十二.ふたりの月の花
しばらく泣き続けた華月は、流石に寒くなったのか鼻を赤くして立ち上がった。月花も頬が赤い。色が白い二人は、赤くなったりすればすごく目立つ。手を繋いでとりあえず屋根の下に入ろうと歩いている時、月花はふと思い立った。今はなんでも話していたいし、ずっと気になっていたから聞いてみよう。
「ねえ、華月」
「なぁに、月花」
蕩けるような極上の笑顔が返る。月花は嬉しくなった。やっぱりシエルの言うことが間違っている。
視線の向かう先に華月がいる。それだけで幸せな気持ちになった。幸せいっぱいのまま、月花はほわりと微笑んだ。
「男は狼って、なぁに?」
「シエル――――!」
シエルは意外と近くにいた。わしゃ関係ないといわんばかりに無い髭をしごいている。後ろには爆笑しているヴィオレットと、しれっとしているグラウ、真っ赤になったローゼもいた。残りは欠員だ。ぎっくり腰のオーランジェをロートが運んだのだろう。しかし、みんな人の話を盗み聞きしすぎだ。そして何故グラウが診ていないのだろうか。
「な、なんだよ……ぷっ! オレは無実だ、あっはっはっはっは!」
「だったら笑うな!」
華月は首を傾げている月花に困ったように眉を垂らした。
「月花……君、多分僕より世間知らずだよ」
月花はぷぅっと頬を膨らませた。
「分かってるわ。だからシエルに教えてって頼んだのよ。そしたら実戦で教えてくれると言ったのに、じゃあ教えてといったら世間を学べと言うのよ。だから学ばせてと言っているのに!」
「シエル、ちょっと話しがあるんだけど」
華月は、まだ笑っているシエルの胸倉を掴みあげる。残念ながら持ち上げる事は出来なかったが、凄むことには成功した。
「月花に変なこと教えてないよね」
冷気を纏って目を据わらせている華月に、シエルはちょっと引いた。美貌なだけに、凄むと本気で恐い。
「そうやって甘やかすから、あいつあんなに世間知らずなんだぜ!?」
「いいんだよ! 月花だから」
「どんな理由だよ!」
自分達の王の胸倉をいつまでも掴ませているわけにもいかないので、ローゼは慌てて二人を引き離した。まだ不満そうな顔をしていた華月は、月花に呼ばれてうれしそうに振り向く。そのギャップにローゼは口を尖らせた。
「ぜんぜん態度違うじゃないすか」
「まあ、そう言うなって。あいつはいま新婚みたいなもんなんだから。箸が転がってもおかしいお年頃、妻が寝転がっても愛しいお年頃ってな」
「何ですか、それ」
「お子ちゃまには分かんねぇか」
「二歳しか違わないじゃないっすか!」
月花は困っていた。目の前で華月が困っていたからだ。なんて言おうか迷っているように眉は下がり、視線は彷徨っている。みんな知っているのに自分だけ知らないなんて酷い。
「もういいわよ! 御姉様に教えていただくもの! きっと答えてくださるわ!」
知らない存在に華月はちょっと眉を寄せたけれど、女性に聞くと知ってほっとした顔になった。
「それがいいよ。でも、誰の姉君様?」
「シエル」
「月花、ちょっと落ち着こうか」
「私はとても落ち着いているわ? 貴方こそどうしたの」
「いま、何故だかとても嫌な予感がしたんだ」
ひとまず手近な宿屋に入る。既にベッドで唸っているオーランジェとぐったりしたロートがいた。入れ歯は予備があったそうだ。
全員が寝泊りできる大きな部屋に入ると、暖炉の暖かさが身に染みた。月花と華月はいそいそと暖炉の前に 座り込む。虹の都では直に座り込むことはしないが、二人の生活文化では家の中に靴を履いて入らない。だから家中どの床もきれいに磨き上げられているのだ。
