花嫁選抜6
「レシル、お手柄だってな?」
無事に救出を終え城に戻り、ソフィーの看病をして医務室に帰ったレシルにムバルトが言った。
ソファーではキリヤがすやすや吐息を立てて寝ていて、ムバルトが眠気覚ましに飲むコーヒーが香る。
「清陵学生時代の悪友のお陰ですよ」
レシルはそう答えて苦笑した。
「へぇ。それは興味深いな。
ま。お前見つけたの、南西の紛争地だし。驚きはしないさ」
ムバルトはマスクを浮かしてコーヒーをずずず、とすする。
「とりあえずお疲れ。ソファーはキリヤが使ってるからな……。下の空いてるベッド使うか?」
「そうさせてもらいます」
レシルはキリヤの気持ちよさそうに寝ている姿に、ふああとあくびが漏れた。
こんな時なので、居館には戻らず医務室で仮眠をとることに。
レシルは階段を降りてベッドに寝転ぶと、すぐに眠りに誘われた。
*
「んん……」
レシルは廊下を誰かが行き来する音で目を覚ました。
朝が来た。
夜に西領主の娘が拐われるという大事件があったにしては、いつも通りの朝だった。
彼女は目を擦って、ぼうっとベッドに座る。
夢を見た、気がする。
『あなたは、この世界で幸せになれそうですか?』
川のせせらぎのような声が、そう問うた気がした。まあ、わからない。本当に気のせいかもしれない。
しかし、何のために転生したのか、という疑問が彼女に浮かんだ。
(リアムに会いたかったんだよな……)
この世界に転生すると決めたのは、少しの好奇心。
そして、せっかく転生したのであれば、彼を幸せにしたい。そう思っていた。
はあ、とひとつ溜息を吐き、彼女はベッドからおりた。
「おはようございます!」
「おはよう、キーくん。ムバルトさんは?」
元気よく挨拶するキリヤに、姿が見えないムバルトのことを尋ねる。
「朝食を摂りに行かれましたよ。レシル先生はどうされますか?」
「私も一度居館に戻るよ。着替えたら、ソフィー姫様のところに行ってくる。キーくんは?」
「ムバルト先生はすぐに戻ってくると思うので、そしたら僕もご飯を食べに行ってきます」
「そっか。わかった」
レシルはそう言うと、自室に戻って身支度を整え直す。
鏡の前に映った自分。
茶色の髪に、青い目。
日本人離れした顔つき。
ルディとレシル。ふたつの名前を持つ自分は、今日もいつも通りだ。
「……どんな顔をして、リアム様に会えばいいんだろう」
彼女はポツリと本音を漏らす。
リアムとソフィーは結ばれない。
シナリオが変わっても、変わってくれない運命。
失恋したのはリアムだ。
その痛みを自分が知ることはできない。
本を読み終えた時の、あの、憎さにも似た愛おしい感情が、レシルを渦巻いていた。
ソフィーはライアンと結ばれることで、きっと幸せになれる。
——悔しい。でも、どうにもできない。
今の自分は、本の中の世界にいるというのに。
「ハァ……」
自分の力不足に、彼女は再び大きく溜息をつく。
「辛いのはリアム様なんだ。私がウジウジしていては駄目だ」
彼女は自分にしっかりしろ、と言い聞かせる。
リアムがソフィーとくっつかないことは、もちろんレシルも悔しい。
しかし、だからといってリアムを可哀想、可哀想、と慰めることが果たして自分のするべきことか?
いや、違う。
「私は彼を何としてでも幸せにするんだ」
始まりはこれからだ。
諦めてたまるか。
小説はライアンとソフィーが結婚したところまでしか話がわからない。
その後のことは、どうなるか誰も知らないのだ。
もしかしたら、ソフィー姫以上に素敵な女性とリアムは結ばれるかもしれない。
いや、そうしてみせる。
——それまで医師として、自分ができる精一杯を彼に捧げよう。
新たな決意が、レシルを突き動かした。
*
*
*
「ああ。駄目だったか……」
男は手下の報告を聞いて嘆く。
彼が裏から手を回していたことは、誰も気がついていない。
王子が邪魔な奴らを唆し、ソフィーの拉致を誘導したのはこの男だ。
「領主の娘の血が欲しかったんだがなぁ」
ハァ、と溜息をついて、その男は机から立ち上がった。
「穏便に済む様、あれこれ可愛い悪戯を仕掛けてやったというのに。リアムのやつは真面目が過ぎる。これだから、兄さんには無理やりにでも、早いうちに婚約を申し込むようにと言ってやったのに」
男の名前は、コンラード・サルヴァス。
リアムの叔父にあたる人間だった。
彼は困ったものだと、眉を潜めた。
「サルヴァス家も貴族の血が薄れ過ぎた。ここでひとつ、リアムと有力貴族の娘を逢わせたかったんだが、なかなか上手くいかないものだな」
〈武貴族〉
それは、武に長けた貴族を指す。
功績を挙げた騎士が貴族の娘と結ばれて、そう呼ばれる血筋が生まれたとも言われおり、社交界では今でも半端者として白い目でみられることがある。
サルヴァス家は西領に門を構える有名な武貴族であり、騎士としての実力のみで地位を保っていたお家だった。
そろそろ「貴族」としての爵位が切れる。
貴族の血が薄まりすぎたのだ。
リアムの父は、実力さえあれば爵位がなくとも、家の価値は依然として保たれると言い、リアムに政略的な結婚を強いなかった。
しかし、弟のコンラードは違った。
リアムとソフィーの歳が近いことに目をつけ、その可能性に賭けに出た。
足がつかないように、幾重にも念を入れて手を回し、リアムとソフィーの縁を願っていたのである。
花嫁選抜で、ソフィーとリアムが再会するきっかけが与えられたことには、天の導きかと見紛うほど。
彼女とリアムを結ばせるために、些細な仕掛けをしたのはコンラードなのである。
「さて。こうなったら仕方ない。もう少し下の貴族の娘と結婚させようか。兄さんは恋愛結婚を推しているからなぁ。悪い虫が大事なリアムにくっつかないようにしないと」
——ああ、忙しい。
コンラードは次の準備に取り掛かった。




