転機Ⅱ中
教室へ戻ってアン・リンデル侯爵令嬢に礼儀作法を見てもらえることになったとイデアに伝えると、イデアは嬉しそうにアンと兄、姉について教えてくれた。
アンは入学早々の学科試験で優秀な特待生たちをおさえて堂々の主席。さらに先日の学力試験でもほぼ満点に近い点数を取っていたらしい。高位貴族はもともと家庭教師をつけている者も多いが、王立学園に特待生として入学している庶民だって貴族位がないというだけで裕福な家の生まれで、入学に向けて勉強に励んでいたはずなのだ。
そんな秀才たちをおさえての首席。さらに切れ長の目元と酷薄にも見える涼やかな美貌で、一部女生徒たちは心酔しているらしい。
侯爵家の第一子で長男のエドアルドは皇太子の学友で公私ともに親しく、次代の宰相と期待されているうえに冷たく整った容姿と低く甘い声で社交界の淑女たちを虜にしているらしい。
第二子で長女のエレナは皇太子の婚約者。滅多に社交場へは姿を現さないが、皇太子に伴われて現れた時は太陽の女神のような輝かしさだったらしい。
エドアルドともアンは凛とした父親に似たが、エレナは王宮の鈴蘭と讃えられた母親に似たようで、どこか甘い容貌をしているらしい。
「わたくしも、まだ社交界デビューをしていないのでそのお姿を自分の目で見たことはないのですけどね」
「とても華やかだわ。わたし、そんなすごい方に時間を取ってもらうなんて、不敬じゃないかな…」
「どうかしら。でも、アン様がご自身で請け負ってくださったのだし、大丈夫じゃないかしら?」
そうだよね。と、ミリアリアは一抹の不安を残しつつため息交じりに頷いた。
アンとミリアリアの勉強会は自習室で週に1度、放課後に1時間ほどみてもらえることになったその初日。
ミリアリアはアンから指示を聞いて、椅子から立ち上がる、座る、移動するという動作を4回ほど繰り返していた。
入学してからも毎週末、キャロル女史からしっかりと基礎的な作法を叩きこんでもらっていたおかげでアンからは「思っていたほどひどくはなさそうですわ」と及第点をもらえ、キャロル女史に立ち居振る舞いは指導してもらっていた成果が発揮でき、ほっと胸をなで下ろした。
「週末は先生に教わっているとおっしゃっていましたわね」
「はい。今はダンスの練習をしています」
「卒業しましたらわたくし達も社交に出ますものね、今から準備するのはよいことだと思いますわ。そう…お茶会のマナーは教わりまして?」
「授業では習いました」
「実践はいかがですの?」
「まだです」
「でしたら、わたくしはお茶会の作法を実践を交えて、ミリアリア様に教えて差し上げますわ」
「はい、よろしくお願い致します」
「よろしくてよ」
頭を下げるミリアリアにアンは尊大に微笑んだ。
お茶会の授業に必要な茶器は練習用の物が学校に備え付けられており、ミリアリアは週に一度、アンが自習室へ来る前にキレイにセッティングすることから授業は始まる。
カップとソーサーの向きや置き方、持ち方、スプーンの使い方。細かいところを言えば、目くばせの方法や話題選びなどもアンは教えてくれた。
ある程度の形になったとき、アンの親しい友人と一緒にお茶会の練習もさせてもらえるようになり、ミリアリアはとても充実した毎日を送っていた。
入学してから半年が経ち、木々が紅葉しはじめたころ。
ミリアリアの毎日は充実していた。授業も楽しいし、親しい友人とも良好。特別授業として侯爵家の令嬢アンに作法を見てもらいながら、移動授業の時にすれ違うと「歩幅が大きすぎましてよ」「はしたない」などの小さな注意はあるものの、こちらもいい結果が出せていると自負している。
ときどき庶子であることで貴族に絡まれたり、特待生枠の人たちにやっかまれたりもしたが、何を言われても気にしないようにしてやり過ごした。幸いなことに友人のイデアは社交界デビュー前なのに顔が広いらしく、しつこく絡んでくる男爵家の令息に対しては耳打ちの一言で追い返したりもしてくれた。
けれどそれだけ気にかけてくれているアンやイデアにも言えない秘密が、ミリアリアにはあった。
「肌寒くなってきたなぁ」
陽向を歩いているときはいいが、校舎の影で隠れるように芝生へ腰を下ろしていると、敷物があるとはいえさすがに寒い。小さく震えて羽織っているカーディガンの腕をこする。
横に置いたバスケットには昨日焼いたクッキーと蓋つきのカップに入れた暖かい紅茶が入っている。
「早く来てくれないとさめちゃうなぁ」
「まだ大丈夫か?」
「ジョシュア!」
どすん、とミリアリアの横に腰を下ろした男性、ジョシュアは走ってきたのだろう。額に汗がにじんで、息が乱れていた。
「悪い、少し絡まれてた」
「また例の方なの?」
眉間を寄せるとジョシュアはおどけたように肩をすくめて見せる。
「俺の言葉づかいが気に入らないらしい。学校なんだし、やろうと思えばできるんだからそんなに目くじら立てることもないだろうにな。ほんと、嫌味たらしい奴だ」
「そう…。私みたいに基本もできてないならわかるけど…ジョシュアは何でもできるのにね。もう少しおおらかに見てくれればいいのに」
「ありがとな、ミリィ。…で、今日は約束のクッキーを持ってきてくれたんだろ?早く食べさせてくれよ!」
「うん、上手く焼けたと思うの!どうぞ召し上がれ!」
バスケットから取り出したクッキーに目を輝かせたジョシュアにミリアリアは嬉しくなる。貴族としてまだ満足にできない自分だけど、高位貴族である彼がこんなに喜んでくれている。
ジョシュアの制服の襟で銀色に光る襟章を見て、ミリアリアは小さな満足を覚えていた。
すみません、続きます。