13話
「小野寺 紅葉。貴殿の運動部の活動への多大な貢献をここに賞する――」
何だ、この状況は。今朝方、学校に来てみれば、すぐに担任の先生に校内放送で呼びつけられ、気がつけば壇上で大きな賞状を受け取っている。隣りにいる部長は感動しているのか、涙を流している。いや、わけわからん。だが、思い返してみれば確かに心当たりが無いわけでもない。相川が俺の料理を食べに来て以降、運動部のメンバーがだんだんと訪れるようになっていった。それのせいかわからないが、運動部の生徒たちは平均して例年まれに見ないような結果を残した、らしい。特にサッカー部。奴らはここ十年間の記録を塗り替えたとかなんとか。サッカー部の部長が挨拶に来ていたことを思い出した。賞状を受け取って後ろを振り返れば全校生徒からの拍手喝采。
「どうしたっ……後輩くん。もっと笑い給えよ! 君に向けた拍手なんだぜ」
だから嫌なんですよ。なんて口が裂けても言えない。サッカー部の新部長とか泣いてるしな。嬉しいが、ここまでされるのはちょっと。ちなみに俺は運動部の間では、お母さんと呼ばれているらしい。世話をするのは銀髪の色々でかい娘で手いっぱいである。乾いた笑顔を浮かべながら、壇上を降りるのだった。
アラクネと死闘を繰り広げた後飛ぶように時間は流れ、もう2月である。俺が天高く叫んだ告白はどうやらアテナには届いていなかったようだ。やるせない気持ちにはなったが、勢いだけで気持ちを伝えるのはいかがなものかと思う、ことにした。ハデスにはさんざんいじられたのだが。肌に触れる風は切るように寒くなってきた。クラスメイトたちはそんな気候と対象的に、少しづつ盛り上がり始めていた。そう、バレンタインデーである。男子の期待と裏腹に、一部の女子は友人と交友関係を保つための一年に一度の大仕事である。こう考えると儚いな、男子の期待。もちろん俺自身、わかっていても所詮は男子の一員なわけなのだが。
料理部でも例外なくそんな浮ついた空気が流れていた。だが、案外俺の卑屈な思想は間違いであることを思い知る。気になる男性に渡す、という女子も想像以上にいるらしい。そんな話を軽々とされてしまう自分は男子として認識されていないのだろうか。……悲しくなるからこれ以上はやめておこう。部長に押し切られ、俺もお菓子を作ることになった。
「……難しいな」
的確な温度管理、混ぜ方、誤差のない材料。これらすべてが組み合わされなければ、美味しいお菓子はできない。これまでに培ってきたスキルを最大限に活かすものの、なかなか思ったようには行かなかった。
「君からそんな言葉が漏れるとは珍しいな、後輩くん。何がそんなに難しいんだい?」
「パンテリングが思ったようにいかないんですよ」
「どれどれ、とりあえず一口。……うまっ! いやいやこれは上手くできないとは言わないだろ。少なくとも市販品よりは――」
「それじゃ駄目なんですよ! このレシピ本に書いてあるような味じゃない……! もっと、もっと上手くできるはずなんです」
「興味なさそうだったのに本気だなオイ。しかし、その本の内容でなんで分量がわかるんだ。ほとんど適量としか書いてないじゃないか。私達の先輩もそのレシピわからなかったぞ」
ここで初めて料理をしたときは、確かに訳がわからなかった。だが、今は違う。その本を読めば、書いた人が目の前で教えてくれるかのように理解することができる。これは適当に適量と書いたのではない。適量と書くのが適当なのだ。
「この本を書いた人間は間違いなく天才ですよ。俺はこの人を超えられる気がしない」
「秘伝の書かなにかなのかそれは?! ま、まあ、とにかく頑張ってくれ。出来上がるのを期待しているよ」
「はい」
再びチョコレートとの格闘を始める。適切な温度管理と混ぜる速度、ときには豪快に混ぜ、時には繊細に。手に馴染んできたヘラと温度計を握りしめながら、菓子作りの沼へと落ちていった。
紅葉が少し離れたところで先輩と楽しそうに話している。……いいなあ。ヘラを握ったままよそ見をする。
「アテナちゃん、アテナちゃん! チョコたれてるよ!」