雪を落とし、寄り添って暖炉の前に座る二人は、一対の人形のようだった。淡い金色と月のような銀色、二つで一対だ。ずっと片割れずつで危うかったものが、あるべき場所に戻されて安定し、子どものように笑っていた。
ローゼが渡してくれたシーツを華月と共にかぶる。横を向けば同じように月花を見た瞳と笑い合った。
「姉貴達と連絡取ったけど、自力で来いだとさ。まあ、まだ手持ちの兵はすっくねぇもんなぁ。オレ達が虹の欠片持ってるのばれたら、残党がきちまうし。こっから城まで歩いて七日。ま、なんとかなるだろ。なんたって精鋭だしな!」
「シエル様、一名ぎっくりです」
「おい、精鋭」
ベッドの上では身動きの取れないオーランジェが男泣きをしていた。
「若君、わしのことなど置いていってくだされ! 老兵はただ去るのみ! 足手纏いになるくらいならば、わしはここで死す! 皆の者、わしの屍を越えてゆけ!」
「ロート、悪いけど馬車構えといてくれ。この人数でぞろぞろ行くより、馬車に全員入っちまったほうがマシだろ、早いし。どうせ今は都中が混乱してっから、馬車も行き来しまくってるし」
「御意」
シエルは筋肉のある男の肩にぽんっと手を置いた。
「急いで帰らねぇとな。アルクス姉が首を長くして待ってるぜ、きっと」
「ですぜ、ロートの旦那。ったく、婚約者ほったらかしにして天の宮古だなんて。怒ってらっしゃるかも」
驚愕の事実が発覚した。月花はとても驚いたが、意識は深くに沈んでしまっていて、隣の体温と鼓動以外何も感じられなくなってしまった。
夢を見た。
そこには誰もいなかった。なのに寂しくない。誰も泣いていないからだ。とても温かくて、一定間隔の音が聞こえる。それだけでとても落ち着いて、幸せだった。
穏やかな気分で息を吸い込むと、何もない場所はいつの間にか草原が広がっていた。月花は丘の上にいる。懐かしい香りがした。あの日以来一度も訪れていない場所だ。だって、痛かったのだ。華月の思い出がある場所全て、月花を抉るためだけの場所になってしまっていて。どうしても一人では行けなかった。
小さな橙色の花が舞い散る中で、月花は立っていた。待っていた。ずっと待っていた。走り出したりしない。だって分かっていた。誰もいなかった世界に、ふわりと温かい風が流れた。
ほら、来た。
目を覚ませば目の前に銀髪があった。きらきらと朝日に輝いている。触りたいのに身動ぎが出来ない。よく見れば細い腕が二本、がっちりと月花を抱きしめている。苦しいくらいだ。これが華月のものでなければ悪夢を見てしまいそうなほど強い。けれど解く気にはなれない。月花から触れられないのは残念だけれど、何も入れないほどぴたりと寄り添っていられるから充分幸せだ。
しばらくじっと寝顔を見つめていると、視線が刺さったのか華月が起きてしまった。起こして悪いとは思うけれど、話もしたいし、目も見たかったからうれしい。
月の色をした瞳はぼんやりと宙を彷徨って、そして月花を見つけた。しばらくじっと視線を合わせていると、ふわりと微笑んだ。少し泣きそうだなと思う。本当に華月は泣き虫だ。月花の前ではすぐに泣く。
「おはよ、華月」
「うん……おはよう、月花。今日もかわいい」
軽い口付けが落とされる。
「華月だってかわいいわ。かわいい、女の子みたい」
「僕は男だよ」
寒い朝で、誰も起きていない部屋の中は冷たくて、部屋の中なのに白い息が出る。だから二人は毛布を頭からかぶった。これで鼻や頬が赤くならなくて済む。
他を遮断したのでより互いを感じられるようになった。互いだけの温もりで毛布の中はほかほかだ。華月の匂いでいっぱいになった。けれど華月は月花の匂いがいっぱいだという。不思議現象だ。
