◆亡霊たちの舞台
(ひっ――!)
引き金が引かれる。
魔法がレシィとジェラルドに向かって展開された。
――魔法の壁だった。一段と厚い、丈夫な守りの壁だった。
「お前はそこで大人しくしていろ」
ぽかんと壁を見ていれば、声がした。キットが焦燥の表情を抑え、引き攣りながらも安心させるように微笑んでいる。どこか遠くを見る、優しい眼差しでレシィを見ていた。
「僕が絶対お前たちを守るから。――命に換えても」
もう一度、引き金が引かれた。そして、すぐにキットは背を向けて人形と対峙しなおした。
レシィはその背を追うために立ち上がった。
「キット! キット!」
キットは振り向かない。人形だけを見ていた。自分の声は一切届いていない。レシィは自分の声が風の魔法に阻まれていることを知った。
「そんな! キット!」
駆け寄ろうとしても、作られた壁に阻まれ、それ以上は近づけなかった。
(キット……! 一体何を考えているの!)
レシィに不安が募った。嫌な予感しかしない。今や人形よりも彼の背中を見る方が慄然した。
キットはただ戦っている。的確に魔法を放ち、自分たちを庇うように立ち回り、時にはその身に魔法を食らい、戦っている。どんどん傷ついていく。
自分には手助けする術はない。
レシィはジェラルドを見た。この場にいるのは自分と彼のみ。ならばもう残る頼みの綱は、彼しかいない。
ジェラルドが苦痛を耐えるように目を細めていた。キットを睨んでいた。
レシィは駆け寄り、ジェラルドの身動きを止める陣に触れた。遺跡の仕掛けならば一切分からないが、魔法ならば自分でも解けるかもしれない。
しかし、この陣の構成がどういうものか、彼女にはさっぱりわからなかった。試しにマナをこめてみたり、魔法をぶつけてみるが何も起きない。陣は変わらず赤い光を点滅させている。その明滅はレシィを嘲笑っているかのようだった。
(なんで! どうしてよ! なんで私わからないのよ!)
視界が滲んで歪む。リュープを抱えていない腕の袖でそれを拭って、レシィはキットを見た。
ちっとも美しい戦いではなかった。
どんなに無駄のない動きをしようが。どんなに驚異の速度で展開されて、計算されて魔法とマナが放たれようが。どんなにあり得ない集中力で敵に立ち向かおうが、レシィにはもう感嘆出来るものではなかった。
無茶で、無謀で、乱雑な――自分の命を粗末に扱う戦い方だった。彼はボロボロになっていっていた。
拭っても拭っても、レシィの目から涙がこぼれてきた。
(なんでよ……なんでいきなりこうなったのよ……)
もう少しだけ父を探させてくれと頼まなければ、今頃外に出ていたかも知れない。自分のせいなのだ。大人は皆、よからぬ予感を抱いて帰った方がいいと言っていた。約束通りに言う事を聞けば……。レシィは少し前の自分を恨んだ。
しゃがみ込んで、ジェラルドの足下に陣を再び調べた。やはり何もわからない。それでもレシィは調べ、触れ、解除方法を探した。
(ジェラルドなら、ジェラルドなら!)
彼さえ動けるようになれば、キットとジェラルドが戦えば、きっとここから脱出出来る。そう信じたい。少なくとも、今の状況よりは希望が持てる。
「待ってて、ジェラルド。私だってシーリル人だもの、こんなの私が解除して、解除して……解除して……ううっ……ひっク……」
嗚咽が止まらない。何もわからない。最初の一手すらわからないのだ。自分の無力さをレシィは呪った。顔から出る水分が床にぼたぼたと垂れ落ちる。水は陣を濡らし、ぼんやりする視界の中、一層嫌な輝きを見せた気がした。
ジェラルドが唸っている。苦しげに唸っている。キットを睨み続けながら、脂汗を流しながら唸っている。それを見てるだけで、何も出来なかった。
「……んでよ! 意味わがんない! わがんないわよォ! 誰がこんなふざけた罠ァ!」
悔しさに床を叩いて泣き叫ぶが、レシィの声はジェラルドにしか届かない。
そのジェラルドが、一際大きい苦悶の声を上げた。レシィはびくりとして、彼を見た。酷い痛みが襲っているのか、ジェラルドの顔が一層歪んだ。呼吸も荒い。玉の汗を浮かべ、酷い苦痛を受けているのがわかった。
(お願い! 誰か助けて!)