「え? うわあっ?!」
セーターの袖にチョコレートが少しかかってしまった。慌てていると、この間仲良くなった長谷川さんが私の袖を拭いてくれた。
「あ、ありがとう。長谷川さん」
「いいですよ。気にしないでください。アテナちゃん」
小さくて小柄なのに周りに気の使えるすごくいい子だ。ちょっと趣味は特殊だったけど。男性同士の恋愛、が好きだとか。私にはわからなかったけれど、すごく熱心に話していたのを覚えている。
「でもよそ見はいけませんよ? あっちには……ああ、小野寺くんですか」
「べ、別に紅葉のことなんか見てないわよ」
「じゃあ、誰を見ていたんですか?」
「そ、それは……」
恥ずかしくて黙り込んでしまう。紅葉も紅葉よ。いろんな人と楽しそうにして。
「あ、アテナちゃん。そんなに力を入れて混ぜなくても大丈夫だから」
「あ。ごめんなさい……」
「一旦休憩しましょうか」
長谷川さんの提案で、班のみんなでいったん休憩にすることに。背もたれの無い椅子を運んできて、テーブルを囲んで座る。ちらっと紅葉の方を向くと、紅葉はできたチョコレートの出来が気に食わなかったのか、頭を抱えて唸っていた。その様子を見て少し笑ってしまう。すると、その視界を遮るように部長が顔を覗かせる。
「おやおや。今の乙女な顔は誰に向けた物なのかな? アテナくん」
「わかり易すぎですよ。アテナちゃん」
「もう! やめてくださよ二人して。わかってるならいちいち言わなくてもいいじゃないですか!」
恥ずかしさから顔をそらしながら言う。
「ごめんごめん。いじめるつもりはなかったんだよ。でも君は紅葉くんにあげるんだろう?」
「それは…………はい」
周りの女子たちが黄色い歓声が上がる。ああ、恥ずかしい。でも嫌な恥ずかしさじゃない。笑いものにされているようなものではないから。
「分かってはいたことだが、彼を相手にするとなると流石に可哀そうだな。紅葉くん、初めての菓子作りで神域に挑戦しようとしているようなレベルだからなあ。市販品以上じゃ駄目だ、もっと先があるはずだ……なんてつぶやいていたからね。彼を見ていると女子としての自信が粉微塵になるよ」
ははは、と乾いた笑いを漏らす部長。なんとなくそんな気はしていたが、やはり紅葉はこと料理に関しては天才的だ。呆れるほどの才能を持ちながら、それを自覚してはいなさそうだけど。絶対に彼を超えるようなものを渡すのは無理だ。そんなことはわかってる。
「でも、渡したいです。上手く作れなくても、精一杯やって紅葉に渡したい、です」
その返事を聞いた部長はニッと歯を見せて笑う。そして私の肩を叩きながら言う。
「よく言った! よし、私も微力だが手を貸そう。練習と味見ならいくらでも付き合うぞ!」
それに続くように、私も、私もと声を上げてくれる部員たち。胸が熱くなるとともに目頭も少し熱くなってくる。
「さあ、休憩は終わりだ! アテナくん、やれるだけやってみようじゃないか」
「はい!」
どこまでできるかわからない。でも紅葉だって頑張っていた。些細なことかもしれないけど、私も頑張らないと。瞳をセーターの袖でこすり、椅子から勢いよく立ち上がった。
どうやらアテナは居残り練習をしていく、とのことだ。俺もそれを手伝うと提案したのだが断られてしまった。少し悲しかったが、図書室で暇を潰すことに。空調が効いている状態など期待はしていなかったのだが、暖房がついているらしくコートは要らないくらいには暖かかった。電気をつけると、そこには見覚えのある姿が。
「何してるんだ、ハデス」
「おいおい、部屋を温めておいてやったのにその態度はないだろう」
「いや、普通に不法侵入だからな。まあ天界の住人に言っても仕方がないか。で、何か用なのか?」
「ああ、それなんだけどな。少し伝言を頼まれた。通信装置は万が一のことを考えて使わずに口頭で伝えてくれ、とのことだ」
その後ハデスから伝えられたのはこのようなことだ。
