスラム時代に得た仲間は優秀らしい。
「ジャスティン様は王都の屋敷を建て直すまで伯爵家のご領地で家族揃って過ごされるようです」
幼い彼が誘拐され家族と引き離された場所から、伯爵家はゆっくりと時間を取り戻すのだろう。警部は穏やかな顔で頷いた。
メロディは一つ引っかかっていることを彼に尋ねた。
「ジェニュイア・クラブは手入れを受けたんですよね。異世界の殺人事件についての資料はありましたか?」
「クラブ史みたいな本に色々書かれていたよ。古い本で、過去に在籍した会員が記憶持ちなのかもしれんな。死体のスケッチが何枚もあってゾッとしたね」
どうやら過去の記憶が現在の怪物に影響を与えたらしい。大きく息をつくメロディの手にモーリスが触れた。
「現役でないだけましだと思おう」
「……はい」
メロディは小さく頷いた。
「例の裁判で大変なのでは?」
モーリスが尋ね、老警部は二人と並んでロビーのソファに座った。
「証人出廷する連中は忙しそうだよ。それに、今回の定期異動でちょっとした組織改編があったぞ」
「どんな?」
二人が乗り出すように答えを待つのに、ドッド警部はにやりと笑った。
「重大犯罪課に平常者が増員された。儂もその一人だがな」
「本当ですか?」
目を輝かせるメロディに、彼は名刺を差し出した。そこには重大犯罪課分析班とあった。
「トービルと一緒に指紋、足跡の資料作成と分析をしている。無論、他の部署の依頼も受けとるよ」
「凄い、偉大な一歩ですね!」
「遅まきながら、上の方も個有者(タラント)と平常者の協力関係が必要になると気付いたらしい。誰の影響かは分からんが」
悪戯っぽく少年と少女を見て、警部は笑った。見回せば、警視庁内は至る所で見られた対立の険悪さが影を潜めていた。
「軋轢が完全に消えた訳ではないが」
そこに現れた黒ずくめの捜査官、ラルフ・ディクソンが素っ気なく言った。
「でも前進ですよ、間違いなく」
力説するメロディは来訪者の一人に目を留めた。
「あれって、ネズミさん、いや、カーマイン社長ですよね」
彼に手を振ると、事件に巻き込まれた商船会社のオーナーがやってきた。
「やあ、ウサちゃん、タマ無し…、失礼、殿下」
「お久しぶりです……、あの、お腹のラインが何だか変わられたような……」
太った小男だった社長の横幅が縮小されているように見えた。彼は悲しそうに言った。
「ああ、あの事件のせいで大変なんだよ、船と一緒に沈没した気分だ」
「そんな、大丈夫ですよ。人間死ぬ気になってやれば突破口がきっと見つかります」
懸命に慰めるメロディの姿に、モーリスは異世界の少女を思い出していた。だが、子爵令嬢の激励は次第に脱線していった。
「生きてれば何とかなりますよ、水しか飲めなくても、タマが無くても!」
全ての感傷を一瞬で消滅させる暴言に、モーリスはたまらず割って入った。
「待て、勝手に事実化するな!」
「あ、すみません。社長、これから植民地から大量の資源輸送が必要になりますよ。造船・海運業のウハウハ時代が必ずやってきます」
「……そうか、はは…」
半信半疑の様子でカーマイン氏は刑事部のフロアへ移動した。大公家の令息は、白髪赤眼の捜査官から何とも言えない同情の目を向けられた。警部は必死で笑いを堪えている。
やがて帰宅時間が迫り、メロディは名残惜しそうに警部たちに別れを告げた。
「今日は嬉しい話が聞けて良かったです。やっぱり未来の職場がギスギスしてるのは嫌ですから」
「…職場?」
男性三人から驚きの目を向けられ、彼女は平然と頷いた。
「はい、必ずここに就職して鑑識課、いえ、CSIを作って見せます!」
「いや、お嬢さん、ここで雇える女性は受付か経理……」
「第一号の試練は覚悟してます、師匠! 当然、そのための勉強も始めてますから。法律に医学、化学に心理学、地理に歴史に危険物の取扱いに、時間はいくらあっても足りませんからね」
「……元気だな、まったく」
「それが取り柄ですから!」
満面の笑顔で去って行く少女に毒気を抜かれた顔で警部と捜査官は立ち尽くした。やがて警部は頭を掻きながらぼやいた。
「ありゃ、本気でやる気だぞ。やれやれ、まだ引退できそうにないな」
ディクソン捜査官は静かに頷いた。
最近、モーリスがメロディを送迎する手段は馬車でも自動車でもなかった。警視庁裏手の駐車場の一角に行き、メロディは待機していた翼竜に話しかけた。
「お待たせ、シューラ。またお願いね」
二人はテラノの背に乗りゴーグルを着けてハーネスを確認した。モーリスが竜笛を吹くと翼竜は前傾姿勢から地面を蹴った。音もなく舞い上がり街を見下ろす瞬間は、何度経験しても胸がときめく。
首都キャメロットは夕暮れから夜へと変わり、道路沿いの街灯が次々と点灯されていく。まだ電飾のない街の灯は翼竜を夜空に溶け込ませた。後ろに騎乗しているモーリスがぽつりと言った。
「昔、天賦を制御できる前は人と関わるのが怖かった。無意識に相手を操っていたらと思うと好意も信じられなくて」
背後を振り向き、至近距離で彼の青い瞳と視線を合わせたメロディは鼓動が跳ね上がるのを感じながら断言した。
「大丈夫ですよ。最初にお目付役だと言われた時は面倒くさいとしか思いませんでしたから」
それはそれで悲しいものがあるのだが、とモーリスは彼女の耳元で尋ねた。
「今は?」
背中に彼の体温を感じる状況でこの質問は卑怯だと思いながら、メロディは空に視線をそらせた。
「あ、星が出てますよ。今日は銀月も綺麗に見えますね」
伝説の竜の故郷と言われる月は低い位置で街を照らしている。あの衛星までこの世界の人が到達する未来は来るのだろうかと、メロディはぼんやりと考えた。
――時代的に帝国主義待ったなしかな。この国が三枚舌外交の果てに植民地を地獄に変えるのは見たくないんだけど……。
モーリスが竜笛を吹き、テラノは旋回した。子爵家のあるお屋敷街とは別方向への指示だった。彼がわざと遠回りをしたことにメロディも気付いたが、何も言わずに二人だけの夜間飛行を楽しむことにした。
百万都市グレーター・キャメロットに夜の帳が下りる中、異国の空飛ぶ生き物はゆったりと滑空するのだった。
読んでくださった皆様、ありがとうございます。途中で一ヶ月ほど休載しましたが、温かい激励をいただけて嬉しかったです。趣味に走りまくった話ですが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
2024.2.7加筆修正