レシィはキットを見た。
ちょうどその時、人形に一撃与えたキットが振り向いてジェラルドを見た。その口が、大きく動く。
う、ご、く、な。
それだけ伝えて、彼は再び背を向け、戦いだした。
それだけだった。キットは迫り来る人形しか見てない。戦うほか無いのだ。彼が戦っているからこそ、今まだ辛うじて向かってくる敵をこれ以上近付けさせずに済んでいるのだ。彼が戦うのをやめてジェラルドの陣の解除に来たところで、その隙に人形達はレシィを圧倒するだろう。
キットを助けるにはジェラルドが必要で、そのジェラルドを助けるにはキットが必要で。レシィはどちらも助けられず、どうしていいかもわからず泣き続けた。
泣きながらも右往左往していると、キットの銃から放たれるマナの他に、彼の身体の周囲にマナが溜まっていくのをレシィは見た。
恐ろしいほどのマナの量だった。
(何してるのよ、キット……)
壁越しにも感じる禍々しい量のマナにレシィは身を震わせた。
マナは集まることをやめない。
最初は人形たちがしているのかとレシィは思った。しかし違った。
キットがしているのだ。戦いながら、それとは別に彼が大量のマナを集めていた。
普通一般的な人間の魔法使いは一度にこれほど多くのマナを溜めることは勿論、他に魔法やマナを扱いながら別にマナを溜めるなどという芸当は出来ない。シーリル人でさえも相当な手だれでなければ無理だろう。間違いなく神業と言える行為だった。
だがレシィが戦慄したのはそのことだけではない。
(一体何をする気よ……)
鳥肌が立ち、レシィの身体がガクガク震えた。地鳴りもしてきた。キットのマナを中心に部屋が微震しているのだ。
「や、やめてよ、やめてよキット……」
立ち上がろうと思っても立てない。あまりの恐ろしさに腰が抜けたようだった。レシィは四つん這いでキットに近付いた。当然、壁が彼女を阻んだ。
マナは際限なく彼の周りに集まっていった。
――マナは強大な力を持っている。特に大量のマナの力は底知れない。時には強力な魔法を生み出す根元となり、時には生き物を魔物に変えてしまう力となる。
遙か昔では、人々の住んでいた大陸が高濃度のマナによって腐敗した大地にされていたのだ。動植物は大量のマナを長時間浴びて魔物へと変貌した。だから大陸の地下にこのような広い世界がいくつも出来たのだ。すべてはマナの力だった。
人も、許容量を越えてマナを扱えば、その代償が必ず来る。
魔物になったという話しをレシィは直接は聞いたことがないが、マナの扱いを失敗して廃人になったり、身体を木っ端微塵に砕かれたという話しは、マナを扱うシーリルの里では必ず教えられることだった。レシィも知っていた。
レシィは壁にぶつかった。何をしようとしているのかわからない。しかし、嫌な予感しかない。止めなければならなかった。
体当たり、魔法、体当たり、叩く。レシィは壁に攻撃し続けた。
「やめて……やめてよキット。キット死んじゃう。やめ、やめて……おねがい、やめて」
ジェラルドの唇が、自らの牙で貫かれた。血を流しながら彼はキットを睨み続けた。
レシィは悲鳴を上げた。
「お願い! 誰か助けて! 誰か、誰か……サイ先生ー! 誰かぁぁ!」
(女神様! おねがい! 私達をお救いください! キットを止めてください!)