一つ。悪用の兵器転用に着いての論文を発表し、学会で多数の否定的意見を突きつけられ、正式な研究として評価されることがなかった人物は、アラクネの父イドモンであった。イドモンはその研究の有用性を世間に示すために、娘を使って実験していたらしい。アラクネの母は事故死していたとされていたが、実際は研究材料として使われていたのが発見された。
二つ。アラクネの父の目的は今現在の時点では不明瞭である。有事にも対応できるよう、常に準備を怠らないでほしい、とのこと。
三つ。アラクネは体内に宿した悪霊に操られている可能性がある。確定した事項ではないが、可能性は否定できない物らしい。
「ああ、そうだ。あともう一つ。お前たちの契約魔法には一切の問題はないそうだ。姫様が少年に憑依できない原因はわからなかった」
「……そうか」
俺とアテナは、アラクネ撃退戦の後、憑依ができなくなってしまっていた。原因はどう考えても、俺が一回死んだからだと思う。だが、魔法自体に問題はないという。ゼウスにもわからないんじゃどうしようもない。
「あなたー。いるのー?」
ハデスは何かを察したように姿を消した。正確には開け放たれた窓から空へと消えたのだろう。自分も脱いだコートをもう一度羽織って、アテナのもとへ向かった。家につくと、アテナはチョコレートのレシピを広げ、何かノートに何かを書き込んでいた。その様子を夕飯を作る傍らに見て、誰にあげるんだろうか、俺に以外に渡すのは少し嫌だなあ、なんて考えていた。
それから二週間ぐらい続いたお菓子作り習慣も終わりを告げ、遂にバレンタインデー当日。朝はアテナからチョコはもらえなかった。本当に誰に渡すんだろうか。チラチラとアテナを観察しているのだが、いつもと変わった様子はない。自分で昨晩作ったものと、料理部で作った菓子をタッパーに詰めて学校へ向かった。
学校に着いて、自分の席に紙袋を置くと、男子たちが俺の前に整列する。ため息を着いて、袋の中身を取り出す。すると、待ってましたと言わんがばかりに男子から歓声が上がる。
「救いの母に敬礼っ!」
「母はやめろ、母は」
ビシッと揃えられた指先と足先、どれだけチョコレート食いたいんだか。タッパーを開けて男子生徒たちに渡す。チョコトリュフ、チョコクッキー、小さく切られたブラウニーとガトーショコラを詰め込んであった。すると、そこへハイエナのように男子たちはわらわらと集まっていく。そして、すぐにその中身はどんどん消えていった。女子たちもそれを覗き込んでいた。唯一まともに話せる長谷川がちょうどよくこのクラスに来る。その長谷川にタッパーを託して自分の席に戻る。人の波に飲み込まれて行く長谷川を見てみぬ振りをしたのは心の中で謝っておこう。
「なあ、アテナ。何か用か?」
「べ、別になんでもないわよ。自意識過剰なんじゃないの?!」
フンッとそっぽを向く。朝は普通だったのに、さっき席を外したきり何か不審なのだ。こちらの様子をずっと伺っているような。こういうときのアテナは放って置くに限る。余計な期待は絶望を生むだけだ。そういえば相川はどうしたんだろうか。教室を見渡しても彼の姿はない。しばらくすると、ダンボールを抱えた男子生徒が入ってくる。……おいおい、嘘だろ。
「相川……なのか?」
ドンッと大きな音がしてダンボールが席に置かれる。その中には溢れんばかりのバレンタインチョコレートが。ここまでとなると流石に羨ましいとは思えない。それは果たしてどうやって持って帰るんだろう。
「……ああ。おはよう紅葉」
若干顔色の悪い相川が返事を返す。ため息を大きく吐き、乾いた笑いをこぼしながら。
「なんかこう、すごいな。そこら辺のアイドルは超えてるだろその量」
「……毎年こうだからな。もう慣れたよ。今日は車で迎えに来てもらうことになってる」
事後の対応まで完璧なのか。これは本当に毎年こうなのだろう。モテるやつが苦労している訳無いだろうが、と思っていた俺だったが、こんな近くに反例がいるとは。これは考えを改めざるを得ない。突然何か思いついたかのように相川が顔をあげる。
「そうだ、お前のチョコは?!」
「男子のグループにまとめて渡したけど」
