9話
授業を終え、放課後になると俺とアテナは職員室に呼び出された。渋々職員室のドアを開け、先生の待つデスクへと向かう。どうやら部活動の紹介をしてやってほしいとのことだ。
「でも先生、俺部活何も入ってないですし、どこでどの部が活動しているかなんて知りませんよ?」
「ああ、それならこれを持っていけ。大体書いてあるから。というか、小野寺。ああ、男の方な。お前もなにか部活を探してみたらどうだ。どうせ放課後暇しているんだろう?」
「はあ。まあ考えておきます」
先生から部活動のリストと活動場所の明記された地図を受け取って職員室を出る。何も知らないくせに偉そうに、なんて思ったことは内緒だ。
「で、どこから行きたい? 運動系の部活はやめておけよ? お前の身体能力だと世界を超えるレベルだからな。目立ちすぎる」
「まあ、そうよね。流石に人類の歴史に名を刻んじゃうのはまずいわね」
さて、それを前提に考えると、条件に当てはまるのは文化系の部活だ。……数が多いな。この高校、部活動にそこそこ力を入れているらしく、運動・文化問わず部活動の数が多い。これは骨が折れそうだ。
「とりあえず回ってみるか……」
その後、リストを見て効率良く回れるような順番で校内を歩いて回った。文学部、手芸部、演劇部、科学部……。どれもアテナのお眼鏡には叶わなかったようだ。特に手芸部。あれはひどかった。刺繍の体験をさせてもらったのだが、アテナの手はすぐに絆創膏で覆われてしまった。布どころか指先だけでなく手のひら
にも針を刺すわ、刺すわ。なんとか出来上がった布地には赤い斑点がいくつもついていた。まあ、何度痛い目を見ても諦めようとしなかったその姿勢は称賛すべきだと思うのだが。
「さてと、残りは一つだけか」
窓を見ると立派な夕日がのぼり始めていた。これは早くしないと活動が終わりそうだ。アテナの方を見ると、ひと目につかないところで自分の手に向かって回復の呪文を唱えていた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫よ。ひどい目にあったけど」
こいつの不器用さも筋金入りだなあ、と自分のハンカチに付けられた、小さいが自分なりにうまくできた花の刺繍を眺めながら思った。……ふむ、悪くない。
気がつけば料理部の部室、つまるところ家庭科実習室の前についていた。扉の前からでも盛んに活動を行っている様子が伝わってくる。感心していると、アテナが率先してドアを開けた。俺もその後に続く。
「失礼しまーす。見学に来ました」
料理部の皆さんは俺に怯えているのか、作業が止まってしまった。空気を察した俺は部屋の隅で待っていることに。携帯をいじりながら今日の夕飯のことを考えていると、こちらへ椅子を持った女子が小走りできた。
「ご、ごめんなさい。せめてこれ、使ってください!」
「ん、ああ。ありがとう」
俺の弁当を最初に褒めてくれた子である。あれだけ驚かれたのは新鮮だったから記憶にも残っている。名前は知らないけど。……あれ、でもその前にどこかで見たことあるような。あ、前に教室を出るときに突き飛ばしてしまった子か。一応謝っておいたほうがいいのか。
「なあ、勘違いなら申し訳ないんだけど、教室を出たときお前を突き飛ばしちゃったときないか? もしそうなら謝っておこうと思って」
「あ、うん。多分それ私だと思います。私の方こそごめんなさい。逃げちゃって」
いえいえ俺の方こそ、いえ私の方こそ、と何度か繰り返していると、アテナがこちらに来た。少し不機嫌そうなのは気のせいか。
「ちょっと。あなたも手伝いなさいよ! ほら、こっち!」
「お、おい。引っ張るなよ」
アテナに連れて行かれた先では、何班かに別れた料理部員たちが各々料理を作っていた。アテナが入った班ではどうやらオムライスを作ろうとしているようだ。広げられたレシピ本がそう言っている。メガネを掛けた部員の一人が俺に話しかける。
「お、来た来た噂のヤンキー君が」
「いや、ヤンキーじゃありませんから」
「そうですよ! さっき説明したじゃないですか!」
さっき俺に椅子を持ってきてくれた女子が反論をする。
「そうよ。香菜もこう言ってることだし、冗談でもそんなことを言うものじゃないわ」
「ちょっと先輩! 子供扱いしないでくださいよぉ……」
その小柄な体格からか、頭を撫でられている様子はまるで子供のようだ。その緩んだ顔もまた子供っぽさを際立たせている。
「あはは。騒がしくて申し訳ない。私は料理部部長三月 友奈、二年だ。よろしく頼むよ、後輩くん。そして、この大きいのが荒川 紗季、私と同級生だ」
「よろしく、小野寺」
荒川先輩に抱擁からなんとか抜け出した小柄な少女も自己紹介をする。
「わ、私は長谷川 香菜って言います。多分小野寺くんの隣のクラスだと思う」
