第百十三話「可愛い、けどそうじゃない。」
《……》
目をまん丸にしたミケは沈黙している。
あまりにもそれが長いので、これ大丈夫か、と思ったら輪郭がゆらゆらとにじみはじめた。
「んっ?! あれっ?? 待ってミケ、なんか消えかけてない?!」
慌てて声をかけるが、煙る魔法猫はどんどん空気にとけて、その姿が薄らいでいく。
ふわー、と。
まるで浮遊霊が昇天するみたいに。
「死なないでミケー!!」
《んおっ?》
思わず叫んだあたしの声に、ミケが空中でびくっと跳ねる。
《お、おう、嬢ちゃんか。なんでぇ驚かすない》
「いや、驚かされたのはあたしの方だから! ミケが昇天しちゃうのかと思って、ちょっと本気で焦ったよ」
《そりゃあすまんかったな。……しっかし、こりゃあなんとも、なァ》
再び猫らしい輪郭を取り戻したミケは、煙る腕を組んで「うう~む」とうなった。
その様子を見て、やっぱりとんでもない厄介事っぽいなぁ、とあたしも察した。
崩れかけた遺跡の中、今は静かに眠る少女ナウラにかかっている魔法は、ひどいものばかりだ。
彼女を生け贄にして初代勇者を蘇らせよう、というのもそうだけど、体の成長を邪魔したり、動きを鈍くさせたりした上に、性別まで変えているのだからとんでもない。
ナウラ自身が望んで性別を変えているというなら話は別だけど、ミケはこの子を「公女」と呼んだし、彼女もそれを否定しなかった。
つまり、本当は公子なのに、公女として育てられた、ってことだ。
それが彼女の望みで行われたことだとは、とうてい思えない。
「ミケ、あのさ。なんかイヤな予感しかしないんだけど、今、大公家に男の子って……」
この国の上層部について、ほとんど何も知らないあたしがおそるおそる聞くと、ミケは深いため息をついて答えた。
《それがなぁ、残念ながらいねぇんだよ、嬢ちゃん。
大公サマは持病の悪化で何年も前から離宮で療養中。今この国を治めてんのは、第一公女サマとその母親の一族だ。
それでまぁ、このまま何も問題が起きなけりゃ、第一公女サマが公国始まって以来、初めての女大公になるだろうって、みんな思ってるんだがな……?》
どこにもはまらないパズルのピースを見つけたような困惑顔で、ミケはナウラの寝顔を眺める。
次にチラッと、黙り込んでいるあたしを、うかがうように見る。
正直なところ、ナウラがどんなに厄介な立場にいるのか、ちょっと考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
できれば有害な魔法を解いて家に帰してやりたかったけど、魔法は解除するのが難しそうだし、“家”も彼女にとって安全ではなさそうだというのだから。
もう、何をどうすればいいのやら、あたしにはよく分からない。
けれど、だからといって彼女の事から手を引くつもりはないので、先手を打っておく。
「ミケ。その顔で、ナウラは『教授』に任せろ、とか言われても信じないからね。勝手に連れてったりしたら、怒るから」
煙る魔法猫はまた「うう~む」とうなり、人間だったら眉をハの字にしていそうな顔でつぶやいた。
《やれやれ。こりゃあまったく、参ったにゃあ……》
そして、さすがにこの件は手に余る、と判断したミケは『教授』と連絡を取る。
アンセムのところへミケが声をかけてきた時と同じ、遠距離通信だ。
さすがに今は彼らがどんな道具を使っているのかを気にする余裕は無く、ミケがアンセムに事情を説明するのを黙って聞く。
見た目は少年、中身は意味不明、というあの老魔法使いが、何か名案を出してはくれないものかと、砂一粒ほどの期待をしつつ。
けれど数分後、残念ながらあのアンセムでさえも、説明が終わるとミケと同じように「うう~ん」とうなった後、あたしに聞いてきた。
「リオ、その子、そんなに大事なの~? それって、なんでかな~?」
「いや、なんで、って聞かれると……。うーん。自分でもよくわかんないんだよねぇ。でも、逆に聞くけどさ。ミケもアンセムも、なんでそんなにあたしの意思を確認してくるの? なんでナウラじゃなくて、あたしの方をどうにかしようとする感じなわけ?」
