高野山
古ぼけた門が鎮座していた。
「・・・拍子抜けだな。」
「・・・ええ、羅生門のほうがはるかに立派です。」
日本有数の名刹にしては、あまりにも質素な大門をくぐり、貞世は高野山に入った。
※
高野山は宗教的権威であり、その山は聖域だ。
同時に世俗への興味が薄いため、軍事的脅威はさほどでもなかった。
和議を請うべきという意見で一致した楠木・今川連合軍は、主力を笠田領の防衛に残し、高野山にやってきていた。
事前に使者を送っていたおかげか、名前と所属を言っただけでするすると案内されていき、高野山の大門手前まであっという間についた。
「で?」
やたら長い階段を登りながら、貞世は問いかけた。
禿頭に矢傷が目立つ、楠木軍の副官が顔を上げる。
「楠木が入山しない理由はなんだ?」
副官は何も言わず頭を下げた。
貞世は顔をしかめる。
高野山との交渉をしにやってきた。だのに当事者である楠木は来ず、援軍(という扱い)である貞世が代表者として山を登っているのである。
まさか山がきついなんて理由じゃあるまいな。
もしそうだったらどうしてくれようか、とメラメラとした怒りを灯したが、すぐに霧散した。
会った時に比べれば打ち解けたとはいえ、それでも随所に真面目さが残るあの青年が、そんな理由で来ないわけがない。
責任を背負う者特有の雰囲気。ならば万が一を起こさぬよう行動するはずだ。
己の父のように。
そこまで考えて首を傾げた。
ではなぜ来ないのだろうか。
気まずい沈黙と、登る足音だけがあたりに響く。
案内役の僧侶が立ち止まり、道の脇に逸れた。
階段はまだ続いているが、人影が下りてきているのが見えた。
「頭上から失礼いたします。皆様、蓮華定院へようこそおいでくださいました。」
萌黄色の衣を纏った僧侶が、深々と頭を下げた。
※
目の前に座る僧侶は、いかにも穏やかそうに見えた。
にこにこと笑みを浮かべ、
油断は禁物だ。交渉事にはこういう奴の他にもう一人いるのが定番だ。
|背丈6尺の毛むくじゃら《バッドコップ》を恐れてきょろきょろとしていると、穏やかな僧侶が口を開いた。
「遠路はるばるお越しくださいまして、誠にありがとうございます。戦乱打ち続くなか、信心を忘れぬその赤心を、御仏はきっと見ておられます。」
貞世はにこやかに会釈したが、同時に不安も覚えた。
交渉事で来たのだが、この僧侶は参拝に来たと勘違いしてはいないか?
身じろきをするが、異変を感じ取った様子もなく、僧侶は続けた。
「今川様には多大なご支援を賜っているとか、駿河の民もさぞ心安らかなことでしょうな。」
よくわからないがとりあえず頷く。
「特に御嫡男の範氏様とは懇意にさせていただいているそうで、慶寿寺に代わりまして感謝申し上げます。」
思いがけず範氏《兄》の名前が飛び出し、険しくなる顔をなんとか抑える。
同時に、かすかな驚きを覚えた。
慶寿寺とは駿河にある真言宗《高野山》の寺だ。その縁でこの僧侶は温かく迎えてくれているのだろう。
なるほど。
・・・あいつ、何を考えているんだ?
貞世は内心で首を傾げる。今川家当主であり、範氏と貞世の父である範国は曹洞宗の信徒だ。伯父た墓も曹洞宗の寺にある。
いくら嫡男とはいえ、勝手に宗派替えをするつもりか?
・・・やめよう。
ここで考えることじゃない。
貞世は疑念を振り払うと、笑顔で応じた。
「弘法大師様のお教えは、私のような非才の身にはわからぬことも多いですが、それでも感銘を受けております。いずれは高野山に、と思うていたのですが、これほど早く機会を得ることができるとは。」
「これも御仏の導きでしょう。」
和やかな雰囲気が、かえって背筋を凍らせる。
生まれてこのかた、人にやさしくされた経験の薄い貞世は、善意を生身で受け取れない。
何をたくらんでいるのか、と穿った目で見ていた。
「さて。」
僧侶がちらりと、貞世の後ろに座る楠木の副官に目を向けた。
「此度は和議のお話とお伺いしております。」
「ええ、これ以上血を流すのは、忍びないことです。」
「素晴らしいお考えです。我ら高野山としましても、無益な殺生は望むところではございませぬ。」
「それでは。」
「が、そうは問屋が卸さぬのが俗世でございます。我らも兵を使わざるを得ない側面がございまして。」
「と、申されますと?」
僧侶が、はあ、とため息を吐いた。
いかにも物憂げな、溜息である。
「かつらぎ南部や、野迫領の領主がたびたび我らの信徒を襲っておりましてな、その対応を迫られているのです。」
かつらぎとは北の笠田領と南の花園領を有する一帯の地名。野迫領はその東である。
ちらり、と僧侶がこちらを伺った。何を言わんとしているのか、貞世にもわかった。
冗談ではない、と貞世は顔をしかめる。
やっと笠田領周辺の勢力と和を結んだというのに、花園や野迫にまで進出しては、また泥沼の戦になる。だいたい、楠木の本領はもっと北なんだ。そんなに間延びしてどうする。
「そのようなことになっていたとは。」
「ええ。」
考えをおくびにも出さず、貞世は胸を叩いた。
「お任せくだされ、我らが各領主を鎮めてみせましょう。」
「おお!」
僧侶が顔を上げる。なんて白々しい。
「講和の際は、《《御山のお力》》をお借りしたい。」
僧侶はにっこりと笑った。
「ええ、微力なれど信心を思い出して頂けるよう、励みまする。」
貞世は頷く。土豪の講和の場も、講和の相手も高野山だ。
「それと。」
「はい?」
貞世はやや言いづらそうに肩を揺する。
「日を経ずに盆がやってきますな。先祖を供養したいのですが、菩提寺はここから遠く、間に合わんでしょう。願わくば御山の盂蘭盆会に参加し、《《我らの先祖》》を供養したいのですが・・・」
僧侶は満面の笑みで頷いた。
「おお!それは良い。御先祖様もさぞお喜びになることでしょう!」
貞世は感激した振りをしてペコペコと頭を下げた。
交渉のカードとしては充分だろう。
周辺のまつろわぬ土豪をしばき、高野山に服属させる。盂蘭盆会に名門武家の名前を載せることで高野山の権威を高める。
和議の材料としては大盤振る舞いがすぎる。
だが、まあ、これで当分は関係が崩れないだろう。
貞世は平身低頭のまま、蓮華定院を後にした。