目の前の華月がうれしくて顔を摺り寄せる。すると何かに髪が引っかかった。小さな指輪だ。華月の誕生日に月花があげた指輪だった。古くなってはいたものの、手入れが行き届いているのが分かる。何度も触れたであろうことも。
「持っててくれて、うれしい。でもごめんね、今ならもっとちゃんとしたの作れるのよ。ほんとよ。ちゃんと月色になるんだから。今度、作り直すわ」
「これがいい」
「でも、もう小さくなってしまったでしょう? ね、作らせて。華月にぴったりのきれいなの作ってみせるから!」
引っかかった髪を取った後も華月はそれを弄っている。華月は月花の髪に触るのが昔から好きだった。でも今は、どこでも、とりあえず触っていたら喜んでいるように見える。
「あのね、月花。僕、習ってなかったから結晶の作り方が分からなくて、まだ約束の指輪作れていないんだ……怒る?」
「怒ったりしないわよ。なあに、貴方、私がそんなに怒りんぼだと思っているの?」
失礼だ。昔はぶったりもしたが、今はもうそんな乱暴はしない。ちゃんと一の姫としての責務だって果たしていたのだから。
ぷりぷり怒っていると、華月は困ったように笑った。
「そうじゃないけど、ねえ、月花。約束覚えてる?」
「だから、指輪で怒ったりしないわよ」
「違うよ、そっちじゃなくて、指輪の約束をした約束だよ」
月花は目をぱちくりとした。
「ねえ、月花。まだ僕と結婚してくれる? まだ、君の中で予備軍にしてくれている?」
少し不安げに揺れる瞳が、失礼だ。人を何だと思っているのだ。好きだと言ったのに。いっぱいいっぱい言ったのに。
月花は怒って言った。
「そういうの、名実共に婚約者、っていうのよ」
お姉さんぶって指を揺らせば、吹き出された。悦に入ったらしくまだ肩を震わせている。
「月花は、難しい言葉を知ってるね!」
一通り笑って、笑いすぎて苦しくなった毛布からようやく顔を出して起き上がる。冷たい空気が鼻をついたけれど、繋いだ手から温もりがやってきたから寒くはなかった。
「月花、おまじないをしようか」
「でも、私達のお願いはこれから叶いそうよ。時間のかかるお願いだったのかしら」
「だから、ね。もう一度しようよ。僕らの最初だもの」
「……そうね。最初だものね」
繋いだ手はそのままに見つめあう。額を付けて、くすりと笑う。
「月の花、千年の花。叶えてください。一生に一度の、私の願いを叶えてください」
「月の花、千年の花。叶えてください、一生に一度の、僕の願いを叶えてください」
両手をしっかりと絡めあう。もう二度と離れないように、離さないように。これから進む先で、二度と別たれたりしないように。
同じでは、もう、あり得ない。月花しか知らない九年間がある。華月しか知らない九年間がある。それら全て分かち合うことはきっと出来ない。それでも寄り添うことは出来る。
「ずっと、一緒にいられますように」
口付けを交わして、にこりと微笑み合う。もう一度重ねる。
「お願いね、私の月の華」
「お願いだよ、僕の月の花」
「叶えようね」
「叶えようね」
「もう絶対一緒よ」
「もう絶対一緒だ」
頬に口付ける。額に返ってきた。堪えきれなくなって、華月の胸に飛び込んだ。支えきれなかった身体は二人で毛布に逆戻りした。顔を埋めていると、そっと頭を撫でてくれた。
「……月花、泣いているの?」
幸せで泣きたくなる日が来るなんて思わなかった。でも泣かない。だって幸せなのだから。泣く理由なんてどこにもない。
「いいえ。貴方じゃあるまいし」
「ぼ、僕だってそんなに泣いてないよ!」
「いいえ、泣いているわ。絶対泣いているわ。泣き虫華月」
「何だよ、夜だけ弱虫月花」
