第10話 そして完全犯罪 2/2
3.英雄捏造の脚本
向朗は、怯えた子犬のような目で、淡々と悪魔の論理を並べ立てた。
「賈仁様は、実は南の葛陂の賊が大軍で攻めてくるのを知っていた。だから、汚名を被ってまで強引に集金し、その金を持って単身、賊との交渉に向かった……と、書類上は処理できませんかね?」
「そ、そんな馬鹿な。誰も信じんぞ」
「信じますよ。民衆は今、怖がっているんです。帝が死んで、守ってくれる人がいないからパニックになっている」向朗は、散らばった竹簡をパラパラとめくった。
「そこに、『実は賈仁は命がけで君たちを守っていた』という書類が出てきたら?そして太守様が、『ワシもその計画を知っていたが、賈仁の遺言で黙っていた』と涙ながらに演説すれば?」
向朗は、あくまで事務的な確認作業のように言った。
「民衆の『怒り』の行き場がなくなります。その代わり、彼らは『感動』し、そして迫りくる(架空の)賊軍に対して『団結』します。……少なくとも、太守様は、今は殺されなくなりませんか?」
李旻は、ポカンと口を開けて向朗を見上げた。この書生は、狂っているのか、それとも天才なのか。表情は気弱で、声も小さい。だが、言っていることは、事実を丸ごとねじ曲げる「歴史の改竄」だ。
「……書類。その書類はあるのか?」李旻が掠れた声で聞いた。
「ええ、ここにあります」
向朗は、懐から墨の乾いていない竹簡を取り出した。そこには、『葛陂賊撃退計画書』というタイトルと、誰が見ても捏造の題目、賈仁の(偽造された)署名、そして涙を誘うような遺言めいた文言が、流麗な筆致で書かれていた。
「偶然、賈仁様の隠し部屋から見つかったことにしましょう。……どうします?採用しますか?それとも、外の人たちに殴り殺されますか?」
4.最悪の解、開く地獄の窯
ドォン!正門が破られる音が響いた。
その瞬間、李旻は向朗の手から竹簡をひったくった。
「採用だ!全面採用だ!ワシはずっと知っておったぞ、賈仁の忠義を!」
李旻は、先程までの震えが嘘のように立ち上がり、顔を真っ赤にしてバルコニーへと駆け出した。向朗は、それを見送りながら「はぁ」と深く溜息をついた。
「……これで給料は守られたかな。あーあ、めんどくさい。嘘をつくための計算って、カロリー使うんだよな」
彼は、床に散らばった他の書類を拾い始めた。外からは、李旻の絶叫に近い演説が聞こえてくる。
「民よ聞け!これは賈仁の血染めの手記だ!」
怒号が止まる。静寂が広がり、やがて嗚咽へ、そして熱狂的な「万歳」の声へと変わっていく。たった一枚の偽造書類と、一人の書生の「作文」が、数万の民の殺意をひっくり返した瞬間だった。
向朗は、その熱狂を見下ろしながら深く眉間に皺を寄せ、静かに目を閉じた。長い沈黙の後、再び目を開く。
「計算終了。……最悪の解だがね」
彼は知っていた。この嘘を真実にするためには、これから本当に「葛陂の賊」と戦うふりをし続けなければならないことを。地獄の窯の蓋は、静かに、事務的に開かれた。




