第7話
舞踏会までの時間を過ごすように、と与えられた一室。少し腫れた目元を冷やしつつ、古馴染みの侍女に伝えられたのは着替えを促す言葉であった。
「妃殿下から、涙で汚してしまったドレスを此方に召替えるように、とのご伝言でございます」
着替えにと用意されたドレスは、少しクラシックなデザインだった。繊細なレースがふんだんに使われている。イザベラにsizeぴったりである事を不思議に思えば、かつて王妃様が着たドレスをリメイクしたものだという。
「まぁ、とてもよくお似合いですわ」
あまり見ないデザインのドレスだった。
帯の様に胸下を締めるリボンから、スカートが緩やかに広がる。使われている生地も特別な物なのだろう。柔らかな絹を織って浮かび上がる模様がとても価値あるものだと分かる。
此方を見る目が潤んで見えるのは、彼女たちもイザベラの境遇を知っている所為だろうか。
「妃殿下は、婚姻後の然るべき時に贈りたいと、ずいぶん前から御用意していらっしゃったのです」
流行最先端のドレスは美しいけれど、古き良きものにも、やはり美しいものがあると知っていて欲しい。今はあまり作られていない手仕事のレースも織物も貴重なもので、受け継いでいくだけの価値あるものだと。
胸に手を当てて、その言葉を飲み込む。
「保守派」の筆頭として王妃様が護って来られたもの。まだまだ視野の狭い自分の未熟さが悔しい。
だから、せめて優雅に一礼をする。
「どうぞ、妃殿下に心からの感謝をお伝え下さい」
少しの間だけ、心が落ち着くまで一人でいたいというイザベラの願いは、可及的速やかに叶えられた。泣き落とし、と謗られても致し方あるまい。
「でないと、涙が溢れてしまいそうなの」
レースで覆われているとは言え、柔らかく透けて見える肩は心許なく震え、イザベラの青い瞳に湛えられた涙は、まるで決壊寸前の湖のようだ。儚げな様子に胸が詰まる。あっと言う間に薔薇園の奥にお茶の用意が整えられ、肩からは絹のストールを掛けられた。
今居る四阿は瀟洒な造りで、薔薇に囲まれるように建っている。そこに、一人ぼんやりと座る。
「お父様の馬鹿…」
誰も聞く者の居ない庭園で、イザベラはポツリポツリと溢す。
王妃様の話を聞いてから、ずっとお腹の中をグルグルと蠢くそれが、少しだけ形をとっていく。
父は、きっとどちらでも良かったのだ。
それもイザベラが幸せになるのなら、だ。エドワードとの結婚をもって派閥間の和解の萌しとなるのでも、自らが職を辞して派閥の力を削ぐのでも。
エドワードからの申し出を受けた時だろうか?それとももっと前?だけど、これだけは信じる事ができた。王家に仇なす形になっても、畏れ多くもイザベラが愛されて幸せになる道を望んでくれたのだろうと。
「エディの馬鹿…」
エドワードの事を考えると、胸がギュッと痛む。
結婚しても良い、と考えてはくれたのだと思う。それは保守派を抑え込み、彼が望むような革新派主導の未来の為に必要だから。きっと彼の望む結婚相手こそ「革新派のイザベラ」だったのだ。
彼を慕っていたイザベラは、彼の為に努力するイザベラは、彼の目にどう映っていたのだろう。
ただハッキリしているのは、周囲の愛を知る人達は否定したのだ。それは、愛情ではないと。
「お母様の馬鹿…」
それは、こっそり耳打ちしてくれなかった事について。
「お兄様の、馬鹿!」
兄に対しては、八つ当たりだろうか。
最後の最後に残ったのは、馬鹿なイザベラだ。
沢山勉強をして、マナーも学んで、もう立派な淑女になったつもりだった。それでも、まだまだ未熟な自分。
どうして!
声を上げて叫びたくなる。どうして愛されないのだろう。私の何が足りないのだろう。お母様、なぜ教えて下さらなかったの。お父様、なぜ赦して下さらなかったの。どうして!
荒れ狂う感情は、未熟の証しなのだ。
勉強が足りないから、淑女に至らないから、大人になりきれないから!本当の愛を知らないから!
何よりも悔しいのは、未だにエドワードを嫌いになれずにいる自分なのだ。諦めようと思う度に、幼い頃のキラキラしたエドワードの笑顔を思い出す。
もう一度、笑い合いたかった。あの笑顔が、辛い時や寂しい時に確かにイザベラを支えてくれたのだ。
本当は、はっきりと自覚している。
大好きなのだ。嫌いになりたくない。
ツンと痛む鼻先に、泣くものかと空を見上げる。
日暮れに至る前の、どこか寂しい水色の空を眦を上げて睨み据える。
ほんの少しだけ足を踏み出し、四阿を出る。裾を汚して侍女を困らせないように、そぅっと、少しだけ。それだけでも香りがグンと増した気がした。
遅れがちな事、お詫び申し上げます。