くすくすと笑いながらキスを降らせ合う。華月が耳元でそっと囁く。
「指輪をもう一度くれるというのなら、それでも僕は君の瞳の色がいい」
「月色だって作れるようになったのに。貴方、本当にそれでいいの?」
「うん。それがいいんだ」
幸せで幸せで、世界中が輝いて見えた。失った九年間が次々と押し寄せてきているように思える。足りないものなんて何も無い。いま全ては満たされていて、何も考えられなかった。
だからだろう。この部屋が二人っきりではないと思い出しのは、耐え切れなくなったシエルが枕を投げつけてきた時だ。枕と一緒に本人まで飛び込んできたのは、本当にびっくりした。
虹の城は、初めて訪れた時とは随分と感じが変わっていた。部屋の中の金色の割合は少なくなり、壁の虹は消えた。兵士の数は少ないが、全てにおいて質が上がっていると分かった。城に入るや否や、たくさんの人間が駆け寄ってきてシエルに膝をつく。感動、感激、心配、安堵。様々な感情が一斉に押し寄せてきて、シエルはちょっと引いていた。
「ロート!」
奥から上品なドレスを着た三姉妹が走ってくる。あのヒールでよく走れるなと月花は感心した。
アルクスは見たことのない少女のような笑顔で、逞しい筋肉が浮き出る身体に飛び込んだ。そのまま掻き抱くようにキスをする。
「遅いですわ。愛しい貴方、わたくしをいつまで待たせば気がお済になるの」
「悪いですね、姫様。これでも最速だったんですぜ?」
本当に婚約者だったのだと驚いている月花の前で、双子はグラウを取り囲んだ。
「無事のお帰りで何よりです」
「お怪我がなくて何よりです」
うれしそうに頬を赤らめながら、両腕から抱きついている。
「イリス様とイーリス様も、グラウの婚約者でいらっしゃるの?」
シエルはなんともいえない顔で笑った。
「いーや、あの二人は片思い。でも愛を一身に受けるあいつはっぶっしょん!」
くしゃみで言葉が途切れると、グラウの視線はシエルを向いた。離すまいとしがみついている腕をするりとすり抜けて、あっさりとシエルの前に立つ。
「子どものように腹を出してお休みになるからですよ」
「気づいてたんなら直してくれてもいいじゃんか。一緒に寝てたんだからよ」
「嫌ですよ。面倒くさい」
「あれ? お前オレの薬師だよな!?」
グラウに逃げられた双子にヴィオレットが寄っていく。二人一緒に肩を抱いた。
「じゃあ、姫様方は俺とかいかがですか?」
「冗談は」
「およし」
一糸乱れぬ、見事な肘鉄だった。
二十三年ぶりに返還された虹の欠片で判別式が行なわれた。証人は都民全てだ。アルクスは公の場でそれを行なったのだ。捕らえた元虹の王もその場に引き出した。より多くの証拠を民に見せつけ、己が弟が正式の王であると知らしめた。
シエルは欠片を美しく光らせた。七色の光を空いっぱいに光らせ、歓声と熱気がそれを掻き消すかのごとく広がっていく。
これで、シエルは名実共に、虹の王となった。
「おい、ほんとにもう行くのかよ」
見違えるほど立派な服を着せられ、少々服に着られている感は否めないシエルは慌てて走り寄ってくる。彼は荒い息を整える間、華月の肩に手を置いていたが冷たく払われた。
月の都では主流ではない、ブーツなる靴を借りた。とても温かい。もこもこと羊毛が裏に仕込まれた外套も、フードをかぶれば冬の雪山など平気だと思わせた。華月はそれでもしっかり寒がっていたが。
今年は寒波ではなく、どちらかといえば暖冬になるが、ずっと春の中にいた彼にはつらいだろう。くしゃみも連発していたので風邪を引くかもしれない。そういえば昔も同じように遊んでも彼だけ風邪を引き、月花はぴんぴんしてお見舞いに行ったものだ。
