14話
「ゼウス様。報告書でございます」
「ああ。ご苦労さま。受け取るよ」
手渡された封筒を開ける。その中にはハデスたち以外の死神の精鋭に調べさせた天界についての詳細な情報がまとめられていた。部下を下げて、静かな空間の中でその情報に目を通す。かねてから僕の政治に不満を抱えている一部の団体が失踪した、という情報が目に止まる。しかも読み進めていくうちに、それは一つの団体だけでないことが分かった。この資料に載っている情報によれば、その団体に加入していた天人は天界中捜索しても、誰一人として見つかっていない、とある。明らかに不審である。
机の角に置いてある通信機の電源を入れ、ハデスへ連絡を入れる。
「おう。どうしたゼウス。何かあったか?」
「一つ頼みたいことがある――」
ハデスには、反政府団体に所属する天人の捜索を要請した。天界で見つからないのならおそらくは地上だ。天使や死神としては自殺行為だが、逃げるだけなら簡単であり、かつ捜索の手も回しにくい。厄介な場所だが、だからこそ可能性は高い。加えてイドモンの件もある。彼らが共闘してしまえばそれこそ最悪のシナリオだ。だが、すでに事は動き出しているだろう。最悪の事態も考えなければ。
「了解。死神一番隊隊長、任務を遂行する。……ところでこれは私的な話なんだがいいか?」
「ああ、構わない」
「少年と姫様の関係はどう思う? お前の娘と少年、天使と人間。本来なら交わることのない二人が出会っちまった。どんな綺麗な言い訳をしたって、ゼウス、これはお前のせいだ。少年にとってこれは決していいことだったとは思えねえ。良くも悪くも人間の普通の世界からは引き離しちまった。少年はもう二度と普通には戻れない。そのことの重さを、お前はわかっているのか?」
「わかっている。最初、僕は彼の善意につけ込んだ。娘を助けるために利用できるものすべて利用するつもりだった。たとえその結果神としてふさわしくない行動をすることになったとしてもね。だけど今は違う。彼は本心から娘の支えになってくれた。僕は一天人として彼のためになることをしてあげたいと思っている。もう僕の数少ない友人の一人だよ。いつかきちんと彼の顔を見て心からの謝罪と、感謝を伝えたい」
「良い返事をするじゃねえか。すぐに泣いていた昔とは違うな。だがそれ以前にいいのか? お前の娘は完全に少年にお熱だぞ?」
「まあ、二人の決めたことなら僕は構わないよ。そもそも、僕が口を出せるようなことじゃない。少し寂しい気持ちにはなるけど、彼なら、いや彼にしか娘は任せられない」
通信機の向こうから音量無視の大声で笑い声が聞こえる。この癖は昔からいくら注意しても治らないんだよなあ。
「立派な父親だな。一兄弟として誇りに思うぜ。そうだな、もしお前の娘が少年に取られたら、二人で潰れるまで飲むか! おごってやるからよ」
「お言葉に甘えようかな。とことん付き合ってくれよ?」
「任せろ。じゃあな、そろそろ切るぜ」
そう言ってハデスは通信を切った。やはり彼には敵わない。昔のことを懐かしみながら職務に戻る。何事も無くこれからも平和な日々が続く、なんてことは夢物語かもしれない。ただ我が娘と紅葉君の、安らかな日々が少しでも長く続くことを祈るばかりだった。
月日は流れ、バレンタインデーが終わったかと思えばすぐにホワイトデーが近づいてくる。アテナにはあれだけのものをもらったのだ。まともなお返しを考えなければ申し訳が立たないだろう。そのことについて、女性経験の豊富そうな相川に相談したのだが。
「うん。それを拙者に相談するのは間違っている」
「いや、お前女性慣れしてるだろ? お返しなんていつもやっていることなんじゃないのか?」
あれだけのチョコレートをもらっているなら、お返しだってかなりの経験があるはずだと踏んだのだが……。
「正直まともに返したことはない。というよりは、渡されるときにお返しはいらないから、って言われるからな」