どこに顔を向ければいいのかわからないので、どこからともなく響いてくるアンセムの声に、なんとなく中空を睨んで返す。
するとアンセムは、いつもと同じ口調でのほほんと答えた。
「そりゃあもちろん、関わり続けるなら、いずれその子の問題に巻き込まれることになるからだよ~。リオ、面倒事は嫌いなはずだけど、いいの~?」
あー、そうか、そっちを心配してくれてたわけか。
なんとなく、彼らに任せたらナウラを『聖大公教団』の連中に返してしまいそうな気がして、思わず警戒しちゃったけど、さすがにそこまではしないよね。
でも、アンセムは自分と姉を最優先して生きてるっぽいから、その他の事はどうにも信用しきれないんだよなぁ。
今のも、ぜんぜん詰まらずにシレッと答えてくるあたり、なんとなく怪しい気がするし。
心の中で、彼らの態度や言葉をどう解釈するかちょっと迷った。
けれど、この件で彼らがいきなり敵になるような脅威は感じなかったので、とりあえず今は味方だろう、と判断する。
疑いだすときりがないし、ひとまずアンセムの言葉に合わせて応じた。
「うん。そこはしょうがないと思ってる。というか、面倒だろうが何だろうが、さすがにこんな危ない状態の子ほっとけないよ。あたしが連れてきちゃった、っていうのもあるし。せめて拘束系の魔法だけでも解いてあげたいんだけど」
「ああ~、それはやめておいた方がいいね~」
「え。なんで?」
「拘束系の魔法って、腕輪にかかってるって言ってたのでしょ~。それ解いちゃったら、その子は性別変わっちゃうからね~。リオだって、勝手に何かされるの嫌だって、言ってたし~」
「あのね、それね、問答無用で魔導書渡してきたアンセムに言われると、お前が言うなよ、ってすごい思うんだけど。……でもまあ、確かにそうか。誰だって、いきなり性別変わったら驚くし、困るよね」
「うんうん~。それじゃあぼくとミケとで、これからどうすればいいのか、考えてみるからね~。ちょっと待ってて~」
これ、アンセムに任せても、大丈夫なんだろうか。
不安しかなかったけど、サーレルオード公国で頼れる人は今のところ彼らしかいないし、レグルーザは『聖大公教団』の拠点の後始末に残ったまま、なかなか戻ってこない。
「うん。待ってるから、よろしく……」
気が進まないながらも、結局そう言うしかなかったあたしに、ミケが楽天的なにんまり顔で言った。
《まあまあ、嬢ちゃん。そんな顔しなさんな。悪いようにはしねぇからにゃあ》
ますます不安になるコメントをどうもありがとう、ミケ。
「はぁ……。君らってホント、主と使い魔、って感じだよねー……」
にゃんと、と心外そうな表情をしてみせたミケとしばらく話をしているうちに日が暮れて、エリーが食事を運んできてくれた。
レグルーザは戻ってこないし、ナウラはまだしばらく起きないだろうというので、一人で「いただきます」と手を合わせる。
そうして食事を終えると、夜行性の三ツ首犬ジャックが目を覚まして出てきたので、ひとしきり遊んでやってからブラッシング。
そのままでもきれいな毛並みにブラシをかけ、さらなるフワフワにして満足した後、またゴロゴロとじゃれて遊んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまった。
〈異世界六十三日目〉
「……んん?」
ぽてぽてと歩く根菜、マンドレイクの王国と化している古代遺跡の中で目を覚まし、しばらくボーッとしてから異変に気付く。
少し離れた場所で眠っていたはずのナウラが、いない。
「あれっ? ナウラ?」
びっくりして飛び起き、崩れかけた塔の中をぐるりと一周見渡すが、やっぱりナウラの姿はどこにもない。
彼女が眠っていたはずの毛布だけが、いつの間にかくしゃくしゃに丸まってぽつんと落ちている。
「ナウラ、どこ?」
どこ行っちゃったんだろう?