シエルは寒そうに身を縮こまらせている華月の肩を抱き、気になっていたことを言った。
「おっまえ、このままじゃすっげぇ苦労するぜ。だって月花、ぜってぇそういうことさせてくんねぇって。だって知らねぇもん。あのおっさんのやったことも人食い鬼だもん」
元虹の王、現在無職。投獄されている太った男に、華月は回し蹴りを喰らわせた。月花から詳しい話を聞いた直後、獄舎に戻されようとしている男に駆け寄ったかと思うと、目にも止まらぬ速さで回し蹴ったのだ。あんなに俊敏に動いた華月は初めて見た。
乱暴に抱き込まれた腕をぺしりと叩き、華月はふんっと鼻を鳴らす。
「お前とは違う」
「大事にするのはいいことだけどな、その間に無知な月花に虫がついて、あいつがそうと知らねぇ間に無垢じゃなくなってたりしてなー」
それはそれは嬉しそうに言うシエルの顔面に肘鉄が入った。どうやら双子姉の行動を習ったらしい。よけいなものを見せてくれたものだ。
鼻を押さえて呻いているシエルをぎろりと睨み、彼はすたすたと月花に向かって歩いた。そして、貴方達、本当に仲がいいのねと、ほんの少しだけ複雑そうにしている少女にキスをする。
「月花」
「なぁに?」
華月は、首を傾げる月花の肩越しに、シエルをぎろりと睨んだ。
「僕とお世継ぎ、つくろうね」
「ええ、もちろん。私達の大事なお役目ですもの!」
シエルは声を上げた。
「その手があったか! ずるい!」
「何がだよ! お前こそ月花に近寄るな、二度とさわるな!」
「へっへーんだ、もう触っちまったよーだ。ほら、ほーら、こんなこともしちゃうぞー」
「……絶対、殺す!」
華月は飛びかかったが、月花を盾にひょいひょい逃げ回るシエルを掴まえられないでいる。飾りの多い上質マントを雪塗れにさせているシエルに、グラウの拳骨が入った。
「情けない。虹の王がそんなことでいいと思っておいでですか。私の王がこんなのでは、恥ずかしくて外も歩けません。こんなのでは」
「なんで二度言った? なあ、なんで二度言った!?」
グラウの拳骨は抉りこむのでかなり痛い。涙目になっているシエルを背後から月花が突き飛ばし、ぎゅっと華月の頭を抱きこむ。
「華月をいじめないで!」
「いま明らかにいじめられてんのオレだよな!? ちくしょー! じゃあ華月にこんなことしちまうぞ! 月花じゃなきゃいいんだろ!」
「離せ!」
「……しかし細っせぇ。月花とおんなじくらいじゃね?」
ぴたりと華月の動きが止まった。そして再度肘鉄が入る。二度もかからないと得意げな顔で笑ったシエルは、華月の次の動きにうめき声を上げて蹲った。華月は乱れたフードをしっかりと止め直す。冷気が入り込んだら寒いのだ。
「いい、月花。変なことされたらこうやって攻撃するんだ。足で出来るから、腕力がなくてもいいんだよ」
「でも、あの、華月……シエルがかなり苦しそうなのだけど」
戸惑いがちに背中を摩ろうとする手を、蕩けるような笑顔が止めた。
「月花、大好き。かわいい、月花、かわいい。あんまり無理しないでね。僕は術はうまくないけれど、頑張るから。だから無茶に白道を使わないでね。ゆっくり歩いていたって大丈夫だよ、すぐに狼のいる範囲に入る。そしたら運んでもらえるから。報せがいったら都から迎えも来るしね」
「そうね、華月も色々見たいでしょうし。……ねえ、華月。どうしてそんなに凄くいい笑顔をしているの?」
後ろでまだ悶えているシエルがいることを、月花は気づいていない。その蹲った腰を、ローゼが必死に叩いている。とても強く蹴られたようだ。
「……お前は本当に馬鹿ね。天国のお父様に恥ずかしくて紹介出来ないではないですか」
「アルクス姉、紹介されたらオレ死んでんじゃん」