乾いた笑いを浮かべる相川。まあ、あの量なら渡すほうが気を使いそうなのは納得なのだがその言葉は、見返りはきっちりと寄越せよ、という隠語に聞こえてしまうのは俺だけだろうか。
「ちなみに渡す相手はアテナ氏でおk?」
「そうだな。てかネットスラングを日常会話で使うなよ」
「これは失敬。いやこういう話ができるのは紅葉氏しかいないもので」
こいつは容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群と女性の目を引く要素をすべて兼ね備えてる。そこに加えて親もそこそこの金持ちらしい。だがそれらの要素も全て、その中身が台無し、とまではいかないにしろかなりマイナスしている。中身を俺を遥かに超えるレベルのオタクなのだ。二次元の嫁こそが彼に取って至高であり、三次元の女子はどんな容姿でもただの人間としか映らない。
「話を戻すが、アテナ氏へのお返しなら物を渡すよりかは、どこか遊びに連れて行ってあげるのがいいんじゃないか? そういった娯楽系はあまり知らなそうだし。都合よくホワイトデーは休日だろ」
「遊び……ねえ。某ネズミの王国とかか」
「そうそう。きっと喜ぶと思う。お前たち付き合ってるのにデートとかあんまりしてなさそうだからな。ちょどいい機会だし、二人で遊べば――」
「ちょっと待て。俺とアテナは付き合ってないぞ?」
「え? いやいやご冗談を」
「冗談じゃなく」
「……マジで?」
「心から驚いた風な顔をするな。いつ俺が付き合ってるなんて言ったんだよ」
「いや……確かに言ってはいなかったけども。クラスの男子の大半がそう思ってたというか……もはや共通認識になっていたんだが。おそらく女子もそう思ってるはずだ。……本当に付き合ってないのか?」
誤解もここまで来ると清々しいものだ。相川だけでなくクラスの男女全員にそう思われていたとは。
「本当に付き合ってはいない。一緒の家に住んではいるけどな」
「そう! それだよそれ。自己紹介のときにアテナ氏がそんなことを言ってたから、そういう誤解が広まったんだよ。加えて紅葉氏が毎日弁当持ってくるし、いつも心配そうな目でアテナ氏を見てるし、アテナ氏が喜んでると本当に嬉しそうな顔をするし。まあ、若干10代のカップルにしては愛のベクトルは普通の人と違うかもしれないが…………あれ、これもう親子じゃね?」
相川の思考はだんだんとあらぬ方向へ向かっていった。実際俺もアラクネと戦う前まではアテナの事は手のかかる子供ぐらいにしか見ていなかった。あの戦いを通して、やっとのこと自分の気持に気がつくことができた。
「まあ、でも、紅葉氏はアテナの事悪くは思ってないだろ。ホワイトデーのお返しも兼ねて告白すればいいんじゃないか」
「告白かあ」
一回失敗したようなものだからなあ。あのときは自分へ向けて、自分の気持を定めるために言った言葉だから告白とは違うかもしれないが。それでも聞こえてないってのはないだろう……。ハデスにはさんざんいじられるし。だが、アテナとの関係はあやふやなままにはしたくない。だからここでちゃんと気持ちは伝えておくべきか。伝えられるときに伝えておかないと、いつこの命が尽きるかはわからない。それは先の戦いで痛いほど思い知ったことだ。
「…………そうだな。少し頑張ってみるか」
「おう。応援してるよ。振られたら拙者のお気に入りのギャルゲー貸すから」
「振られる事前提に話すなよ! あとそれは後で普通に貸してくれ」
その後少し他愛のないことを話していると、授業開始の予鈴が鳴った。鐘の音とともに屋上から教室へと階段を下っている最中、相川は付け加えるように言う。
「紅葉氏、相談してくれてありがとう」
俺は彼の言っている意味がわからず、思わず立ち止まってしまった。迷惑をかけたのは俺の方だというのに。なぜ、彼が礼を言うのか。