それを聞いていた男子のグループは空になったタッパーをこちらへ見せつけるように掲げている。相川はクソっ、と言って机を勢いよく叩く。
「いやお前腐るほど眼の前にあるだろうが」
「絶対に紅葉が作ったヤツのほうが美味い」
「お前それ絶対もらったやつの前で言うなよ? 殺されるからな。主に俺が」
落ち込んだ様子でぐったりとうなだれる相川。仕方がない。
「ほら、相川」
「ん?んんっ! やっぱりうまいな!」
自分用に取っておいたものを一つ相川の口に突っ込んでやる。後ろで長谷川が倒れた気がするが思い違いだ。きっと。
それから放課後まで、アテナからのチョコレートを密かに期待していたのだが、予想外に他の女子からのチョコレートを貰った。男子に渡す、というよりは朝のチョコレートへのお礼、すなわち友チョコみたいな感覚だろう。複雑な気分では合ったが、人生でチョコレートなんてもらったことなんてなかったので嬉しいには嬉しかった。
放課後、今日は料理部は休みだという連絡がある。アテナに帰ろう、と声をかけようとするが女子がその周りにたむろしていたので、教室の外で待っていることに。アテナの後ろを通ってドアの方へ歩いていくと、後ろから女子に首根っこを掴まれる。
「お前……空気読めよぉ?!」
すごい形相で迫る女子。今まで見たこともないような顔だった。引っ張られるがままに自身の席に戻る。しばらく待っていると、アテナがカバンの中に手を入れる。それを見た女子たちは教室から出ていった。二人きりになった教室で、静かな時間が流れる。すると突然アテナは何かを握りしめて立ち上がる。
「こ……これ!」
アテナは下を向いたまま、綺麗な包装に包まれている何かを差し出す。半透明の包装から見えるものから察するにクッキーだろう。その形は見えているものだけで、明らかに手作りであることが分かった。
「いっぱい勉強して、いっぱい頑張った、でもこれが限界で、これが一番うまくいって……。焦げとかあるし、形も歪だし、味だってあなたが作ったら私のなんて比べ物にならないかもしれないけど…………。これが私の全部だから。………お願いします、受け取ってください」
差し出された手は震えていて、必死さが痛いくらいに伝わってくる。胸が熱くなる。ここまでの感情を他人から向けられたことなんてなかった。差し出されたクッキーを受け取る。
「開けていいか?」
アテナはうつむいたままで、首を縦にふる。包装を解くと、そこには本人が言うように少し焦げ付いて、形も不揃いだけど、彼女の頑張りが十二分に伝わってくるクッキーが入っていた。それだけでもう胸の内は満たされてしまった。一つつまんで口の中に放る。美味しくはない。焼き過ぎで固くなっているし、砂糖の分量も微妙だ。それでも今までの人生の中で食べた食べ物の中で一番うれしかった。アテナは不安からか、目に涙を浮かべながらこちらの様子を伺っている。
「ありがとう、アテナ」
今にも泣きそうな彼女をそっと抱きしめてやる。こらえていたものが弾けるようにアテナは泣き始めてしまった。あやすように彼女の髪をそっと撫でてやる。後ろから女子の歓声が聞こえてくる。やっぱり覗いてたか……。アテナが泣き止んだのを頃合いに、彼女の手を引いて教室を出る。女子たちはもうすでに下校したようだ。
少しばかり長くなり始めた日も沈みかけている中、二人で並んで帰る。握った手は離さずに。アテナの顔を見ると、未だにその目は未だに涙を流し続けていた。
「お前まだ泣いてんのか?」
「……うるさい! いちいち言わなくていいわよ!」
コートの袖で目をこすり、上目遣いで少し頬を膨らまして立ち止まるアテナ。怒った顔すら可愛いと思えてしまうのは、やはり盲目になっているのだろうか。頭の上に手を置いて、自然と微笑みながら言う。
「お前は笑ってたほうがいいよ」
「っ!」
下を向いたアテナは俺のことを軽く小突いて前に走り出す。
「おい、待てって!」
「さっさと追いつきなさいよ! ばーか!」
振り向いた彼女は、今までにないほどの満面の笑みを浮かべていた。