「それは困るわ」
「一応困るわ」
「一応!? イリス姉、イーリス姉、グラウととってもお似合いだと思うぜ」
心から言ったのに、グラウには雪よりも冷たく睨まれた。
月花は華月に抱きついた。少し着膨れしてはいるが、それは月花も一緒だ。鼻の頭も赤い。冬だからだ。寒さが苦手な華月は、とても嬉しそうに月花を抱きしめた。眩しそうに光る雪を見つめ、目を細める。
「うれしい、華月。私、本当にずっと貴方とこうしたかったの」
「……僕も、ずっと月花に触れたかった。夢みたい……覚めないでね、月花。消えてしまわないでね。これが夢だというのなら、僕は二度と目覚めなくていい。月花、ねえ、月花。ずっと一緒にいようね」
「当たり前よ。絶対、ぜーったい一緒だもの。月の花が、千年に一度の私の奇跡を叶えてくれるの。だから、後は自分達でいっぱい頑張りましょうね。華月は帰ったら何がしたい? 私は月那と百合月と、もっとちゃんと向き合いたいわ。今までずっと華月しか見ていなかったから、本当の意味で良い姉になりたいの」
ずっとずっと、一の姫である責務しか果たさなかった。弟妹の姉の月花として、遊んであげたことがあっただろうか。
「月那か……懐かしいな。大きくなったんだろうね。今でも君が大好きなのかな」
「私の身長と同じくらいなのよ。すぐに抜かれてしまうわ」
「……僕はまだ伸びると、思う」
落ち込んでしまった華月を励ましながら、月花は笑った。そうだ、こうやって笑うのだ。笑おうなんて思わず、笑っていることすら気づかずに心全てが躍るほどに。笑って、笑って、華月と目を合わせ、微笑む。
「僕は月花と日々を過ごせるなら、本当に何でもいいよ。そのためなら何でもするよ」
「まあ、そんなの駄目だわ」
「どうして?」
月花は人差し指を立てて揺らした。
「だってそんなの当たり前だもの。だから、それ以外でなきゃ駄目よ」
「そっか……じゃあ、三日月の丘に行こう。金木犀は見られなかったけれど、冬の蛍なら今が旬だよ、きっと。すぐに春の雪が咲く。君と見つけた季節の欠片を、君と見たいんだ」
「いっぱい見に行きましょう。私、白道も薄月も完璧よ! ゆず子おばばに見つからないように行く自信があるわ!」
「ふふっ……月花、すごいね」
途絶えた夢がそこにあった。繋いだ明日がここにあった。誰もが諦め、月花だけがしがみついた今日が帰ってきた。
「いやだわ、泣いてしまいそう」
「僕は泣かないけど、ちょっと悲しい。どうしてあんまり背が伸びないんだろう。シエルより頭が一つ分も低いんだ」
「まあ! 貴方まだ背のことを気にしていたの? いいじゃない、私、今の華月が好きよ。いきなりたくさん伸びて、私だけ置いてけぼりになったら寂しいわ」
くすくすと笑い合っていた二人は、突然がばりと抱きこまれた。両方の肩に手を置いたシエルは何故か雪塗れだ。
「お前ら……オレが皆に雪をぶつけられている間になんて幸せそうな雰囲気で!」
「……どうして王が雪をぶつけられているんだ」
「貴方、何をしたの?」
「あれ!? 疑いもなくオレのせいだと!? くそぉ! だったらお前らも巻き込んでやるさ! 喰らえ、華月! 雪玉攻撃!」
両手いっぱいに握られた雪が華月の背中につっこまれる。
「ふ、あっ……!」
華月はびくんと身体を震わせ、ぺたりと地面に座り込んでしまった。
「はっはっは! どうだ、ざまぁみ、ぼはぁ!」
「華月をいじめないでって言ってるじゃない! 華月をいじめる人は許さないんだから!」