「何いってんだよ。礼を言わなきゃいけないのは俺のほうだろ? なんでお前が礼を言うんだ」
「いや、ただただ嬉しかったんだよ。そういう相談をされるくらいに信頼されてるって思ってさ。拙者はそういった相談はされることはなかったもので。もし少しでも紅葉氏の役に立てたのなら良かったよ」
相川は照れくさそうに頬をかきながら言った。ここまで言ってくれる友人は俺の人生のなかではいなかっただろう。入学当初に起こした事件で受けた誤解や風評被害も、こんな友人を得るためだと考えれば、有意義なものだったと自分の中で納得がいった。結局人生の幸と不幸はきっとバランスが取れているのだ。
「ありがとな、相川。今度飯でも奢るよ」
「まずは告白を成功させてからだな」
「思い出させんなよ……」
校舎の中に響いた始業の鐘に背中を押され、階段を駆け下りる。互いに一つ友情を深めることができた有意義な昼休みになった。
「へえ、アテナちゃんへのお返しねえ」
放課後の料理部の活動中、女子の意見も聞いておくべきかと思い、一応相談に乗ってもらうことに。部活動では、料理が上手い人順で班が組まれるので、アテナに聞かれる心配はなかった。
「ちょっと待ってください。俺アテナに、なんて言ってませんよ」
いつもの三人はアイコンタクトのみで何かを確認し合う。いや他にいねえだろ、みたいな会話が目だけで成立していそうだ。
「まあ、でも合ってるだろ」
「……合ってますけど」
別にバレたところでどうにかなるようなことではないのだが、何か癪ではある。三人の先輩はそれぞれ案を考えているようだ。荒川先輩の膝の上に乗っている、長谷川が元気よく手を上げながら言う。
「やっぱり形に残るものがいいと思います!」
後ろから先輩に腕を回されている長谷川はまるで小動物のようだった。一方で荒川先輩はクールな顔をして、よだれを垂らすのをなんとか防いでいた。…………あれ、この中だと部長が一番マトモなのか。
「例えばどんな物がいいんだ?」
「そうですね……そうだ! 指輪なんてどうでしょうか」
「…………指輪、ねえ。重くないか?」
「それは問題ないんじゃないか? 後輩くんたち付き合っているんだろ」
「え?」
「「「え?」」」
ここでもそうなのか。もはやクラスの中だけの話では収まっていないらしい。俺はもう諦めているが、アテナにとっては迷惑かもしれない。一応否定しておくべきか。
「俺とアテナはそういう関係じゃありませんよ」
「「「嘘でしょ」」」
「打ち合わせでもしたんですか? 本当ですって。俺とアテナはなんにもありませんよ」
どうやら相川からの情報と、日頃の俺とアテナのやり取りを見てそう思ったらしい。やはりヤツが広めていたのか……。
「君たちは初めて部活動に来たときからずいぶんと仲が良かったからね。彼から聞いた噂を鵜呑みにしてしまったんだ。まあでも、後輩くんは悪くは思っていないんだろ?」
「…………察してください」
三人のニヤつく顔が目の前に並ぶ。恥ずかしすぎる。思わず熱くなる顔の事から気をそらすために無理やり話題を戻す。
「と、とにかく! お返しのことアドバイスお願いしますよ」
その後部活動を続けながらも先輩方は真剣に話を聞いてくれた。相川からされた提案について話すと、目を輝かせてアイデアを出してくれた。特に長谷川。腐っても女子と言うわけか。告白に向いたスポットをいくつか教えてもらった。実際に渡すものは結局指輪がいいんじゃないか、ということになった。アテナを世話していることで、俺の通帳の残高は高校生では考えられないような額が貯まっている。問題はどんなものをどんな店で買えばいいのかである。何件かアクセサリーを取り扱っている店を先輩たちから聞いたのだが、どんな物がいいのやら。それに、基本的に俺一人での外出は認められていない。だが、できるなら自分の目で見て買うものを決めたい。ハデスに頼んでみるか…………。