「よろしくおねがいします」
俺が頭を軽く下げると、アテナもそれに続いた。しかし、まだ入部すると決めたわけでもないのに気が早くはないだろうか。まあ、知らない間柄よりはいいか。
「ところで後輩くん。君、料理が得意らしいじゃないか。香菜から話を聞いたよ。私達も一度食べてみたいな、と思ってね」
おそらく昼休みの弁当のことを聞いたのだろうが、一つ勘違いをしている。確かに俺はそこそこに長い間、それこそ実家にいたときから料理をしていて、得意分野ではある。しかし、俺は和食は長い間作ってきたが、洋食に関してはからっきしなのだ。家が神社だったこともあってか、自然と作るのは和食だった。最近こそアテナにせがまれて作るには作るのだが、まだ自信はない。アテナは何を出してもうまそうに食べるから評価のアテにはならないだろうし……。
「いや、申し訳ないんですけど。俺洋食はからっきしで――」
「まあまあ、大して変わらないさ! 煮たり焼いたりすることは同じだし。お試しだと思って作ってくれよ。どうせ部費だからタダ飯が食べれるぞ?」
バンバンと背中を叩きながら部長は言う。タダ飯は悪くない提案だった。アテナの分の飯を炊かなくて済むのはありがたい。
「わかりましたよ。とりあえずやってみます」
シャツの袖を高い位置までまくる。さて、肝心のレシピが書かれた本は……何だこれ。調理の仕方は細かく書いてあるものの、材料の分量は適量、適量、適量、適量…………。適量の概念が揺らぐ! これではただの適当だ。お前の感覚を俺に強要するな、とツッコミを心の中で入れながら、道具を軽く水で洗っておく。
「ほう。手際が良いな後輩くん」
「そりゃどうも」
当たり前といえば当たり前だ。料理を作らないと言う日がないのだから。近くにおいてあった乾いた布巾で洗った道具の水を拭いておく。これでよし。
用意されていた材料は、ピーマン、人参、玉ねぎなどなど、必要なものは揃っていそうだ。また、それらを軽く洗ってキッチンペーパーで水を切る。人参、玉ねぎ、ピーマンをみじん切りにしてボウルに移す。鶏肉を一口大に切って、油を引いて温めたフライパンで日がしっかりと通るまで炒め、野菜類を加える。野菜が柔らかくなってきたら、冷蔵庫で冷やされていたご飯を加える。ご飯に野菜が馴染んだらケチャップを加えて混ぜ込み、皿に盛り付ける。さっとフライパンを洗って、卵を数個使って半熟のオムレツを作り、先程盛り付けた皿に丁寧に乗せる。これに包丁で切れ目を入れれば……。
「完成だ!」
開かれたオムレツからあふれるように流れ出す半熟の卵。それはチキンライスを優しく包み込んで湯気を上げる。その光景に料理部員たちは息を飲んでいる。なんとかなるもんだ。
「じゃあ、早速味見を……」
料理部部長がその黄金の丘にスプーンを入れる。卵の薄い膜を破れば、パラパラとほぐれるようなチキンライスが顔をだす。スプーンはそれらをまとめて口へと運ぶ。
「…………」
部長はスプーンを皿に置き、膝をガクッと崩した。そして天を仰ぐようにして叫んだ。
「うますぎる! 何だこれは。完璧な硬さの半熟卵。口に入れた瞬間にパラパラとほぐれ、柔らかな卵と絡み合うチキンライス。シンプルな料理だからこそ確かに伝わってくる技術の高さ。何だこの暴力的なまでの美味しさは。……完璧だ」
ビューティフォー、といって放心する部長。語彙力が暴走している。この人……知ってるな。最初と最後のセリフを聞いて察しないやつはいないだろう。他の部員も次々に口にしていく。流石に部長のようなオーバーなリアクションはもらえなかったが、口々に称賛の言葉をもらった。その後、物足りない目で俺を見続けていたアテナと料理部の部員のために日が暮れるまで腕をふるい続けたのだった。
「いやー。食べた食べた。今日はごちそうさま後輩くん。ところで入部届がここにあるんだが」
「何流れで入部させようとしてるんですか。入りませんよ」
「でもあの転校生ちゃんはもう入部届書いたみたいだけど」
いつの間に……。アテナの方を見ると、満腹で幸せそうな顔をした彼女の姿があった。畜生、外堀はすでに埋められていた。アテナが学校にいるのは俺の命を守るための保険としてだ。アテナが残る以上、俺だけが帰ってしまっては意味がない。というか、普通俺の意思が尊重されるべきなんじゃないのだろうか。少々腑に落ちないが、今日誤解を解くことができたのは、アテナのおかげと言ってもいい。だからこれくらいのわがままは聞いてやるとしよう。
「わかりました、わかりましたよ。書きますよ入部届」
「よろしい」
部長は笑みを浮かべ、片付けへ向かった。俺たちはハデスからの通信があったため、用事があると言って先に帰らせてもらった。訓練、かあ。どのくらい厳しいものなんだろうか。検討もつかない。




