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 ヨウゾウに続いて森の奥へ向かって飛んでいくと、すれ違う蝶や蝉、その他にも種種雑多な虫たちが「やあ、ヨウゾウ、こんばんはヨウゾウ」と、挨拶を交わしてくる。そのたびに彼は、彼らの名前を呼んで挨拶を返していた。

 ヨウゾウは、この森で言葉を交わしたすべての虫たちの名前を知っているのだという。凄いことだ。地球上の全生物の七十パーセントを昆虫が占め、人間一人に対して昆虫は十億匹の割合なのである。ということはこの森にだって、千億近い虫がいたって不思議じゃない。仮にヨウゾウと交流したのがその一部だとしても、記憶する名前は軽く六桁や七桁は越すだろう。いったいどういう頭の構造をしているのだろうか。義樹にとってはそれだけでも天文学的数字なのだ。

 もう一つ。この森で義樹たちの到着を誰かが待っている、とサイモンが言っていたが、誰なのだろう。頭の中にその言葉がこびりついて離れない。


 やがて異様にクヌギの木が生茂る一角にやってくると、ヨウゾウが速度を緩め、一際大きなクヌギの幹に羽を休めた。義樹も同じ幹に着地した。

「改めて、ようこそ義樹。ここが僕たちのテリトリー、かぶとの森さ」

 その声に辺りを見回すと、そこにはまぎれもない虫の世界があった。仄かな月の光の中、かぶと虫やらくわがた虫など、いろいろな甲虫たちが所狭しと飛び交い、クヌギの蜜を奪い合うようにして吸っていた。

「義樹はディナーがまだなんだよね。一緒に食べよう」

 ヨウゾウの誘いに、まさか樹液を舐めるのかと二の足を踏む。虫になっても意識は人間のままなのである。けれど朝食もそこそこに家を飛び出したせいで、きゅるきゅると腹が変な音を立てていた。


「何してるんだ。食べるときに食べないと、この先もたないぞ」

 理解していたが躊躇いは消えない。しかし樹液が蜂蜜だと思えば気も楽になる。勇気を出して、恐る恐る樹液に口をつけた。

 不味かった。やはり無理だ。こんなもの喰えないと思った。が体内に養分が染み渡っていくと、何やら不思議なエネルギーが生まれてくるような気もした。

「どうだい義樹、初めて樹液を口にして?」

 ヨウゾウが笑いながら訊いてきた。義樹は感じたままに答えた。

「とても不味かった。でも私は舐めることにする。戦いで殺されるならまだしも、飢えて死ぬのはごめんだ」

 宣言すると、むしゃぶりつくよう粘っこい樹液に顔を埋めた。


「おいおい、お漏らしくんが食いしん坊に変身したぞ」

 その姿を見てヨウゾウがおどけるが、義樹は無視して樹液を舐め続けた。その後、森を案内すると申し出たヨウゾウの誘いを断って、枯葉の中にもぐりこみ一足早く休むことにした。思っても見なかった驚きの連続に、頭の整理がつかなかいのだ。

 取りも直さず、皆川義樹という存在がこの世から消えてしまったことに強い衝撃を受けた。そしてそれを、まだ知らない妻に対して詫びている奇妙な感情に驚きを隠せなかった。なぜなら皆川義樹という肉体が死んでも、精神は以前と変わらないままだったからである。それはちょうど停電になった舞台の上で、役者が黙々と演技を続けている感覚と似ているかもしれなかった。声は聞こえても姿は見えないのである。


       

 微睡みの中、にやけた顔の朝村が現れ、静夏は服を一枚ずつ脱がされていく。

「やめて、お願い!」

 必死に叫ぶのだが神経が麻痺して声にならなかった。すると朝村が下着の中へ手を滑り込ませてきた。

「嫌……!」

 手足を揺すって抵抗しても、麻痺した身体は動かない。そんな静夏を嘲笑い、朝村の舌が蛞蝓みたいに這ってくる。薄れていく意識の中で絶望感が広がっていった。


 意識が戻ると朝村の姿も古川の姿もなく、傍らに同僚の細川が立っていた。身体の上に毛布がかけられている。

「気がついたようね」

 細川が優しく話しかけてきた。どうして彼女がここにいるのか不思議でならなかったが、手で頭をさすり必死に癒そうしているのが感じられる。

「はっ……」

 静夏は細川の仕草に、思い出したように毛布の下を覗く。やはり何も身につけていなかった。

「彼に犯されたのね」

 絶望と悲しみが重なり合って襲ってきた。屈辱と恥辱に生きる希望を失いかけていた。

「大丈夫よ静夏、あなたは犯されてはいない」

「えっ?」

「武蔵くんが、寸前のところで助けたの」

「武蔵くん……?」

 


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