第11話 怪物の焼却、欺瞞による平和 1/2
1.醜悪な茶番、反転する殺意
それは、歴史に残る「名演」だった。あるいは、最も醜悪な茶番劇だった。
太守府の楼閣。集まった民から瓦礫を投げつけられ、額から血を流した太守・李旻は、引きつった顔で、しかし裂帛の気合いで叫んでいた。
「ワシは悔しい!お前たちが憎むのも無理はない!だが、賈仁は……あやつは、たった一人で南へ向かったのじゃ!」
李旻の手には、向朗が数分前にでっち上げた『血染めの決意書(という設定の墨が乾いていない竹簡)』が握りしめられている。
「『葛陂の賊』数万が、この陽翟を狙っておる!賈仁は、その賊を降伏させるための交渉の席で……賊に騙し討ちに遭ったのじゃあ!」
李旻は泣いた。生き残るために、鼻水を垂らして号泣した。その必死さが、逆説的に「真実味」を生んだ。
広場を埋め尽くす民衆の動きが止まった。振り上げられた拳が、行き場を失って空を彷徨う。
「売国奴」への怒りが、「誤解」への戸惑いに変わり、そして――
「……俺たちは、なんてことを」
「賈仁様は、俺たちを守って……」
誰かが膝をついた。罪悪感は、最も強力な燃料だ。
自分たちが英雄を誤解し、太守を殺そうとしたという事実は、彼らの精神を耐え難いほどの自己否定へ追い込む。そこから逃れる道は一つしかない。共通の敵への「転嫁」だ。
「許せねえ……!」
「葛陂の賊だ!あいつらが賈仁様を殺したんだ!」
「仇を討て!陽翟を守れ!」
オオオォォォォ……!地響きのような唸りが上がった。
それは先程までの暴動とは違う、統一された「殺意」の方向転換だった。
民衆は、太守府に向いていた矛先を、一斉に南――見えもしない「葛陂の賊」へと向けたのだ。
その熱狂の渦を、バルコニーの陰から見つめる向朗は、疲れ切った顔で眉間を揉んだ。
「……計算通り。民の熱狂は反転した。これで太守府は安全だ。……あーあ、胃が痛い」
2.天才たちの嘆息、見限られる街
広場を見下ろす酒楼の二階。そのテラス席で、二人の男が冷めた酒を前にしていた。
「……負けたよ。僕にはできない」
郭嘉が、両手を挙げて降参の仕草をした。
その顔には、呆れと微かな恐怖が張り付いている。
「兵を動かす策ならいくらでも思いつく。人の裏をかく謀略も得意だ。でも……『数万人の恐慌を、たった一枚の紙切れで熱狂に変える』なんて芸当、僕の美学じゃあ思いつかないね」
向かいに座る戯志才も、眼下の光景に舌を巻いていた。
彼は曹操という傑物に仕えるべく、人材を探して旅をしている。だが、今目の前で起きたことは、彼の想定を遥かに超えていた。
「あの書生……向朗といったか。いつからこの展開を計算していたのだ?」
戯志才の目が細められる。
「賈仁の死、帝の崩御、そして民の暴動。普通なら詰みの盤面だ。それを、全て『嘘』という接着剤で繋ぎ合わせ、強固な『正義』に作り変えた」
「凄まじい手腕だね」
「ああ。だが、これは『下策』だ」
戯志才は、酒を一気に煽った。
「毒が強すぎる。民を騙し、架空の敵への憎悪で統率するやり方は、いずれ必ず破綻する。……我が主・孟徳への土産にはできんな。あの方は『覇道』を歩むお人。このような詐術師は、使いこなせても愛しはしないだろう」
「同感だ。……でも、僕は嫌いじゃないよ。あの書生の、世の中を全部『面倒くさい数字』として処理している目がね」
二人の天才は、陽翟を覆う熱狂の裏で、静かにこの街を見限った。
ここはもう、まともな政治が行われる場所ではない。
「狂気」という名の燃料で走る、暴走都市になったのだ。