拘束魔法がそのままになっているから、あんな状態で一人で動き回るのは危ない。
それに、街から離れたこんなところで姿が見えない、というのは心配だ。
「ナウラー?」
あたしは名前を呼びながら塔の外を見に行こうとして、けれど急に目の前に白い煙が集まってくるのに足を止める。
その煙は一匹の猫の形になり、二股しっぽをぶらりと揺らした。
《おう、おはようさん》
煙る魔法猫、ミケがのんびり挨拶してくる。
「ミケ、おはよう。ナウラは?」
あたしはミケがまだいてくれたことにホッとして、けれどやや早口に聞く。
「ナウラいないんだけど、どこに行ったか知ってる? ミケかアンセムがどっか連れてったりしたとか、ないよね?」
《まあまあ、そう慌てなさんな。どこも連れてったりしてにゃーぞ。ほれ、よう見ぃ。昨日と同じで、そこにいるじゃねぇかい》
どうどう、とミケが片手を空中でひらひらさせてから、くしゃくしゃに丸まっている毛布を指さす。
いや、居ないでしょ。
居ないから慌ててるんだよ!
……と、思ったけど、あれ?
なんか、毛布の端からぴょこんと飛び出ているものがあるぞ?
「あれ、もしかして、しっぽ……?」
いや。いやいやいやいや。
ナウラは人間だったはず、なんだけど。
「ナウラ? えっ、何? あたしが寝てる間に何があったの?」
先よりさらに慌てて毛布の落ちているところに行って、人差し指と親指で端っこをつまみ、そうっとめくってみる。
「………………ねこ」
そこにいたのは、ふわふわした金色の毛並みの子猫だった。
毛布をめくられたことで急に明るい光を浴びたせいか、ちょっとまぶしそうに顔をしかめてから、うーん、と伸びをして、ぱちりと瞳を開く。
赤い瞳があたしを見て、びっくりした様子で、まん丸になった。
かわいい……
ではなくてだな自分! と、脳みそがとろけそうになるのをかろうじて立て直して、怯えさせないようできるだけ優しく声をかける。
「あの、えっと、……ナウラ?」
こんな時、どう声をかけたらいいのかなんて分からないから、とりあえず名前を呼んでみる。
すると、毛布の中に埋もれたまま、子猫は「なぁぅ」と愛らしい高音の声で鳴いて返した。
どうしよう。
返事をされてしまった。
この子、本当に、ナウラなの……?
あたしはしばらく言葉を失った。
子猫やばい可愛い、けどそれどころじゃなくて、ええと、どうすればいいんだ?
これ、アンセムだよね?
たぶん間違いなく、アンセムのせいなんだよね??
「……オ、リオ?」
そうしてどれくらい固まっていたのか、背後から聞こえてきた声で、あたしはようやく我に返る。
振り向くとレグルーザが塔の入り口に立っていて、ふわふわと浮かぶミケと一緒にこちらを見ていた。
「どうかしたのか?」
何度か声をかけていたらしい。
それなのに返事をしないあたしに、どこかおかしいと気づいて、様子を確認するように聞いてくる。
あたしはこの事態をどう説明すればいいのか、さっぱり分からず混乱したまま口を開いた。
「どうしようレグルーザ。可愛いよこれ。ネコがナウラで、ナウラがネコで、可愛いがナウラなんだよ」
レグルーザは困ったように首を傾げた。
「何を言っているのか、よくわからんのだが」
奇遇だね、レグルーザ。
あたしも寝起きだし混乱してるしで、よく分かってない。
けど、とりあえず一言。
「ちくしょうアンセムめぇ~!」
子猫ナウラ可愛いけど、そもそも、なんでナウラが猫になってんの?!
あのショタジジィ魔法使い、あたしが寝てる間に勝手なことしてくれやがって~!
と、言いたいのに口が回らず、うぇぇ、と半泣きでののしった。