「あ、ちょっ、意外とコントロールいいな、って、おい! なんでお前らまで嬉々としてオレに投げる!? ヴィオレット、そんなに雪玉作ってどうするつもりだい? まさか全部投げるのかい? って、投げるのロートかよ! あ、やめて? 剛速球はやめて!? ローゼ、もっと力こめてにぎらねぇと玉になんねぇから。それただのおにぎりだから。オーランジェの爺さんはやめとけ。戻れねぇから青い時代は貴重なんだよ。あれ、グラウ、それ雪じゃなくて石だよね!? 雪につめるとかしない、まんまの石だよね!? あ、そのまま投げるのね。清々しいほど反則だな! うわぁ、なんていい笑顔! オレ初めて見たかも! あいたぁ! 華月、お前それ雪玉じゃなくて雪だるまだから! よく持てたな、非力なくせに……って、ごめんなさい、ごめんなさい! なんかよく分からない術使うのやめて!?」
いつの間にか全員対シエルになってしまっている。というか、ただのシエル当て大会のような気がする。雪塗れになったシエルに王の威厳は全くなかった。服装だけは立派だが、それ以外は悲惨だ。
シエルはがばりと厚手のマントを脱ぎ捨てる。
「ちくしょう! やったろーじゃねぇか! オレがいつまでもやられてやる優しい男だと思うな! オレだって反撃くらいするんだぞ!」
意気込んだ顔面に、グラウの速球が飛んだ。
「言葉遣い」
よろけた所に、ロートの剛球がつっこんだ。
「立ち居振る舞い、だそうですぜ」
「姉貴の代弁かよ! ロート、代わりに投げんな! いてぇ!」
シエルはぱたりと雪の上に倒れこむ。視界いっぱいに広がるのは灰色の雲が、空を覆い地上を見下ろしている。灰色で、なのに白い陽光が差していた。雪は光を浴びて細かく光る。
一瞬見惚れた視界の中に、光を受けて真珠色に輝く美しい銀髪がかすめた。同じように空を見上げている。
雪のように白い両手を掲げて、それを全身で受け止めようとしていた彼の横に、月明かり色した金の少女が寄り添っている。それだけで世界が完結してしまう一対を描いた、絵画のように美しかった。
ちくりと何かが痛んだけれど、それは心の中で噛み殺す。天に引き裂かれても、絶対に途切れない絆を見せてもらった。それだけで支えになるのだ。これから先、仮令何を失っても、絶対はあるのだと信じていられる。国を追われて奪い返した王になっても、変わらぬ何かはあるのだと己を支えていける。
天が定めるは命運。逆らうは赦されず、また不可能だ。だがそれに刃向かってでも、願いを取り戻した『伝説』は、一生シエルの力になるだろう。
それにシエルは二人が好きだった。月花にふられて、彼女がそれほどに一心に想う男の顔を拝んでみたかった。できるなら一発くらい殴りたいとも。
だが、出会ったのは死を望む悲しい少年で。殴るより先に憐みが強くて、救い出してやりたいとすら思ってしまった。強く望み続ける月花の気持ちが乗り移ってしまったのかもしれない。
自分の生全てを懸けてまで華月を求める月花と同じくらい、もしかしたらそれ以上に彼女を求めていながら、なのに名前すら呼べなかった少年。可哀相で、綺麗で、悲しかった。願うものは少女の幸せただ一つで、望むものは死による解放だけだ。
月花の直向さに惹かれ、華月の切なさに唇を噛んだ。その時点で、自己の利益はどうでもよくなってしまった。
華月を好きな月花が好きで、月花を好きな華月が好ましい。二人ほど互いを求めている人間を知らない。あんなに強く、激しく、なのに美しい。あの二人は、共にあるべくしているのだと言い切れる。
だからきっと、これでいいのだ。
「ちぇ……って、あいたぁ!」
雪玉の巻き添えをくらったローゼが転び、シエルの上に落ちて潰される。その視界の端っこで、銀と金がそっと唇を重ねた姿を見た。
冬の蛍が降る、とても穏やかな雪の日。
虹の王は、この世の幸を見たのである。